09 科学者、少女を保護する 2
「お~い、おっさ~ん、起きろ~。
ほら、起きなさいって。ほら、ほら」
「ううっ……」
究理が刺激を感じて目を開けると、そこには森の妖精がいて、横たわった究理を木の枝でつんつんと繰り返し突いていた。
究理は、妖精につんつく突かれながらも、しばらく呆けたままその妖精見ていたが、ふと我に返り、体を起こして自分の体の様子を探ってみた。
「体が……、痛くない?」
猿の大群に襲われて、着ている服はぼろぼろになっているが、その下にあったはずの手足の傷も体の傷も奇麗に消えている。服にべったりと付いていたはずの、血の跡や土汚れもまた消えている。
「君が治してくれたのか?」
「ええ、そうよ。ここは私の憩いの場所なの。こんな所で死なれたら邪魔だもん」
少女を見ると、身ひとつで完全に手ぶらだ。辺りには、ガーゼも薬品も、医療道具らしきものは何ひとつ見当たらない。
「どうやって治療を? 道具も何もないのに」
「普通に治癒魔法使っただけよ。
勝手に使うなって言われてるんだけど、治癒ポーションなんて持ってないし、あれはあっても殆ど効果ないから。
私が治したことは、内緒にしてね。他の人に言っちゃ駄目だよ」
「……魔法?」
ここにきて漸く究理は、ここが間違いなく異世界であったことを理解した。
「君は森の妖精なのかい?」
「おっさん、まだ寝ぼけてんの?」
寝惚けているのかと言われれば、そうなのかもしれない。究理は、まだこの場の状況を把握しきれていなかった。
まず猿の群れに襲われ瀕死の大怪我をした。次に妖精のような美少女に出会って気を失った。気がついたときには怪我が治っていて、彼女が治癒魔法で究理を治したという。
(何かおかしい……あれっ? なんで話が通じてるんだ?)
究理は考えた。
ここは治癒魔法が存在する異世界である。
それはまあいい。
しかし言葉が通じるのはおかしくないだろうか。
同じ地球上の人間同士でも、少し離れただけで異なる方言を話し、国が違えば単語も文法も違う。同じ日本国内でも、時代ごとに言葉が微妙に違うというのに、なんでここで現代日本語が通じてるんだ?
たとえ相手が人間の姿をしていたとしても、神に導かれたわけでもない異世界で、言葉が通じる理由が分からない。乱暴な言葉と丁寧な言葉が入り混じっているのも不思議だった。ただ、言葉が通じている以上は、話を続ける必要があった。
「それじゃ君は、人間の魔法使いなのかい?」
「よく分からないけど、多分そうなんでしょうね」
「分からない?」
「昔の事、覚えてないんだもん。
それより、おっさんこそ、ここで何してんのよ」
「俺は、まあその、遠くから来た旅人だ。
さっき猿の群れに襲われて、逃げてきたんだ」
「猿? この辺りに猿なんていないはずなんだけど……。
あぁ、分かった。ゴブリンに襲われたんだ。
それでおっさん、臭かったんだ。よく食われずに生きてたね」
究理は、妖精のような美少女から「おっさん、臭かった」と言われたショックで一瞬気が遠くなったが、それよりもまず訊くことがあった。
「ゴブリン? ゴブリンって、緑色や茶褐色の小鬼で、粗末な衣装を着てる魔物かのことか?」
西洋の古い伝承では、ゴブリンは子供好きで悪戯好きな妖精だが、最近の日本のファンタジーでは小人型のモンスター集団として描かれることが多い。いずれも服を着ていて、さっきの猿は究理の知っているゴブリンではなかった。考えてみれば、物語で邪悪とされる存在が異質な姿をしているのは、その物語を伝える民族の心底にある人種差別意識の表れであって、理屈に合ったものではないのだった。ましてここは異世界だ。驚きはしたが、ゴブリン像が究理の知っているものと全く違っても不思議ではない。
「まだ寝ぼけてるのね。
ゴブリンは知能が猿以下なんだから、服なんか着るわけないじゃない。あと、見た目がほとんど猿だけど、猿と違って滅多に樹に登らないで、地上で行動するの。それと、あいつらとんでもなく臭いのよ」
言われてみれば、地球のゴリラやチンパンジーやニホンザルなどの、基本的に地上生活する猿たちは、夜になると樹上で眠る。敵がいない状態に慣れると地上で寝ることもあるが、自然界ではまれな行動だ。
にもかかわらず、さっき見つけた猿たちは、木の上ではなく、日本のヤンキーのように地上で屯していたのだ。
そして、襲われたときに、物凄い悪臭がした。
(クソッ! あいつらのせいで臭いって言われたのかよ!
……いかんいかん、冷静に……)
「あれがゴブリンだったのか。初めて見たんで分からなかったよ。
だが、あれがゴブリンなら、君がここにいるのは危ないんじゃないのか?」
「ゴブリンは、なんでか知らないけど、私には決して近寄らないの。
それに、あいつら夜行性だから、日中は巣穴の近くに行かなきゃ大丈夫よ」
「近寄らない? むしろ君はすぐにでも襲われそうに見えるが」
「普通の女の子ならそうなんだろうけど、あいつら私には近寄らないの、っていうか、私は嫌われてるのよ」
「嫌われる? 小鳥やリスたちからは慕われているようだが」
こうして話している間も、警戒心が強いはずのリスや小鳥やフクロウが少女の膝や肩の上でじゃれついている。すぐ近くにいる究理には一匹も寄って来ないので、この美少女が特別なのだろう。だとしたら、相手が魔物とはいえ、この少女を嫌う者が存在するというのが信じられない。
「よく分からないんだけど、私に近づくとあいつらの闘争本能が抑制されちゃうんだって、学者先生が言ってたわね。
ゴブリンたちは、それを嫌ってるみたい。
ねぇ、知ってる?
