1007 買物部の問題
連日、リーナは充実していた。
新年謁見は勉強になるだけでなく情報収集にもなる。楽しい。
クオンが個別に行う謁見は政治的な話題や個人的な相談になる可能性が高いため、常にリーナが同席することはない。
その時は執務室で過ごせばいい。
書類や資料を見たり、メリーネやヘンリエッタと会ったり、執務室付きの侍女とおしゃべりをする。
暇を持て余す時間はなかった。
後宮への立ち入り禁止はリーナにとって新たな時間の過ごし方や活用方法を見つける良い機会になっていた。
だが、何の問題も不安もないわけではない。
メリーネやヘンリエッタからの報告によると、後宮の状況はなかなか落ち着いていないということだった。
まずは新体制の通達内容を把握し、移動期限のある部署部屋や個人部屋の引っ越し作業が優先されることになった。
台車が奪い合いになり、どの部署でも不足した。
おかげで割り当てられた台車の使用以外は手で持って運ぶしかなく、荷物を持って何度も新旧の部室を往復する羽目になった。
勤務が終わってからも自室の引っ越しがあるため、精神的にも体力的にもかなりの負担になっていた。
なんとか引っ越し作業についてだけは落ち着いたものの、買物部関連の仕事が山積している状態だ。
元々メリーネは秘書室と同じく清掃部や掃除部から優秀な人員を集めたいと主張していたが、秘書室に続いて買物部も同じような選考になると不公平感が高まる。
他の部署からもある程度は入れるべきだという担当官僚の意見もあり、買物部の人員については異動希望者からの無作為抽選にした。
担当官僚や秘書室の者が指令塔になって新規人員を動かすことになっていたが、うまく機能していないということだった。
その話を聞いたリーナは不思議に思った。
メリーネは優秀だ。別の部署から異動した者達であってもまとめることができる。
すぐには無理だとしても、しばらくすれば大丈夫になるだろうと考えた。
しかし、その予想は外れることになった。
「かなり深刻な状況になって来たように思います」
近況を報告に来たヘンリエッタの様子は疲れ切っていた。
リーナが後宮に行かなければ、真珠の間は忙しくない。
疲れている理由は別のこと、応援に行っている買物部のことであるのは明白だ。
「買物部ですよね?」
「そうです」
「うまくいっていないのですか?」
「はい」
リーナは少し考え込んだ後に口を開いた。
「メリーネの報告では、人員の選出方法が良くなかったと言っていました。適性や能力のない者が多く選ばれてしまったため、修正するのに時間がかかるということでした。ヘンリエッタもそう思いますか?」
「別の理由があるように思います」
「どんな理由ですか?」
「……できればリーナ様とレイチェル様だけにお伝えしたいのですが?」
ヘンリエッタの上司はリーナだが、侍女長のレイチェルもその一人だ。
リーナは執務付きだった侍女にレイチェルを呼びに行かせた。
レイチェルが来て執務室に三人になると、ヘンリエッタは自身の知る内情を話し始めた。
「引っ越し作業に伴う心身の疲労もありますが、嫉妬や不安、落胆と失望ではないかと」
感情的な要因だ。
買物部の人員に問題があるという意味ではメリーネと同じだが、能力がないという理由ではない。
「真珠の間による情報収集によりますと、メリーネが秘書室長であることを喜ばない者が多くいるようです」
しかも、秘書室への反感と共に現在進行形で増加中だった。
「どうしてですか? メリーネは部長をしているほど優秀です。抜擢されてもおかしくないですよね?」
「贔屓のせいです。清掃部と掃除部を優遇しています」
秘書室が新設された当初、メリーネが秘書室長になったことに対する反感は強くなかった。
ヴェリオール大公妃は元掃除部。
旧知で優秀な者を抜擢しただけだと思われた。
ところが、メリーネによる秘書室の人員選出は清掃部や掃除部ばかり。
清掃部や掃除部の者は大喜びだが、別の部署の者は差がつけられている、狡いと感じていた。
そして、買物部の新設も決まる。
幅広い部署からやる気のある異動希望者を募集するということがわかった。
自分達にもチャンスが来たと思って大勢が申し込んだ。
選ばれた者がいざ買物部に行ってみると、命令するのは買物部長ではなく王宮から来た担当官僚、そしてメリーネ率いる秘書室だった。
買物部はメリーネや元清掃部や掃除部の独占ではないと喜んだのはつかの間、実はその下でこき使われるということが判明した。
やる気が削がれ、期待外れだと感じ、不安になってしまった。
メリーネと秘書室は自分達の助力を喜ばない買物部とのやり取りに苛立ち、不満を高めている。
そのような状態だけに、担当官僚も同じく苛立ち、不満に思っている。
「メリーネは能力主義なだけでなく、残業は一切しない主義です。終業時間が近づくと秘書室に戻ってしまいます」
メリーネや秘書室はあくまでも手伝い。
残業する気はない。終わらないのは買物部の責任だ。
担当官僚も王宮に戻ることを考えなければならないため、長居はしない。
結局、買物部の人員だけが取り残され、自分達で仕事をやれと言われる。
仕事が進まない。おかげでどんどん遅れる一方になった。
「自分達を残してさっさと仕事をあがる秘書室を冷たいと感じているようです」
「ああ、なるほど」
それはリーナにもわかる。
メリーネの清掃部は絶対に残業しない主義だった。
そのせいで終業時間近くの対応を冷たいと感じたことは一度や二度ではない。
