08 科学者、少女を保護する 1
その少女は、森の中で苔生した倒木に腰を掛け、木洩れ陽を浴びて微睡んでいた。少女の白髪が、揺れる陽の光にキラキラを輝き、少女のすぐ隣では色彩豊かな小鳥たちが静かに羽を休め、少女の肩や膝にリスたちが乗っている。木々の緑に解け込んだ水色の衣装は、少女の可憐さを際立たせ、森の妖精のように見せていた。
「……ほぅ」
美的センスの欠片もない究理だったが、美しいものを作り出せないだけで、美醜の区別は常識的だった。その彼が、妖精のような少女を見て、その美しい佇まいに思わず感嘆の声を漏らすと、少女はおもむろに瞼を開き、究理の姿を目にして口を開いた。
「おっさん、何してんの?」
* * *
その三時間ほど前、異世界の門を潜った究理は、一歩踏み出したところで立ち止まり、そのまま森の様相を具に観察していた。究理は科学者だ。観察と観測が科学の基本だというのが究理の口癖だった。だから、異世界の森を観察し、ここが安全なのか、元の世界と何が違うのか考えていたのだが……全く分からなかった。高尾山の参道の北側と南側ですら明確な違いがあるというのに、ここには謎の色彩や形状の植物も無く、木に止まっている鳥の姿や鳴き声も普通で、どこにも異世界らしさが見つからなかった。地球上のジャングルの方が、まだ異世界感がある。あえて言うならミュルクヴィズの様相を見せてはいるが、それだって地球上の森だ。
(まさか、異世界じゃなかったのか?)
究理が異世界に足を踏み入れたのは、ここが六か所目だった。そして始めの五か所は、そのいずれもが、見るからに異世界だった。
思えば、最初に訪れたのは未来世界で、究理が八十歳を過ぎた頃のことだった。未来世界といっても、地球の未来そのものではなく、地球の文明が発達したらこうなるかもしれないという意味での未来世界だ。そのときは異世界の門を開いておける時間は一時間程度、移動は一往復のみ可能だった。しかし、その僅か一時間で、誰とも何も会話していないというのに、究理は若返りと不老の処置を受け、使っていた次元操作装置と等価なものを脳内に埋め込まれていた。元は十二畳の部屋一杯の大きさがあったというのに、どうしたらそんなに小さくなるのかとか考える暇もない。あっという間の出来事で、気がついたら元の世界に戻っていて、異世界の門は既に閉じていた。
そして、その後終末世界に、次にファンタジー世界へと行き、魔法と出会った。研究意欲が湧いたが、残念ながら時間が無かった。究理が百歳を過ぎた頃になると、一往復のみという制限は残っていたが、接続時間が三日間に伸びた。将来的には、安定して永遠に往復できるようにするつもりでいる。
究理が『ここは異世界じゃないかもしれない』という不安を持ち始めた頃、遠くから獣の叫び声が聞こえてきた。狼の遠吠えでも、熊の咆哮でもない。草食獣が肉食獣に襲われたとき、声を上げて抵抗することもあれば、声も出さずに静かに食われることもある。今の叫び声は一体何だろうか。
彼は、現代日本で、多次元操作科学(MDMS: Multi-Dimensional Manipulation Science)という分野を開拓した病的科学探究者であった。その技術を使って、魔法のような技と、マジックアイテム擬きの武器を使うことができたが、この世界に来たばかりでは、まだ使えるものがほとんどなかった。双対門も高水圧銃も、その世界で作る必要があったからだ。
「とりあえず、これを試しておくか」
そういって取り出したのは、テロ組織から収奪した拳銃だった。SIG SAUER P320。アメリカでよく使われていた銃のひとつだった。マニアからは笑われるような武器の選択かもしれないが、収奪品だからしょうがない。暴発の危険が明らかになって、大量に回収されたものが横流しされたのかもしれない。
彼は、銃を入手した後、海外で観光客向けの射撃ツアーに参加して、多少は銃を扱えるようになっていた。P320のセーフティーを外し、スライドを引いて初弾装填して、近くの樹の幹を狙って続けざまに引き金を引く。
パンッ!パンッ!パンッ!
「……うーん。まぁまぁだな」
当たった場所は狙いから微妙にずれていたが、正式なメンテを受けていない銃の試射としてはまずまずだろう。この空間の重力や空気の組成が地球と酷似していることは確認している。だから当たるかどうかは、究理の腕と、銃の状態に掛かっている。
この銃を含め、収奪した銃の手入れは、すべて究理が自分で行っていた。双対門を使って、海外のガンショップに持ち込むことは可能だったが、元の持ち主はテロリストだった。シリアル番号が盗難品として登録されている可能性を考えると、ガンショップに持ち込んで通報される危険は冒せなかった。
次にアサルトライフルの試射をしようと、使った銃のチャンバーに装填された銃弾を抜こうとしたとき、藪の中から黒い熊のような生き物が突進してきた。
パンッ!パンッ!パンッ!パンッ!パンッ!
連続で撃ったが、相手はまだ止まらない。
パンッ!パンッ!パンッ!パンッ!
