1013 メリーネと秘書室
メリーネの起床時間は早い。
以前は身支度を整えると、朝食ついでに散歩に出かけるのが日課だった。
腰痛改善目的で適度に体を動かすためだが、今は担当教官になったために変更している。
体験者の一人が日替わり当番として朝食を届けに来るため、その際に日誌や必要と思われる物を渡すことにした。
当然のことながら、問題点は厳しく注意しながら指導する。
水曜日の当番はジゼだった。
七時になるとドアがノックされた。
「おはようございます! ジゼです! 朝食をお届けに参りました!」
メリーネはドアの鍵を開けるとジゼと朝食を載せたワゴンを中に入れた。
「朝食をテーブルの上に載せる必要はありません。日誌の前の席に座りなさい」
「はい!」
ジゼは緊張しながら十二人用のダイニングセットの椅子に座った。
メリーネも座ると早速説明が始まった。
「今日は渡す物が増えるので注意しなさい。日誌だけでなく本と書類も渡します」
ジゼは日誌と本に視線を移した。書類は日誌に挟んである。
今週から担当教官がメリーネに変わった。
管理・事務業をする侍女で、最も厳しい教官だとマーサやヘンリエッタから教えられている。
月曜日はハイジ、火曜日はリリーが当番を務めていた。
ジゼは二人からどんなことをするのかは聞いているが、一人でメリーネの部屋に行き、指導を受けることに緊張しないわけがない。
「当番がどのようなことをするかは聞いていますね?」
「はい!」
「では、把握している内容に間違いがないかを確認します。できるだけ詳しく説明しなさい」
やっぱり!
メリーネは必ず把握しているか確認するはずだとジゼは聞いていた。
「当番は七時に朝食を載せたワゴンを押してメリーネ様の自室に行きます」
ノックをするドアは居間ではなくダイニングルームにつながる控室。
朝食を届けた後は日誌を受け取り、指示を聞く。
今週は九時から十六時のコアタイムを買物部で過ごし、買物部にいる側近補佐の指示に従う。
側近補佐は王宮側の人間になるため、後宮のことは買物部に派遣されている真珠の間の最上位役職者に確認する。
側近補佐は終礼を先に済ませて十六時には買物部からいなくなる。
作業を指示されている場合は買物部の終業時間である十七時まで残る。
職業体験者は別の仕事があることを理由に必ず十七時には撤収し、自室で日誌を書き、報告書を作成する。
十九時までにメリーネの部屋に行き、日誌や書類を提出する。
メリーネが不在か入浴等によって返事のない場合はドアの隙間から差し入れる。
渡せなかった場合は翌日の朝に渡す。
朝食と昼食は各一時間。合計二時間。勤務は絶対に一日十時間以内。
残業をしてはいけないが、任意で勉強や予習時間を設けるのは構わない。
「……以上です!」
「大丈夫のようですね」
メリーネは頷いた。
「確認も兼ねて直接伝えます。今週は買物部で勤務して貰います。側近補佐が上司ですが、担当教官ではありません。今週の担当教官は私ですので、日誌と報告書を通して事務作業について教えます」
買物部からの無用な詮索及び嫉妬を回避するため、メリーネの指導を受けていることは秘密にする。
どうしてもという場合はヘンリエッタの指導中か指示ということにする。
この件はヘンリエッタも了承済だ。
「いいですね?」
「はい!」
「では、日誌と書類を素早く確認しなさい」
ジゼは日誌を取ると、書類が挟まっているページを開けた。
「日誌と報告書は添削してあります。まずは自由に書かせてみることにしましたが、はっきり言ってこれは報告書ではありません。ただの手紙です」
ハイジとリリーの提出したものはましだが、ジゼの書いたものが一番酷い。
但し、月曜日に提出した報告書と比べると、驚くほど改善されていた。
要点はわかっているため、まとめ方と書き方さえわかればかなり良くなる。
「文章で説明しようとすると長くなります。要点がわかっているのであれば、箇条書きにしなさい。その方がスッキリして伝わりやすくなります」
攻略メモをそのまま提出した方が良かった気がする……。
ヘンリエッタに自分でまとめたものを提出するよう言われたため、ジゼはメモの内容を続けて書いたような長文にして提出していた。
「三人とも基本中の基本ができていません。報告書を書くのであれば宛先と作成者名だけでなく、日付と題名も必須です」
書式は多種多様だが、必須事項は共通だ。
「この本を読みなさい。一般的な書類の書き方が載っています。秘書室で採用している定型書式も用意しておきました。書類を見なさい」
ジゼは書類を見た。七枚ある。
「一枚は定型書式です。空欄部分は報告する際に記入します。月曜と火曜に提出したものを定型書式に当てはめた場合の見本が一枚ずつあります」
うわあ……これが本物の報告書!