「買物部の意見もわかりますが、私は中立かつ役職者です。だからこそ、メリーネや秘書室の対応は決して間違っているわけではないことを知っています」
メリーネが優先すべきは秘書室長としての務めだ。
三人の体験者の担当教官を務めることにもなっている。その時は最優先。
買物部のことはそれらよりも優先すべきことではない。
秘書室も同じく、秘書室の仕事が最優先。買物部のことはあくまでも二の次だ。
買物部が困難な状況になったのであれば、その時こそ買物部の力を奮起させ、乗り越えていけるように必死に取り組まなければならない。
それが当たり前だというのに、買物部はできない。
誰かが指示をしてくれるのを待つだけ。指示しても理解しない。文句を言う。秘書室のせいにする。自分だけでは進んで行けない。
メリーネや秘書室にとってそのような者は無能だ。努力が足りない。自身の責任だと割り切る。
優秀な者だからこそ、能力主義だからこそ、本来の務めを果たすべきだと思うからこその選択がある。
「新年にリーナ様がしばらく後宮に来ないという判断をしたのは賢明だと思いました。ですが、今は一刻も早く現場で指揮を取っていただきたい気分です」
リーナが来て直接指示をすれば、買物部の人員も奮起する。
たまたま最初はメリーネや秘書室が来ただけだということで、事態の収拾をしやすくなるとヘンリエッタは思った。
「そうですか」
リーナは胸が痛いと感じた。
一人一人の考え方も優先も違う。
だからこそ、選択が違う。心もバラバラだ。
頑張りたいという気持ちがうまくつながらない。
一つになれない。結果がでない。
なにもかもがぐちゃぐちゃになり、良くない状況に陥ってしまっていると思った。
「いかがいたしましょうか?」
ヘンリエッタはリーナだけでなく、レイチェルの方も見た。
レイチェルも後宮の状況を把握した。
ヘンリエッタが感じたようにリーナが直接現場に行って指揮するのが最も良さそうだと思えたが、別の方法で対処したかった。
宰相の条件では一カ月。
一月中は後宮に行かないということを了承してしまっている。
それを覆せば、王宮と後宮の往来制限がどうなるかわからない。
宰相は仕事となれば容赦しない。冷徹な対応をする。
約束を破ったリーナが悪いといって往来制限の見直しを保留にし、新しい条件を追加してくること位は平気でしそうな気がした。
「私が行く手も……」
レイチェルはリーナの代理として自分が行くことも考えた。
王族付きは最上位。ヴェリオール大公妃付きでもある。
だが、必ずいる。王宮の者だと思う者が。
担当官僚と結局は変わらない。
後宮と王宮の区別、差別化はとても大きく根深い。
状況はさほど改善されないだろうと感じた。
「確認したいのですが、引っ越しは終わったのですよね?」
「終わりました」
「ということは、王宮省から届く備品を受け取りに行くわけですよね?」
「その前に店部屋を整えないといけません。倉庫準備もしないとですし、帳簿のつけ方も教えないと」
「それが終わってないわけですよね?」
「多少はしていますが、理解していない者が多そうです。私自身が買物部に毎日行っているわけではないので、メリーネの方が詳しいと思います」
「そうですか」
メリーネは腰痛持ちで、終業後は医務室に行くことが多い。
医務室で処置を受けてから報告に来る予定のため、リーナはその時に詳細を確認することにした。
「私はまだ後宮に行けません。なので、王宮に呼ぶ方法を試したいと思います」
一月中、リーナは後宮に行かないことにした。
現場に行かなくてもうまくいくようにするための方法を考え、実行する良い機会だと思った。
問題が発生した場合はすぐに上位の者が現場に行くのが普通かもしれないが、かえって現場を混乱させてしまう可能性もある。
優秀なメリーネやヘンリエッタも苦戦しているだけに、リーナ自身が行ったところですぐに解決するとは思えなかった。
むしろ、ヴェリオール大公妃や後宮統括補佐として秘書室・真珠の間・買物部を抑えつけてしまうだけではないかと感じた。
不満を無理やり押し込み、ただ従わせるような方法では本当に解決したことにはならない。
だからこそ、現場にはいかない。
距離を置くことで客観的な視点と冷静さを保ちながら、新しい方法で対処してみようと思った。
「秘書室と真珠の間と買物部を王宮に呼びたいので、許可や準備が必要です。お兄様とシャペルを呼んで下さい。カミーラとベルとクローディアも。至急ということでお願いします!」
「確認致します」
レイチェルは執務室を退出した。
「カミーラ様とベルーガ様はともかく、側近の方々は忙しいかもしれません。私の方でできることがあれば、何でもおっしゃってください」
「凄く大変な状況だったのにごめんなさい。そのうち落ち着くと思っていました。甘かったみたいです」
「いいえ。私の方こそ意外な状況になってしまったと思っています」
秘書室の立ち上げがうまくいっただけに、誰もが買物部についても大丈夫だろうという気持ちだったはずだ。
メリーネも担当官僚も、このような状況になることは思ってもみなかったに違いない。
そもそも宰相による縮小化がこれほど思い切ったものだとは予想し難い。
新年早々解雇、捕縛、投獄、処罰などという言葉が飛び交うような状況で、不安も多くあったのは確かだ。
様々な要因が悪い方向へとつながってしまったからこその状況だとヘンリエッタは感じていた。
「ヘンリエッタ」
「はい」
「気になっていることがあるというか……三人はどうですか?」
そんな話がいつか来るのではないかとヘンリエッタは思っていた。