ゴブリンってね、闘争心が無くなると、仲間に食われちゃうのよね。
酷いと思わない? あいつらの仲間意識ってどうなってるのかしら」
究理は、さきほどの長閑な光景を思い浮かべて、確かにこの少女の周りでは戦う気にならないだろうと思った。
「それにしても、この近くに巣穴があるんなら、お屋敷に知らせとかないと駄目ね。あ~、そうすると、またゴブリン狩りに駆り出されちゃうのか~」
「お屋敷? 君はこの森に住んでるんじゃないのか?」
さっき見惚れていた光景は、少女が森の主のように見えていた。
「何言ってんの。ここには気晴らしに来ただけよ。
私は、森を出たところにあるお屋敷で、何て言ったらいいのかな。
そうね、『飼い殺し』にされてるの」
「え? ずいぶんと物騒な言い方をするね。
どういうことなんだい? 飼い殺しっていうのは」
「そのまんまの意味よ。私はね、お屋敷の人たちに何かあった時のために生かされてるんだけど、あの人たちがさっさと死んで欲しいと思ってる人たちが他所にいるの。だから、治癒魔法を使える私がいることは秘密なのよ。
でも、自分たちに何かあった時は私の治癒魔法が必要で。だから、私の御機嫌取りで扱いは丁寧なんだけど、街には行かせてくれないの。ここには、気晴らししたくなったときに来るんだけど、それは街に行けないからなのよね。私が街で誰か怪我してる人を見たら、すぐ治癒魔法使っちゃうから、街に行ったら駄目だって」
「だから俺のことも治療してくれたのか。改めてお礼を言うよ。ありがとう」
「お礼なんていいわよ。それより何かない?
リスたちだったらおいしい木の実を持ってきてくれるわよ」
意外なことに、代価を要求されたようだ。それとも貢物か。
「これは失礼。お礼の品は、こんなものでいいのかな」
そういうと、栄養補給に用意してきた飴玉をいくつか取り出して少女に差し出した。ナッツ類も持ってきているが、こちらの方がいいだろう。
「何、この石。食べられるの?」
少女は恐る々々手を出して受け取ると、それをじっと見つめ、匂いを嗅いで、飴のひとつを口に入れて……破顔した。
「おいし~~い」
「喜んでもらえて嬉しいし、俺が言うのも何なんだが、口に入れるものは、もう少し警戒した方がいいんじゃないのか?
知らない人からもらったものを食べちゃ駄目だって、親に言われたことはないのか?」
「昔のことは覚えてないって言ったでしょ。
それに、この石に呪いが掛かってないことは、ちゃんと確認したもの。
あと、私、毒は平気だし。
ねぇ、知ってる? 毒キノコってね、とってもおいしいのよ」
飴玉の効果なのか、少女は満面の笑みで、とっておきの知識を披露した。
「……いや、俺は毒キノコは食べられないから」
多分答えに迷ったのだろう。究理は一拍おいて、言い難そうに正直に回答した。だが、少女は究理のそんな態度は気にもせず、ぐんぐん責め立てるように話してきた。
「私がいれば毒なんて平気よ。どう? 食べてみる?
毒に中たったら、私が毒消ししてあげるよ?
先に毒消ししちゃうと美味しくないから、中たってから毒消しするのがコツなのよね」
少女は益々自慢げな態度で話してくる。
「……いや、遠慮しておく」
「なんだ、つまんない。おいしいのに。
この子たちも食べないのよね。
リスたちは喜んで食べるのに」
そういって、肩に乗っているフクロウを撫でているが、そりゃ鳥だって毒キノコは嫌がるだろう。
「リスは喰うのかよ、驚いたな。
そういえば鳥はカプサイシンの受容体がないから平気なんだっけ?
生き物によって、食べられるものが、それぞれ違うんだな。
ところでさっき、君もゴブリン狩りに参加するようなことを言ってたけど、行く必要があるのか?」
究理がそう訊ねると、少女は嫌そうな顔をして答える。
「さっきも言ったけど、私が近づくと、ゴブリンたちの闘争本能が抑えられるからよ。討伐部隊に先行して、私一人でゴブリンの巣に向かって歩かされるの。捕まった盗賊みたいに腰紐つけられて、失礼しちゃうわよね。それで私がゴブリンたちの前まで行ったら、一斉に火矢を射掛けて攻撃するの。ゴブリンは森の動物たちにとっても害にしかならないけど、だからって襲われてもいない私が、なんでその虐殺を目の前で見せられなきゃいけないのよ」
美少女が顔を歪めて不満を漏らした。
「今の生活が嫌なのか?」
「もう慣れたわ。
それじゃ私は、戻ってお屋敷にゴブリンのこと知らせて来るから。
おっさんもさっさと家に帰んなさいよね。
今夜はこの辺りは戦場になるから近づいちゃだめよ。
おいしい小石ありがと。じゃあね」
少女に取り残された究理は途方に暮れる。
「さて、これからどうしたもんだか。
帰り道が分からないんだよなぁ」
言葉が通じたのはメアリーが神様の加護で誰とでも話せたからです。




