雨の日の約束
最近、蒼真の様子が変だ。
数学の授業を受けながら、私は彼の背中を見つめていた。授業中も上の空で、蒼真は降り続く雨の景色をぼんやりと眺めていた。
真面目な彼がこうなったのは、一か月前からだ。
あの日も雨が降っていた。
蒼真の部屋で宿題をしてる時に、蒼真のスマホにメッセージが届いた。
「あ……。美凪、急で悪いんだけど、日曜のデートの日に用事ができた。ごめんな」
「えー! せっかく楽しみにしてたのに」
ちょっと膨れて見せた私に、蒼真が本当に申し訳なさそうに謝る。
「ホントごめん。父さんが急に大事な話があるって言い出して。お詫びに次のデートで何か欲しいの買ってやるから、許して」
「お父さんからのお話なら仕方ないね。買わなくていいから、次は必ずデートしよ」
「ありがとう。美凪」
ぎゅっと抱きしめられて、私は蒼真の匂いを吸い込んだ。
蒼真は父子家庭。だからお父さんの大事な話なら仕方ないと思った。
私は蒼真が大好きで、蒼真も同じ気持ちだって疑いもしなかった。外が雨だって構わない。
「そろそろ送るよ」
「ありがとう。蒼真」
ふたりでひとつの傘に入って、自宅まで送ってもらった。私も本当は折りたたみ傘を持ってるけど、くっついて歩けるからって蒼真は笑った。
私と蒼真は中学の時から付き合っている。同級生公認の仲だ。高校二年の今でも滅多に喧嘩しない。喧嘩というか、どちらかが拗ねてもすぐ仲直りしてしまう。
蒼真のお父さんが遅くなる日は私の家で夕飯を食べたりする。家族にも気に入られてる。
ずっと一緒だと思っていた。
「それじゃあ、また明日」
「気をつけて帰ってね」
「うん。……美凪」
あ……くる。
「ん……」
傘の陰で私と蒼真はそっとキスをした。
「それじゃあ」
「……うん」
名残惜しい気持ちで、私は蒼真の背中を見送った。
会えない時間はメッセージや電話をして過ごす。
デートをキャンセルされた日曜日の朝もメッセージでやり取りしていた。
──帰ったら電話する。
──うん、待ってるね。
でも、その日は連絡が来なかった。いつもなら夜九時にメッセージか電話がくる。
なのに十時になっても、十一時になってもスタンプひとつ来ない。
何かあったのか心配だった。
私は不安を抱えながら『おやすみ』のスタンプだけを送った。
用事のせいで連絡できなかったら? そう思うと、私から電話できなかった。
話は明日、学校で蒼真に聞こうと思った。
翌日、未読のままのスタンプに不安を感じながら登校した。
「蒼真! おはよう」
私は蒼真の姿を見てホッとした。
「──っ! あ……美凪。おはよう」
「……蒼真、くまができてる。寝てないの?」
目の下のくまもだけど、ぼんやりしていて元気がない。私は心配になった。
「具合悪い? 保健室行く? ついて行くよ」
「大丈夫……。心配かけてごめん」
「謝らなくていいよ。本当に具合悪くない?」
蒼真の額に手を当ててみる。熱はないみたい。少しだけ安心した。
「……何かあった?」
「──っ。なにも」
嘘だ。私にはわかる。でも、ここで話すことではないかもしれない。
「お昼、一緒に食べようね」
「ああ」
おかしい。蒼真に何があったの?
私は自分の席に向かいながら、蒼真のことを気にしていた。
授業中、私は蒼真が変わったのは、お父さんの話が関係あるのではと考えた。
蒼真のお父さんには何度も会ったことがある。蒼真に似た真面目で優しい人だ。
蒼真が幼い頃、お母さんが病気で亡くなっている。
もし、お父さんまで病気だったら? 私が蒼真を支えたいと思った。
──後日、あんな事になるなんて、思いもしなかった。
学校で話していても、夜の電話の時も蒼真は上の空だ。
何かあったのか聞いても、「なんでもないよ」と言うばかり。
かと思うと、何か言いたそうに私を見つめてくる。
「今日もダメなの?」
「……ごめん」
以前は蒼真の自宅で宿題をしていたのに、それがなくなった。
「じゃあ、私の家に行こう」
「うん。帰りに何か買っていこう」
「うん! 夕飯はどうする?」
「ごめん、夕飯には帰るよ」
「……そっか」
今日も雨。ふたりとも傘をさして並んで歩く。ちょっと前までは、無言でも気持ちが穏やかだった。なのに、今は気まずい空気が流れる。
私、何かしたかな。蒼真の横顔が何考えてるのかわからない。
なんでもないってホント?
