丁々発止
プレッシャーをかけられている。
手帳には前回の高校三年間をすごした自分からの引き継ぎがあるんだが、
[すでにやったことリスト]
・夏の海辺の学習に参加した。
・
その末尾にこれが書かれていた。
いや―――なんなんだよこの〈・〉。
次、おまえがここに書けるようなことをするんだぞという無言の圧力は。
(まいったな……)
高校を出るために、もっと汗をかけってことか。
で、こういうリストをつくったってことは、きっと状況がよくないんだろう。
のんびり、ふつうの高校生活をおくってちゃダメっていう含みもあると思う。
「おれに相談?」
「ああ。まず、この手帳をみてほしいんだ」
「これか? ほう、なかなか重厚だな。革の質感もいい」
「ケイイチ。中をひらいてみてくれ。そこに印刷されたような字と、ぼくの字がある」
今日、もう一人の友だちの克樹は病欠していた。
克樹はいいやつで、相談したら本気でどうにかしようとがんばってくれる予感がするから、
まずは、肩入れしすぎず冷静に意見をくれる蛍一だけに手帳のことを話してみようと決心した。
「どうだ?」
「……」手帳に視線を落としたままで言う。「永太。その書かれている文字というのは……日本語なのか?」
「えっ」
「おれには、どこにも何も書かれているようには見えない」
なるほどな。
たぶんそうだと思ってて、ぼくはその事実――第三者には見えない――にはそれほどおどろかなかった。
手帳をスクールバッグの中にもどす。
「ごめん。今の……冗談。はは……ほんと、ぼくって笑いのセンスがないから」
「永太」ぼくの席の横に立っていた蛍一が、机に片手をついて身を乗り出してきた。ぼくはイスにすわっている。「おまえはこんな、つまらない冗談をいうやつじゃない。まだつき合いは浅いが、おれはそう断言できる」
近くの女子が「ひゃっ」と声をあげた。
近い近い。顔が。
近すぎて当たりそうだぞ。
「永太」
「うん、ちょっと寄りすぎだからさ……」
「おれは怒ってるんだ。おまえはおれを、相談する価値もない男だと思っているのか? もしくは相談をしても力にならないと、みくびっているのか? それとも信用がないのか?」
「……」
「本当のことをいってくれ」
わるい、とぼくは頭をさげた。
そして、イチからすべてを説明した。
「ほう、[すでにやったことリスト]というのは――おもしろい。ムダな重複をさけつつ、新たな出会いを開拓していこうということだな」
「そうなんだよ。それで、なやんでてさ……」
「何か、やってみようという候補はあるのか?」
「いや。考え中」
「これはおれのアドバイスなんだが、危険をともなったり、今後の人生にさしつかえるようなことは、やめておいたほうがいい」
「まあそれは……しないと思うけど」
「わからないか? おれは〈おまえ〉がループしない可能性を考えている」
蛍一が腕を組んだ。
まてよ、とぼくは反論した。
「きいてただろ? ぼくはこの三年間で一生いっしょのパートナーをさがさないと……」
「また次のおまえがあらわれて、そのバッグの中の手帳がわたされる、だな。それはこう考えることもできる。卒業式の日、校門から学校の外に出た瞬間――『手帳だけ』がべつの時空にリープする――とも」
「……その場合、どういうことになるんだ?」
「大局的には状況は変わらない。だが、この今おれの目の前にいる〈おまえ〉は、ここからどこにも行かないってことだ」
「三年前にもどったりしない……?」
「そうだ」
ということは、とっくに高校を卒業してだれかと幸せに暮らしているぼくも、
どこかにいるかもしれないということか。
すごい。さすがの考察だ。ものを考える角度がちがう。
やっぱりぼくの脳みそだけじゃ限界がある。ときには相談も大事だな。
「あっははは!!!」
大事だよ……な? 急に不安になってきた。
思いきって話を切り出したら、ケラケラ笑いはじめた幼なじみ。
でもぼくが真剣なのを感じとったのか、すぐに笑うのをやめた。
「……ごめんごめん。えーと、なんだっけ、高校デビューしたいみたいな話だった?」
「なんでだよ。そうじゃなくて……さ、ぼくがやらなさそうなことってなんかないか、って」
「たくさんあると思うけど」
「たとえばなに?」
「んー、フルマラソン?」
「……」
「なんでだまるのよ。あなたがきいてきたんでしょ?」
「ほかは、なんかないか」
