1018 反省と感謝
目が覚めたカミーラはまさに飛び起きた。
隣では夫のキルヒウスではなく、妹のベルがスヤスヤと寝ている。
ベッドや周囲を見ても間違えることはない。ベルの部屋だった。
私としたことが……。
カミーラは不味いことになったと感じながら、昨日のことを思い出した。
自室に戻ったカミーラは入浴を素早く済ませて寝ようと思っていた。
正直に言えば、夕食を食べる気力もないほど疲れ切っていた。
しかし、ベルはシャペルへの手紙をどのように書くか悩んでいた。
「夕食を食べながら相談してもいい?」
「まずは入浴させてください。そのあとでベルの部屋に行きます」
「わかったわ」
カミーラは入浴したあとにベルの部屋へ行った。
ベルは侍女から夕食を受け取るために入浴しないで待っていた。
基本的に二人の食事は侍女がワゴンで部屋まで運んでくれるが、二人のどちらかが直接受け取らないと持ち帰られてしまう。
「今日の夕食はなかなか美味しそうじゃない?」
「そうですね」
疲れ切っていたが、温かい湯気を漂わせる夕食は美味しそうだった。
食事をしながら二人はシャペルに書く手紙について話し合った。
「入浴してくるわ」
食事が終わるとベルは入浴しに行った。
カミーラは自分の部屋に戻ろうとしたが、ベルに呼び止められた。
「ちょっと相談したいことがあるの。待っていてくれない?」
「眠いのですが」
「じゃあ、ベッドでゴロゴロしていてよ」
カミーラはシャペルの購入した特注ベッドに視線を移した。
「あれはまだベルのベッドですか? それともベルとシャペルのベッドですか?」
「私のベッドに決まっているでしょう? シャペルのベッドはあっち」
ベルが指差したのは二段ベッド。
身持ちの硬い妹の選択をカミーラは支持していた。
任意の選択ではあるが、シャペルは遊び慣れている人物。
慎重な方がいいに決まっていた。
「すぐだから!」
ベルはそう言うとバスルームに向かった。
カミーラは椅子に座ったままベルの書いた手紙を確認していたが、眠気と横になりたい気持ち、何よりも興味に負けた。
シャペルがどんなベッドを選んだのか調べるためなら……。
カミーラはベッドに腰掛けた。
硬い気がする。
カミーラは部屋履きを脱いでベッドに上がり、歩いて見た。
内側は柔らかい……!
カミーラはベッドの上を歩きまくった。
外側は硬め、内側が柔らかくなっていることがわかった。
横になってみたい……。
調査のためだと言い訳しながらカミーラはベッドの上に横たわった。
シャペルの購入したベッドではあるが、ベルしか使っていないことは何度も確認している。
つい先ほども。
まだベルのベッドだと思った。今は。
寝心地がいい……絶妙です。
カミーラはシャペルを見直した。
ベルはカーテンをしっかり閉めることができる天蓋付きベッドがあればと口にしただけで、買って欲しいとねだったわけではない。
軽い気持ちで言葉にしただけだというのに、シャペルはすぐに新しいベッドを手配した。
しかも、ベルが好みそうな寝心地で収納付きの特注品だった。
カミーラは社交や情報収集が趣味のようなものであるだけに、シャペルがどのような者かを知っている。
だからこそ、シャペルがこれまでの態度を改め、ベルを大事にしているとは思っていた。
しかし、今だけかもしれない。ベルを手に入れるために偽っている可能性もある。
本人の気持ちだけではどうしようもないこともある。
派閥の違いと立ち位置。爵位継承問題。
シャペルの実家であるディーバレン伯爵家は万民を対象にする銀行業をしているだけに、中立派を貫いてきた。
だが、母親のディーバレン伯爵夫人はローゼンヌ公爵家の出自。
ローゼンヌ公爵家は第二王子の生母の実家であるシャーメイン公爵家を始め、高位で裕福な貴族とのつながりが強い。第二王子派でもある。
