1006 侍女教育
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次は女性陣のターン。
見習い体験者として後宮に入ったリリー、ハイジ、ジゼの三人は、掃除部長マーサの指導を受け、一週間の召使い体験を終えた。
その後は真珠の間室長ヘンリエッタの指導を受ける予定だった。
だが、ヘンリエッタは後宮が新体制になる影響で忙しい。
そこで、三人に直接指導をする役目は筆頭補佐のレーチェに任されていた。
「では、侍女についての基礎的な知識を教えます」
侍女というのは高貴な者に仕える使用人のことで、召使いよりも階級が高い。
後宮の侍女は貴族出自のみ、平民出自は召使いという差がある。
仕事内容は多くあるが、最も上位の侍女は王族付き。
王族付きは王族や王族妃等の身の回りの世話をする侍女で、それぞれの技能によって専門業務を割り当てられることが多い。
侍女の中で最高の役職は侍女長。
後宮の侍女長は後宮にいる全ての侍女のまとめ役だ。
但し、特別な指揮系統になる場合がある。
現在の真珠の間は後宮の侍女長ではなく王族付き侍女長の管轄下になっている。
そのせいで、後宮の侍女長に命令権はない。
通達あるいは指示になるため、必ずしも従う必要がない。拒否権があるということだ。
後宮の侍女長と王族付き侍女長では王族付き侍女長の方が上になる。
なぜかといえば、王族付き侍女長の上司は王族、後宮の侍女長の上司は後宮長。上司の差が侍女長の差になる。
そのため、真珠の間室長は後宮の侍女長の指示に従わなくていいことを王族付き侍女長に確認すれば、拒否できるということになる。
役職者や序列をしっかりと把握し、誰の命令に従えばいいのか、指示を優先するか、拒否権があるかどうかを正しく理解しておかないといけない。
次々と説明が続く。
三人はすぐに全部を覚えるのは難しいと感じた。
だが、情報漏洩を防ぐためにメモは禁止。
口頭説明で可能な限り済ませ、覚えなくてはならない。必死に耳を傾けるしかなかった。
「では、実際の実務についても説明します」
レーチェの先導で向かったのは三人が使用している部屋だった。
「この部屋は客間扱いで、高貴な者の部屋になることもあります。以前は側妃候補が使用していました」
それはすでに知っている。
通常は召使い用あるいは侍女用の部屋を与えられるが、短期間で勉強しなくてはならないことを考え、あえて設備が整っている部屋を与えられたのだ。
体験中にその部屋を使うことで、高貴な者や客人の部屋への理解度が深まり、どこにどのようなものがあるのか、どうしなければならないのかを日常生活の中で学び取る。
初日に一部屋を三人で使うと思った三人は、豪華な複数の続き部屋によって構成される客間に通され、特大のベッドを三人で使うようにも言われて驚いた。
一部屋というのは本当に一つの部屋しかないのではなく、複数の部屋がまとめられた一つの客間という意味だった。
「掃除については学びましたね?」
「はい!」
最初の教育担当が掃除部長のため、掃除を担当する召使いの業務を三人は経験した。
階級の低い者は水回りを中心とした共用施設の掃除を担当するが、上級になるほど上階にある部屋、役職者の個室や客間の掃除もする。
掃除実務で、三人は本来客間である自室の掃除についても指導を受けていた。
「では、掃除については省きます」
レーチェはドアを指さした。
「どうやって中に入りますか?」
三人は顔を見合わせた。
「ノックするわよね?」
「召使いと同じでいいのかしら?」
「挑戦します!」
ジゼはドアをノックした。
「失礼します。掃除に来ましたので、中に入らせていただきます!」
部屋の中には誰もいないことがわかっているため、ジゼはドアのカギを開けようとした。
「待ちなさい」
レーチェが止めた。
「その対応は掃除に来た召使いとしてはおかしくありません。ですが、侍女も同じだと考えて行動するのは間違いです」
ジゼは召使い体験で教えられたとおりにしたつもりだったが、今は侍女体験中だ。
侍女だったらどうするかを考えて行動しなければならない。
召使いと同じではないだろうと思わなくてはいけないのに、全く同じようにしてしまった。
「では、正解を示します」
レーチェはドアを優しくノックした。
「レーチェです。御用をお伺いに参りました。入らせていただいてもよろしいでしょうか?」
レーチェは待った。返事がないのはわかっていても。
「お返事がありませんので、また改めて参ります」
レーチェは三人の方に顔を向けた。
「このようにします」
侍女だわ……。
召使いとは違うわね。
綺麗というかカッコイイかも!
