牢獄
聞こえるのは、水滴が落ちる音だけだった。そこは石で囲まれた牢獄だったが、オーストンは目を閉じて正座をしていた。
「なあ、旦那よ。もう少し楽にしたほうがいいんじゃないか」
二段のベッドの上に寝そべる老人が笑いながら言った。オーストンは目を開くと、その老人に顔を向けた。老人は残り少ない白髪と、同じく白い、だが豊かな髭をたくわえていて、歯はほとんどない。
「目障りだったのなら申し訳ない」
「いいや、むしろ面白いね。あんたみたいなのなら独房のはずだろうに、こんなところにいるのはなんでだろうな」
「ご老体、私のことをご存知なのですか?」
「バルストール王国最強の剣士、オーストンと言ったら有名人だよ、あんた」
「そうですか」
オーストンは軽く笑った。老人はそれを見るとベッドから身軽に飛び降りる。
「そりゃそうだ。そんなあんたがこんなところにいるんだから、本当に面白いじゃないか」
それから老人はオーストンのとなりにあぐらをかいた。
「本当なら、あんたとは酒でも飲みたいところだけど、ここじゃあな。まずい密造酒くらいしかない。それでもよけりゃ、出すけどな」
「そんなものがあるんですか?」
「囚人はなんでも自分で作るんだよ」
そう言って老人はベッドの下の床を外して、小さな甕を取り出した。
「そんなところに」
オーストンは驚いたようだが、老人はさらに杯まで取り出し、それに酒を注ぐと、にやりと笑った。
「どうだい? お近づきのしるしに」
「いただきましょう」
オーストンは杯を受け取り、一気に飲み干した。
「どうだい?」
「悪くないですな」
「そうだろう」
老人は笑うと、自分の杯に酒を注いで、やはり一気に飲んだ。そこに足音が響いてくると、老人は素早く甕と杯を隠した。オーストンも自分の杯を隠す。
しばらくして、看守を伴わずにベークトルトが一人で牢獄の前に現れた。
「オーストン殿、このような形でお会いしたくはありませんでしたが、お元気そうでなによりです」
「それは私も同感です。しかし、ベークトルト殿が無事で安心しました」
「ご心配ありがとうございます。しかし、それよりも今の状況を知りたくはありませんか?」
「それはもちろん」
「今は沈静化していますよ。厄介なものは謎の人物、おそらく二名が倒したことで被害はほとんどなかったようです」
「謎の人物ですか」
「興味がありますか?」
ベークトルトは微笑を浮かべ、オーストンの返答を待たずに口を開いた。
「一人はどうやら光の一族の者のだということです。あと一人は女の剣士だという以外は情報がありません」
「そうですか」
オーストンはそれだけ言って目を閉じた。しばらくの間二人の間に沈黙が流れ、おもむろにベークトルトが口を開く。
「しかし、オーストン殿がこうして謀反人とされてしまうとは、私も予想外でした。おかしな手出しをされないようにこうして独房ではない場所にするので精一杯でしたが、早速そこのご老人と打ち解けているようでなによりです」
そう言われた老人はそっぽを向いていて特に何の反応もしない。
「オーストン殿、あなたの取調べはおかしなことにならないように私が手をまわしておきます。疑いは晴らして見せますのでご安心を」
「そういうことでしたら、よろしくお願いします」
オーストンは軽く頭を下げた。ベークトルトはそれを見るとうなずき、その場から立ち去っていった。それを確認してから、老人は口を開く。
「あんたも大変だな。ああいう偉い役人は何を考えてるかわからないもんだ」
「そうかもしれません。ですが、今はそれと付き合うしかありません」
「そいつはそうだ。人付き合いは大切だもんな」
老人はまた甕を取り出し、杯に酒を注いだ。
それと同じ頃、ボルツはすでに営業を再開している商魂たくましい酒場でくだを巻いていた。客はそれなりに入っていたが、店内はそれほどやかましくはない。
「おかしいだろうが! なぜあんなことになる!」
「将軍、落ち着いてください。ここで荒れてもどうにもなりませんよ」
レイスはその隣で透明な酒の入ったグラスをかたむけている。
「よく落ちついていられるな!」
「慌ててもしょうがありません。それに、我々は自分の身の安全を考えるべきですよ」
「どういうことだ」
「少しは頭を使ってくださいよ。我々もあの時オーストン様と一緒に拘束されていても不思議はなかったんです。でも、見逃された」
「何が言いたい」
「おかしいことばかりだったでしょう。何より王のご様子が一番おかしかったわけですが」
「ううむ」
いつもなら反論するはずのボルツが下を向いてうなった。
「それよりも、そろそろ我々をここに呼んだ人物が現れてもいい頃ですが」
「なに? どういうことだ?」
「この状況で用もなくこんなところに来るわけがないでしょう。少しは頭を働かせてくださいよ」
そう言ってからレイスは手紙を取り出した。
「将軍の机の上にあったんです。宛先は私だったので、これを出した人物は馬鹿じゃありませんね」
「中身はどうなっている」
ボルツはいらついた様子で吐き捨てるように言った。
「時間と場所の指定に、私達二人だけで来いという内容です」
そしてレイスが周囲を見回すと同時に、一人の男が店内に入ってきた。その男は特徴のない男で、ごく自然にボルツとレイスの席に近づいてきた。その男は何気ない様子で、空いている椅子に座った。
レイスは手紙を出して見せ、その男の様子を観察してから口を開く。ボルツはレイスに任せるようでその様子を黙って見ている。
「では、話を聞かせてもらいましょうかね」
レイスがそう言うと、男は表情を変えずに口を開く。
「今の状況はわかっているはずです。あなた達の立場は危うい。そして、それ以上に危うい立場の者達もいます」
「オーストン様のご家族ですか」
男はそれにうなずいた。
「あなた達には彼らと一緒にこの都から離れてもらいたい」
「なんだと!?」
「将軍」
ボルツが立ち上がろうとしたが、レイスが制すると、思い直したようで、再び椅子に腰を下ろした。
「なぜ、私達にこの王都から落ち延びろと?」
「この国の命運を左右する、これからの戦いに必要だから、とだけ言っておきます」
「その程度の話で」
「いえ、この話は受けましょう」
「なにい!?」
レイスの独断にボルツはうめいてから、絶句した。
「いいですか将軍。何が起きているかわかっていないのですから、ここは一度退くべきです。何かが起こってからでは遅すぎます」
「遅すぎるか、確かにそうかもしれんな」
気を取り直し、そう言ったボルツは入口に顔を向けた。男も同じようにそこを見ると、武装した兵士が入ってこようとしていた。
「すぐに発つことにするぞ!」
ボルツは机を持ち上げると、それを突き出して入口に突進し、レイスと男もすぐにそれに続いた。