そして彼女は死んだ
大公令嬢を乗せた馬車は、両輪からけたたましい音を立てていた。光から闇へと駆け抜けていく。向かう先は、都の外、誰にも知られぬよう口止めされた隠れ家である。
馬車の小窓は夜にも関わらず、厚手の遮光カーテンで締め切られている。
黒い箱の中で、白髪を振り乱した令嬢は悔しげに唇を噛む。
「ひどいわあ、お父さま。あんないいところで邪魔をするなんてぇ!」
御者が震え上がるほどに、甲高い声を上げた彼女は、今度は拳を握り締めた。加減を知らぬ力で、手から血が流れ落ちる。唇からも流れて、顎を伝う。ぽたり、と座席に赤い雫がこぼれるのにも、彼女は気がつかない。
「お父さまのせいで儀式が失敗してしまったじゃないっ。ギニオンは死んじゃったのに! あの綺麗な顔が大好きだったのに!」
子供のように頬を膨らませる。その口元の皺が風船のように伸びる。
「手紙では、わたくしの好きにしていいって言っていたのに、わたくしの様子を見た途端、辺境の修道院へ行け、だなんて! むちゃくちゃだわぁ」
令嬢は一目はばかることなく、ずっと叫び続けている。声がひび割れても、父親への怨嗟は止まらなかった。
御者にもそれは聞こえていて、ムチ持つ手が震えるために馬車は先程から速度を上げている。中から聞こえる声に耳を傾けぬように、あるいは逃げるように己の職務を全うしていた。
「お父さまなんて、わたくしのこと、なんにも知らないくせに! 今までだって、そう。なんにもわたくしの好きにさせてくれないんだわ!」
花のような時間を、すべて父親の野心のために捧げたにも関わらず、大公は何もご褒美をくれていなかった。父親の言うとおりにダンスをし、父親が望む相手だけと交際し、父親が嫌がるから恋人とも別れた。
昔、大公がくれたキャンディーの味が忘れられなくて。幼い娘の前にほとんど現れず、滅多に笑わない父親が、初めて娘とダンスしたとき、上手だと言って娘のために笑ってくれた。ポケットに入っていた黄色いキャンディーを娘の手に乗せる、そのぬくもりが忘れられなかった。
満足げに笑った、あの時が忘れられなかったのに!
「お父さまだって、〈魔法〉の素晴らしさがきっとすぐにわかるに違いないわ。えぇ、今はまだお父さまにはわからないのよ……」
令嬢の乗せた馬車は、クレーエキッツェの外に出た。
そうして川に差し掛かった。まだ鉄製にかけかえられていない、みすぼらしい橋の上を渡っていく。
とん、と馬車に飛び乗った影がある。
――その時、令嬢と御者は頭上で化け物が咆哮する声を聞いた。
おおー、うー。
はっ、と気づいた時にはもう遅い。
飛び乗った影は忽然と消え失せる。それと同時に。
……橋は轟音を立てて崩れ落ちた。
あれは何の声だったのだろう。令嬢は川に落ちる刹那、考えて。
「あぁ、きっと狼だわ」
その呟き声とともに、令嬢の体は水底へと沈んでいったのであった。




