逢魔梟介は探索者でもある
朝、起きて最初にすることはトイレにこもることだ。余人はどうか知らないが、というか俺はかなり異端な方らしいが起床後、朝食後、昼食後、夕食後、就寝前と最低五回はトイレに入る。何か食ったらすぐに大が出る体質なんだ。
日本のトイレは素晴らしい、俺はそこを声を大にしていいたいね、大だけにね。
「ふぅ、やはり日本のトイレは最高ですね」
「トイレ一つでそこまで感慨深く言っちゃうの梟くんくらいだよね」
「姉さんは異世界のトイレ事情を知らないからそんなことが言えるんです」
異世界には水洗トイレがなかった、当然ウォッシュレットもなかった、それどころかトイレットペーパーすらなかった。
異臭の漂うトイレは誰のものかも不明なゲロとか血やらが放置されている床に空けた穴で、当然のような穴の周囲には小便やら茶色いのが一杯だった。最低だ、最悪だ。
そしてトイレには壺に浸かった変な棒が置かれており、先っぽに布を巻きつけた棒を使って尻を拭けと言われたのだ。世にも恐ろしいトイレットペーパー的な存在の使いまわしを強要されたのである。
以前この話を姉さんにした時は「わたし絶対異世界で暮らせない」と言われた。天使のような姉さんにそんなまねをさせるわけにはいかないので俺も同感である。……いやいやアイドルがトイレになんて行くわけがないので今のは失言だったな。
「そういえば姉さん今日の予定は?」
「おやすみだけど事務所には顔を出すよ。トレーニングしてから帰るから昼すぎには帰ってるかな」
「じゃあ俺も昼には戻ります、十三時頃になりますがお昼は一緒に食べましょう」
「じゃあ西島で食べよう」
ちなみに西島とは下の商業施設に入っている和食レストランだ、夜に行くと一人当たり4200円はかかるがランチなら1200円でコースが食べられる。自炊能力の低い逢魔姉弟にとって貴重な日本食供給源となっている。
あ、実家が恋しい的な話では一切ありません、そんな発言をしようものなら親父が縄を担いでマンションに突入してくるにちがいない。俺が一番怖いのは親父だよ。
「姉さんの手料理が恋しいのですが」
「残念、あなたの姉にはそんな機能は搭載されていないのでーす」
ちなみに姉さんの料理はなんていうか栄養全振りというか、ほぐしたささみをサラダの上に乗せた何かが多い。一応味噌汁と白米もついてくるが少量な上に減塩だ、味がとても薄い。それでも姉さんが作ったという事実だけで俺は胸がいっぱいになるのでヨシ。
なので俺が姉さんの手料理にありつくためには自分の料理が一般的に料理と呼べるものではないと自覚して渋る姉さんをどうにかやる気にさせないといけない。
「じゃあお昼は俺が作るから夕飯は姉さんということで」
「仕方ない。じゃあ何か考えておくよ」
ヨシ、夕飯はアカリンの手料理が食べられる。
この事実だけで今日一日をがんばれそうだ。
◇◇◇◇◇◇
俺は高校に行っていないので最終学歴は市立八王子第二中学中退となっている。何もかも異世界が悪い。
高校も行こうと思えば行けた。両親にも姉さんにも進学を強く勧められたが年下の同級生に囲まれながら高校一年生をやるのには抵抗があったし、公爵位やら王族との婚姻を蹴って戻ってきた俺にいまさら社会的なステータスのために学歴を得ようという気は欠片も湧いてこなかった。
高校を卒業して大学まで出て会社勤めなんて将来設計はどこか別の世界の出来事のように他人事だった。……亜空間収納に山ほどの金貨や宝石を詰めて帰ってきたってのも大きい。
中学中退で就ける職業なんて限られているがおあつらえ向きなのが一つあった。探索者だ。ダンジョンに潜って資源を持ち帰る探索者は元勇者のセカンドライフとしてはうってつけで、今は両親の下を離れて一人暮らしをする明理姉さんの家でお世話になるいい口実にもなった。……いやほんと、この選択を取るために散々揉めたよ。
三年も行方不明になっていた息子が家からささっといなくなろうとしているのだ。そりゃあ両親の反発はすごかった。姉さんがアイドルになろうとした時よりもヒートアップしていた。
中学中退の探索者、どう考えても将来的な不安が後々ビッグウェーブになって襲い掛かる将来設計を持ち出した馬鹿息子を殴ってでも止めねばならないと決意した親父を逆にクロスカウンターで沈めた俺の親不孝ぶりはなんていうか心が痛くなるレベルであったが俺にも譲れないものがあった。だってせっかく帰ってきたのに姉さんと離れ離れとか聞いてないし。
そんな中学中退探索者は今日もせこせことダンジョンに出勤する―――
◇◇◇◇◇◇
撃ち貫いたばかりのワイバーンの死体は燃えるような熱さだ。マグマで沐浴するような生き物の体温が人間に優しいわけもない。そして俺の高熱耐性も人間的ではない。
燃えるような熱さの死体を椅子代わりにしながらの休憩中、スマホで確認した時刻は午前十一時半だ。
今をときめくネピリムのセンターボーカルとランチが待っていると考えるだけで心がウキウキしてくる。
あとは本日の稼ぎがどんな金額になるかだが……
不安だ。買い取り査定をしてくれる杏子さん、最近は何を持ち帰ってもあんまり驚かなくなってきたんだよな。
◇◇◇逢魔アカリSIDE◇◇◇
アイドルは大変な夢だ。きれいなお姉さんたちが可愛いドレスを着てみんな楽しそうに笑っている姿を画面越しに見ているだけだとわからなかったけど、どんな時も笑顔を絶やさずにいるっていうのは大変だし、笑顔のまま何時間も踊り続けるのも大変だ。
私はいま夢の世界で小さかった頃の自分のようなみんなに夢を見せている。ただ子供の頃に考えていたよりも大変な業界だ、精神的にも、体力的にも……
丸々一ヵ月かけた弾丸ツアーの翌日にも関わらず事務所にはメンバーが勢揃いしていた。もちろん今日は全休だ、だからルカもヒカリも自主出勤だ、トレーニングルームに直行だ、ワーカホリックかな?
