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〈真に魔術を愛好する同好の士〉

 ところは変わって、クレーエキッツェにある某教会である。いや、だった、という方が正しいだろう。数十年でクレーエキッツェは肥大化したが、その際に近くの集落もまるごと飲み込まれた。その教会は、かつてその集落の宗教を司っていたが、教区の再編によって、廃墟と化した。荒廃して、売りに出されたその土地を、密かに買い上げたのは一人の貴族であった。しかし、そのことを当の本人は知らぬままである。

名前だけ、奪われた。つまり、誰も今の所有者を知らない。旧教会に夜、忍んでくるごくごくわずかな数人の人々は、便宜上、所有者に当たる〈魔術クラブ〉のオーナーを〈クラウン〉と呼ぶ。そして、自らを〈真に魔術を愛する同好の士〉と呼び慣わす。

〈真に〉というのは、彼らの矜持である。我らは、〈魔術クラブ〉のごときままごとではない、我らこそが特別に選ばれた、真の会員であるのだと――。

「一体どうなっておるのだ! 肝心のハッセルブルク大公令嬢はどこにおるのだ! あのアバズレめ、とんだことをしおって!」

 荒廃した教会の扉をステッキで乱暴に押しながら、ずかずかと入ってきたのはマントを身につけた男である。

彼は内部に響くほどの大音声で叫んでいたのだが、激高した彼を待ち受けていたのは、無機質に向けられたいくつもの視線であった。

皆が黒いマントを身につけている。しかし、彼らは〈魔術クラブ〉のように隠したりはしない。互いの身分や境遇は十分知っているし、何よりも、彼らを結束させるに足る、おぞましい秘密によってお互いに縛られていたのだ。

「落ち着きなされませ、ハウンド伯爵。入って早々にお怒りになられても、何の解決にもなりませんぞ。肝要なのは、我らの秘密があの女から漏れるのを防ぐこと。もしも、あの女から我らの名が出たのなら、我らはおしまいなのです」

 一人の男が遠慮がちにこういえば、傍らにいた別の女がヒステリックそうにきゃんきゃん喚く。

「と、言いながら、このようなまだ宵の口にわたくしを呼びつけるとはどういう了見なの! あの陰気臭い女がどうなろうとも知ったことじゃないわ! それよりも、わたくしがこのようなところに出入りするという噂がたってしまう方が問題なのよ」

「どうか、お静まりくださいませ、ロワイユ伯爵夫人」

 一人の青年が彼女を宥めた。伯爵夫人は青年の胸にしだれかかって、上目遣いで見上げる。

「あら、あなたにそのようなことが言えて? わたくしの可愛い子犬」

「言えますよ、奥様。私はあなたの情熱的な愛人でもありますが、一方で〈魔術クラブ〉、〈真に魔術を愛する同好の士〉ではホスト側でもあります。〈クラウン〉との意思疎通がはかれるのもこの私だけ」

 青年はいささか乱暴に年増女の唇を奪う。瞬く間に夫人の目元がとろんと垂れ下がった。

 彼女を突き放しながら、青年はまったく顔色を変えない。祭壇に置かれた燭台の周囲に集まった人影を一人一人確かめるように眺めながら、ゆっくりと口を開く。

「バイエル侯爵、ハウンド伯爵、ロワイユ伯爵夫人、シメン子爵、ブゼ医師、カーン司書……おや、新入りのローゼンベルグ公妃がおりませんね」

「夜会に出られたのではありませんか」

 ブゼが言う。

 そうかもしれませんね、と青年は納得するように頷いた。

「あの方は、元々大して乗り気ではありませんでしたね。しかし、秘密が漏れることがないほど、しっかりと念を押しておきましたので、大丈夫でしょう。とりあえずは、この私、マルセルを最後として、会員の皆様にはほぼ全員お集まりいただきまして、〈クラウン〉より代わって、お礼を申し上げます。この度の招集の目的は、皆様、ご存知のとおりです。単刀直入に申しまして。……ハッセルブルク大公令嬢は、ほぼ間違いなく、今回無断で儀式を執り行いました。我らに無許可で、です。今、全力で彼女の行方を追っている状態ですが、父親のハッセルブルク大公が隠しているのでしょう。今少し、お時間をいただきたく存じます」