ジゼは目を見張った。まさに書類、報告書だ。
担当教官であるメリーネが作成しただけあり、見やすくわかりやすかった。
「どのような意見が出ていたのかをしっかりと記述するのは大事ですが、何が大事なのかを見極めなければなりません。見極めることができても、書き方が悪ければ相手に伝わりません」
「……はい」
「注意があります。報告書とレポートと手紙は違います」
報告書は事実や情報をまとめて書いたもの。
レポートは事実や情報に自身の意見や推測、提案を合わせたもの。
手紙は自分の思ったことを書いたもの。
「ハイジとリリーはレポート、ジゼは手紙になっています。提出するのは報告書です。レポートや手紙を添える場合は、報告書とは別に作成しなさい。いいですね?」
「わかりました!」
「私から教わったことは他の二人にも伝えるように」
「はい!」
「以上です。自室に戻りなさい」
やった! 終わった! 朝食に行ける!
ジゼは書類をまとめて日誌に挟むと手に持って席を立った。
「では、失礼します!」
「本を忘れています」
あ……。
ジゼは慌てて本に手を伸ばした。
朝食を取ると、メリーネは出勤準備に入った。
歯磨きをした後に落ちた口紅をつけ直し、きりりとした眉を描き直す。
役職者に配る日誌と書類、郵送物をダイニングテーブルの上にセットした。
八時半になるとノックがある。
「おはようございます。ネッタです。班長も揃っています」
ドアを開けると副室長のネッタと各班長が揃っていた。
「入りなさい」
鍵はジゼが来た時に開けているため、ネッタと班長達が中に入って来た。
「各班の日誌と配布書類を確認した後に座りなさい。説明があります」
ネッタは郵送物の宛先と数を確認し、素早く自身の日誌に記入した。
班長も同じく日誌や書類を確認する。
全員が席に座るとメリーネも席に座った。
「では、説明します」
ヴェリオール大公妃の指示により、秘書室は買物部と距離を置くことになった。
しかし、買物部の仕事をしなくてもよくなったわけではない。
買物部関連の仕事を二つに分け、買物部と秘書室でそれぞれ担当する。
秘書室が担当するのは発注及び倉庫作業。
すでに王宮の購買部に行った時の買い物一覧は集計し、必要品と嗜好品の傾向を分析した。
その結果に基づいた追加発注は担当官僚に報告済み。
備品数の確保が難しい物品でなければ追加発注は受理され、王宮の購買部との取引一覧にも加わる。
「今日から倉庫部屋を作ります」
秘書室は買物部を新設するにあたって必要なプランを練り、準備をしてきた。
倉庫部屋についても帳簿についてもどのようなものにするか決めてある。
本来は買物部がそれを実行するだけだが、予定が遅延しているせいで取り掛かれない。
まだ店部屋もできていない状態だ。
店部屋については後宮の購買部と同じようなプランだったため、独自性がないことを理由にヴェリオール大公妃が保留にした。
新しいプランは実際に店部屋で働く買物部の方で王宮の購買部を参考にしながら考えて作る。
その間に秘書室の方でプラン通りの倉庫部屋を作り、発注済みの商品を受け取って注文品の受け取りと確認・整理を行う。
他にも帳簿のような商品管理や倉庫管理に必要なものを用意する。
マニュアルも再度作り直す。
「現在のマニュアルは買物部にとって難しく理解できないようです。そこで初心者用のマニュアルを作ります」
秘書室にいるのは優秀な者ばかり。管理・事務業をこなしていた者も多い。
だが、買物部にいる人員の多くは管理・事務業の経験と能力がない初心者だ。
マニュアルを見てやればいいだけだと思っていたが、理解できないマニュアルでは何もないのと同じ。
そのせいで計画通りに進んでいない。買物部だけで進めることもできない。
「店部屋が完成する前に秘書室で担当する作業は全て終えておきます。そうすれば、店部屋が完成したと同時に倉庫部屋から商品を移すことができます。買物部は秘書室による支援の重要性を感じるでしょう」
理解しやすい初心者用マニュアルがあれば、買物部が自分達で仕事をしていけるようになる。
初心者用マニュアルを作った秘書室に対する評価も変わるはずだ。
「ヴェリオール大公妃の指示に従い、秘書室の誇りにかけて準備を完璧に整えなくてはなりません。わかりましたね?」
「はい!」
「説明は以上です」
メリーネ達は任された仕事を完遂するため、秘書室に向かった。