「んー、トライアスロン?」
「おいノア。どうしてハードな運動系ばっかりだすんだよ」
じゃあ知らない、とばかりにノアはツンと横に向く。
学校の帰り。最寄りの駅から家まで歩いていく道。
目の前にはもう、ぼくたちが住む大きなマンションが見えている。
「部活……はどうだ? ぼくが一番入りそうにないとこって……」
そう質問すると、ノアは瞬時に面白がるような顔つきになって―――
「よ、よろしくお願いします」
ダンス部ぅ! と元気いっぱいに言い、
今ここにいる。
「高泊くんね。よろしく。リラックスしてね」
「あ、これ入部届です」
「はいはい」
体育館の一角。
すでにストレッチをはじめている部員の人たちの近くで、部長らしき人と話をしている。
女の人で髪は長く、びしっとオールバックみたいに前髪をあげている。たぶん三年生だろう。
「えっと、ダンスの経験はどんなもんかな?」
「それがその……」
「ん?」
「ゼロなんです」
がっかりされるかあきれられるかと思ったが、どっちでもなかった。
にこっ、とやさしい笑顔になる。
「わー、私と同じじゃない。ってことは、勇気いったでしょー?」
「は、はい」
「大丈夫、未経験でもいけるし、むしろ変なクセがついてなくてよかったりするから」
ほっ、としてる自分がいた。
肩をポンポンとたたいて部長さんは言う。
「最初はうまくできないと思うけど、がんばってついてきてくれたら、きっとあなたの一生モノの自信になるから」
ぴっ、と親指をたてる。
ものすごくいい人そう。
ほかの人たちも、やさし―――
「アンタ! ちがうって! 足、逆!」
―――くなかった。
「ちがうっつってんだろ!」
こん、とつま先でスニーカーをけられる。
「こっち! なんでいつもまちがうんだよ!」
「ごめん」
「……ったく、なんで私がこんなシロートの教育係に……」
イラついた感じで、髪を耳にかきあげる。
ちょっとまってくれよ。
入って三回目でこれ?
前途多難すぎないか?
部長がこっちに来た。
「チヨちゃーん。調子どう?」
「あっ先輩。はい。とくに問題ありません」
「あのね……さっき、あなたが高泊くんをけってたっていう子がいるんだけど」
うっ! と思ったのが手にとるようにわかる。
どうやらこの子はかくしごとができないタイプらしい。
「あー、部長、それはデスねぇ……」
(はぁ……ま、仕方ないか)
「先輩」
「ん? どうしたの?」と、ぼくのほうに向く。
「ぼく、けられてないです。たぶん、ステップを教えてくれるときに足をあげたのが、そう見えたんだと思いますよ」
そう、と部長は納得して、適当なところで下校してね、とぼくたちに伝えると体育館の中へもどっていった。
ここは体育館のウラ。
ぼくと、ぼくにダンスの基礎を教え込む係の彼女だけ、みんなからはなれてここにいるんだ。
「……助けたつもりかよ」
「いや、そうじゃないけど」
「礼は言わねーぞ」
ぶすっとした表情で背中を向けた。
向かって左がわ(彼女の右耳)にあった水色のシュシュでまとめたサイドテールがブルンとゆれて右がわへ移動。
髪の色は、先生に指導されるかどうかギリギリのラインでほのかに茶色がかっている。
「次までに自主練しとけよ」
彼女は、同じ一年の千代さん。
千代は名前じゃなくて名字らしい。
新入部員の中で一番ダンス歴が長くて、それでぼくに一対一で基礎を教えてくれることになった。
(久しぶりに「運動した」って感じだな)
少々パワハラチックではあったが、彼女の教え方は的確でわかりやすかった。
が、体のほうがついていかなかった。
頭じゃ、わかってるんだけど……。
(まずはチャールストンって言ってたな)
ダンスのステップ。
よくわからないけど、ガニまた内またを交互にして、前後に動くやつ。
これがなかなかできない。
週が明けて、部活の日になった。
すこし早めに起きてマンションの前で練習していると――
「不審者みたい」
幼なじみが通りかかる。
「ノアか」
「ノアです」
「なんで敬語なんだよ」
「だって……知り合いかと思われたら恥ずかしいし」
おいおい、とぼくは説明した。
これはダンス部の練習で、家の中だとうるさいから今やってるってことを。
「っていうか、どうしちゃったの急に」
「何が」
「あなた、こういうの興味なかったじゃない」
「……やらなきゃいけない理由があるんだ」