「まずは自分が何者であるかを伝えます」
召使いは決められた仕事をするだけの使用人だけに、個々の名前は重要ではない。
階級の方が重要だが、それは制服を見ればわかるので口にする必要はない。
侍女は名前が重要だ。必ず名前を伝える。必要なら所属も伝える。
レーチェの場合は真珠の間付きだが、今回はあえてこの部屋付きという前提として言わなかった。
「次にどうしてここに来たのかを言います」
目的を明らかにするのは重要だ。
特に用事がない場合の決まり文句が、用を伺いに来たというものになる。
「相手に尋ね、許可が出るのを待ちます。勝手に判断してはいけません」
掃除担当の召使いは誰もいない時間を見計らって仕事をすることが多い。
しかし、個人部屋には常に誰かがいるという前提で行動しなければならない。
必ず尋ねて返事を待つ。返事がないからといって勝手に入ってはいけない。
返事がなければ許可が出ないという判断で帰るのだ。
「共用の部屋と違い、個人部屋や客間は家と同じです。誰かがいる時のみ入ります。でなければ不法侵入になってしまい、窃盗等の嫌疑をかけられてしまうことさえあります。絶対に許可が出るまでは入らないように」
「はい!」
レーチェの説明は理解しやすかった。
召使いと侍女では確かに違うとも感じた。
「今はここを自室として使っているわけですが、これからは客間に来た侍女という想定、今のように対応してから中に入って下さい。三人のうち一人が許可を出す役目を務めてもいいかもしれません」
「どんな風に許可を出せばいいのでしょうか?」
リリーは部屋の中にいる者の対応もしっかりと聞いておきたかった。
「それもやりましょう。まずは鍵を開けて下さい。私がこの部屋の使用者や部屋付きの侍女としての手本を見せます」
「お願い致します!」
三人は深々と頭を下げた。
……召使いの礼は深過ぎるわ。侍女として相応しい礼の角度も教えないと。
レーチェは心の中で指導ポイントをチェックした。
一日目の指導を終えたレーチェは早速体験者について報告するため、ヘンリエッタの元へ行った。
「よろしいでしょうか?」
「大丈夫です」
ヘンリエッタはそう言ったが、疲労の色が濃い。
真珠の間の人員はリーナが後宮に来ないこともあって通常の仕事がほとんどなく、基本的には待機状態だ。
そのために秘書室と買物部の応援に行くことになったのだが、どちらの現場も混迷している。
秘書室は後宮統括室の付属になったことから部屋の場所が変更になった。
上位に相応しい場所になったが、三階だけに一階へ移動するのが大変になってしまった。
秘書室の者達はこれまで兼任だったが、新体制では給与が出る所属を一つに確定しなければならず、秘書室に所属することになった。
所属変更で自室も変更になった。そのための引っ越し作業もしなければならない。
このような状態だけに秘書室は自分達のことだけで精一杯。新規に設立される買物部への説明や支援をするはずが、全くできていなかった。
担当官僚が代わりに買物部の方を見ることになったが、買物部の人員は移動して来たばかりの新人状態。
清掃部長だったメリーネが優秀かつ自身の指揮下でしっかり働く覚悟のある者を抜擢した秘書室の人員とは違う。
担当官僚から見ると烏合の衆のような状態だ。
召使いも侍女もいる。つまりは平民と貴族が入り混じっている。
余計に統率度が低く、多くの価値観や常識が混在してしまっている状態だ。
礼儀作法や挨拶の仕方でも多少の違いがあるため、あちこちで常に注意や文句が飛び交っていて騒がしい。
まさに大混迷の日々が続いていた。
「……簡単に説明します」
レーチェは体験者への初日指導をした結果を正直に述べた。
やる気はあるが、難しいと。
「後宮で侍女になるのは貴族出自です。彼女達は平民ですし、礼儀作法を含めた学校教育を受けていたわけでもありません。召使いであれば構わないとは思いますが、侍女となると不足な点が多すぎます」
レーチェは元側妃候補付きの筆頭侍女だけに、見習いを含めた新人侍女を見て来た。
だからこそ、わかる。
