1008 聞きたいこと
「頑張っています」
あまり詳しくは言えない。
無難に受け流すようパスカルから指示されていた。
「ヘンリエッタも担当教官ですよね? 毎日見ているのですか?」
「今は後宮が混乱している状態ですので、三人のことはレーチェに任せています。毎日報告を受け、私の方から指示は出しています」
「来週はメリーネの番ですよね?」
「はい。ですので、メリーネがどうするつもりなのかも気になっています」
メリーネは管理や事務を行う侍女で女官に近い。
最初は秘書室の説明をしても、数日後には買物部のことを手伝わせるのではないかとヘンリエッタは考えていた。
だが、このような状況では体験するどころではない。
混乱する現場に連れて行く意味はなく、メリーネも連れて行きたくないだろうとヘンリエッタは思っていた。
そこでメリーネが所属していた清掃部の残留者が移った掃除部内の管理課の方で、何かしらの管理業務をさせるかもしれないと推測していた。
「ここだけの話ですけれど、一番厳しいのはどう考えてもメリーネなのでちょっと不安なのです」
リーナは本心をヘンリエッタに伝えた。
「厳しいのは最初からわかっています。やるだけやってみるしかありません」
「私、ヘンリエッタのそういうところが大好きです。優しいですよね」
リーナは微笑んだ。
「駄目だって決めつけないでくれるというか。うまくいかなくて上司にすぐ駄目だって言われると不安になるし、自信もなくなるし、何よりも傷つきますよね」
「そう思います。相手を叱責するだけでは何の意味もありません。むしろ自信喪失を促し、やる気を失わせてしまいます」
うまくいかないことや駄目なことは本人もわかっている。
重要なのはひたすら頭を下げさせることでも謝罪の言葉を言わせることでもない。
謝罪後、状況をどう打開するかということだ。
うまくいかせるには、駄目にならないようにするためにはどうすればいいかを考えさせる。
本人を励ましつつ、別の者や上司自身も一緒になって取り組む。
一人が駄目なら数人で、より大きな単位である全体で力を発揮し、問題を解決していけばいい。
何もかも一人でしなければならないということばかりではない。
それがヘンリエッタのやり方だ。
「追い込まれることで驚くべき力を発揮する者もいますが」
「そうですね」
「リーナ様です」
間が空いた。
「え?」
「追い込まれると驚くべき力を発揮する者のことです」
「私が?」
「今だからこそ言いますが、後宮華の会までにダンスの習得は難しいのではないかと思っていました」
「ああ」
リーナも間に合わないかもしれないと思っていた。
日々空き時間を見つけてはひたすら練習したおかげで、取りあえずはなんとなかった。
「懐かしいですね」
「はい。実はそれほど昔でもないのですが」
「それもそうですね」
「今のリーナ様はヴェリオール大公妃です。まさに人生は何が起こるかわかりません。希望を信じて努力すれば、きっと幸せな方へ進んで行けると思えます。王族に見初められるのはさすがに無理ですが」
リーナはふと気になった。
「ヘンリエッタって未婚ですよね?」
「そうです」
「皆、そうですよね」
真珠の間の侍女のことだ。
「そうです。恋人さえいません」
「こっそり付き合っている人とかいないのですか?」
「いません。リーナ様に真摯に尽くすつもりですのでご安心を」
「第一王子騎士団は独身者が圧倒的に多いらしいですよ」
ヘンリエッタはクスリと笑った。
「知っています」
「どう思いますか?」
「向こうも同じです。王太子殿下に真摯に尽くされるおつもりでしょう」
婚姻すると護衛騎士から外されてしまう。若手との交代だ。
護衛騎士になることを夢見て必死に努力し、チャンスを掴んで入団した。
ようやく夢が叶ったというのに、簡単に手放せるわけがない。
結婚するよりも護衛騎士として頑張りたいと思っている者が多い。
警備室が出来たことで、多少の情報は流れて来るのだ。
「独身女性ばかりと独身男性ばかりで丁度良さそうなのに」
「侍女の方も簡単には結婚できない事情があります。今の仕事を続けることが難しいですし、子供が生まれたら余計に大変です」
「まあ、そうですね……」
夫婦で共働きができたとしても、子供が出来たら女性は仕事を辞めなくてはならない。
収入が減り、逆に支出は増える。やりくりも大変だ。
「今の充実度を考えると、結婚によってかえって失ってしまうものが大きいのではないかと感じます」
ヘンリエッタは今の仕事に人生で一番のやりがいを感じている。
「結婚して仕事を辞めたくありません。きっと私以外の侍女達も騎士の方々も同じ気持ちなのだと思います」