「私があのとき『ダンス部』って言ったせい?」
「それはたしかに、きっかけにはなってるけど……」
「まあ、でもさ」
青春してていいね、とノアはほほえんだ。
ぼくは千代さんに見てもらいながら、さらにダンス部での活動をつづける。
「サマになってきたじゃん」
「うん。自分でもけっこう、できるようになってると思う」
「調子のんないで。アンタ、まだ全然ぎこちないんだから」
彼女は電車通学で、ときどきこうやっていっしょに帰ったりもできるようになった。
しかし基本的には冷たい態度で、彼女はだいたいツンツンしている。
ある日―――
「チヨさぁ、あの男子にキツくあたりすぎじゃない?」
「そーそー。私も思ってた。あんなんじゃ彼、部活やめちゃうよ」
「私だったらソッコーでやめてるわ」
(入りにくいな……)
体育館の入り口近く。
同じ部の人の話し声がきこえ、思わずぼくは立ち止まってしまった。
「永太。なにやってんの」
ふりかえると、白Tと赤いジャージのズボン姿の千代さんがいた。今日もサイドテールが右耳の先にたれている。
「いや……ちょっと」
は? と彼女は首をかしげて腰に片手をあてた。
「それかあの子、ドМなのかも!」
「やだー!」
一瞬で、千代さんはけわしい顔になった。
きっと、すべてを察したんだと思う。いまきこえた言葉――ぼくが体育館の前で中に入れずにいた理由――自分の部活での立場――そういうのをぜんぶ。
「おいっ!!!!」
はげしい声だった。
相手に今にもつかみかかっていきそうな勢いの。
実際、すごいはやさで「ドМ」といった子の胸ぐらをつかんでいた。
あわてて走って、ぼくは彼女の手をひいた。
「いいよ。やめよう。ぼくはなんとも思ってないんだ」
「永太! アンタは関係ない! これは私の問題だ!」
しん、と無音になった。
いま二人の自分がいた。
大人しくひっこむぼくと、ちがうと言い返すぼく。
その勝負は……
「ちがう! ぼくとキミとの問題だよ!」
「あー!!?」
「とにかくおちついてくれ」
「てめーっ! あんなこといわれてくやしくねーのか! てめーは」
体育館の中が完全にこおりついた。
×××ついてんのかよ、の大声。
そこに間もわるく、部長があらわれた。
「今日は参加をみとめません。二人とも、次までにはちゃんと反省してきてね」
帰り道も終始、千代さんは機嫌がわるそうだった。
ホームでぼくが乗る電車がきた。彼女が乗るのは同じホームの逆がわになる。
「じゃあ千代さん。またね」
「まてよ」
手のひらをぼくに向ける。
細くて長い、きれいな指だった。
「え?」
「その『千代さん』つーの、もうやめろ」
「でもそれだと名前呼べなく……」
どことなく恥ずかしそうにうつむいて、
サイドテールの先をゆらゆらさせて、
彼女はぼそっとつぶやいた。
あげは
それが彼女の名前だった。
千代蝶羽。
そう呼んでいいから、と言い終わったと同時に、電車のドアがしまった。
一年から二年にあがった。
もうマンツーマンで指導してもらうことはなくなったが、ときどきぼくは彼女にダンスを教わっていた。
じょじょに上がっていくダンスの技術、ゆっくり深まっていくぼくたちの関係、
順調だと思っていた。
その日がくるまでは。
「じゃあ、あとはお願いね。私もたまには、みんなの顔を見に来るから」
三年生が引退し、二年の女子部員が新しく部長になった。
その子は、あのとき蝶羽とモメた女子だった。
じつはあのあとも二人の関係は改善しなくて、両者無視し合うみたいな、あやうい感じだったんだ。ぼくとは、そんなにケンアクにはならなかったんだけど。
「見る目ねーよな、まったく」
はは、と鼻で笑い、蝶羽は一見気にしていないようにみえた。
だが、
「大会不参加だと!?」
決定的なことがあった。
一年に一回だけの全国的なダンス部の大会。
それに、今年からもう参加しないと、新部長は言った。
「さわがないでよ。私は時代に合わせようってだけ」
「あぁ!?」
「もうダラダラ汗流してしんどい思いするのはやめようってこと。いいじゃん。みんなでおどって楽しけりゃ、それで」
「……」
「それに部長は私だし」
「そーかよ、わかった」
たぶん部の全員、ほっとしたと思う。
この二人の仲がわるいのは知ってたから、ケンカになりやしないかとひやひやしてたんだ。
(蝶羽さんにしては、あっさり引き下がったな)