「やれやれ、みんな働きすぎだよ、ぜったい病気だよ」
って言うとルカがものすごい冷たい目でこっちを見てくる。
クール系のルカにそんな目つきをされるとイケナイ扉が開いてしまいそうで困る。やっぱりアイドルは最高だね。こんな可愛い子と一緒にいられる職業なんて他にはないよ。
「病気ぃ? アカリにだけは言われたくないわ」
「そうそう、休みだって言われてるのに自主的にトレーニングしに来てる人は言っちゃダメ~」
ヒカリがあんまり面白いことを言うものだから噴き出しちゃった。
休日だってのにみんなして事務所に出てきちゃう私達はきっと普通の女の子ではなくて、勤勉でがんばり屋のアイドルなんだ。
「じゃあこの中の誰も言っちゃダメだね!」
みんなして笑い出してしまった。やっぱりアイドルは最高だよ、私の友達が一番可愛い。
スマホから垂れ流しているニュース番組が気になる話題になった。
『速報です、たった今さいたま第四迷宮を攻略していた自衛隊の攻略チームが最深部第六階層へと到達、ボスモンスターを撃破しての完全攻略を成し遂げたと発表がありました』
ハンサムで有名なニュースキャスターが淡々と速報を読みあげている。
私この人好き、いつも紳士的だし犬の話しかしないけど良い人だ。愛犬会いたさに仕事明けには全力で帰宅するため二十年間飲み会に出ていないという面白い人だ。
『最深部のボスモンスターは翼を持つ爬虫類、とりわけ竜に似た形状をしていたようです。WDAはこれを観測史上五種類目の竜種と認定し、ワイバーンと命名しました』
『さいたま第四迷宮の沈静化の成功により沈静化の類例は那覇、横須賀に続いて三例目となりました。蓬莱さん、これをどう思われます?』
『いやー、文句なしに自衛隊のお手柄ですね。竜種に認定されたモンスターは例外なく手強いと言いますし討伐に成功したのって日本では今回が初ですよね?』
『はい、日本の迷宮で初めて観測された竜種とのことですし討伐も初めてです』
『なんだかんだ言われていますけど日本の自衛隊は優秀だって改めて思いましたね。いやこれはおみごととしか言えないな~』
どうやら自衛隊が大金星を挙げたようだ。危険なモンスターが出てくる迷宮が一個沈静化した。それはめでたいニュースだ。……なにしろ身内に探索者がいる。
うちの弟に限って滅多なことはないと思うけど危険なモンスターがいなくなったのはいいことだ。異世界で魔王を倒してきた弟が竜に負けるとは思えないけど、それでも今頃ダンジョンでモンスターと戦ってるんだと思うと不安はある。何事も絶対はないからだ。
まぁこんなのは身内の事情だ。身内に探索者がいるとダンジョンなんて遠い世界の出来事を身近に感じてしまうのだ。
だからか、ヒカリが妙に真剣な顔つきでスマホに映るニュースに見入っているのが気になった。そんなヒカリがこっちを向いた。真剣な顔つきだ、好き。
「そういえばアカリの弟くんも探索者なんだよね」
続く言葉で「心配だよね」なんて言われた。
そこまで真剣な顔で言われるとどーなんだろとは思う。不安だ心配だとは思いつつもうちの弟は最強だ、さいのつよだ、なにしろ魔王を倒してる。
「あははは、大丈夫だよ、うちの梟くんは最強だもん」
「そ…そうなんだ」
「うん、冗談抜きでね。お世話になってる藤林科繊の人にも聞いてるけど見たこともないモンスターの素材ばっかり持ってくるから査定し辛いって頭を抱えていたもん」
「探索者用の装備を作るメーカーの人が見たことないモンスターって、それって未踏階層まで潜ってるってこと?」
「うん、うちの梟くんは最強だもん」
だから心配なのだ。誰よりも深い階層に潜る梟くんだから困った時は誰にも助けてもらえない、そもそも困ったりしないのかもしれないけどやはり妄信はできない。
最前列で応援するからね、なんて言ってくれてた弟が三年も行方不明になり、それが異世界召喚なんて馬鹿げた出来事だったのだ。世の中何が起きてもおかしくないって私は身をもって学んだのだ。
ヒカリが何だか真剣な顔つきで頷いている。好き。
「ねえ、相談があるんだけど聞いてくれる?」
「うん、いいよ」
なんて答えつつもこれはけっこうな面倒事だなと予感していた。
だってヒカリが前置きまでしてくるのなんて初めての出来事なんだもん。




