1016 友人で良かった
「少し待って欲しい」
パスカルはシャペルを居間に残して寝室の方へ戻った。
シャワーを浴びた直後だったため、バスローブから着替えに行ったのだ。
やっぱり、悪かったかなあ……。
シャペルはパスカルと仕事の話を終えてからベルの部屋に戻った。
パスカルも自室に戻って寝ることがわかっていただけに、話をしに来たことを後悔した。
やがて、シャツとズボンに着替えたパスカルが戻って来た。
「ごめん。話したいことがあって」
「わかっている。それで?」
「これが枕の上に置いてあった」
シャペルはベルから貰った手紙を見せた。
「ベルは眠っていたから詳しく聞けなくて……完成品か材料なのかは確認できていない。完成品の方がいいと思ってはいるけどね」
王族側近の権限で通勤用の馬車の中に入れてしまえば、何でも簡単に持ち込めると考える者が多い。
しかし、馬車から積み荷を降ろすタイミングで必ず警備にはわかってしまう。
使途不明の材料は警戒対象になるため、検査を逃れることができない。使用目的についても説明を求められる。
正式な許可を取って欲しいと言われると、国王か後宮統括である宰相の許可を取らなければならない。
「パスカルはどう思う?」
聞かなくてもシャペルは答えを予想していた。自分と同じだと。
「シャペルと同じかな。完成品の方がいい」
「だよね」
「誰が作るのかも気になる」
「体験者の三人か買物部にいる平民だとは思う」
貴族の令嬢が突然木箱を作ると言い出すわけがない。常識的に考えれば。
「図を見ると、商品を入れる箱を作って積み上げるようだ」
「そうだね」
「商品棚に並べる手間がかかるのもわかる」
「綺麗に整えたり補充したりするだけでも大変だろうね」
パスカルは考えた。
箱から直接商品を取って貰うというのはわかるが、商品が売れるほど客はかがんで商品を取らなくてはならない。
空箱を置く場所も必要になる。
空箱を一番下にしてまた上に商品入りの箱を積み直すとしても手間がかかる。
紙箱では強度不足になってしまうため、強度的には木箱がいい。
「庶民らしさか……」
「それはちょっとどうかとは思った。個人的には」
ベルの手紙には買物部のお試しコンセプトに庶民らしさを加えるということも書かれていた。
庶民の店では箱に入れて商品を陳列しているため、それを取り入れる。
但し、配送用のものをそのまま使うのは見た目が悪いため、見た目の良い箱にしたいということも説明されていた。
「ナチュラルな感じは?」
「その方がいいかも」
シャペルの感覚において庶民らしさというのは悪いものではないが、魅力的なものではない。
普通よりも劣るイメージを感じてしまう。
高級感がある後宮の購買部との違いは明確で、良い意味での差とは思えない。
安価な商品だけに気軽に買いやすいかもしれないが、安物という感覚や軽視にならないかが心配だった。
パスカルが口にしたナチュラルというイメージの方がずっと良い。
人は自然や癒しを求める。そういったものを感じさせる優しいもの。
ヴェリオール大公妃のイメージにも重なり、新設した買物部のイメージにしてもいいのではないかとシャペルは思った。
「どうしても材料がいいのかどうかは聞くしかない。完成品でいいならナチュラルなイメージに合わせたものを用意すればいいと思う」
「そうだね」
「この件は僕の方で確認するよ」
「わかった」
「次は?」
シャペルは見破られていると思った。
「……大丈夫。パスカルと話していたら落ち着いた。ちょっとムカついてさ」
「寂しいではなく?」
シャペルは苦笑するしかない。
「カミーラが寝ていた。僕とベルのベッドに。少なくとも、僕にとってはそうだった」
ただの愚痴でしかない。ベルもカミーラも悪くない。自分勝手な気持ちであり、それを押し付けて不満だと言っているだけなのもわかっていた。
それでもシャペルの心の中に溜まった感情は抑えきれずに溢れていく。
全てを話し終えたシャペルは大きく息をついた。
「……ごめん。嫌な話だったよね」
「シャペルは間違っていない。愛する女性と二人だけの場所に他人を入れたくないのは普通だよ」
シャペルは眉を下げた。
「ありがとう。そう言ってくれて嬉しいよ」
「でも、何も伝えていないのであれば、ベルのベッドだと思っていそうだ。ベルもカミーラも悪くない」
「わかっている。ただ、自分を抑えきれなくてイライラしてしまった。疲れているせいかな。デートもできないし、会話も手紙も仕事のことばかりで、恋人らしい時間が持てないし」
我ながら情けないとシャペルは思った。
数々のデートプランがあったというのに、互いに多忙過ぎてキャンセルばかり。
恋人としては最高の冬どころか最低の冬かもしれないとさえ思う。
「でも、愛の日だけはなんとか時間を作りたい」
エルグラードには二月に愛の日と呼ばれる日がある。
愛を告白したり、プロポーズしたり、恋人と一緒に過ごす。
「ここだけの話だけど、個人的には応援している。愛する女性と結婚できるのであればその方がいい」
シャペルは嬉しくなった。
「パスカルだって同じだ。愛する女性と結婚すればいい。跡継ぎでも関係ない。政略結婚なんて時代遅れだよ」
「政略結婚も悪くない。うまくいく場合もある」
「パスカルなら誰が相手でもうまくいきそう」
「よく言われるよ」
パスカルは苦笑した。
「でも、そんなことはない。さすがに無理だと思う相手もいるよ」
「へえ、誰?」
