あなたが愛人を作るのなら
「……まぁ」
それしか言葉が出なかった。
夫と約束したレストラン。
約束の時間に行ってみれば、夫の横には華やかなドレスを纏った私の推しの女優のジャンヌ。
確かに夫を観劇に誘ってジャンヌを引き合わせたのは私だけど、それは「期待の女優」としてで、あなたの愛人にお勧めした訳じゃ無い!
高級なレストランとプレゼントされたドレスに、とても嬉しそうなジャンヌ。そんな愛人の様子に、更に嬉しそうな旦那様。
……はぁ、なんて少年のような顔をしているの。
結婚して八年。二人の息子にも恵まれ、無難に堅実に伯爵家を維持していると思っていたあなたに、愛人を作る情熱があったなんて。
でもね! これは「裏切り」っていうのよ!
何とか味の分からないディナーを終えて、食後のお茶を飲みながら私は言った。
「残念だわ。ジャンヌはいい女優になると思ったのに」
驚いたようにジャンヌが否定する。
「いいえ! 私は伯爵様のお力添えをいただいて、立派な女優になります!」
「ジャンヌはお前と違って才能がある。才能を後援するのも貴族の役目だ」
……なれるかしらね。でも、その言葉に私も思いついた。
「貴族の役目、ね。それじゃあ、私も才能豊かな愛人を持って後援する事にするわ」
二人の動きが止まる。
本気?、という顔をしている二人に、私はにっこりと笑った。
翌日、私はいつもドレスを作ってもらうエレーヌ夫人のアトリエにお邪魔していた。
「ドレスの注文じゃ無いのに申し訳ないわね」
「どんなご用事なのかしら?」
落ち着いて返される。
この世界が長いエレーヌ夫人には、こんな勝手な客も珍しくないのだろう。
「実はね、ここのお針子のルネを後援しようと思って。彼の技量はどんな感じかしら」
「あの子ならお針子としてはもう一流よ。12歳の時にアトリエに来てもう五年だもの。真面目で熱心で、吸収するべき事はもう全て吸収しているわ」
女性ばかりのエレーヌ夫人のアトリエに雇われたデザイナーを夢見る幼い男の子も、今は17歳。子供とは言えない年齢になった。
アトリエの中では浮いてきているし、お客の令嬢の目にも注意しなくてはならない。そろそろ独立すべき時期だろう。
呼ばれてやって来て私とエレーヌ夫人の前のソファーに座らされたルネは、私の「独立は考えている?」「どんなお店を持ちたい?」「作りたい服の傾向は?」などの質問にハキハキと答えた。ずっと、自分がデザイナーになったらああしたいこうしようと考えていたのだろう。17歳にしてはしっかりしている。
足りないのは、資金と年齢による社会的信用。これは、私が後ろ盾となる事で解消する。
「ところで、独立する場合、この店から引き抜きたいお針子はいるかしら? 一人二人くらいなら、エレーヌ夫人も許してくれるわよね」
エレーヌ夫人に「何勝手に決めてるのよ!」と笑って突っ込まれてたら
「いません」
と、きっぱりと返された。
「皆さん、僕のような子供が使えるような人じゃありません。それに、僕がエレーヌ夫人に育ててもらったように、僕も平民の子供を雇って一人前に育てたいんです」
思わずエレーヌ夫人と顔を見合わせる。なんていい子。
「お針子を若い子で揃えるなら、経理はベテランを用意しましょう。ビジネスなので絶対に利益を出してもらいます。甘くはありませんが、それでもいいと覚悟があるのなら、私はあなたの後援をいたします」
「ありがとうございます!」
「では、今日からあなたは私の愛人よ」
「はい!…………はあっ?!」
初めての17歳らしい反応に、私もエレーヌ夫人も思わず吹き出した。
「あー、ジャンヌが、だな。次回の公演でセリフが三つのチョイ役になったそうだ」
数日後の朝食の時、夫がテーブルを囲む幼い子供たちに意味を悟られないように事務報告のように言った。
「でしょうね」
あっさり肯定した私に夫の怒りが爆発した。
「やはりお前か! お前がジャンヌを陥れたのか!」
びっくりする子供たちに大丈夫だと笑いかけ、ナプキンで口元を拭きながら教えてあげる。
「私が手を下すわけないでしょう。私は、ジャンヌが立派な女優になる事を望んでいると言ったでしょう?」
「……あ、ああ。なら何故……」
「ジャンヌは、毎日のように稽古に遅刻してるそうですわ。『文句があったら伯爵様に言って』と悪びれないそうで、監督たちに事情を聞かれましたの」