一カ月では無理だ。育てられない。
できるところまで教えるのはいいが、かなりの付け焼刃。
審査には合格できないと感じた。
「侍女は上位になるほど所作の美しさと礼儀作法が求められますし、統率感も必要です。彼女達が侍女としての標準に合わせることができるようになるには最低でも一年は欲しいところです」
通常は侍女見習いから始める。
優秀な者で一年。通常は数年かかってようやく侍女になる。
最低でも一年と言ったのはレーチェなりの配慮だった。
「そうですか」
ヘンリエッタは深い息をついた。
それはすでに三人の履歴を見た時点に想定済だ。
普通に考えれば、侍女にはなれないだろうと思う。秘書も同じく。
だが、王太子は召使いの職種体験だけをさせることにはしなかった。
王宮には平民の侍女が多くいるからかもしれないが、ヴェリオール大公妃付きになれる可能性もあるとしている。
恐らくはリーナの側に置けそうなら置きたいのだ。
気心が知れている者として。
ヘンリエッタは王太子の考えを愛情深いと感じた。
リーナの心細さを補える味方を増やして安心させたいのだろうとも。
だが、孤児出自がヴェリオール大公妃付きになれば、コネ採用だと思われる。実力のおかげだとは思われにくい。
本当に実力だということを仕事で証明しても、陰口を叩かれる。
嫉妬と中傷の対象になり、三人だけでなくリーナにとっても良い結果にはならないような気がした。
その懸念はメリーネも持っている。
担当教官になった以上はなんとしてでも合格させるつもりでいるが、本当は合格しない方がいいとメリーネは思っている。
少なくともリーナの側には置かない方がいい。リスクが高い。
合格後はヴェリオール大公妃付きではない方面への適性があるということで離してしまった方がいいとまで言っている。
指導する前からどの方向に歩いていかせるかをメリーネは決めてしまっているとヘンリエッタは感じた。
メリーネの意見も判断もわかる。
だが、ヘンリエッタは、あくまでも公平に三種の職業体験をさせ、その上で決めるべきだと思っていた。
マーサも同じく、まずは三種の職業体験をさせ、三週間後に判断すればいいと思っている。
メリーネの言うようにさっさと切り替えた方が無駄な指導をしなくていいが、それでは本当に三人の適性を判断したことにはならない。
書類による選考で全てを決めてしまうのと同じだ。それは王太子が考えた職務体験をした上での判断ということにはならない。
「一番の問題はジゼです。若いのもありますし、性格的に元気があり過ぎます。もっとおしとやかにしないと」
「そうですか」
ヘンリエッタはマーサと何度も話をしており、リリーとハイジはともかく元気過ぎるジゼは侍女になれないような気がすると言われていた。
後宮にいる侍女は全員が貴族出自。
下級貴族で地方出身者もいるが、見方を変えれば地方から上京するエリートだ。
平民とは違うという貴族意識が作り上げる独特のプライドや向上心があり、礼儀作法や所作についてはすぐに身に着ける。
完全ではなくても、勤務中に問題なければ悪い評価にはなりにくい。
「売り子の職歴があるわけですし、部屋付きよりも買物部の方がいいのでは?」
それはヘンリエッタも考えた。
だが、それはヘンリエッタの指導内容ではない。メリーネの指導内容である管理事務業だ。
「まだ始まったばかりです。部屋付きとしての基本は教えなくてはなりません。第一印象で決めてしまうようでは、一週間を指定している意味がありません。基本を教えた後は、侍女の礼儀作法を重点的に教えなさい」
礼儀作法は必ず役に立つ。
例え侍女になれなくても、侍女としての振る舞いがどのようなものであるかを知っておくことは知識として蓄えることができる。
習って損をするようなものではないとヘンリエッタは判断した。
「わかりました。では、明日また報告致します」
「お疲れ様」
「ヘンリエッタ様も早めに休まれますように」
「そうね」
レーチェは一礼して退出した。これで勤務終了だ。
ヘンリエッタはもう一仕事と思いながら、深いため息をついた。





