雌伏の王子
王都動乱から三十日。一見したところ王都には平和が戻っているように見えたが、そこには欠けてるものも、余計なものもあった。
「王子様の失踪に、近衛隊が暴れまわってるとか、まったくなあ」
モリトは目の前に座る女、ケイシアにぼやいていた。そのケイシアは茶を飲んで天井を見上げた。
「仕方ないさ、この国最高の剣士は謀反の罪で牢屋の中、それに若くて才能のある将軍もどこかに逐電してる。荒れないほうがおかしいじゃないか」
「だよなあ。オーストンの旦那がいてくれればもっとましだろうに」
「まあ、それはそれ。これから変わっていくさ」
「何にしろ、早くなんとかなってもらいたいもんだ」
「そりゃそうだ」
そこでケイシアは立ち上がった。
「また来る。ちゃんと情報を頼むよ」
「はいよ」
ケイシアは硬貨を置いてから外に出ると、体を伸ばした。今日は剣を担いではなく、髪は後ろでしばり、簡素な洋服という軽装だった。
ケイシアは、以前よりも多くの兵士が歩き、どことなく暗い雰囲気の街を見回し、危機感とは無縁な様子で歩き出した。
その王都からそれなりに離れた場所にある小さな町。そこにある一際大きな屋敷の庭に、その場にそぐわない雰囲気の人影があった。
それは地味だが上質な着物を着ている、まだ若いが品の良さそうな男で、庭の池の前に立ち、その側にはまだ少年の気配もある若い様子の青年と、それよりは年上だが、若い女がいた。
何か報告を受けていた品の良さそうな男は振り向き、口を開く。
「父のことが心配か?」
「いえ、すでに親子の縁はないものと思っていますので」
「ウィバルド、それはお前が勝手に決めたことだろう。お前の両親はそんなことは思っていないはずだ」
「陛下、まだ子どもなのですから、そう言ってもわかりはしませんわ」
そう言った女をウィバルドと呼ばれた青年は睨みつけた。
「黙れアイレラ」
「おお怖い」
アイレラと呼ばれた女は大げさに怖がるような仕草をしてみせた。その様子を見ていた品の良さそうな男はあきれたような表情を浮かべた。
「アイレラ、そうからかうものではない」
「これは失礼いたしました、ルシーア王子」
アイレラはかしこまった礼をして、一歩後ろに下がった。
「ウィバルド、お前も感情にとらわれるな。お前の父、オーストンの力はかならず必要になるのだ」
「はい、申し訳ありませんでした」
ウィバルドも頭を下げ、口を閉じる。その様子にルシーアは軽くうなずいた。
「ともあれ、そろそろ動きださねばな。お前達も準備を怠るな」
「はい」
ウィバルドとアイレラは同時に返事をした。それからルシーアは一人で自室に戻り、座敷に腰を下ろすと、そこにある古ぼけた本を手に取った。
それからしばらくすると、その部屋の外に人影が現れた。
「ルシーア王子」
「ブースか、入れ」
「では、失礼いたします」
声と共に、ゆったりとした洋服を着た一人の中年の男が部屋に入ってきた。
「まあ座れ」
ルシーアに言われ、ブースはその向かい側に腰を下ろした。
「何かわかったことがあったのか?」
「どうやら王都の死霊が減っているのは間違いないようです」
「死霊を狩っている者がいるのは間違いないということか」
「はい、兵士が襲われる事件と奇妙に一致しています。おそらくは死霊に憑かれた者だけを討ち取っているのでしょう」
「例の光の一族の男の仕業だな。」
「ここまでのことができるのは彼らだけです」
「うむ」
ルシーアはうなずいてから天井を見上げる。
「仲間にできるといいのだが、ケイシアは無理だと言っていたな。誰かに従うような男ではないと」
「ある意味、一番の不安要因かもしれませんね」
「敵ではない。だが、動向には注意を払っておく必要はあるな。それに、そういう点ではケイシアも似たようなものだ。毒にならないようでは武器にもならない」
「はっ」
ブースは短く返事をすると、巻物を一つ取り出した。ルシーアは黙ってそれを受け取ると、広げてざっと目を通した。
「計画はできているようだな。人は集まっているか?」
「方々から集めているところです。幸いにしてか不幸にしてか、今は軍から追放されている者も多く、人材には事欠きません」
「困ったものだな。だが、これは天の配剤と言えるか。ボルツとの連絡はどうなっている」
「はい。将軍を慕って集まっている兵士もいるようなので、王都を制圧するのに必要なだけなら集められそうです」
「急いでくれ。時間をかけすぎては民が苦しむばかりだ」
「御意」
ブースは頭を下げると、退室していった。部屋に残ったルシーアは再び本を手に取ったが、ろくに読まずにすぐに閉じてしまう。それから立ち上がると、縁側に出て、庭を見渡した。
「我が父にも困ったものだ。まあ、親子というのは難しいものだな」
そうつぶやくと、部屋に戻っていった。
同じ頃、武器庫になっている部屋では、点検をするウィバルドと、それを見ているだけのアイレラがいた。
「あなたもいまだに父親のことを気にしてるようね」
「それがどうした」
「可愛いじゃないのっていうだけよ。実力が可愛かったら困るけども」
「超えることは容易ではない人だ。それに、縁を切ったのは俺からで、それも全てはあの人を超えるためだ」
それを聞いたアイレラはいきなりウィバルドの首に背後から腕をまわした。
「やっぱり可愛いわ。今すぐ食べたいちゃいくらいね」
ウィバルドはそれを強引に外して、作業を続ける。
「いい加減にしろ。手伝わないならよそに行ったらどうだ」
「いいわねえ、若者らしい堅さ。それをほぐしてあげたいけど、今はそれ、必要なのかもね」
そう言ってから、アイレラは壁にかけてある皮の鞭を手に取った。
「じゃあ、少しもんであげるわよ。どう?」
その言葉に、ウィバルドはすぐに振り向いた。
「なら、道場に行っててくれ。後から行く」
「そう、じゃあ待ってるわよ、素敵な青年さん」
それだけ言ってアイレラはその部屋から出て行った。ウィバルドはそれを確認すると、ため息をついてから刀を二本手に取った。
「いや、あの女の実力は確かだ」
自分に言い聞かせながら、その刀を左右一本ずつ腰に差すと、整理は後回しにすることにした。そして道場に向かうと、そこには鞭を振り回しているその女の姿があった。
その女、アイレラはすぐにウィバルドに気がつき、鞭を丸めて持った。
「待ちきれなくて仕事を放り出して来ちゃったのね、大歓迎」
そう言って鞭を振るう。その速度は凄まじく、常人の目ではとても追えないほどだった。ウィバルドは二本の刀を同時に抜くと、一本は後ろの下げ、もう一本は前に突き出して構えた。
「行くぞ」
その声に応じ、アイレラは半身になって鞭を構えた。




