03 科学者、山道を行く 3
「兄さんよー、この辺で翼龍を見なかったか?
峠の向こうからは見えてたんだが、峠を越えたら見当たらないんだ」
禿げ頭の方の荒くれ者の剣士が究理に向かって声を掛けてきた。その言葉だけ聞くと魔物を狩っていたハンターのように聞こえなくもないが、その態度はどう見ても盗賊だ。
だから究理は、警戒してすっとぼけた対応をする。
「翼龍だって?
さあ、気が付かなかったな。
そんな大きなもの見落とすはずがないからな。
向こうで赤ん坊の泣き声みたいなのが聞こえたから、それじゃないのか?」
「おいおい、巫山戯たこと言ってんじゃねえよ。
ありゃあ俺っちの獲物なんだ。
見失ったってんなら、責任取ってもらおうか」
案の定、意味不明な恫喝をしてきた。
「呆れた山猿だ。理屈が理屈になっとらん。
もう少し反論の余地のない理屈を言うことはできないのか?
まあ、人並みの知恵が無いから、こんな山奥で猿のような生き方をしてるんだろうがな」
「なんだとう!?」
「相手を騙す演技がまるでなってないと言ってるんだ。
おまえたちが隠れて翼龍を手負いにして、あいつに俺たちを襲わせる気だったってことは、とっくにバレてるんだよ」
「けっ、わかってんなら話がはえぇや。死にたくなかったら、その娘と馬車を置いて、その崖から飛び降りな。そうしたら命だけは助けてやるぜ」
「ほぉーっ。その断崖はかなりの高さがあって、雲から下が見えていないんだが、落ちても死なないっていうのか?
なかなか興味深いな。
見たところ、崖の途中にぶつかって大怪我しそうなもんだがな」
「なあに、思いっきり遠くに飛べば大丈夫。あの白い雲が綿のように受け止めてくれるのさ。俺が保証するぜ」
「子供の妄想か。やはり山猿の言葉には重みが無いな。
無意味な嘘を喋る暇があったら、さっさと襲ってきたらどうなんだ。
根性無しの盗賊だな。
そもそも、こんな街から離れた山奥でないと仕事ができない時点で、無能な盗賊なんだろ?」
「なんだと、この野郎!
おう、相手は一人だ。てめぇら、やっちまえ!」
三文小説やドラマで見飽きたような展開になったが、究理は気にすることなく悠然としているどころか、どこぞの空手家のように手招きして見せている。その態度に益々腹を立てた男たちが、一斉に究理に襲い掛かろうとして……、三人揃ってするっと足を滑らせた。
すてーーん! しゅるしゅるしゅるしゅる!
究理は、彼らの足元の地面に摩擦係数ゼロの防護障壁の床を張っていた。罠を仕込んで挑発していたのだ。そこに駆け足で乗った彼らは、まるで革靴で氷の上に降り立ったときのように、音を立てて仰向けに転んで、独楽にでもなったかのように、ぐるぐると体を回転させていた。
「てめぇー! 何をしたーー!」
「誰かー! 止めてくれー!」
「わぁあああーー!」
「おーい。危ないから、早く止まったほうがいいぞー」
究理が、揶揄うようにそう声を掛けるが、摩擦係数ゼロだから男たちが手をついたところで止まるはずがない。地面に刃物を突き立てて止まろうとしても、防護障壁には刺さらず、傷ひとつ付くことは無かった。しかも、男たちは無理して立とうとするものだから、その度に転んで余計に回転の勢いを増していった。そして、同じことを何度か繰り返した結果、三人は仰向けで勢いよくぐるぐるぐるぐると回転しながら、揃って峠の崖から飛び出していった。
「「「ぎゃああああぁぁぁぁ…………」」」
がつっ!
ぼきっ!
ごきっ!
