1005 顧問の提案
パスカルは黙っているもう一人の方へ顔を向けた。
正面突破が難しいことはわかっている。
「タイラー殿はいかが思われるか? 騎士として誠実な答えをお願いしたい」
タイラーはため息をついた。
パスカルがこの人事に強気で挑むつもりでいることは、ヴェリオール大公妃付きの上位であるサイラスとラグネスを連れて来た時点ではっきりとしていた。
団長室に一人で来れば不利になる。そうならないための対策だ。
タイラーの個人的心情及び団長補佐という立場からいってもラインハルトの味方をしたい。
だが、騎士として誠実な答えを優先しなければならない。
サイラスとラグネスという証人がいる以上、誤魔化せない。
「給与の件もあるため、状況によっては近衛団長と話をしなければならないかもしれません」
パスカルは念を押すようにそう言った。
王族の側近で官僚だけに、平然と政略を駆使する。騎士相手にも容赦しない。
タイラーは早期解決を目指すべく白旗を揚げた。
「ユーウェインはヴェリオール大公妃付きの補充要員としての出向です。ヴェリオール大公妃付きの話があるにもかかわらず団長付きとして留め置くということであれば、近衛団長が抗議をしてくるかと」
ラインハルトは顔をしかめた。
タイラーの指摘は正しい。
近衛団長は猛抗議してくる。
ヴェリオール大公妃付きとしての話だったと言い出すに決まっていた。
近衛騎士を王族付きや王族妃付きにするために引き抜かれるのは仕方がない。
だが、第一王子騎士団の団長付きにするための引き抜きであれば、認めるわけがない。
近衛騎士団の面子にかかわる。
「出向は一年だ。その間は団長付きでも問題ない」
「ヴェリオール大公妃付きはすぐにでも補充が必要な状態です。問題ないのであれば、すぐに変更すべきでは?」
パスカルは追撃した。
「問題はある」
ラインハルトの表情は苦々しいものになった。
ユーウェインの忠誠心は最低限。命を賭ける覚悟もない。
騎士として最も必要なものがないことを、ラインハルトは知っていた。
近衛に約十年。
その間にユーウェインは騎士として必要な能力を身につけたが、騎士の心だけは育たなかった。
近衛にいては、本物の騎士になれない。
だからこそ、近衛騎士団長であるディーグレイブ伯爵は外に出す決断をした。
能力主義で最も忠誠心が高く志が熱い第一王子騎士団で騎士の心を学ばせたいと思ったのだ。
出向の一年。
それはユーウィンの気持ちが変化するかどうかを試す期間だ。
逸材であるがゆえにこのままにはしたくない。本物の騎士として王家に尽くして欲しいというディーグレイブ伯爵の願いはいかにも騎士らしい。
それは騎士であるラインハルトにも理解できる。
だが、忠誠心が低い者も命を捧げる覚悟のない者も第一王子騎士団には必要ない。
それを身につけてから出向すべきだ。
そう思うからこそラインハルトは拒否したというのに、調停者の提案で審査期間を設けることになった。
ディーグレイブ伯爵の騎士としての気持ちは汲んだ。
これ以上の歩みよりはないとラインハルトは思っていた。
「ユーウェインは審査中だ。私は答えを出していない。団長付きでなければならない」
「では、顧問として調整の提案です」
「騎士として受け入れられない内容は拒否することを事前に伝えておく」
「あの三人に与えられた猶予は一カ月。圧倒的に足りません。ですが、今の段階で延長するよう王太子殿下に進言しても却下されてしまいます」
その通りだろうとラインハルトは思った。
王太子は厳しい。
コネではなく、実力による公正な判断で採用するかどうかを決めるつもりだ。
それは問題ない。だが、あまりにも期間が短い。
一年ではないのかとラインハルトは驚いて確認したほどだ。
だが、短い理由もわかっている。新設される王宮地区警備隊への応募を考えているからだ。
現実的に考えると、第一王子騎士団よりも王宮地区警備隊の方が入れる可能性が高い。
だからこそ入団できる可能性があるかどうかを早急に判断したい。
一カ月で結果が出れば、王宮地区警備隊の最初の追加募集に間に合う。
募集人数も多いため、合格しやすい。
「三人は懸命に努力する気です。猶予が長いほど、未来が変わる可能性があります。騎士だけではなく職員としての適性も確認しなければなりません。書類処理や雑務の体験も必要ですが、現状では時間を取れません。王宮地区警備隊への応募は春以降でも構わないのでは?」
第一王子騎士団での体験期間を延長したい。春まで。
ラインハルトがそれに同意すれば、職員としての適性を探るための実務訓練として、書類処理や雑務の体験を組み入れる。
ロビンだけでなく、三人全員を団長付きの補助にできるということだ。
「賛同する! 事情はわかっているが、あまりにも体験期間が短すぎると思っていた」
「王太子殿下への進言をお願いします」
「いつにする?」
「月末の審査でいいかと。職員への適性を調べる書類処理や雑務のせいで、騎士としての適性を探る訓練時間が減少し、十分な審査ができないという事実を伝えればいいだけです」
すぐでは書類処理や雑務をさせなければいいということになり、延長ができない。
そこで、月末の最終審査の時点で進言する。
訓練が不足の状態で審査をするのは公正さを欠く。不合格に決まっていると伝える。
公正さを重んじる王太子はしっかりと訓練をした上で審査すべきだと思う。
体験期間の延長を許可する。
パスカルはそう読んでいるのだ。
「若い力を見出し、王太子殿下のために役立てるためだ。仕方がない」
