プロローグ
――かつてこの国は、風に香り、土に祈り、天に倣う国であった。
八百の山に神を宿し、海より運ばれる命を尊び、
人はただ静かに暮らし、季節のうつろいを愛していた。
この国の名を「桐原」という。
外と交わらぬ、鎖の国。
すべての異を拒み、己が道を貫く誇り高き島国。
それ故、戦もまた絶えぬ世であった。
――砲火に包まれた野原
そこは、戦の跡、残された怨念の渦巻く地。
人の恨み、死してなお残る憎しみが、亡者のごとき影となって彷徨う戦場。
そこにただ一人、踏み入る者がいた。
「……また、ここもか」
黒い外套を揺らし、齢を重ねた白髪の男が、ひとつ嘆息する。
その男はただひとり、怨霊と化した兵たちを静かに斬ってゆく。
ざっ――
ひと振りの太刀に、怨念が光となって散っていく。
「さぞ、無念であったろう。もう…眠るがいい」
幾百の魂を弔いながら、彼の眼差しは、ふと一箇所で止まった。
――屍の山の陰。
泥にまみれ、血の海に沈む小さな体。
けれど、その目だけが、生を求めて弱々しくも瞬いていた。
「……まだ息はあるな」
男が近づくと、その子は微かに身を引いた。
喉を鳴らす声すら出せぬほどに、飢え、傷ついていた。
男はその子を抱き上げた。
血に濡れた小さな体は、まるで亡者と見紛うほどだったが
その胸には、確かな鼓動があった。
「…命ある限り運命など、如何様にもなる…踏ん張れよ」
名も、誰かも知らぬ。
しかし、どこか心が安らぐ。
まるで――“親”のような存在。
少年は腕の中で静かに眠りについた。
――翌朝、深山の奥に建つ古びた屋敷
まぶたの奥、光がゆっくりと染みてくる。
ざらり、と敷き布団の感触。
火鉢の残り香、湯気を含んだ空気。
少年が目を開けたのは、
瓦屋根と木の香が広がり、あちこちに豪華な装飾の施された見慣れない和室だった。
「……ここは……」
いつの間にか、汚れて傷だらけだった体は綺麗に手当されている。
見知らぬ場所だが、不思議と心が落ち着く。
昨日までの喧騒と、死の匂いのない世界。
「おや、お目覚めになりましたか」
声がした方を向くと、
そこには、黒い装束に白いエプロン、フリルのついた頭巾をかぶった――
「……な、なんだそのカッコ」
見慣れない姿でうっかり口に出してしまった。
「わたくし? あらやだ、”メイド”ですよ。坊や、メイドをご存じありませんの?」
長い黒髪で、背の高い女がにっこりと笑っている。
彼女の後ろには、物珍しげにこちらを覗くメイドたちが数名。
どこか素朴で、どこか幻想的な雰囲気をまとっていた。
「めいど……?」
「ふふふ、ここは“お屋敷”ですもの。お仕えする身として、当然の姿ですわよ?」
と、廊下の奥からは――
「おうッ!起きたか坊主!」
ガラッ、と音を立てて、年季の入った扉が開いた。
入ってきたのは、黒い外套を脱ぎ、袴姿となったあの老人。
昨夜、怨念の戦場で少年を拾った張本人だ。
恐ろしく声が通る…
「腹が空いておるじゃろう?まずはメシじゃ!」
少年は言葉に詰まり、ただこくんと頷いた。
「うちのモンは腕がいいぞ…驚くなよ?」
老人はニヤっと笑って従者たちに合図を出すと、みな続々と仕事にかかる。
少年は大広間に案内される。
しばらくして、メイドたちがほわほわと湯気の立つ膳を運んできた。
焼き魚に味噌汁、炊きたての白米。
「皆、揃ったな」
老人のひと声に、メイドたちもずらりと並ぶ。
白エプロンに和装を基調とした独特なメイド服が、色とりどりに広がっていた。
その光景に、少年は思わず目を見開く。
誰もがあたりまえのようにそこにいて、微笑みをたたえている。
「では――命に、感謝を」
全員が手を合わせた。
「いただきます」
声がひとつになり、静かな木造の屋敷に響いた。
その一言だけで、心があたたかくなる。
みんなで同じ飯を食う――
それだけのことが、こんなにも幸福なのか。
少年は、炊き立ての白米を一口、そっと口に運ぶ。
「……うまい……」
熱さが喉を伝い、あたたかさが胸にしみる。
昨日までの飢えも、孤独も、忘れるほどに。
「カッカッカッ!そうじゃろう!」
「ふふ、坊やの口にも合うようで、よかったですわ」
食事が進み、ほどなくして老人が話始めた。
「さて、そろそろ自己紹介といこうかの?」
老人は姿勢を正すと名乗り始めた。
「改めて…儂の名は刻盛。十五夜一族の8代目当主である!我ら一族は剣を生業としてきた。」
「そしてこやつが……」
