02 科学者、山道を行く 2
要するに究理は科学者であって、魔法使いではない。そして彼は、この世界には自力で勝手に来ているので、魔法や特殊技能を授けてくれる神にも出会っていない。科学者として、世界の真理を司る神には是非とも会ってみたいと常々思っているのだが、その願いは未だに叶っていない。
そういうわけで、彼は魔法があたりまえのように存在するファンタジーのような異世界に来ても、魔法を使うことは一斉できなかった。道具も無しに火を熾すことなんか出来ないし、指の先から一滴の水も出せないし、身体を動かすこともなく風を吹かせるなんてことも全くできない。
しかし、彼が訪れた先々では、魔法が実在する世界ではもちろん、魔法が夢物語の地球であっても、彼と出会った人間の多くが彼のことを魔法使いだと考えていた。彼は自らが開発した多次元操作技術を使って、アイテムボックス、障壁魔法、結界魔法、封印魔法などと同等の力が使えたうえ、収納バッグ、超高水圧銃、熱線砲、双対門(転移門)といったマジックアイテム擬きを作り出していたからだ。ここに来るときに乗っていた浮遊ソリもその成果のひとつだ。そして異世界に行く際には、元いた世界から銃器や対戦車ミサイルなどの既製品の武器や現代兵器を持ち込んでいた。
だからこそ彼は、魔法使いと認識された。SF作家のアーサー・C・クラーク氏も言っていたではないか。「高度に発達した科学技術は、魔法と区別がつかない」と。
彼と旅を共にしていた少女の名はメアリー。本人が誕生日を覚えていないので年齢ははっきりしないが、その見た目はおよそ十五歳。白人の顔つきなのでそう思われるが、日本人からしたら十八歳に見えなくもない。
彼女は、こことは別の異世界で 究理が保護した孤児で、治癒魔法、回復魔法、浄化魔法、造形魔法といった白魔法を得意とした魔法使いだ。それらの魔法は、究理が今もって多次元操作技術では実現できていないものだった。彼は、彼女を保護して自由を与えたのと引き換えに、彼女を自分の助手兼弟子にして、自分の研究の手伝いをさせている。
彼女の髪の色は、帽子を被ったときは白髪にしか見えない。究理が初めて彼女と森の中で出会ったときは、彼女の白い肌と相まって森の妖精か何かかと思ってしまったぐらいに神秘性のある姿だ。彼女の耳は普通の人間の耳の形をしていたが、もしも彼女の耳が長くて先が尖っていたならば、彼女のことをファンタジーに登場するエルフと思ったかもしれない。
だが、本当のメアリーの髪は白髪ではない。究理と出会ったときは帽子を被っておらず、それでも真っ白な髪であったが、今は帽子を脱ぐと毛の根本に色がついていて、地毛がブルネットの系統だと分かる。 究理に保護される以前は、白魔法を使う彼女が「ブルネットでは白魔法使いらしくないから」という理由で、所有者の命令で脱色させられていたのだ。今は徐々に本来の髪の色に戻りつつある。
帽子を被っているのは、天頂部だけに色がついているのを彼女が恥ずかしがったからだ。金髪に黒い地毛が見えていることを『プリン』と言われることがあるが、彼女は自分の姿が『白髪の河童』みたいなのが嫌だという。彼女の生まれ育った世界に河童やそれに類する魔物は存在しなかったが、 究理に保護された後で、日本の文化を学んでいるうちに河童を知ったので嫌になったのだという。日本の河童が、切り落とした腕を繋ぐ膏薬を持っている話を聞いて、治癒魔法を使う自分と重ねてみてしまったのかもしれない。 究理は白髪の河童の話を聞いた覚えが無かったが、本人がそういうのだから仕方がない。もしかしたら、白黒の挿絵をみて誤解したのかもしれないが、余計な口出しをするのは差し控えたのだった。
彼女は、すぐにでも本来の色に染め直してしまいたかったのだが、元の色を覚えていないので、もう少し伸びて地毛の色がはっきりしたら、その色で染色し直すことにしている。
ちなみに二人の本当の年齢については、 究理にしろメアリーにしろ、異世界を渡り歩いている時点で曖昧になってしまっている。 究理は、日本に戻れば戸籍上の年齢があるのだが、それには時間軸の違う異世界で過ごした時間が加味されていない。生きて過ごした時間を言うなら、究理は既に百二十歳を過ぎているので、戸籍上の年齢は全く意味のない年齢だった。その一方で、異世界で未来科学の治療を受けて肉体的に若返ってたりもする。それ以外にも、治癒魔法を受けたり、回復ポーションを飲んだりしたことも影響しているのだろう。見た目だけは四十代を保っており、現在の肉体年齢が何歳なのかも全くわからないのだった。
* * *
究理は、メアリーと二人で峠からの景色を眺めながら、ゆったりと茶会をしていた。断崖絶壁の眼下には雲海が広がり、遠くに白い雪に覆われた別の山の山頂が頭を出している。そこは二人がこの世界に来た時の出発地点であった場所で、一度向こう側の麓の街に降りて拠点を構えた後、山岳地帯の反対側の街に移動する際に、近道として再度その山頂から移動してきているのであった。何言ってるのか分からないかもしれないが、まあいずれ分かるだろう。
究理は、その景色を眺めながら有名な詩を思い出す。
「思へば遠く來たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯氣は今いづこ」