「この件はここにいる全員に守秘義務を課します。王太子の側近命令ですのでお忘れなく」
「団長命令だ。第一王子騎士団における最高機密としての守秘義務を課す」
ラインハルトも自身の命令によって守秘義務を強化した。
「さすがパスカルだ。頼りになる。お前が顧問になってくれて良かった。他の者だと官僚よりの判断ばかりになるのは明白だからな」
「こちらとしても助かりました。原石を削る猶予がもっと欲しかったので」
ラインハルトはその通りだと思いながら頷いた。
「個人的には双剣を教えて鍛えたい。ロビンはかなりの見込みがある」
「個人的な意見ですが、双剣の使い手が増えるのは歓迎です」
「私も歳だからな。王太子殿下の相手役を務めることができる若者を育てたいと思っていた。お前はあまりにも忙し過ぎる」
王太子の唯一の趣味ともいうべき双剣術はかなりの腕前だ。
身分からいっても執務の忙しさからいっても滅多に剣を握ることはないが、時々運動として対戦をしたがる。
今はラインハルトやパスカルが相手を務めているが、別の双剣技能者を相手役として確保したいというのが実情だった。
「素晴らしい目標かと。ぜひとも実現していただきたいです」
「目標は高い方がいいからな!」
ラインハルトとパスカルは笑顔を浮かべた。
一カ月から約三カ月のスパルタ教育に変更。
その方がいい。三人のためには。
第一王子騎士団での体験は一生ものだ。少しでも長い方がいいに決まっている。
従騎士として採用されるかどうか、王太子の対戦相手役になれるかどうかは別として。
三人の担当教官であるユーウェインも期間延長に賛成だった。
終業時間に行われるロビンとの対戦は担当教官であるユーウェインにとってもはや日課だ。
最初は相手をするのが面倒だと思っていたが、疾走訓練の際にパスカルと話したことでユーウェインは対応を修正した。
ロビンとの対戦を自身の対戦訓練として活用することにしたのだ。
ロビンの使用武器を両手短剣に指定し、三戦形式に増やした。
ユーウェインが使用する武器も一戦ごとに片手剣と短剣・双剣・両手短剣に変えた。
現時点ではユーウェインが全勝中だが、両手短剣同士は相当な接戦になる。
体力的にかなりの余裕があるユーウェインに比べ、ロビンは警備勤務や訓練で体力を消耗している。
万全の状態ではロビンに軍配が上がる可能性も十分に考えられた。
このままだとロビンに一本取られそうだという緊張感がユーウェインにとっては良い刺激になり、ロビンもまた自身の得意な武器で一本を取れそうな気配にやる気をみなぎらせていた。
「補助ですか?」
「団長付きの?」
「教官の仕事を手伝うってことですか?」
ユーウェインはロビンを撃退後、団長付きの補助体験をするよう三人に伝えた。
「今は内示なので公にはできませんが、明日には辞令が出て私はヴェリオール大公妃付きを兼任することになります」
三人の目の色が変わった。
「おめでとうございます! 出世ですよね?」
「おめでとうございます!」
「さすが教官! おめでとうございます!」
三人の反応は正しい。
王太子の妻であるヴェリオール大公妃付きになれることは出世だ。
だが、勤務内容とシフトが今より複雑で大変になる。
そして、給与は増えるどころか減る。
ユーウェインの給与ができるだけ減らないように考えてくれていること自体は嬉しいが、日勤と夜勤の両方になるのは喜びにくい。
王族のために自身の命を捧げなくてはならない護衛騎士へ近づくことへの躊躇もある。
「ありがとう。ですが、ヴェリオール大公妃付きになると警備の任務が増えます。そうなれば団長付きの仕事をする時間が限られてしまいます。そこで、補助する者を入れることになりました」
三人は体験者のため、様々な業務を担当しておく方がいい。
騎士というと護衛や警備と思うかもしれないが、書類仕事や雑用もこなさなければならない。
第一王子騎士団の職員としての適性を探るためでもある。
現在、三人は体験者として特別訓練、騎士教練、座学、昼食、実務補佐、午後の訓練をこなしている。
午後の実務補佐は警備業務をしている状態だが、団長付きの補助業務も入る。
三人同時ではなく一人ずつ。日替わりで交代になることをユーウェインは説明した。
「明日からです。ロビン、デナン、ピックの順番で行います。ロビンは座学終了後すぐに団長室に来なさい。昼食に関する業務から教えます」
「はい!」
「教わったことはその日のうちにデナンとピックにも伝えなさい。体験者同士で教え合いながら最速で覚え、確認し合うのです」
「わかりました!」
早急かつ徹底的に教えなければならない。
ユーウェインがいなくなることで、今よりも劣った対応にならないよう厳命された。
それだけユーウェインの対応が上司に評価されているということでもある。
「今日は終業ですが、一時間ほど今後の勤務に備えた予習をします」
ユーウェインには専用の馬があり、三人も単騎による通勤を認められているせいで馬を使用できる。
通勤馬車の時間に合わせなくてもいいのは非常に都合が良かった。
「団長室の場所を再度確認した後、必要になりそうな各部屋の場所を教えます。一人で書類の配布や回収をすることになるのですぐに覚えなさい」
すぐに覚えるのは難しい。
だが、返事は一つのみ。
「はい!」
三人は声を揃えて返事をした。
「このような時は敬礼です。話が終わるだけでなく、移動することも予測して敬礼だと判断します」
「はっ!」
三人は揃って敬礼をした。
ましになってきた。
心の中でユーウェインは呟いただけのつもりだったが、わずかに口角が上がっていた。