男たちの叫び声が徐々に遠ざかって行きながら、肉体の破壊音が聞こえてくる。
究理が滑る床を消して崖の向こうに頭を出して下を覗き込んで見ると、男たちが急峻な崖の岩肌に何度も頭や手足をぶつけて、血飛沫を上げながら数百メートル下に見えている雲海に突っ込んで姿を消すのが見えた。雲の下がどうなっているのか見えていないので、その後彼らがどうなったのかは分からない。
「ふ-ん、ここを飛び降りても死なないと言ってたのはおまえらだからな。
まったく、あんなのがいるから峠の茶屋が出来ないんだよ」
その後、究理は何事もなかったかのように茶会を終わりにすると、出していた椅子やテーブルを一瞬で消して、馬ソリに乗り込んでいく。
「終わったの?」
メアリーが平然として問いかける。この手の荒事を見るのに慣れているのかもしれない。
「ああ、ゴブリンの群れに比べたら他愛もない山猿だったよ。
メアリー、疲れたんなら、ベッドで休んでてもいいんだぞ」
「んー、初めて見る場所は興味深いから、このまま外を見てるわ」
「トイレはいいのか?」
「とっくに済ませたわよ」
メアリーが素っ気ない返事をしたのは、 究理のデリカシーのなさに不満があったからなのだが、かつては大便だの小便だのという言い方をされていたのを考えれば、かなりマシになってはいた。
そんなことより、読者にとっては会話に出てきたベッドとかトイレの方が気になるかもしれない。
馬ソリのキャビンはさほど大きくはない。中を覗き込んで見たところでベッドもトイレもないので、もし二人の会話を聞いていた者がいたとしたら、とても奇妙に思っただろう。だが、キャビンの奥には小さな扉があり、それはこの世界の街外れに 究理が借りている家の一部屋、気圧緩衝室と繋がっていた。気圧緩衝室というのは、潜水艦やSFの宇宙船にあるエアロックのようなものだ。高度の違いによる気圧差なら関係ないのだが、天候による気圧差のあるところを行き来するときは問題が発生するので、その為に用意してある。東京ドームの回転ドアのような作りでもよいのだが、一部屋余計に使う方が簡単だった。
二人は、この扉を通じてその家に戻って、借家のベッドもトイレも自由に使うことができた。だから、旅先では常に宿に泊まらず野宿で済ませ、それで困ることはなかった。さっきは気晴らしに外でティータイムにしていたが、借家に戻って食事することもできる。
そもそも、いろいろとある異世界の中には、一般人に『旅行』という概念がなくて、旅人相手の宿というものが存在しないことが珍しくない。そういう世界では、貴族であれば貴族仲間の屋敷を、旅商人であれば商人ギルドを、巡礼者であれば教会を宿代わりにする。貴族のような見た目の 究理だったが、彼には異世界の貴族に友人などいるはずもなく、彼が旅先での野宿に備えるのは当然であった。
それ以前に、異世界では『人』に該当する存在が見当たらないケースの方が圧倒的に多い。そのようなときは、自分で小屋を建てて拠点にする。あるいは、異空間に用意した小屋を使うこともある。
「では出発するか。今日中に山裾の街まで下りられるかな?」
「拠点にした街で手に入れた地図が当てにならないんでしょ?
分かるわけないじゃない。
この国の人たちって、師匠の国の地図ほど細かくなくてもいいけど、もう少しまともなものを作れないのかしら」
「そもそも正確な地図が作られていないってのはその通りなんだが、たとえ作れたとしても、名目上は詳細な地図は軍事機密ってことになってるからな。
しかも今いる所は、俺たちが拠点を構えた街とは別の国だ。
こっちの国の詳細な地図なんか手に入るわけがない」
「それにしては結構細かく書いてあったじゃない」
「辺境の地っていうのは、案外、隣国の方が詳細で正確なのを持ってたりするもんなんだよ。この辺りの地図は、この国では軍事機密だけれど、隣国ではそうじゃないからな」
「なにそれ。だからって、隣国の密偵がそこまで正確な地図を作れるものなの?」
「隣国を訪れた商人から訊き出したり、地図を買ったりするんだよ」
「地図がないって話をしてたんじゃなかった?」
「商人にとって、地図の正確さは儲けに関わってくるからな。
連中は自分たち用の地図をこっそり作って持ってるんだよ。
ただしそれは、国内だと違法だから表には出てこない。
当然、よそ者である俺達の手にも入らない」
「商人が勝手につくれるなら、国や領主にだって作れないの?