刻盛の隣に座っていた背の高いメイドが向き直り、
「刻盛様の妻、千代でございます。このお屋敷のメイド長を務めております♡」
とニコッと笑ってみせる。
「お主、名はなんと言う?」
刻盛に訊ねられる少年。
「…知らない……親…いないから…」
そう答えるしかなく、項垂れてしまった。
自分が何者かも分からない、虚しさが心に広がる。
余計な心配をかけてしまっただろうか……
「そうか、なら儂がつけてやるわ」
「えっ……?」
信じられないくらい軽い返事に驚いてしまった。
動揺する少年を気にもとめず、考え始める刻盛。
「…うーむ、そうじゃなぁ」
――九郎
「今日から、お前の名は九郎じゃ。儂から繋ぐ九つ目。苦労人のお主は生まれ変わる。希望の名だ」
九郎――
その響きに、少年は初めて“自分”という形を与えられた気がした。
メイドたちが、ぱちぱちと拍手を送る。
「九郎様、どうぞよろしくお願いしますね♡」
「ふふっ、これからお屋敷はにぎやかになりますわ~!」
「ちゃんとお風呂もありますからね!いっぱい汚れ、落としましょっ!」
そんな軽やかな声に、九郎は戸惑いながらも、
どこかほっとするような、あたたかな胸の高鳴りを感じていた。
「っ…、ありがとうございます……!!」
気がつけば涙が溢れて止まらなかった。
この屋敷が、確かに自分の居場所になるのかもしれない。
苦難の運命を越えて、名を得た少年の物語が、静かに始まっていく。
――ほどなくして、
どうしても気になっていたことがあった。
「ところで……その、皆さん、どうしてそんな格好なんだ……?」
九郎がぽつりと訊ねると、刻盛は箸を止め、
まるで“待ってました”とばかりに大げさに頷いた。
「うむ、よくぞ聞いてくれた! 実はな――」
ぱぁん! と手を叩いて、立ち上がる。
「この国、“桐原”はご存じの通り鎖国状態じゃ!
外の文化は忌み嫌われ、異端とされる! だが!!」
ビシッと指を天に向けた。
「わしは! 異端上等! !大うつけ者よ!!!」
「はぁ……?」
九郎がぽかんとする中、メイドたちはくすくすと笑っている。慣れた反応だ。
「…刻盛様はもう滅茶苦茶な御方なんです……」
「ここ、お屋敷のある逢浜は山を降ると港町があるんですけど……時々、難破船が流れ着く事があるんです…」
「ある日、外国の商船が来たことがありまして……珍しいものに目がないご主人様は釘付けでした。以来、勝手に交易を始めてしまったのです……!お国に黙ってですよ…!?私……正直、胃に穴が開く想いでございました……」
千代が呆れ口調で話す。
「好奇心には勝てんじゃろ、みーはーなんじゃよ」
「また変なコトバを憶えましたのね…」
聞いているだけで当主に振りまわされる屋敷が心配になる。
「そこで儂はあるものを商船で見つけ、ふと言い伝えを思い出したのだ」
「昔々、天から舞い降りたという、“星の娘“と、
それに恋をした伝説の剣豪の話があってな。――もう、ろまんちっくじゃろ?」
刻盛はまるで恋する乙女のように頬を染める。
――星の娘、伝説の剣豪の恋
「……かつて、空が割れ、星が降った年があったそうだ。
空より舞い降りたひとつの光──それが、星の娘だった」
「人の形をしていたが、その瞳は空のように澄んで、言葉を知らず、服も持たず、ただ歩いて、歩いて…」
「異形と蔑まれ行き場を無くした娘は、地上を彷徨い続けた」
「地上は寒かった。孤独だった。彼女は彷徨い、飢え、やがて座り込んだ。……そこで出会ったのが、無口な剣豪」
「生涯無敗と伝えられるこの男、数多の戦場に現れては、外道を斬ってまわる修羅と恐れられていた」
「…だが、そんな男の目を惹くほどだったのか……」
「星の娘を見た剣豪は、何も問わず、ただ外套をかけてこう言った。
“うちに来るか?”……それだけだったそうだ」
「……短いですね」
九郎がポツリと。
「恋なんて、案外そういうものだろう。理由も、証明もない。ただ心が……ああ、この人だって、そう思う剣豪はその日から剣を捨て、娘と暮らした。笑いあい、喧嘩し、寄り添って、老いた。──その記録だけが、どこかの誰かがの筆で、こうして儂に伝わっておるのだ」
「九郎。儂は、これに憧れてしまった。
世界の理を越えてでも、人が人を愛せるのだと。
ならば、我が屋敷もそうでありたい。
流れ着いた星たちが、もう一度光を取り戻せる場所でありたい」
「この“メイド服”こそ、話に聞く星の娘に瓜二つなのだ。
ならば、わしはそれを再現したかった!
