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〈魔術クラブ〉

 王宮は微笑んでいる。その高貴な仮面の裏を見せることなく、深い憂慮を垣間見せることもない。この世には春ばかりしかない、と言わんばかりに。仮面は虚飾と嘘で出来ている。慣れない者には息苦しさを覚える狭い世界だ。

 しかし、あるとき、微笑みは凍りつく。貴族たちの華のような笑みの奥には動揺が混じって伝播していく。

 まことしやかに彼らは囁いた。

――フリーエ男爵令嬢が死んでしまった。

――どうして死んだ? 

――誰が殺した? 犯人は一体どこに?

――いいや、調査中だとか。道理で男爵が落ち込んだ様子だったわけさ。

――あらあら、それは可哀想に。警察は一体何を?

――長官のヨストという輩が嗅ぎまわっている。なんでも惨たらしい姿だったらしいから直々のお出ましだ。

――それで今日謁見を申し出ていたというわけだね。

――聞いた話によると、これは連続しておこるかもしれないらしい。

――護衛をつけなければ。

――妻をおちおち外にも出せそうにない。

 噂の林を通り抜けていく男が一人いる。

 もっと警戒すればいい。

 彼は呪うように毒づく。

 思ったよりも長くなってしまった謁見を終えたと思ったら、廊下で数少ない知り合いの貴族に呼び止められて、長々と話に付き合わされた。長官になった当初に色々引き立ててもらった恩で無下にはできなかった。

 やっと解放されて、王宮を後にしようとしたら、今度はフリーエ男爵に捕まった。これこそ、ますます無下に扱えるはずがない。人気のない部屋に連れ込まれて、随分と責められた。挙句の果てには、貴族らしくもなく号泣する父親を延々と慰め続けなければならなかった。最愛の娘を亡くしては、もはや貴族としての顔も保てなかったのだろう。恥も外聞もなく、男爵は泣き喚いた。

 わが娘はこの世でもっとも不幸な人間だと言い続ける男爵に対し、ヨストはむしろ、男爵令嬢はまだ幸せだったのだと思った。今までの被害者には、親の名どころか本名でさえわからなかった者もいたのだ。誰にも悲しんでもらえない、弔ってもらえない、遺体さえ引き取ってもらえない。そういった者たちの棺桶に、ヨストは遺族に代わって、土をかぶせてきたのだ。

 ヨストはこの時のことを誰にも言わなかったが、王宮であったことは大体筒抜けと考えて良い。ごく近くを通りがかった者が二人の話を聞いてしまったのだろう。せいぜい話が漏れればいいと思う。警戒心の薄い、人ごとの貴族たちも危機感を持つべきなのだ。

 この世は花園ではない。嵐もあるし、雑草の生い茂った場所や何も生えないすべてがまっさらな場所もある。ゴミ溜めだってある。何も知らないでいることなど、許されない。

 ヨストは肩をいからせながら、ずんずんと小柄な体で大股に歩いていく。

 その間にも何人もの色鮮やかな人々に頭を下げつつ進んでいたが、ちょうど前方から、濃い緑の上着を着た貴族の男がやってくる。鷲鼻で狐のような形の顔をしている。特徴的な顔なので、ヨストはすぐに思い出した。彼の古い知人である。彼が貴族の婿養子になってからは交流も絶えていたが。

 下げた頭を少しだけもたげて、ヨストは彼が通り過ぎていくのを伺った。

 確かその名は、マルケ、と言った。

 寒気を覚えて、彼は腕をさすった。視線を巡らせれば、使用人がわずかに窓を開けていたらしい、思ったよりも風が強かったせいか、慌てて閉めている。

 それは、まるで悪夢の前兆のよう。




 ある男は廊下で知人を見かけた。昔と変わらぬずんぐりむっくりぶり。風体を見るに、あまりにも滑稽だった。大学時代から、むやみやたらに暑苦しいやつだった。和やかに話ながら、こいつとは一生気が合わない、苦手だ、嫌いだと常々思っていた覚えがある。

 昔は同じ身分で、顔を合わせなければならなかったが、今は違う。男は貴族となった。その知人は、男に対して礼儀を尽くさねばならない。

 知人がゆっくりと廊下の端により、腰を折ったのをちらりと一見してから、男はその前を悠然と通った。隔たった身分の差に少なからず優越感を感じる。

 男はそこで思考を捨てた。黙々と、延々と歩く。

 男の顔から、表情というものが捨て去られる。代わりに眼に点ったのは、何かを狂信的に求める熱っぽく禍々しい火である。息は密やかながらに、快楽に対する高揚を含むように熱いものだった。

 角を曲がって、曲がって、さらに曲がる。あるいは下って、上って、やっぱり下る。外に出て、ぐねぐねとした歩道を歩いて、小さい離宮にたどり着く。さらに地下へ潜る。かと、思えば、戻ってきて、別の建物の地下へと入っていく。

 この時には男のシルエットは大きく変わっている。地下へ足を踏み入れ、闇へと身を浸すのと同時に、フード付きのローブが彼の体をすっぽり覆った。

手燭を持って、苔むした狭い通路を進む。

自らの足音ばかりが通路に響くと思ったら。新たな角を曲がったところで、おおーう、という低く地を這いずるようなおぞましい声が男の耳に届いたのだった。

「おおーう、おおーう、うー」

 まるで獣が威嚇するような咆哮である。それは犬でも、猫でも、牛でも、馬でもない。狼だって、このような怨嗟に富んだ声は発しまい。

 男の肩がぴくりと震えた。今更のように地下の冷気が身に染み込むようであった。

 しかし、男は迷わずにその声の元へと一直線に進んでいった。もはや、深くフードを被っていては、その奥にある男の表情を窺い知ることはできない。

 男がたどり着いたのは、四隅が腐食するほどの粗末な木の扉である。輪の留め金で、ノックする。醜悪な声が一段と大きくなった。目の前の扉が小さく開けられたからである。

「我らは失われた物を探す者」

 隙間から、別の男が囁いてくる。外にいた男は答えた。

「世界の秘密を暴く者にして探求者」

「されば、〈魔法〉とは?」

 男は一息で、再び答えた。

「学ぶべき学問にして、古代人の知恵。我らは求む、〈魔法〉の解明を」

 扉の奥は一寸、沈黙し、それから、ぎい、と扉は大きく開け放たれた。

「では、開こう、大いなる賢者への導きの道を」

 ――ようこそ、〈魔術クラブ〉へ。

 男は扉の奥へと消えた。





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