神速と血涙の刃
オーストンは真っ直ぐ自宅には戻らず、ある場所に足を向けていた。
「いらっしゃいませ、オーストン様」
それを迎えたのは着物を着た若い娘だった。
「うむ、モリトはいるか」
「すぐに戻りますので、奥でお待ちくださいませ」
「そうか、では待たせてもらおう。茶を用意してくれ」
オーストンは硬貨を娘に渡して、奥の座敷に入っていった。それからしばらくして、そこに一人の男が入っていく。
「待たせたね、オーストンの旦那」
「いいや、思ったよりも早かったな、モリト」
そう言われたモリトは軽く首をかしげてから、オーストンの向かいに腰を下ろした。
「ところで旦那はまたえらくめかしこんでるけど、謹慎中じゃなかったんですかい」
「とりあえず街の警備につくことになった。ベークトルト殿が色々と動いているらしい」
「ほお、最近元気のいいあの旦那ですか」
「お前のほうで何か情報はないのか」
「それがあんまり情報がないんだな。よほど隙がないね、あれは」
「そうか、では死霊について何か情報はないか?」
「死霊? そういえばだいぶ噂になってるよな。目撃したって奴も多い」
「実際に被害は出ているのか?」
「どうだかな。死霊の噂が出ると、けっこうなんでもそのせいにされるし、本物を探すのは中々骨が折れる」
モリトは頭をかいてから、さらに顎に手を当てた。
「まあやってみるか。でも旦那を死霊にぶつけるとは、考えたもんだね」
「だが、何を考えているかはわからない」
「そっちのほうもしっかりやっておくよ。それから」
モリトは懐から街の地図を取り出して卓上に広げた。それから立ち上がると筆と墨を持って戻ってくる。
「さて、とりあえず死霊の噂でまともそうなのを書き出してみようじゃないか」
それからモリトの持つ筆は滑らかに動き、地図に様々な情報を書き込んでいった。それが終わると、筆を置いて息を吐いた。
「まあこんなところかね」
「意外と多いのだな」
オーストンはそれを覗き込んで腕を組んだ。
「でも一から噂を聞いて調べるとか、足で調べるとかよりはましだろ。これで旦那の仕事も楽になるってもんだ」
「それもそうだな。これは貰っておこう」
オーストンは地図をたたみ、自分の懐に入れた。そして、数枚の硬貨を卓上に置く。モリトはそれを素早く回収した。
「まいど。他には何か必要かい?」
「光の一族に関する件はどうだ」
「あっちは新しい情報はないな。まあ、ちょっと面白い動きは出てきてるけど、まだなんとも言えない」
「動きというのはなんだ」
だが、モリトはにやりと笑うと、首を横に振った。
「そいつはまだ金になるほどじゃないんでね。楽しみにしておいてくれよ」
「わかった、また来よう」
オーストンは刀をつかんで立ち上がり、それを腰に差した。モリトは立ち上がると、何か小さな袋をオーストンに差し出した。
「こいつはちょっとしたおまけですよ」
「もらっておこう」
オーストンもそれだけ言うとそれを受け取り、茶屋から外に出て行った。
それからオーストンは自宅に戻り、軽く食事をとってから完全に日が落ちるまで仮眠をとった。時間になりオーストンは起き上がると、装備を整え玄関に立つ。
「行ってくる」
「はい、これをどうぞ」
アンナが額金を差し出した。オーストンはそれを受け取り、頭に巻いた。
「ミヌスは」
「もう寝ていますよ」
「そうか」
それだけ言うとオーストンは外に出て行った。
そして、オーストンは夜の街を一人で歩いていた。主に住宅のある場所だったので、静かで人通りも少ない。モリトの地図によるとこのあたりで死霊が徘徊しているという噂があったが、見たところ何も異常はなかった。それでもオーストンは慎重に周囲を見回しながら歩いている。
しかし、そこでは変わったことは何も見当たらなかった。オーストンはそれを確認すると、次の地点に向かうことにした。
そこは居酒屋などがある場所で、灯りも人もそれなりに多かった。モリトの地図によるとここでは死霊に襲われた者がいるという話があった。
オーストンはその噂の現場に到着していた。そこは暗い路地で人通りも少ない場所で、オーストンは何か嫌な雰囲気を感じた。そのまま路地に入っていくと、ゆっくりとそこを見回した。特に目につく怪しいものはなかったが、それでもオーストンはその場から動かず、じっと立っている。
「来るか」
そうつぶやいたオーストンは刀に手をかけて構えると、目を閉じた。そのまま数十秒経過してから、その手が動き、刀が空を切った。
何も起こらないように見えたが、オーストンの刀の軌道から徐々に何かが、その空間から滲み出してくるように見えた。
「死霊よ」
そう言ってからオーストンが刀を鞘に戻して再び構えると、空間からの滲みに黒い色がつき始め、徐々に何かの形を取り始めた。
「あれあれ、なんかやってんのかあ?」
そこに酔っ払いの男が現れ、路地を覗き込んだ。その瞬間、空間の滲みがその男に向かっていく。
「下がれ!」
オーストンは叫ぶが、男はぼんやりとしてて動かないまま、黒いものにまとわりつかれていく。
「な、なんだよ、なんだよこれは!」
その男は自分にまとわりつく滲みのようなものを手で払おうとしたが、それは男の体内に
入り込んでいった。
「うわ、うわあああ!」
男はわめきながらその場に転がり、数秒の間そうしていたが、いきなり跳ね上がった。
「取り込まれたか」
オーストンの視線の先の男は、すでに元の酔っ払いではなく、何かにとりつかれ、凶暴な何かに変容していた。
「お前は何者だ。死霊にも意識のあるものはいるはずだ」
その問いに男にとりついた何かはいきなり飛びかかっていった。オーストンはそれを簡単にかわし、すぐに反転して再び対峙する。
「うがああああああああああ!」
男だったものの叫びに、オーストンは軽く息を吐き出し、両目を軽く閉じた。すると、そこからまるで血のような色の液体が涙のように流れた。
そして、飛びかかってきたそれに向けて、一瞬の居合い抜きでみねうちの一撃を加えた。その刃はまるで血にまみれているように赤黒くなっていて、男の脇腹を打った。
酔っ払いの男だったものは、その衝撃で壁に叩きつけられ、ぐったりとなった。オーストンはそれを確認すると刀を鞘に収め、血涙を拭った。それから倒れている男の状態を確かめてから、それを担いで手近な居酒屋の扉を叩いた。
「酔っ払ってそこで倒れていた。少々身体を打っているようだが、悪いが面倒を見ておいてくれ」
応対にでたものは少し迷ったようだったが、オーストンがいくらかの硬貨を握らせると、すぐに態度を変えた。
「はい、この方はこちらでお預かりさせて頂きます」
「目を覚ましたら家に帰してやってくれ」
「それはもちろんです。ところで、旦那さんは今夜の宿はお決まりですか?」
「仕事中だ」
それだけ言うと、オーストンはその場を後にし、次の死霊の噂があった地点に足を向けた。だが、結局その日はそれ以上の変わった事件は何もなかった。