シャペルは第二王子の友人になったことをきっかけに、個人として第二王子派になった。
しかし、ディーバレンの家業である銀行業に専念する時には中立派になるつもりだと言っており、第二王子もそれでいいとしている。
だが、第二王子派から抜けて欲しくない者、ローゼンヌの当主になれば第二王子派のままだと思う人々が大勢いる。
ただでさえ面倒な状況だったというのに、ベルへの密かな想いを友人たちに公言されてしまったことで、状況がより深刻になった。
第二王子派と王太子派がシャペルを巡って争っている。
王太子派内でもシャペルを取り込もうとする者と信用できないと言って入れたくない者に分かれてしまった。
ベルには幸せになって欲しい。
自分の意志でしっかりと考えて答えを出し、シャペルを選ぶのであればそれでいい。
貴族が自分勝手な思惑で騒いでいるだけ。
やがて当主世代が交代し、新国王が即位すれば貴族も派閥も変わっていく。
そう思いながら、あまりの寝心地の良さにカミーラの意識は遠のいた。
「ベル、起きてください!」
カミーラはベルを起こそうとしたが、なかなか起きない。
「ベル!」
「……なあに?」
ベルは寝ぼけていた。
「鍵はいつものところですか?」
「そうよ」
「部屋に戻ります。鍵は私が持っていきます」
カミーラはそう言うとすぐにベッドから起き上がった。
緊張しながら二段ベッドを見ると、そこにシャペルの姿はない。
良かった!
残業で職場に泊まったか、まだ帰って来ていないのか。
とにかく夫以外の男性がいる部屋で一泊したことにはならない。
カミーラはベルの鍵を取り出すとドアを開け、廊下の様子を探る。
時間的に誰もいるはずはないが、用心は怠らない。
素早くドアに鍵をかけ、自分の部屋のドアの鍵を開け中に入った。
ベッドで一人寝ているキルヒウスの姿を見た瞬間、カミーラは動揺した。
夫もシャペル同様職場に泊まるか朝帰りであって欲しいと願っていたが、さすがに無理だった。
足をしのばせながらそっとベッドに近づき、素早く寝間着に着替えてベッドに上がる。
音が鳴った。
それだけでカミーラの心臓は跳ね上がる。
とにかく静かに起こさないようにと思いながら横たわり目を閉じて数秒後。
カミーラはキルヒウスに抱きしめられた。
「遅かったな」
カミーラは悲鳴を飲み込んだ。
予想に反して口調は静かだった。怒っていないように感じる。
なんとかなりそうだとカミーラは思った。
「すみません。ベルと話し込んでしまって……」
「ベルのベッドで寝ていたそうだな?」
カミーラの心臓が一瞬止まりそうになった。
「シャペルが教えてくれた。お前と一緒の部屋にいるわけにはいかないと思い、部屋を出て行くところに会った」
「反省しています。眠る気はなかったのです。ただ、ベルのベッドが素晴らしいと聞いていたので、少しだけ調査しようと思って……」
「調査結果が良すぎたか?」
「かなり。女性向けの柔らかいマットでした。ベルのために選択したのだと思います。ですので、シャペルが使う気はないでしょうし、そもそもベルが許しません」
「シャペルから手紙を預かった。朝になったら読め。深く反省するように」
「わかりました。すでに深く反省しています」
「私への謝罪が足りない」
「申し訳ございませんでした。二度とこのようなことがないように努めます。お許しいただけませんか?」
「妻の願いは叶えたいとは思っている。許してやろう」
カミーラは安堵の息をついた。
「だが、言葉だけでは足りない。どれほど心配したと思っている? マナー違反を覚悟でベルを起こすか、警備に通報するかの二択だった。シャペルのおかげで選択肢が増えた」
「シャペルに感謝しておきます」
「寛大な夫への感謝も忘れるな」
唇と唇が重なった。
キルヒウスはとてつもなく嫉妬深い。
それは深い愛情の裏返しだということを、カミーラは誰よりもよくわかっていた。