聞きたいのに聞けない。なんだか泣きそうだ。
傘に当たる雨音を聞きながら、気持ちが不安定になっている。
蒼真はシュークリームを手土産に私の家に来ると、お母さんに手渡した。そこだけ見ると、いつもの蒼真だ。
夕飯を断る蒼真に残念そうなお母さんは、お持たせのシュークリームと紅茶を私の部屋に持ってきてくれた。
宿題が一段落した頃、私は思い切って言った。
「蒼真……何かあったら、私を頼ってね。私も一緒に考えるから。だから……」
「美凪……。心配かけてばかりだね。ごめんな。でも、今は上手く言えない」
「そう……」
ああ、最近蒼真からごめんしか聞いてない気がする。さびしい。私じゃダメなんだ。
「当分は忙しくなると思う。美凪に心配ばかりかけて、ダメなやつだよな。俺」
「そんなことないよ! 遠慮だけはしないで」
「美凪……」
大きな身体にすっぽり包まれた私は、蒼真の匂いを思い切り吸い込んで、違和感を抱いた。いつもの匂いじゃない。柔軟剤変えたのかな。私の知らないうちに、蒼真が変わってた。胸がチクッとする。
デートもお預けになっている。あの日から忙しくなった蒼真は、日曜日に予定が詰まっている。
「しばらくすれば落ち着くと思う」
私は、その言葉を信じていた。
なのに変な噂がたった。蒼真が女の子とふたりで歩いてるのを見たという話。
蒼真は一人っ子だから姉も妹もいない。私は不安になった。
「蒼真、噂が出てて……」
「俺には美凪だけだよ」
「本当?」
「信じて、美凪」
喉が詰まって言葉が出ない。
「……」
いつから蒼真の言葉を信じられなくなったのだろう。こんな自分嫌だよ。
私が揺れてるのに、また噂が流れた。
また日曜に女の子と歩いていたらしい。
今度は友達が直接目撃した。写真まで撮ってあった。
間違いなく蒼真だ。真っすぐ前を見る彼の横顔と、女の子が楽しそうな表情をしている。
私は胸を締め付けられた。息が苦しい。涙ぐむ私を見た友達が我慢の限界だと、写真を突きつけて蒼真に詰め寄った。
蒼真は否定しなかった。そのせいで、噂は加速した。
それでもいつも通り一緒に帰る。
──ピロン
蒼真のスマホが鳴る。通知を見た蒼真の表情が曇った。
「美凪……また日曜日用事入った」
「そう」
さっきのスマホの相手なんだろうな。誰か聞いちゃダメなのかな。
私は俯いて、小さく呟いた。
「いまの……だれ」
蒼真に聞こえなかったのか反応はなかった。
日曜日。私は自然と蒼真のうちに来ていた。
蒼真が女の子とふたりで自宅に入っていくのが見えた。笑いあってる。
「嘘つき」
私は涙の流れるまま、その場に立ち尽くした。一時間くらいぼうっとしていたら、ぽつりぽつりと雨が降ってきた。
頬を濡らすのは雨なのか涙なのか、わからない。私はとぼとぼと自宅に帰った。
──その日から、私は蒼真の連絡を全て拒絶した。
雨の日が続く。梅雨だから当たり前なのだけど。雨にも蒼真との思い出のある私には辛かった。
ずぶ濡れで帰った私は、お風呂に入ってシャワーを頭からかぶった。勢いよく落ちていくシャワーの音に、私の嗚咽が混じる。家族にバレたくない。でも胸が引き裂かれそうに痛い。
「蒼真……どうして?」
私のつぶやきは小さくて掻き消えた。
調子が悪いと部屋にこもって、家族を心配させたけど、寝てれば大丈夫と誤魔化した。
いつもの時間にスマホが鳴った。誰か見なくてもわかる。蒼真だ。
今は無理だ。このぐちゃぐちゃな気持ちを、そのままぶつけてしまいそう。
しばらく鳴ったあと、着信音は途切れた。すぐにメッセージの通知。見るのが怖い。
「蒼真……別れたくないよ」
口にしたら、本当に別れてしまう気がして、不安が押し寄せた。
頬をとめどなく流れていく雫は、外から聞こえる雨のように、明け方まで止まらなかった。
翌朝、どんなに冷やしても誤魔化せないまぶたの腫れを見た母が、心配そうに言った。
「美凪……学校、休む?」
「……行く」
「そう。やっぱり無理だと思ったら、早退して来なさい」
「ありがとう」
お母さん、何か気づいてる? その後はいつも通りに接してくれて助かった。
泣き腫らした目元はメイクで隠した。でも友達にはすぐバレてしまった。
「美凪、おはよう……どうしたの!?」
「なんでもないよ」
「そんな顔して、説得力ないよ。ちょっと教室出よう」
トイレに仲のいいふたりに連れていかれた。
ひとりでは抱えきれなかった思いを相談すると、友達は私の代わりに怒ってくれた。