――夢を、居場所を、失った娘たちに、“憧れ”の形で新たな命を与えたかったのだ!」
メイドたちは、どこか誇らしげにその言葉を聞いていた。
「メイド服ってのはな、単なる格好じゃない。
傷ついた子らが、星の娘のように生まれ変わる“衣”なのだ」
「……それで、メイド文化を?」
「笑ってくれても構わんよ、九郎。だがな……お前もきっと、あの娘のような“星”に出会う日が来る。
だから、忘れるな。どんな星であっても、迎え、共に生きてよいのだ」
その言葉に、九郎は思わずメイドたちを見渡した。
誰もが、笑っていた。あたたかい、居場所を得た者たちの笑顔だった。
「……ろまんちっく、そんなにいいんですか……?」
九郎がぽつりと呟くと、当主は笑った。
「いいに決まっとる。ろまんちっくは、世界を変えるんじゃ」
それは、とても優しく、まぶしい朝だった。
――小さな星、メイドの土産。
刻盛が語り終えたあと、
九郎の目が、ふと膳の上に置かれたひと包みの和紙に向かう。小さな包み。赤い水引で結ばれたその中身は、食後の甘味。
「それは、“こんぺいとう”という。甘味じゃ、食うてみい!」
刻盛が笑みを浮かべながら、湯飲みに口をつける。
「初めて見るか?儂も最近知った!星みたいな形をしてるだろう?
少し前、千代とともに港の交易船を覗きに行った時、異国の菓子を売ってる商人がおってな。
珍しく千代の気にとまったようで、買うてきてくれたのだ」
「アレはその…とても可愛らしかったので……♡」
「お土産に丁度よいと思いまして……」
千代がくるくると髪を弄りながら恥ずかしそうに言う。
九郎はそっと和紙を開く。中から転がる、小さな小さな星たち。
淡い桃色、翡翠色、月のような白……まるで夜空がそのまま菓子になったかのようだった。
「異国では、祝いの品らしい。
角が多いほど“縁が多い”、つまり良縁を呼び寄せる、と聞かされた」
刻盛の視線が柔らかく揺れる。
「その商人が言っていた。“この菓子は時間をかけてしか作れない”と。
長い時間をかけ、少しずつ糖蜜をまとわせて星の形にするのだと──
つまり、手間と時間と、心がなければ、星は生まれない」
その言葉に、九郎の胸がじんわりとあたたまっていくのを感じた。
刻盛「人もまた、同じではないかと思ってな。
痛み、孤独、彷徨いを経て、ようやく誰かと出会い、星のように輝き始める。
お前も、きっとそうだ。これからお前は様々な経験を積む。金平糖のように時間をかけて育っていくのだ」
九郎はそっと一粒、金平糖をつまんだ。
舌の上で甘さがほどけていく。けれどそれは、どこか懐かしい、涙に似た味だった。
刻盛「この屋敷は、“そういう星”を迎える場所だ。
だからこそ、この菓子がふさわしいと思った。……冥土の土産には、ちょうどいいだろう?」
冗談めかしてそう言った刻盛の目には、どこか遠くの記憶がにじんでいた。
九郎はただ、静かに頭を下げた。
「……いただきます」
星を食べる。
それは、きっと命を受け継ぐということだった。
初投稿になります。
少しずつ投稿していきます。
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