全弾打ち尽くしてホールドオープンしたときに、究理の脇を走り抜けた獣が方向転換して立ち止まった。全身から血を流しているが、まだ生きている。
「猛獣相手に9パラじゃ駄目か」
究理がそう言うと、ストンと獣の首が地面に落ちた。
「今回は、こっちの方が簡単だったな」
彼が使ったのは、多次元操作による次元切断だった。そのための装置は、自分の体に埋め込んであり、考えるだけで操作できた。
「戦闘向きの技術じゃないんだよなぁ」
多次元操作による次元切断では、どんなに硬く丈夫な物体でも切断できたが、対象が近くに無いと使えず、近くであっても激しく動き回られると、運動音痴の究理にはうまく切断できなかった。今回は相手の獣が静止してくれたので切ることができただけだ。
「どの武器が最適なんだろうな」
アイテムボックスから様々な銃を取り出して、地面に並べると、どうしたものかと考え込んでしまう。
そこには、大口径のハンドガンもあれば、突撃銃やグレネードランチャーもある。
「もういちど未来世界に行って、ハンドブラスターか陽電子銃でも手に入れて来るべきだったかな。ハンドレールガンでもいいな」
そう言いながら、大型のハンドガンを手に取った。
「これが扱えればよかったんだがな」
デザートイーグル .50AE。威力は間違いなくあるが、アメリカで試射したときに、究理はこれを片手で扱えなかった。両手で撃ったとしても、発射時の反動で的に当てることができない。
「仰々しいが、こっちにしとくか」
選んだのはMP7A1、ドイツ軍で使われているPDW(パーソナル・ディフェンス・ウェポン)だ。コンパクトマシンガンと言ったほうが分かりやすいかもしれない。突撃銃より小口径だが、これで連射すれば動いている大型獣にも当たるし、熊のような硬い頭蓋骨も貫通するだろう。
* * *
異世界の門の問題は、最初の接続場所を選べないことだ。接続先は、街に近く目立たない場所が理想的だが、地中だったり宇宙空間だったりもするので、今回のように森の中ならかなりいいほうであった。
究理は、異世界の門の脇で新たな双対門を生成し、その片方を収納すると、MP7A1を肩から下げて、森の中に分け入った。多次元操作による次元切断を使えば、木にも草にも手を触れることなく刈り取ることが出来るので、藪漕ぎはさほど難しくはない。どこか見晴らしのいい場所に移動して、道か人家を探そうと、さくさくと先に進んでいくと、毛の抜けた猿のような獣の集団に出くわした。
「ギャー、ギャー、ギャー」
究理に気づいた一頭が叫び声を上げ、十数頭の猿たちが究理に顔を向けたかと思ったら、一斉に襲い掛かってきた。
バシュ! ババババババ! ババババババ!
周囲に弾幕を張るが、三頭に当たっただけで、他の猿は怯むことなく究理に迫る。
(チッ、間違えた!)
彼は、もっと慎重に進み、離れた場所からグレネード弾をランチャーで打ち込むべきだった。慌てて作りたての双対門を取り出すと、その裏側を猿に向けて、その陰から射撃する。
ババババババ! ババババババ!
ガンッ! ガンッ!
襲い掛かってきた猿が、双対門の盾に二頭続けて頭をぶつけてひっくり返った。双対門の裏側は、全てのエネルギーを反射する、完璧な盾となる。猿からすれば、硬い岩に頭をぶつけたようなものだったろう。射撃でも二頭始末したが、まだ十頭いる。
多少警戒したのだろうか、猿たちは双対門の盾を避けて、究理を取り囲んだ。
(今だ!)
「ンギャー」
一頭が叫ぶと、再び一斉に究理に襲い掛かろうとしたが、六頭の首が胴体と分かれた。近くで止まってくれたので、究理が次元切断したのだ。残り四頭。
ザリッ! ガブッ! ガブッ! ガンッ!
究理の服と肌を爪で引き裂く奴、右腕と左足に噛みつく奴。一頭は究理が盾で叩き落した。背中と手足に激痛が走るが、それ以上に悪臭の酷さで戦闘力を削がれた。
ガブッ! ザリッ! ガブッ!
ボタッ! ボタッ! ボタッ!
究理に猿たちが張り付いて離れなくなったとき、次元切断で残った三頭を始末すると、体を離れて地面に落ちていった。
(失敗した。一回戻ろう)
そう考えて盾にした双対門の扉を開けようとしたら、枠が歪んだせいで開かない。
(仕方ない、歩いて帰るか……)
彼にはもう声に出して独り言を言う元気もなかった。
(まずいな、方向が分からない)
猿との戦闘が始まってからは、藪漕ぎの草刈りをしていない。帰りは双対門を使うつもりだったから、来た道も記憶していなかった。
先に進めば、通ってきた道に出くわすかもしれない。そう考えて、血を流しながら藪漕ぎして進むと、開けた場所にでた。
そして冒頭の場面になる。
そこには、苔生した倒木に腰を掛け、木洩れ陽を浴びて微睡んでいる、可憐な白髪の少女がいた。少女の髪は、揺れる陽の光にキラキラと美しく輝いている。少女が座っているそのすぐ横では、少女を慕うように色彩豊かな小鳥たちが静かに羽を休め、少女の肩や膝の上にはリスたちが乗っている。その水色の衣装は木々の緑に解け込んでいた。
究理にとって、その少女はまるで森の妖精のようだった。
「……ほぅ」
彼が、少女の美しい佇まいに思わず感嘆の声を漏らすと、少女はおもむろに瞼を開き、究理の姿を目にして口を開いた。
「おっさん、何してんの?」
「俺は……」
その問いに答えようとした究理だったが、気力が限界を超えて、その場で気を失った。
P320に9ミリを装弾するときはもっと多く撃てますが、究理は、あまり意味ないんですが、他の弾に変えたときに残段数を間違えないようにと、12発装弾で揃えるようにしています。