「長々しいことはよい」

 遮ったのは、短気なハウンド伯爵である。彼は非常に機嫌が悪かった。と、いうのも、彼の娘が昼間、国王に気に入られなかったからであろう。

「一体、なぜそのようになったのか、説明したまえ!」

「把握する限りのことならば」

 マルセルが手を胸に当てて、礼を取る。

「彼女は自分の父の小姓に対し、儀式を行ったのですよ。いつも我々が行っているものとは違いますがね。我々は、女を使って、伝承通りに儀式を行った。彼女のものは独自に手に入れた魔術書に従ったものです。……おそらく、このようなもの、でしょう? カーン司書」

 祭壇の下から取り出された古びた革表紙の本が、一同に示される。

 名前を呼ばれたカーン司書がマルセルから受け取って、中身を確認してから、頷いた。

「ええ、まさにこれです。国立図書館でまだ目録作成されていない魔術書です。確かに、以前、大公令嬢に頼まれて、この本をお渡しした覚えがあります。……しかし、あの内容は、いささか我らが行うには高度すぎるともお伝えしたのですがね」

「あの女は、一体何の魔術を行おうとしていたのだ?」

 ハウンド伯爵の問いに答えたのは、若き貴族の青年であった。

「健康な少年を、永遠の若さを持つ人形にするものですよ。あの魔術書に書かれた魔術の中で少年を〈材料〉にするものはあれだけですので」

「はっ、あの女らしい、陳腐な魔術だな」

 笑うハウンド伯爵に対して、マルセルも合わせて笑う。昼間に決して見せない侮蔑を込めた、毒々しい笑みである。

 彼らとて、やっていることは変わらない。

 夜な夜な集まって彼らがすることといえば、赤いドレスを着た女の胸に短剣を突き刺すこと。その目をえぐりとり、赤い義眼を嵌めることだ。長々しい呪文やおどろおどろしい血の魔法陣など関係ない。彼らは、〈魔術〉にかこつけて、女を殺す殺人鬼の集団である。

 だが、彼らは未だに〈魔術〉があると信じている。失敗して、女が死んでも次の女のときは成功するかもしれない。もう一度、もう一度と彼らは繰り返す。突き刺すときの心臓がぎゅっと締め付けられるようなあの快楽と高揚感は中毒となって、離れられない。それは、儀式の際に必要と言って焚く香のためでもあるのである。彼らを締め付けるのは、〈魔術〉への興奮と知的探究心ではなく、〈薬〉なのだ。

 〈魔術〉がないと、この場にいるマルセルばかりが知っている。それは、マルセルにとっての優越感へと繋がっている。慇懃に接しようとも、マルセルは彼らの上位にいるのだ。

――〈魔術〉などないのだよ。

 貧困にあえぐ彼に手を差し伸べたのが、〈クラウン〉であった。

――でも、〈魔術〉をあるように見せかけることはできる。どんなに高貴な人間でも、わずかに疼く好奇心を抑えることができないようにしよう。彼らに長い夜の夢を見せてやらないか。

 彼は、万人に慈悲を与える神より、今目の前にいる悪魔の手を取った。長い夜の夢を見せる、案内人となって、微笑むばかりののんきな貴族を奈落へと突き落とす。その愉悦、暗い喜びといったら。……ああ、幸せだ。幸せでたまらない。

マルセルはあくまで落ち着き払って一同に告げた。

「しかし、今回のことも含め、我々が行ってきたことは徐々に明らかになってこようとしております。フリーエ男爵令嬢の件もありますし」

 その場にいた者たちが一斉に騒ぎ出す。

「は……フリーエ男爵令嬢だと!」

「何を言っておるのだ、マルセル!」

 バイエル侯爵とハウンド伯爵が口々に叫んだ。

 一方で呆然とマルセルを見上げたのは、ロワイユ伯爵夫人であった。

「何を言っているの、マルセル? この間の女って、ただの町娘だって言っていたじゃない。何で急にフリーエ男爵令嬢だなんて」

 彼はふふ、と本物の恋人に向けるような柔らかな笑みを浮かべた。夫人の額に垂れかかった髪をそっと分けてやりながら、耳元へそっと囁いた。

「あなたが望まれたではありませんか。……本物の魔女を呼び出すには、下賤の者よりかは高貴な身体の方が成功率は上がるかもしれない、と」

「え……」

 夫人の眼が驚愕と恐怖に染まっていく。かたかたと肩を震わせるのは、己が犯していた罪を初めて自覚したからであろう。身分ある者の死でようやく気づくというのは、この高慢な夫人らしい。