「何か事情があるにしても、美凪を不安にさせるのは許せない! 今日からしばらく一緒に行動しよう」
「ありがとう」
正直ほっとした。今は蒼真と上手く話せる自信はない。下手をすれば、その場で泣いてしまって困らせてしまうかもしれない。
HRギリギリに教室に戻ると、蒼真がいた。
何か言いたそうに見つめてくる蒼真から、私は視線をそらした。
休み時間になると友達が、私を連れて教室を離れる。蒼真が呼び止めても、振り返らなかった。
放課後、蒼真に捕まった。
「どうして無視するの? 美凪、教えて」
「……」
私は、首を横に振るのが精一杯だった。
「どうしてかは、自分で考えてみたら? 美凪、お待たせ」
「今は話したくないんだよね。美凪、行こ」
「うん」
友達に助けられて、その場を離れた。カラオケで歌ったり、プリクラを撮った。
「今日はありがとう。楽しかった」
「しばらく、ウチらと遊ぼうよ! でも、落ち着いたら、ちゃんと話し合うんだよ」
「……うん」
友達と遊んでいる間も、スマホには蒼真からのメッセージや電話がきていた。全部無視して遊んでた。心が少し軽くなった気がした。
夕飯はいつも通り食べた。お母さんが少しホッとしてるのがわかった。
お風呂に入って、部屋に戻る。
「……よし」
気合いを入れて、未読スルーしていた蒼真のメッセージを見た。
──もう、寝ちゃった? おやすみ。
──何かあったの? 具合悪い?
──美凪の声聞きたい。
──俺、何かした?
突然、着信がきた。蒼真だ。いつもより時間が早い。既読になったの気づいた?
「蒼真……」
まだ、話す覚悟ができてない。決定的な言葉を聞くのが怖かった。
最近ぼんやりしていた蒼真。
こうなってからようやく私のことを、見てくれるのが悲しい。
着信音が止んだ。続いてメッセージが届いた。
──会いたい。
──ちゃんと話そう。
メッセージを見て、胸がギュッと締めつけられた。
「蒼真……話すの怖いよ」
私は、返信することもできず、そのままスルーしてしまった。
今日は午後から雨の予報だった。
曇り空の下、登校する。
「美凪」
「──っ!」
靴箱のところで、蒼真が待っていた。私は思わず蒼真の顔を見た。
──目の下にクマができていた。
「放課後、話をしよう。このままじゃ俺たちダメだ。……俺も話したいことがあるから」
「あ……」
蒼真は苦しそうな顔をして、それだけ言うと、先に教室に向かった。
まだ、心が揺れている。きっとこのまま話すと、蒼真に酷い言葉を言ってしまいそうだ。
……でも、蒼真も苦しそうだった。
のろのろと私も教室に向かう。教室に入ると、すかさず友達が私に声をかけてきた。
蒼真は何も言わず、こちらを切なそうな顔で見ていた。
放課後、帰り支度をする。どうしよう。まだ怖い。蒼真の話したいことってなんだろう。
授業中ずっと考えていた。悪い方にばかり考えてしまう。
「美凪……」
「あ……」
蒼真が私の席に向かってくる。
身体が強ばる。半歩足が後ろに下がった。
──まだ、無理。
思わず私はバッグを持つと駆け出した。
「美凪!」
後ろから蒼真の声が聞こえる。でも止まれなかった。
別れ話だったらどうしよう……。怖い、怖いよ。
靴を履き替えて、土砂降りの中を傘もささずに飛び出した。もうすぐ校門というところで、手首を掴まれた。
「美凪、逃げないで。ちゃんと話そう」
「蒼真……」
見ると、蒼真も傘をさしていなかった。ふたりともずぶ濡れになりながら歩く。蒼真は私の手首を掴んだままだ。のろのろ歩く私に歩調を合わせてくれている。私と歩く時はいつもそうだ。
「公園に行こう」
「うん……」
蒼真は真っすぐ前を向いたままだ。なにか考え事をしている。
ここまできたら、私も覚悟しないと。ちゃんと聞こう。不安だったと伝えよう。
土砂降りの公園には誰もいなかった。気休め程度の雨宿りに藤棚の下に行く。遊具が雨に打たれている。雨音しか聞こえない。
気まずい空気のなか、蒼真が口を開いた。
「美凪、どうして俺のこと無視したの? ……やっぱり、噂のこと?」
雨音にかき消されそうな心細い蒼真の問いかけに、私は本音をぶつけた。
「蒼真はこの一ヶ月変だった。日曜日はいつも用事があった。なのに噂になった。女の子と歩いてるって」
「それは……」
私の声は震えていた。否定して欲しかった。けど、蒼真は否定してくれない。
「友達が見たの。写真も見た! 間違いなく蒼真だった。女の子が楽しそうに笑ってた!
