04 科学者、研究の始まりを語る 1
ウラリンボーグ王国の第三王女であるエレノーラは、暇さえあれば知識や情報を集めることが日課になっている。それも公務ではなく趣味として。そして、今日もまた王宮の図書室から持ち出した本を読み漁っていた。今読んでいるのは古代魔術について書かれたもので、内容の信憑性は薄いが、彼女はその内容に物語を読むような楽しみを覚えていた。最もそれは、傍から見れば数学者が難しい数式を見て北叟笑んでるようなもので、周囲の人間からはあまり理解されていなかったりする。
そうしてエレノーラには、部屋の奥でひそひそ話しているメイドたちの声がかすかに聞こえてくる。
『ねえねえ聞いて。姫さまったら、また難しい本を読みながら微笑んでるの』
『ええーっ、私あの本、姫様に頼まれて図書室から持ってきたときに中身を見ちゃったけど、難しいことばっかり書かれてて、笑えるようなお話なんて書いてなかったわよ?』
『だから変だって言ってるの。ボスパル子爵の末のお嬢様は、お兄さま方やお姉さま方に虐められておかしくなっちゃったっていう噂だし、姫様は大丈夫かしら?』
『ちょっと、そんな場末の貴族と王族を一緒に考えちゃだめでしょ。姫様のご兄弟はみなさん立派な方ですよ』
『じゃあ、本の読み過ぎかしら?』
『本ばかり読んでないで、もう少し体を動かされたほうが、心も落ち着いて良ろしいでしょうに』
「……ふぅ」
エレノーラは、メイドたちの内緒話に呆れて本を閉じ、深く溜息をついていた。
「シリモンチェ。そこにいるのでしょ?
これは、あなたの仕業ですか?」
エレノーラがやや厳しめにそう言うと、奥から一人のメイドが姿を現した。
「よくぞお気づきで。おの娘たちには、聞かれてはまずい相手についつい聞かれてしまう噂話の練習をさせていました。具体的な内容は、ここでは聞くことが出来ない厨房で話されていたものです」
「つまり、実際に私が気味悪がられていると?」
「心配されているのです。少しは庭園を散歩なさるとか、されたほうがよろしいのではないでしょうか」
「考えておきましょう。それで今日はどのような報告を?」
シリモンチェは王宮ではメイド姿になっているが、エレノーラ専任の情報担当だ。今日もまた、奇妙な報告の為に顔を出したのだった。
「エレノーラ様。幽霊馬車騒ぎでボマルパーダ辺境伯領に送った情報員から、最近、理由も無く、領内の盗賊の捕縛数が減ってきているという報告が上がっています」
「それは、何か理由があるはずなのに、何も原因が思い当たらないということですか?」
「はい。最近になって特別に取り締まりを緩くしたわけでもなく、過去に厳しくした結果でもなく、平民の生活が楽になって盗賊に身を窶す者が減ったということもないし、警備兵が捕縛数を少なく報告しているわけでもないということです」
「でも、それだけでは報告してきませんよね。何か懸念していることがあるのではありませんか?」
「はい。報告の付記に『何者かが秘密裡に盗賊の討伐を行っているのではないかと思われるが確証はない』と書かれています」
「ボマルパーダ辺境伯領では、盗賊の捕縛に報酬は払われないのですか?」
「いいえ。高額ではありませんが、それなりの報酬は払われます。ですから、ハンターが盗賊の捕縛や討伐をした場合、それを隠すことはまずありません。例外として、平民が捕縛した盗賊が盗賊ギルドのような組織に属していた場合に、報復を恐れて届け出ないことはありますが、ボマルパーダ辺境伯領には、そのような組織はありませし、辺境伯が首魁ということもありません」
「そういうことなら、確かに奇妙ですね。それも幽霊馬車騒ぎのあったボマルパーダ辺境伯領で起きていると。
奇妙な話が続くのは気になります。人を増やして情報収集してください」
「御意」
* * *
メアリーは、究理と二人でいつもの食事、この国の人間からしたら異国情緒あふれる食事をした後、満くなった腹を食後に出されたコーヒーで落ち着かせていた。ただ、食事を終えたときは満足そうな顔をしていたのに、コーヒーを飲む段になって渋い顔をしている。
「どうした。このコーヒーはそんなに苦くはないだろ」
メアリーの表情の変化を見て取った究理が訊いてみた。
「私、コーヒーはあんまり好きじゃないのよね。
飲んでるときは気にならないけど、後で口が臭くなるから」
そう言われてみれば、最近は日本のテレビで食後の口臭の話題が少なくなったなと、究理も思い至る。昔は、関東人は朝食後に納豆臭く、関西人は昼食後にニンニク臭いとか言われていたものだ。最近話題にならないのは、各地で臭いが消えたわけではなく、どちらも全国区になっただけだったりする。
それでも究理は、あえて反論する。
「そんなに臭いか? 気にしたことないが」
「酔っ払いがお酒臭いのと一緒よ。たとえ飲んだのが芳醇な香りのお酒だったとしても、飲んだ人が後になって饐えた臭いを撒き散らすの。
コーヒーの臭いは、あれと一緒よ」
「コーヒーが後で臭くなるとしても、メアリーなら自分の体の悪臭は自分で消せるだろ」
究理がそう言ったのは、メアリーが俗にいう白魔法使いで、自分自身に清浄魔法を掛けて汚れや悪臭を取り除くことが容易に可能だったからだ。最近でこそ夜は自宅で入浴しているが、究理と出会う前は清浄魔法で奇麗にしていたし、究理と新たな異世界に転移したときは、拠点を構えて入浴可能になるまでの間、やはり魔法の世話になっていたのだ。
そのことを指摘されたメアリーは、意外な真実を告げた。