「敵かな」
敵は敵。別次元。
「同じだ。パスカルに敵って思われたくないなあ」
「シャペルは敵じゃない。一方的に友人だと思っている」
シャペルは満面の笑みを浮かべた。
「僕も一方的に友人だと思っていたよ。幼い頃から知っているしね」
「一方的じゃなかったみたいだ」
「そうだね。今更だけど、お互いらしい」
「嬉しいな。年齢というよりも派閥が違うと言いにくいことが多くてね」
「わかるよ」
ちょっとしたことでも騒がれてしまう。跡継ぎは余計に。
自分と同じ悩みを持つ者は多くいるはずだとシャペルは思った。
「パスカルは……好きな人はいない? 結婚しないの?」
「今は仕事で手一杯だよ。政略結婚をするつもりだから、政略次第だ」
シャペルは肩をすくめた。
「女性ではなく政略と結婚するわけだ」
「間違いではないかな」
「問題はレーベルオードのためか、王家のためかという部分かな?」
「レーベルオードのためだよ。僕はレーベルオードだからね」
パスカルの答えは決まっていた。それを変更するつもりはない。
「パスカルっぽい」
「そうだ。僕らしい」
「でもさ、パスカルだってもっと普通でいいと思うよ。誰かを好きになって結婚したってさ」
シャペルは恋愛結婚でも政略結婚でも関係ないと思っていた。
幸せになれるのであれば問題ないとも。
だが、ベルを好きになってからは違う。
ベルと結婚したい。どうしても。
「恋愛はいいよ。自分の気持ちに従えばいい。自由だ。夢中にもなれる。時々苦しいこともあるけれど」
「苦しいのは困るな。寂しくなるのもね」
「実はそう」
二人は笑い合った。
苦しまなくていいのであれば、苦しまない方がいいに決まっている。
寂しさについても同じく。
「僕のことを心配してくれているのかな? でも、大丈夫だ。恋愛はいつでもできるよ」
パスカルは優しく微笑んだ。
「結婚する前にしておいた方がいいよ。結婚したあとは大変だ」
「そんなことはない。相手次第だよ。王太子殿下は結婚後も妻に夢中だ。恋愛中に見えるよ」
それはある……。
シャペルは妙に納得した。
「僕も妻と恋愛したい。元々そのつもりだったしね」
それは知らなかったとシャペルは思った。
「それって、安定感は求めないってこと? ずっとドキドキしていたいというか」
「逆だよ」
結婚前の恋愛は結婚できるかわからない。
どれほど相手を好きになっても、諸事情で結婚できないこともある。
だが、政略結婚であれば、二人の関係は夫婦として固定される。
政略という理由があるからこそ、離婚することもない。
「妻ならどれほど好きになってもいい。子どもができれば絆を強くできる。安心して恋愛できるよ」
逆転の発想過ぎる……。
シャペルは唖然とした。
「必ず妻を幸せにするし、自分も幸せになる。そのための恋愛だ」
「まあ……そういうのもありかもだね」
「シャペル」
「ん?」
「運命は自分で切り開ける。ただの成り行きを運命と思う必要はない。運命の相手だって自分で決めればいいよ」
……強いなあ。
シャペルはそう思った。
「僕もそう言えるようになりたいよ」
「シャペル次第だよ」
「自信ない」
「恋は盲目だね」
パスカルは笑った。
「不思議だよ。シャペルは驚くほど優秀なのに、今は肝心な部分が見えていない」
「仕事はちゃんとしているよ」
「どうしてもベルと結婚したいなら、自分から政略を持ち込めばいい。僕なら迷わずそうする」
シャペルはハッとした。
「パスカルの政略結婚って言うのは……」
自分から政略を持ち込んで、結婚を邪魔させないってこと?
「友人として助言する。イレビオールに構う必要はない。当主のシャルゴット侯爵を狙うべきだ」
一族の当主であるシャルゴット侯爵がベルとシャペルを結婚させると決めれば、両親のイレビオール伯爵夫妻や兄のヘンデルは反対しにくい。
ベルが自らの意志でシャペルと結婚したいのであれば、必ず折れる。
「キルヒウスを味方につけることが重要だ。ベルの兄と姉、王太子派を抑えることができる」
王太子派をまとめているのはヴァークレイ公爵家。
ゆくゆくは当主になるキルヒウスの意向を尊重しない者などいない。
ヘンデルにとってキルヒウスは幼少時から何かと面倒を見てくれる兄のような存在。先輩であり上司でもある。頭が上がらない。
姉であるカミーラはキルヒウスの妻。愛ゆえに夫に従う。
キルヒウスがシャペルとベルの結婚に賛成すれば、一気に賛成派が増える。
中立かもしれないが、表だって反対する声は少なくなる。
「恋愛は結婚してから楽しめばいい。どんな結婚かにこだわるよりも、愛する女性を妻にする方が優先だ。王太子殿下を見習うべきじゃないかな?」
王太子は愛する女性を正妃にすると決めていたが、許可が出なかった。
そこで側妃にした。妻にすることを優先したのだ。
これは正妃にすることを諦めたわけではない。作戦変更というだけ。
側妃として王家の一員にしてしまえば、あからさまに悪くは言えなくなる。
些細なことでも不敬罪になってしまうため、貴族は慎重になる。
ヴェリオール大公妃への支持を集めながら、王太子夫婦としての立場を確立。
それを足掛かりにして正妃への格上げを目指す。
「僕たちの生きる世界には政略が不可欠だ。結婚に取り入れるのは普通だよ。うまく立ち回らなければ何も得られない。守りたいものも守れない。そうだろう?」
……パスカルが友人で良かった。助言も情報も貴重過ぎる。
シャペルは心底そう思った。