「そ……そんな事を」
「愛人が出来て嬉しいのは分かりますが、少しはお控えになって」
子供たちの「何ができたの〜?」の声にばつが悪そうに黙る夫。
「本番も遅刻するかもしれない者に、重要な役は危なくて与えられません。当然ですわ」
念の為にとどめをさしておく。
「つまり、ジャンヌをチョイ役にしたのは旦那様です」
ある日、私はルネに仕立てあがった正服を着せて友人の侯爵夫人のガーデンパーティーに参加しました。
主催者に挨拶に行くと、エレーヌ夫人のドレスの愛用者の侯爵夫人はすぐにルネに気づきました。
「見違えてよ。独立したのね、ルネ」
「ふふ、私の愛人にしましたの」
「こんにちは、侯爵夫人。本日は、ドレスの着こなしの勉強に参りました」
「まあ怖い。私の着こなしはどうかしら」
「素晴らしいです。ドレスのポアヌ織もフラナガンレースも光沢のある糸を使用しているのに、夫人の濃い茶の髪が上品にまとめています」
「あ、あら、ありがとう」
地味な茶色の髪がコンプレックスだった侯爵夫人が動揺してます。
彼女は、下がろうとする私に旦那様とジャンヌが来ている事をこっそりと教えてくれました。
他の方たちと挨拶を交わして「愛人です」とルネを紹介するうちに、ルネを知っている人や私の愛人に興味を持った人たちに囲まれていました。
ふと、視線を感じると旦那様とジャンヌが私たちを睨み付けています。
私はルネを連れて二人の元へ行きました。
ルネを紹介する私に、二人は敵意剥き出しでした。
昼のパーティーとは思えない露出の多い煌びやかなドレスを着たジャンヌが
「私の悪口を監督たちに言ったのは、その男の子のためだったのですね!」
と、噛みつきます。同じく怒りを浮かべている旦那様。
「ルネは俳優志望では無く、デザイナー志望ですわ。お二人は誤解しています」
面倒ですが、ちゃんと説明しておきましょう。
「まずはジャンヌ。あの劇場のスポンサーに名を連ねているのは、伯爵ではなくて伯爵夫人の私なの。だから監督たちは私に話を聞きに来たのよ」
驚いた顔のジャンヌ。
「そこにいる旦那様は劇場について何も知らないわ。当然、旦那様と付き合ったからってキャスティングに配慮される事は無いのよ」
旦那様はあなたを好きになっただけで、劇場にも演劇にも興味が無いと何故気付かなかったの。
「劇場のスポンサーをパトロンにしたので自分も優遇されると思ったのでしょうが、あなたが『伯爵様』と連呼するたびに、自分は劇場のスポンサーの夫を寝取ったと連呼している事になるのよ」
ジャンヌの顔色が変わった。
「そして旦那様」
私は矛先を旦那様に変えた。
「愛人のスケジュールをちゃんと把握してください」
スケジュール?、という顔だ
「あの劇場の劇団員は二つのグループに分かれていて一か月交代で公演をしています。公演が終わった次の一週間は休日。あなたはこの時期にジャンヌを口説いたので、女優とは暇なのだと思い込んでしまったのでしょう。でも、二週目から稽古が始まり、それを見て来月の公演のキャスティングが決まります。あなたはその時期にジャンヌに遅刻をさせて、ジャンヌをチョイ役にしました」
ご自分のやらかしを思い出したようですわね。
「それから来月の公演に向けての稽古で、本日、月末は明日からの公演を控えて最後の通し稽古をする日なのです。その大事な通し稽古なのに、あなたはジャンヌをここに連れて来ました。きっと今頃劇団でのジャンヌの評価はどん底ですわ」
二人とも顔色が悪くなりました。
「ど……どうしたらいいの……」
「さあ? お二人でよくお考えになって」
「……そうだな。ジャンヌ、行こう」
寄り添って去って行く二人。
私は振り返ってルネに聞いてみました。
「あの女性の着こなしはどうだった?」
「華やかな美人ですが、ドレスが華美すぎて魅力を半減させてますね」
的確な判断です。
その後、私たちはパーティーを楽しみながら令嬢やご婦人の着こなしを鑑賞させてもらったのでした。
そして、私の「愛人です」の紹介への人々の反応に、「愛人=ビジネスパートナー」の意味だとルネは理解したようでした。
まあ、もうちょっと大きくなったら愛人として考えないでもないですけど。
その夜、旦那様が告げたのはジャンヌが女優を諦めないと決めたという事でした。
「心を入れ替えて、チョイ役でも明日からの公演を精一杯演じるそうだ」