結婚することだけが全てではない。
結婚しないことが自分の選択であり、それがより良い人生になる可能性もある。
「ただ、恋人はいてもいいのではないかと思います。仕事を辞めなくてもいいような相手であればですが」
「嫌なら答えなくていいのですが、どんな男性が好みですか?」
「優しい方がいいです。思いやりがない方は困ります。互いに支え合えるような方がいいです」
リーナも同じだった。
優しくて思いやりがあって互いに支え合える人がいい。
「お兄様みたいな人ですよね?」
返事に困る質問だとヘンリエッタは思った。
侍女には侍女の情報網がある。
暴君と呼ばれている第四王子を任されている筆頭側近が、ただの優しい者であるはずがない。
第四の騎士は恐れているというもっぱらの噂だ。
「レーベルオード子爵は多くの女性に人気があります。ただ……」
「ただ?」
「私以上の年代から見ると、少し若いかもしれません」
ヘンリエッタは別の理由をあげることにした。
「ヘンリエッタから見ると年下ですよね」
「真珠の間は元側妃候補付きだった者達ばかりですので、王太子殿下に近い年齢の者が多いといいますか」
入宮するのは王太子や第二・第三王子の側妃に相応しい年齢の女性。
候補者よりも年下の侍女ばかりでは対処しにくいと思われ、年上の侍女が上位として対応することになった。
「結婚適齢期を過ぎるほど、達観した部分が出て来るのもありまして」
エルグラードの女性における結婚適齢期は二十代前半程度までと言われている。
学業や仕事のせいで遅くなる女性は増えているが、年齢が上がるほど結婚は難しいと誰もが思う。
つまり、諦める気持ちが強まる。
「やはり年下ではあるのですが、ディーバレン子爵も人気です。親しみやすさがあってお金持ちですので」
「ベルがいますよ?」
「そうなのです。ですので、恋人や結婚相手としては完全に無理です。あくまでもどのような男性が好みかというだけの話です」
ベルのことを知っている者は絶対に張り合わない。勝てる要素がないと思う。
「ヴィルスラウン伯爵も人気があります。気さくに話しかけてくれますし、一番多く差し入れをいただいております」
ヘンデルは王太子の側近の後宮担当として長年出入りしている。
顔も名前も知られているが、気前の良さでも知られている。
侍女達を励ましながら菓子を差し入れていたことに好感を持つ者は多い。
「ですが、やはり結婚は無理です。王太子の首席補佐官で親友では」
いずれは三つの領地を受け継ぐ大領主の侯爵ともなれば、高嶺の花に決まっていた。
「素晴らしい男性がいても、あまりにもレベルが高すぎます」
「レベル……」
「現実的な意味で人気があるのはクロイゼル様です」
リーナは首を傾げた。
「筆頭護衛騎士ですよ? それこそクオン様のために結婚しないのでは?」
「年齢がポイントです」
どれほど優秀な騎士でも年齢と共にいずれは体力が衰えて来る。
護衛騎士は激務だけに、体力が落ちた者には務まらない。
騎士にも年齢上限があるが、護衛騎士の上限の方が厳しい。
「クロイゼル様は筆頭なので、年齢の関係でいずれは護衛騎士から役職者としての道に進まれるかと。そうすれば結婚は可能です。自身の子供を王太子殿下のお子様方にお仕えさせたいと思うかもしれません」
王太子が結婚しただけに、クロイゼルも時期を見て役職者に移り、家庭を持つ可能性がある。
むしろ、王太子への忠誠心が高いからこそ、その可能性が高いのではないかと期待している女性が多いのだ。
「公爵家のご出自で第一王子騎士団の役職者となれば、結婚後も安泰です。勿論、高嶺の花ではあるのですが、夢見る者もいるとか」
「そうなのですね」
意外な人物だとリーナは感じたが、ヘンリエッタの説明を聞けばわかるとも感じた。
騎士というだけで信頼できる者という安心感がある。
自分よりも年齢の高い世代の侍女には人気なのだろうと思った。
「もしかして、ヘンリエッタはクロイゼルを狙っていますか?」
「いえいえ、そんな! 滅相もございません!」
ヘンリエッタは大否定した。
「私はそのような大それたことは考えておりません!」
「そうですか」
「どちらかというと、アンフェル様の方がいいのではないかと思っております。あくまでもどちらかということであればですが」
人の好みはそれぞれ違う。
食べ物だけではない。男性も。
「別に狙っているとかそういったことではなく、単にグイグイ来そうな方よりは無口な方が……見た目です。あくまでも見た目の印象です。詳しく知っているわけではありません。そういうことを言っている侍女がいただけです!」
懸命に誤魔化していますね。
元部下のリーナだからこそ、そう思った。