「ここ数年、ずっと失敗ばかりしてきたではありませんか。我々もただ漫然と危険を侵し続けるわけにもいきませんよ。〈材料〉にはこだわりませんと。毎回、悪魔の数字に合わせて十三日間も身体を清めさせ、生かし、赤いドレスを纏わせるのも、大変ですからね。……まぁ、今回も失敗に終わってしまいましたが」

 彼は気取った仕草で顎に手をやり、ふむ、と考え込む。

「しかし、こうなったのもそろそろ潮時ということかもしれません。どうでしょう、皆様方。一度、〈真に魔術を愛好する同好の士〉を無期限解散してはいかがですか?」

 皆が皆、黙り込む。まっさきに反応したのは、この中では格下のブゼである。疲れた表情をさせながら、後頭部に手を置いた。

「私は賛成する」

 ハウンド伯爵が射殺すばかりの視線を向けるが、その食いしばった唇から拒絶の声を上げることはない。

「〈クラウン〉がそれを許してくださるなら、私は一向に構いませんよ」

 カーン司書が言い、

「わ、わたくしも、マルセルの言うとおりにするわ!」

 ロワイユ伯爵夫人は幾度も頷く。ここまで黙っていたシメン子爵は、気弱そうな顔に目一杯の憂鬱をたたえながら、マルセルに向かって肯定の頷きを返す。

「構わぬ」

「……仕方なかろう」

 侯爵と伯爵も、積極的ではないものの、マルセルに賛同する。彼らとて、己の身が可愛いのである。

「では、そういうことにいたしましょう。〈クラウン〉からは私がお伝え致します。皆様、どうか……お元気で」

 マルセルはにっこり笑って一礼する。戸惑う特別会員たちを置いてさっさと教会を後にする。彼らはまだしばらくその場に留まるであろう。〈魔術〉の夢の中でまどろんでいたいのだから。醒めることを、恐れている。

 彼らの〈魔術〉の目的は、〈魔女〉であった。

 〈魔術クラブ〉の一般会員と呼ばれる人々は、真実、暇つぶしの集団である。〈魔術〉の研究と体系付けといいながら、実際は奇妙なもの、世にも希な不思議なものを物珍しく眺めるだけの好奇心を満たすばかりで、得にも害にもならない集団だ。

 しかし、内包されているように見えて、まったく違うことを行うのが、特別会員〈真に魔術を愛好する同好の士〉と呼ばれる数人の男女である。彼らは〈クラウン〉によって選定された、汚らわしい秘密を共有する同志である。選定基準はマルセルにも分からないが、〈魔術クラブ〉をでっちあげ、〈魔術〉という非科学的な事象にこの上もなく染まりやすかったのは確かだろう。現に彼らは集まるたびに儀式という名の〈魔術〉を執り行っていた。

 大陸に広く流布している伝説は、クレーエキッツェでいう、〈鴉〉と〈猫〉のような都市と動物が結びついたもの、そしてもう一つ、〈魔術師〉の伝説がある。

深き山奥には〈魔術師〉が住む豊かな国があったというものだ。偽物が多い中で、〈魔術師〉が書いた本物の魔術書を使えば、〈魔術〉が使える。彼らは〈クラウン〉の言葉にそそのかされ、なんの〈魔術〉を行うか考えたとき、こう考えたのであった。

――本物の〈魔術師〉を使役できれば、彼の持つ〈魔術〉そのものすべてを使えるのではあるまいか。

 彼らの手元にある書物には、魔女の召喚方法しか書かれていなかった。そのため、彼らは    魔女の魂の器を用意させ、しかるべき手順を追って儀式を執り行っていたのである。

 荒唐無稽な話だ。どうして彼らは信じたのかもマルセルにはわからない。それとも信じたかったのかもわからない。

 一つ、確かなことは、彼らの破滅は近いということだ。彼らの身体はとうに薬漬けで、しばらくたてば禁断症状が出て、地獄の苦しみが待っている。マルセルはさりげなく香を吸わないようにしていたが、彼らにはそのようなこと、考えつきもしなかっただろう。

 禁断症状が出れば、彼らは気が触れたとでもなって、邸に閉じ込められるか、公の場で大恥をさらす。悪ければ、誰かに危害を加えることにもなりかねない。

 この上もなくいい気分で彼の足は酒場に向かう。下町の小汚い酒場こそが、マルセルにとって、もっとも美味い酒を呑める場所であったのだ。




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