[中原中也作 詩集『在りし日の歌』に収録された『頑是ない歌』の冒頭より引用]
しみじみと感慨に耽っていると、突然、何かが雲海に大きな影を落とし、赤ん坊が怪我をしたときのような、耳を劈く叫び声が、汽笛よりも激しく雲海の空に鳴り響いた。
「ブギャーーーー」
何事かと思って見上げてみたら、いつのまに現れたのか翼龍が飛んでいた。その姿は古代生物のプテラノドンに似ていなくもないが、トカゲのような頭と口で、羽の形状は蝙蝠に近い。また、蝙蝠と同じように、身体全体が体毛で覆われている。プテラノドンにも実は体毛があったと言われているが、翼龍がプテラノドンと明らかに違うのは、飛行の邪魔にしかならないトカゲのような尻尾があることだ。
その大きさは、胴体だけならそれほどでもないが、両翼の端から端までが十メートルぐらいある。こいつは肉食で、人間も襲う危険な生き物だ。それが一頭というのか一羽というのか知らないが、断崖を噴き上げてくる上昇気流に乗って、その上空をトンビのように滑空している。
それが叫び声を上げていたわけだが、あの手の生き物は、獲物を狙っているときに声を出したりはしない。そんなことをしたら獲物に逃げられてしまうからだ。叫び声を上げたということは、仲間への呼びかけか、でなければ威嚇すべき相手が近くにいて、すでに戦闘状態に入っていることを意味している。しかし上空には、見えている翼龍の他に飛んでいるものは見当たらない。そして翼龍のギラギラとした敵意は、明らかに 究理たちに向けられていた。
「師匠、今度はいったい何をしたんですか?」
「さて、俺はまだ何もしていないぞ。
あいつを怒らせた覚えはないんだが、何があったんだ?」
「寝ていたあの子の尻尾を踏んだとか、卵を割ってしまったとか、覚えは無いんですか?」
「それだったら、その場ですぐに襲ってくるよ。
さて、何なんだろうね」
「かなり怒ってるけど大丈夫なの?」
「それは問題ない」
翼龍はドラゴンではないので、火炎を吐いたりはしない。どこぞの怪獣のように超音波メスを放つこともない。攻撃に使うのは手足の爪だ。手足の爪が鋼鉄かミスリルのように強靭で、その足は岩をも砕く力がある。今いる世界では、騎士団の魔術師が張った魔法の防護障壁を、翼龍が足の爪で打ち破った記録も残されている。さらに、その翼にも小さな爪があり、相手を掠るように飛んで、その肌や首筋を切り裂くこともあるという。つまり、かなり強力な魔獣だ。
もしも翼龍を討伐しようと思ったら、五倍の数の魔術師を用意する必要があるといわれている。
そんな翼龍に目をつけられたというのに、究理は恐れることも無く、のんびりとした態度を続けていた。
やがて翼龍は、究理に向かって狙いを定めて、今度は無言で猛スピードで飛んできて、彼に掴みかかろうと脚を前に出したそのとき……。
どがっ!!
べきっ!!
「グェーー!!」
見えない壁に鼻先から体当たりしてしまった翼龍は、潰れた口先から血を吐きながら断末魔の叫びを上げて地面に倒れ伏した。首がZ字に折れていて、辺りには大きな爪や牙や内臓や脳髄が飛び散って転がっている。最期の声は、悲鳴というより、身体から押し出された気体が声帯を震わせた音だったのだろう。
究理にとって、翼龍なんぞ、どうということもない相手だった。彼が苦手とするのは、小さくて数が多い、大地を埋め尽くすような蟻とかネズミの大群とか、あるいは大空を覆い尽くすような蜂とか鳥の群れとかであって、一個体の大型生物は彼の敵ではなかった。
今回、究理がやったことといえば、ティータイムの前に不可視の防護障壁を張っていただけだった。他に、何ひとつ攻撃はしていない。特別なことがあるとすれば、その防護障壁が多次元操作技術の産物で、この世界の魔法使いが作るものとは強度と剛性がまるで違うことぐらいだ。そこに体当たりした翼龍は、猛スピードで電柱に衝突した軽乗用車とか、三十メートルの高さからアスファルトの道路に落下した人間のようになったのだ。
究理が哀れな死体を多次元操作のアイテムボックスに収容すると、それで翼龍との戦闘は呆気なく終了した。
ただ、死体を見て気になることがあった。
「どうかしたの?」
「手負いだったようだな」
メアリーの問いに、究理がそう答えたのは、翼龍の死体に数本の矢が刺さっていたからだった。それは翼龍にとっては些細な傷であって致命傷ではなかったが、人に例えるなら、数本の針に刺された程度の煩わしさはあったはずだ。
「つまり誰がやったか分からないが、弓矢で攻撃されて怒ってたってことなんだが。それなら、ちょっと可哀そうなことをしたな」
「あの翼龍が被害者で、急なことで誤解したとはいえ、無関係な師匠の命を狙って襲ったのですから自業自得です」
「それにしても、誰の仕業なんだ?」
そう言って周囲を見回していたとき、峠の向こう側から肉付きのいい身体をした三人の男たちが姿を現した。ハンターだか武芸者だか知らないが、見るからに荒くれ者たちだ。二人が剣を肩に担ぎ、一人は弓矢を背負って棍棒を手にしている。要するに臨戦態勢だ。こちらが武器を手にしていないせいか、威嚇するのみで警戒はしていない。剣を担いだ男の一人は禿げ頭で、もう一人はモヒカン。別に世紀末のスタイルではない。地球では紀元前から存在する歴史あるヘアスタイルだ。
そんな汚物が、ニヤ付いた顔で武器を抱えて近づいて来た。




