1003 追加の内示
「ユーウェイン、話がある」
それは唐突だった。
ユーウェインは書類から顔を上げ、ラインハルトの次の言葉を待った。
「団長、今言うのはどうかと」
珍しくタイラーが口を挟んだ。
「普通は朝一番では?」
「まあ、そうなのだが……言いそびれた」
「そうだとは思いましたが、だったら時間が来てからでは?」
「一応は心の準備をしておくべきではないか?」
「準備したとことでどうなるものでもない気が」
早く言って欲しい。
ラインハルトとタイラーが話し合うのを聞いていたユーウェインはそう思っていた。
結局、ラインハルトは先に伝えておくことにした。
「内示だ」
内示は人事の辞令が公示される前、本人へ内々に伝えること。
心構えや準備を促すためだが、別の理由による場合もある。
正式な辞令が出る前に本人の意志を確認し、問題があるようであれば変更することを検討するためだ。
「追加になる」
ただの人事変更ではなく、追加辞令ということだ。
現在の団長付きではなくなる代わりに別の何かになるということではなく、団長付きのまま別の辞令によって仕事内容が追加されるということだ。
「ヴェリオール大公妃付きだ」
ようやくか。
ユーウェインはそう思った。
「元々ヴェリオール大公妃付きの増員を考えての出向だ。お前をヴェリオール大公妃付きにしていいか確認するためにここへ置いたのだが……」
ラインハルトはため息をついた。
「書類が片付かないだろう?」
団長室に溜まっている書類は尋常ではない。
特別な予定が多くあったこと、年末と新年の処理業務が全て重なってしまっている。
だというのに、重要な書類の決定権を持つ者が団長と団長補佐の二名しかいないのだ。
ユーウェインが行えるのは決定作業に関わらない部分のみ。
普通はもっと大勢の役職者や補佐する者達がいる。
少なくとも、近衛騎士団には大勢いた。
「なぜ、副団長がいないのでしょうか? いればかなりの振り分けができるような気がします」
「王太子妃がいないからだ」
「王太子妃の担当責任者が副団長なのでしょうか?」
「そうだ」
極めて単純な理由だった。
ヴェリオール大公妃は王太子妃ではないため、副団長を任命できない。
愚かしい理由だとユーウェインは思った。
だが、近衛騎士団にいたからこそわかる。
権限が強い役職者が多いと、権力争いにつながる。
無駄な役職は必要ない。
その役職者がいる理由を明確にした方がいい。
指揮系統を明確にして、全体の結束力を高める。
このようなやり方は少数精鋭に向いている。
悪くないどころか良い方法なのだ。
山積みの書類がなければ。
「副団長はもういる。パスカルだ」
「それは心の中に留めておいて下さい」
タイラーが顔をしかめた。
「皆言わなくてもわかっている。顧問にしてヴェリオール大公妃付き護衛騎士同等の権限を与えたのだ。ヴェリオール大公妃の面倒を見るために決まっているではないか」
現状におけるヴェリオール大公妃の担当責任者のトップはパスカル・レーベルオード。
顧問という役職ではあるが、副団長と同じようなものだといいたいのだ。
「護衛騎士にとってはそうかもしれませんが、第一全体における認識ではありません。そもそも、騎士ではない者が副団長になれるわけがありません」
「だからこそ、顧問にしたのではないか」
ややこしい。
ユーウェインはそう思った。
だが、王太子妃がいない状態では副団長を任命することができない。
ヴェリオール大公妃付き騎士隊長であるサイラスに近い役職者を増やすわけにもいかない。
命令系統が乱れやすくなる。重要度が高いことへの決定権もない。
苦肉の策として顧問という役職にヴェリオール大公妃付き護衛騎士の権限を付与した。
ヴェリオール大公妃の兄であるパスカルなら信用できる。王族の側近だ。外戚にもなったことから、大きな力を与えやすい条件が整っている。
妹の安全のためにヴェリオール大公妃付きの騎士を指揮するのもおかしくない。
側近兼任者であるパスカルが判断すれば、王太子府・王子府・第一王子騎士団において問題ない判断になる。
自動的に各組織間の調整もしてくれる。便利かつ効率的だ。
パスカルの負担は相当だが。
「もっと多くの人員がいれば苦労しないというのに!」
第一王子騎士団から第四王子騎士団は王子個人への忠誠を誓う私的な騎士団のため、小規模でなければならないという制限がある。
「書類を扱う騎士も増やさないと」
「そろそろ誰かが結婚するのではないか? 王太子殿下が結婚したからな」
結婚すれば護衛任務から外れる。
その分書類を処理させるというわけだ。
だが、護衛から外れたい者などいない。給与も待遇も下がるとなれば尚更だ。
「縁談を断った話なら腐るほど聞きましたが」
婚活ブームだったが、第一王子騎士団にとっては関係なかった。
良くも悪くも万全の警備体制を整えるために集中していた。
「さっさと結婚しろと言いたい」
「団長が先に結婚しろと言い返されます」
「もう歳だ。孫がいてもおかしくないほどだ」
「結婚はいつでも可能ですが?」
「すでに役職者として書類を処理している」
「それもそうですね」
ラインハルトは深いため息をついた後、その視線をユーウェインに向けた。
「書類処理と雑務の能力では護衛騎士になれない。役職者にもなれない。ずっとただの騎士だ。雑用担当と言われても言い返せない」
「わかっています」
ユーウェインは答えた。
「第一王子騎士団に入る者は全員が護衛騎士を目指す。なりたがらない者などいない」
それもわかっている。
