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喫茶店でやすらぎを奪われた

 茹だるような暑さ、ねっとりと絡みつく仕事の付き合い。心身ともに消耗するばかりの日々にあって、週末の朝の喫茶店はやすらぎを感じる数少ない空間だ。

 しかし、現実は非情にもそのやすらぎを奪い去っていく。

 その日、店に足を踏み入れた瞬間に悪い予感はしていたのだ。私の指定席に先客が鎮座している。開店後して10分も経っていない。開店前から並んでいたのだろうか。通い始めて4年ほどになるが、そんなに人気の店とは知らなかった。

 映画の荒くれ者などであれば、「そこは俺の指定席だ」などと格好良く決めるところだろうが、私は紳士である。そして、指定席と言っても勝手に私がそう思っているだけだ。何より初対面の人間に強気になれるほどの度胸もない。紳士らしく、普段とはひとつずれた席に座り、店員が注文を取りに来るのを待つ。

 店員は顔馴染みで信頼ができる。これまで水をこぼされたことはないし、注文を無視されたこともない。驚くかもしれないが、私はファミレスや寿司屋で注文をスルーされることに定評がある。慎ましい性格が態度にまで滲み出ているのだろう。

 いつも通りブレンドコーヒーとたまごサンドのモーニングセットを注文し、一息ついた時である。最初の悲劇が起きた。私の指定席を横取りした件の客が、電話で話を始めたのだ。小さな喫茶店のため、声がよく響く。家庭に関する極めて個人的な内容だったが、そんなプライベートなことを周囲に聞こえるように話して大丈夫か心配になる。他の客が私だけだったが、まさか私を存在しないものと勘違いしたのではあるまいな。舐めてもらっては困る。これでも路傍の石ぐらいの存在感はあると自負している。私が悪意を持った何らかの筋の人間でなくて良かったと感謝してもらいたい。

 静寂という平穏は失われたが、モーニングセットが届いたので意識をその声から締め出すことが出来た。食事を終え、追加のドリンクを注文するときに第2の悲劇は起きた。

 追加注文を聞き取りにきたのは初めて見る顔の店員だった。自信なさげな表情をしているので不安になったが、私の注文を上の空で聞く様子からさらに不安が大きくなった。まるで仕事で書類の不備を指摘されているときの私を見るようなのだ。

 注文を繰り返すべきか悩んだが、2回同じものを注文したと解釈される恐れがあったため、私はそのまま店員が厨房に行くのを見守った。

 お冷で茶を濁しながら、ドリンクが届くのを待っていたが、いつもは外を眺めながらリラックスして待つ時間が、不安に苛まれる試練の時間と化した。待てどもドリンクは届かない。店も混んできたし、いつもより時間がかかっているのだろうと自分を納得させる。しかし、先ほどの新顔の店員が店を出て行ったところを目撃し、絶望的な気分になる。出ていく前にちゃんと私の注文を伝えてくれただろうか。

 虫の息となった私にトドメを刺すものたちが現れた。四人組の客である。四人がけのテーブルは私の席の隣にしかない。元気が有り余っているその集団は大声で喋りながら、次々と注文を始めた。その注文は馴染みの店員が受けていた。なぜ私の追加注文の時に席を外していたのか、裏切られた気分だ。

 注文を終えた後、その集団のおしゃべりが私を襲う。内容は大した問題ではないのだ。肝心なのはその話ぶりだ。どこそこに旅行に行ってきたという平凡な内容だったが、一人が延々と喋り続け、他の三人は感心した風に相槌を打つだけなのだ。聞き手の反応を意に介さず、ひたすら話し手が一人で盛り上がる様は、飲み会などでうまく会話のできない自分を思い出し、居た堪れない気持ちになってしまう。穏やかな週末の朝は完全に失われた。

 もはや一刻の猶予もない。店を出ようと決心し、いまだに届かない追加ドリンクの存在が気がかりだったが、伝票に追加ドリンクの金額が載っていてもおとなしく払う覚悟でレジに向かった。追加のドリンクが出てこなかったと文句を言おうかと思ったが、お前の声が小さいせいだと逆に叱られる恐れもある。また、せっかく作っている最中だったのに材料が無駄になった、ひいては資源の無駄だと、地球環境の敵として糾弾される可能性すらあるのだ。

 恥をかくくらいなら、多少の金銭的損失を受け入れる度量が私にはある。今回追加で注文したドリンクが偶然、その店で一番安いメニューであることは、この際問題ではない。

 裁判官に判決を言い渡される罪人の気持ちでレジの前に立った。読み上げられた金額は当初注文したモーニングセットの分だけだった。確信した。私は地球環境の敵ではないし、追加注文は厨房に伝わっていない。

 堂々と金額を払い店を出ると、情状酌量で減刑された罪人のような安堵が沸き上がり、店に感謝しながら帰路に着くことが出来た。                                         終わり

 

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