「コーヒーの悪臭は自分だと気付きにくいのよ。それに清浄魔法だと食事の後味や匂いも消えちゃうから、お腹いっぱい食べた後ですぐにやると、お腹が苦しいだけで食後の満足感が無くなっちゃうのよ」
「ふーん、そう言うってことは、試したことがあるってことか。
中々難しいもんなんだな」
メアリーが勤勉であることは知っていた。
彼女が究理に保護された後、日本のアニメで空想上の様々な魔法を見て、新しい魔法を研究していることも知っている。日本にいる間は、精霊だか魔法の素だかが不足していて、考え付いた魔法がほとんど試せないと嘆いていたが、こっちの世界に来てからは楽しそうにしているから、何かしら成果があったのだろう。
究理とメアリーは、山越えを終えて、この異世界に来てから最初に拠点を構えた国の南側に位置する隣国に来ていた。そして、この国で改めて家を借りて、そこを第二の拠点にしたのだった。態々山越えをしてまで隣国に来たのは、第一拠点とした地が交通網が発達する前のシベリアのような土地だったからだ。当時のシベリアと同じく、未開の土地と言ってもいい。生活拠点にするには不適当だから、南隣にあるこの地に移り住んだのだ。
ただし、第一拠点は今も残してある。そこを残しておけば、山越えせずに二つの国を自由に行き来できるからだ。旅商人のように、互いの土地で手に入りにくい物を売り買いすれば、そこそこの収入が得られる。
こういう行為は、おそらく密輸かつ密入出国とかになるのだろうが、まだ両国の法律は確認していないし、究理は異世界での脱法行為をあまり気にしない人間だった。こういう奴がいるから不法移民に対する風当たりが強くなるんだと非難されかねない考えだが、為政者が法律であるような未成熟な国では、法律自体が曖昧で、究理は法を守る必要性を見いだせなかったかのだ。
日本では、密入国者がよく言う『その国の法で守られないのなら、その国の法を守る必要はない』という考えは許されないものだが、異世界では違うのだ。
究理は新居を構えてからやっていることがある。
新居の街で治安の悪そうな裏道を見つけるたびに、態々そこに入り込んで、襲ってきた獣や盗賊を『収納』して回る作業だ。遙か昔のことだが、自分の拠点に空き巣が入ったことがあったので、新たな拠点を定める度に、拠点の治安を良くする目的で行っているのだった。盗賊は金目の物を所持している可能性はあるが、そんなことは気にしない。こんなところでカツアゲしてるような連中の所持金なんて高が知れている。だから、いちいち時間をかけて身ぐるみ剥がすなんて面倒なことはせず、まるっと収納。収納したものは、後でまとめてどこかに捨ててくる。収納の容量は無限なので捨てなくても問題は無いのだが、何かの拍子に出てきてしまっても困るのでそうしている。もしもこの世界の魂の数とか量とかが有限だったら、収納したままだと悪影響がでるかもしれないと懸念したということもある。
だから収納した汚物は、定期的にどこかに捨ててくることにしている。活火山の火口とか、大海原のど真ん中とかに。盗賊を警備兵に引き渡したりはしない。縛り上げてあるわけではないので、解放したとたんに襲ってくるかもしれないし、究理のアイテムボックス擬きの次元操作の情報を漏らすことは危険だからだ。
捨てる際は、ディスポーザーみたいなもので粉砕して、さらに焼却処理すれば近くの川にでも捨てられそうだが、魂の再利用ならそのまま捨てて来る方がいいだろう。それなら余計な手間も掛からない。
ちなみに二人は、この世界に来てから、まだ日本には戻っていない。
戻ることは可能なのだが、戻るにはこの世界に来た時に雪山の頂上に設置した『異世界の門』を使う必要があり、一時的とはいえ寒い思いをして行くのが面倒だった。また、日本で何かあったときに本人証明が困難になっているという理由もある。究理は見た目が四十代、生きて過ごした時間は百二十歳を優に超えていて、その一方で戸籍上の年齢は九十代だった。役所で住民票を発行してもらう必要が生じたら、そのままでは本人として貰いに行くことが出来ず、老人に変装するか、代理人として受け取らなければならないのが実情だ。
それもあと何年続けられるかどうか。最近は死者の年金不正受給対策で、高齢者の生存確認が厳しくなってきている。究理は生きているが、戸籍上は後期高齢者であるにも関わらず病院には掛かっていないので、それだけでも疑われる状況になっている。いずれ役所が高齢者である究理の生存確認をしにくるのは間違いなく、そのときに本人だと主張しても信じてもらえないか、貴重な不老のサンプルとして目を付けられてしまう可能性もある。
今こうやって、異世界に移住する準備を進めているのも、そういったことが理由だった。
それでも、食材や生活用品を手に入れるために、いずれまた行くことにはなるだろう。今日の食事の材料の多くは日本で仕入れてきたものだったし、コーヒーも日本で買ったものだった。この世界の食材は、鮮度がいまいちだったり、品種改良されていなくて不味かったり毒が有ったりする。当然、飯屋で出される料理も不味い。この世界でもコーヒー豆は売られているが、高価なうえに焙煎状態が良くない。そういった理由で、日本で仕入れた食材を自宅で調理して食べることになるのだった。
究理は、いずれ王都の近くに第二拠点を移動することにしている。そのときは、あまり期待していないが、貴族が使うような高級料理店を試すつもりだ。
とにかくここは田舎過ぎる。領主邸がある街であってもろくな店が無い。住んでいるのが田舎者しかいないし、領主も一年の半分は王都に住んでいて、ここにはいないのだから、街が発展するはずもなかった。