「まあ、それは良かったですわ」
「だから、ジャンヌに家を買い与える事にした。今のアパルトマンでは夜に柔軟運動をしたり、発声練習をしたり出来ないからな」
「まあ、それは良かったですわ」
「家と言っても小さな物でいいそうだ。使用人も要らないらしい。何とも奥ゆかしい」
「良かったですわ」
まあ、本人たちがいいのならほっときましょう。
それから私はルネが目をつけていた貸家や布地屋や小物屋に連れ回され、検討したり、契約したり、お針子たちの面接をしたりでジャンヌの事は忘れるともなく忘れていました。
結果的に、ジャンヌは女優になれませんでした。
真面目にチョイ役を演じ、翌月の稽古にも決して遅刻しなかったジャンヌは、見事に次の公演では準ヒロインにキャスティング。
……でしたが、他の劇団員に「伯爵様の愛人になったおかげね」(きっと実際にはもっと下品で露骨な言葉で)と笑われて、カッとなって近くにあった果物ナイフでその女性に切り付けたのです。
相手は右腕をかする軽傷でしたが、警備隊に拘束された女優ジャンヌの醜聞はあっという間に王都中に広まりました。
被害者の女優は、私の謝罪と旦那様の用意した見舞金に恐縮して許してくれたのでジャンヌは罪に問われずにすんだのですが、王都では顔が知られているジャンヌは親戚を頼って遠くの町へ行ったのでした。
全てが終わって、私と旦那様はやっと落ち着いてお茶を飲んでいました。
「『お前と違って、ジャンヌには才能がある』でしたっけ。結局、ジャンヌの才能を潰してしまいましたのね」
「いや、それはジャンヌが」
「あなたは、私がどれだけジャンヌが他の劇団員から疎外されないように気を遣って推していたか知らないのね」
食事に誘う時はジャンヌだけじゃなく他の団員やスタッフも誘い、高級なレストランではなくカジュアルだけど皆が普段行く店より少し高い店にする。
差し入れをする時は全員の分を用意。でも中身はジャンヌの好きな物。
皆を応援しているけど、ジャンヌは私の推しなのよ〜!、とさりげなくアピール。
だから、ジャンヌは私の推しだと皆に認識されても敵意を持たれる事は無かった。
エレーヌ夫人が、私がルネの後援をしたいと言った時にあっさり了承したのは、ルネが独立しても自分とは顧客が被らないと知っていたからだ。私だってそれを分かって申し出た。
「敵を作らない」は最低限の配慮。
それをあなたはレストランだドレスだパーティーだ家だと金をかけるだけで、全然配慮しなかった。
ジャンヌも、それらを享受するだけで周りからどう見られているか考えもしなかった。まあ、若い女性なら舞い上がるのも仕方ありません。
「悪女の女優を愛人にした伯爵として、あなたまで有名になられて」
ふぅ、とため息を吐くと、旦那様は慌てて聞いてきた。
「お、お前の愛人はどうしている」
「ルネは縫製工房を持ちました」
「店はまだなのか。お前だって愛人の夢を叶えていないだろう」
「叶えてますわよ。ルネの夢は、オートクチュールではなく平民の着る既製品のデザイナーですから」
自分のデザインした服を、色違いサイズ違いでたくさん作って、王都中の洋服屋に置いてもらう。お店を持ってお客が来てくれるのを待つのではなく、どのお店に行っても自分の服が売られている事がルネの夢だ。
ドレープやプリーツ、ギャザー、ラッフルなど、あらゆる技術を身に付けて平民の服に活かせるようになりたいとエレーヌ夫人の店で修行していたのだ。
経理担当者の報告では、今ルネはお針子の一人といい感じになっているそうだが、資金返済の目処が立つまでは自分は「伯爵夫人の愛人」だからと仲が進展する事は無いそうだ。ちょっと真面目すぎないかしら。
ちなみにルネの店の営業と配達は、結婚して子供も出来たから俳優を辞めたいと言っていた劇団員をスカウトした。彼のルックスとファンあしらいで慣れた話術で、ルネの服の取扱店は増え続けている。
「人によって夢は違いますわ。いかに叶えてあげるか、それが後援者の器量というもの」
舞台で輝いていたジャンヌは、もうどこにもいない。
「そうしてみると、あなたにはまだ愛人は早過ぎたようですわね」
2026年3月17日
日間総合ランキング 1位に!!
婚約破棄もドアマットも欲しがり妹も幼馴染も出てこない話なのに、嬉しいです(*'▽'*)