この世界の技術レベルなら測量くらいはできそうだけど」
「いくら測量技術があっても、手間とお金をかけないと駄目なんだよ。
正確な地図をつくるってのは、大事業なんだ」
「ここの地図には、お金をかける価値がないと思われてるってこと?」
「その金がないんだろ。
本来は国家事業なんだけど、大国になればなるほど国境線が長くなる。だからこういった地図の作成が領主まかせになる。隣国に攻め入るときに使う道なら金も掛けるけど、この道を使うのは、地元の辺境伯か、旅商人ぐらいだからね。
地図を作る費用を旅商人から巻き上げる関税で賄うことも出来るけど、それだと、ただでさえ少ない旅商人が来なくなってしまう。
商人には来て欲しいから、地図を作らないという結論になるわけだ」
「なによ、その屁理屈。
地図がいい加減だから、商人が来ないんじゃない。馬鹿々々しい」
* * *
「エレノーラ様、アガグレアの幽霊馬車の調査報告が届きました」
「そう、思ってたよりも早かったですね」
シリモンチェがその報告をしたのは、最初に幽霊馬車の話をしてから三週間後のことだった。問題の辺境伯領まで馬車で往復するだけで二か月、山に入って確認するのに最低一週間は掛かることを考えれば、異例の早さであった。
「調査の結果、噂の場所に街道整備された形跡はないということです。
目撃された山の近辺には翼龍が巣食っているので、その影響で今後も街道を作ることが出来ないし、作ったとしても隣国が行軍させることは困難だろうということです」
「そうですか。それは一安心ですね。
ボマルパーダ辺境伯には疑いをかけて悪いことをしました」
シリモンチェの報告に、エレノーラは少しだけ安堵した。
「この国の辺境伯領の中には、この国よりも隣国との交流の方が盛んなところもあります。ボマルパーダ辺境伯が隣国と親しくしているのも事実です。
我が国としては平和的な関係を続けられることが望ましいのですが、向こうは南方への国土の拡大を虎視眈々と狙っている国です。
ですから、辺境伯領の動静に警戒することは間違っていないと思われます」
「まあ、その通りですね。
それで、噂の幽霊馬車は結局何だったのですか?」
「それなんですが、どうやら馬車は実在するようです。正しくは馬車ではなく、馬ソリだったようですが、山腹の峠の近くで、直接目にした者たちが複数確認されました。その者たちの言によれば、雪のない山道で車輪の代わりにソリを付けた二頭立て馬車に出会ったということです」
「馬ソリですか? そんなものが山道を?」
「はい。馬たちは普通に地に脚を付けていたものの、ソリに載せられたキャビンが宙に浮いていたということです。そこには御者の他に、黒髪の壮年の男と、白髪の少女が乗っていたようです」
「その一人が魔術師で、魔法を使って浮かせていた、ということですか?」
「魔道研究所で訊いてみたのですが、そのような魔法はないということでした。一時的に物体を浮かせることは可能ですが、馬車のキャビンを常時浮かせたまま走らせることは不可能だと。それが可能なら、とっくにそういう馬車が王都の街中を走っているだろうということです」
「確かに、それは道理ですね。
それで、幽霊馬車の、その後の行方はわかりますか?」
「いえ。その後の目撃証言は得られませんでした。山の中で、ソリを付けていたので目立ちましたが、街で普通に車輪を付けたら目立ちませんので、目撃証言を追うのは難しいでしょう」
「そうですか。引き続き情報を集めてください」
「御意」