だからこそ、ユーウェインは護衛騎士にならなくてもいい、むしろなりたくないと思っていることを隠していた。
近衛騎士団長であるディーグレイブ伯爵は知っているが、ユーウェインの忠誠心は極めて低い。
過酷な辺境で育った。
王家や国は何もしてくれないどころか、爵位継承に特殊な条件をつけていた。
おかげでユーウェインは跡継ぎの資格を叔父に奪われた。
だというのに、王家への忠誠心が高いわけがない。
王族に命を捧げる気にもならない。
自分の命は自分のために使うのが当然の権利だ。
わざわざ命を捧げなくても、王族を守ることができればいい。
生活するために職業として騎士を選んだだけだった。
しかし、このような考え方は騎士としてありえない。
王家への忠誠心が低いばかりか、王族のために命を捧げる覚悟がない者が騎士になるなど言語道断。
第一王子騎士団の者という以前に騎士として問題外。
それが常識だった。
「だが、特別な状況になった。絶対に護衛騎士になれない者が入る可能性がある」
「期待をかけ過ぎです」
「ここだけの話だ。ユーウェイン、とにかくロビンを鍛えろ。未来の団長付き要員だ」
ラインハルトの目に留まったのは既婚者であるロビンだった。
通常、第一王子騎士団が募集するのは護衛騎士になれる可能性がある者のみ。
どれほどの実力者であっても護衛騎士になれない既婚者は選ばれない。入団審査前の選考で絶対に落ちる。
しかし、王太子の指示で既婚者であるにもかかわらず、ロビンは入団審査を受けることになった。
それはつまり、既婚者であってもロビンであれば第一王子騎士団に入団させてもいいという王太子の意向が示されている。
入団審査でロビンがしっかりと実力を示すことができれば、採用になる。
そうなれば、既婚者のせいで護衛騎士になれない従騎士が誕生する。
護衛騎士になれないことが決定的だからこそ、護衛技能を鍛えに鍛える必要はない。
護衛騎士になる気があるかどうかも関係ない。
程よく警備技能を鍛えつつ書類処理や雑務を経験させ、騎士になってからは重点的に書類処理を担当させる。
団長付きに丁度いいというわけだ。
「補佐として一連の発言を取り消す。団長、もっと言葉を控えて下さい。一人だけ贔屓しているように聞こえてしまいます」
「実力次第で入団させてもいいというのは王太子殿下の意向であって、私の贔屓ではない。それに、両手短剣の技能持ちだからだ。実戦訓練の際、暗殺者役を任せればいいではないか」
白々しい。
タイラーもユーウェインも即座にそう思った。
「双剣の筋も良さそうだ。鍛えたい」
パスカルから体験者への双剣指導を依頼されたラインハルトは初歩訓練を行った。
三人は基本的に運動神経も良く器用な方ではあるが、すでに両手短剣のレベルが高いロビンは成長が早そうだとラインハルトは感じていた。
「従騎士になったら双剣と書類担当の騎士として鍛えてやろう」
「普通は護衛騎士にするために鍛えます。道を踏み外さないで下さい」
「護衛騎士にはできない。既婚者だ」
「離婚するかもしれません」
「ありえない」
すでにロビンが妻のリリーに心底惚れ抜いていることは第一王子騎士団中に知れ渡っている。
後宮にいる妻に会うため、毎日ユーウェインと対戦しては敗れていることも。
そのような者が護衛騎士になるために離婚するわけがないというのは誰でもわかる。
「お前こそ現実を見ろ。ユーウェインがヴェリオール大公妃付になれば、警備任務は必須だ。いない時は誰が書類を整理し、印を押すのだ? 騎士の仕事は護衛や警備だけではないのだぞ?」
タイラーは口を引き結んだ。
ユーウェインがいなければ、タイラーがするしかない。
格段に効率が悪くなり、余計に書類が溜まるのは目に見えていた。
そこで従騎士として採用したロビンを活用する。
わかってはいるが、タイラーは反論せずにはいられなかった。
「パスカルが反対します。書類処理や雑務をさせるよりも、武術訓練をさせるべきです」
「騎士には上限年齢がある。書類処理ができるなら必ず職員に転向できる。安定コースだ」
「周囲はしぶしぶ職員になった者ばかりですがね」
第一王子騎士団においては若手が騎士、年齢上限で引っかかった者は役職者か職員の道に進む。
但し、元第一王子騎士団の騎士というだけで外部への転職は引く手数多。
職員の給与は騎士よりも大幅に下がるため、安定はしているが非常に人気のあるコースとは言えなかった。
「お言葉ですが、もう一人団長付きの騎士を増やせばいいだけでは?」
自分がいない時に困るというのであれば、もう一人別の騎士を団長付きにすればいいだけだとユーウェインは思った。
「団長付きの騎士は一人だ」
「仕事で不公平になっては困る」
団長付きが複数いると、誰にどの仕事を割り振るかで不公平になりやすい。
片方が書類処理で片方が飲食物では、団長付きとして勉強できることに差が出てしまうのも良くない。
「では、団長付きの補助として入れればいいのでは?」
予め補助ということで差をつけておけば、仕事に差がでても仕方がない。
不公平であっても納得できる理由になるのではないかとユーウェインは思った。
「その手があった!」
「名案だ!」
ラインハルトとタイラーが叫んだ時だった。
ノックが重なった。
一瞬で団長室は静まり返った。
絶対に今の声を聞かれた。不味い。そんな雰囲気が漂っている。
「失礼します」
入室の許可が出る前にドアを開けたのはパスカル。
ヴェリオール大公妃付き護衛騎士で騎士隊長のサイラスと筆頭護衛騎士のラグネスも一緒だった。