信じられなくて、用事があるって言ってた日曜日に蒼真の家に行ったら……女の子と楽しそうに笑ってた。ふたりで家に入っていって……私、雨が降るまで、ずっとずっと待ってたの。なのに……」
我慢していた思いが一気に溢れて、頬をとめどなく伝う。
「美凪……美凪。ごめん、ごめんな。こんなに不安にさせてたなんて」
「触らないでよ!」
「嫌だ! 離さない」
蒼真の腕の中は冷えていた。雨の匂いがする。震える腕の中で、私は泣いた。何度もごめんと繰り返す蒼真に、耐えきれず私は聞いた。
「私より好きな人できたの?」
「そんなわけないだろ!」
「じゃあ、なんで……」
私の肩に手を置いて離れると、蒼真は覚悟を決めたような顔で口を開いた。
「全部話すよ、美凪」
「どこから話せばいいのか……。まずは美凪が見た女の子は、俺の妹だ」
「妹……? でも、蒼真──」
「ああ、父子家庭だった。美凪、覚えてるかな。デートをキャンセルした日のこと」
「うん。そういえば、あの日は蒼真から連絡が来なかった」
蒼真は頷いてから、「ごめん」と言った。
「あの日、義母さんと妹に初めて会ったんだ。急に紹介されて、ものすごく動揺した」
「そうだったの」
「ああ、再婚するって。その日に籍も入れてきたからって」
「ええ!?」
私は思わず大声をあげた。そんな大事なことを息子に事後承諾するなんて。お父さんのイメージが少し変わった。
蒼真はショックだっただろう。
蒼真の顔が曇ったままだ。どうしたのだろう。
「蒼真? 何かあるの?」
「うん。それだけじゃなくて……妹と異母兄妹なんだ」
「──っ!」
どういうこと……?
蒼真のお母さんは、蒼真が幼い頃に病気で亡くなっている。妹がいたとしてもおかしくはない。でも、なぜ今頃になって再婚を? それに蒼真が辛そうだ。
「蒼真……私に話して? 私は蒼真の味方だよ」
「美凪……」
蒼真の頬を両手で包む。私の手の上から蒼真の大きな手が添えられる。目を瞑り、ゆっくりと開いた目は私を真っすぐ見つめる。
「父さんから聞いた。母さんが闘病生活をしてる時、失う不安から一度だけ過ちを犯した。義母さんは妊娠した時に内緒で退職したけど、父さんの秘書だったんだ。母さんが苦しんでる時に裏切るなんて……」
「うん……」
蒼真の手が震えてる。蒼真も怖かったんだね。
「俺はどうしたらいいのか、わからなくなった。闘病していた母さんを裏切ったのは許せない」
「……うん」
蒼真はお母さんをうっすらとしか覚えていないと前に聞いていた。蒼真の部屋にはお母さんとお父さん、幼い蒼真の家族写真が飾ってある。蒼真の頬を流れる雫を親指で拭った。
こんなに蒼真が苦しんでいたのに、私は気づいてあげられなかった。
「でも、中学生の妹は懐いてくる。俺は戸惑っているのに、ここら辺を案内する役目をすることになった。家の中は俺のせいでぎこちないんだ。でも、妹の仕草が父さんと同じで……」
「そっか」
蒼真が甘えるように、私の肩に擦り寄る。
「美凪に言いたかったけど、父さんのことで嫌われるかもしれないと言えなかった。でも言わなかったせいで美凪を傷つけた……ごめん」
「私も、ごめんなさい。逃げないで話せば良かった」
「情けないな、俺」
「どんな蒼真でも好きだよ」
蒼真が顔を寄せてくる。久しぶりのキスに心が満たされる。
冷えていた唇が温かくなった。
「俺も美凪が好きだ」
おでこをコツンと合わせて微笑み合う。
「今度、妹さんを紹介してね」
「ああ、実は会いたいって騒がれてる」
ふたりでくすくす笑っていたら、気がついた。
いつの間にか、土砂降りだった雨が止んでる。
「蒼真、前に約束したデート行こうね」
「うん。今週末行こう……帰ろうか」
今度からは些細なことでも話し合おうと約束して、私たちは手を繋いで雨上がりの公園を後にした。
厚い雲に覆われていた空の隙間から、青空が見えていた。
~おしまい~
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