一年のとき、ぼくはその大会で補欠だったが、彼女はメンバーとして舞台にたった。
ダンスはすごくよかった。
キレッキレ、っていうのかな。
次の活動日。
彼女は来なかった。
退部していたんだ。
ぼくは残念とかいうより……ものすごく彼女らしいと思った。
そしてどこかスカッとした気持ちもあった。これでぼくも、心置きなくやめられる。
「おせーぞ永太」
「ごめんごめん」
冬の雪のふる日に、ぼくたちはデートした。
ところで彼女は名前の呼び方にとてもうるさく、
ときどきまちがえて「千代さん」と口にしたら、ムッとした顔になるんだ。
春になるころには、とうとう「蝶羽さん」でもそうなるようになった。
ちゃんと「さん」をつけてるのにイヤだなんて、ぼくにはよくわからない。
「蝶羽。どうしたんだ?」
「……なんだよあいつら、今ごろになって……」
スマホを見たままかたまっていた彼女にぼくは声をかけた。
すると、
「文化祭のダンス部の上演の、助っ人してくれないか、だってよ」
あきれた顔で首をふる。サイドテールもシンクロしてゆれる。
「こんなことあんのかよ。一週間前だっつーのに、部員が何人もやめるなんて」
「どうするの?」
「……」無言で、斜め上を向く。「永太。アンタがきめてくれよ」
「ぼくが?」
「アンタは私の一番弟子だろ?」
「うーん、こういうの、弟子がきめるもんなのかな……」
ぷっ、と彼女はふきだして、
「あはは」と大きな口をあけて笑う。
ふだんのクールな雰囲気とのギャップもあって、ぼくはこの笑顔が大好きだった。
「よし。やるか!」
ほんとに彼女はぼくがきめたとおりにした。
しかし、
「なにボーッとしてんの。アンタもだよ」
「へっ?」
これは予想外だった。
でも体はすぐにカンをとりもどして、
文化祭の上演は無事に終わった。終わったあと、部長は何度も何度も蝶羽に頭をさげていた。
―――そして卒業式の日。
「ダンスしてるあなたも……むかしから知ってる私には意外だったけど……ステキだったよ」
「ノア」
「いい。気をつかわないで。あーあ、私もダンス部に入ってみたらよかったな……」
そう元気なく言って、ノアは背中を向ける。
今まで言えなかった想いをぼくに告げて、でも、最初からあいつは悲しそうだった。
ぼくは―――
(これでよかったのか? 自分の心を度外視して、手帳のリストを埋めるためだけの高校生活で)
いや、
前を向こう。
胸をはろうぜ。あんな、足が筋肉痛で歩くだけでもつらいこともありながら、長い間がんばったんだ。
それに、ぼくの気持ちは本物だ。
「永太ーーーーーっ!!!!!」
卒業証書の入った筒を、腕をのばして左右にブンブンふっている。
満面の笑みで。
「蝶羽」
「どーしたんだよ……なんかあったのか?」
彼女は察しがいい。
彼女がそこに考えがおよぶのに、一分もかからなかった。
「アンタの……幼なじみだな」
「いや」
「ちがうのか?」
「……ちがわない。たしかにぼくは」
「おい。なんでこんなときに、彼女の私をさしおいてほかの女のことを考えてるんだ?」
「あのさ、考えてたっていうのは、なんていうか……」
「私だけ、見てよ」
「わかってる」
「ほんとに?」
「ほんとだよ」
「約束する?」
「する」
そこで、やっと蝶羽の表情がやわらかくなった。
正直、かなりアセった。
卒業式の日に別れるとか、今のぼくにはシャレにならないからな。
「手をつなごう」
そうぼくが言うと、
彼女はキレのある動きで、さっ、と手をこちらへ寄越す。
目が合った。
そっと手をとる。
ぼくたちはダンスのフリの一部分のように、二人の間で同調したリズムにしたがって歩き、学校の外へ出た。
◆
高校初日の朝からツイてない。
寝癖はひどいし、家にスマホ忘れて定期券つかえなかったし、ほどけたスニーカーのひもをふみつけてコケるし。
「どーぞぉ!」
あ。
反射的に受け取ってしまった。
駅前の広場で、ポケットティッシュみたくくばっていたから、てっきりポケットティッシュだと思ったんだけど。
手帳だ。
しかもずっしりくる革製。黒い色の。
こんなのタダでもらっていいのか?
(……なんか、はさまってるな)
しおりみたいなのが。手帳の上の部分にちょっとだけ見えている。
(なんだこれ……はっ!!!???)
「親愛なる自分へ
まず、ページをさかのぼって『千代 蝶羽』の名前をさがせ。
たくさんケンカもしたけど、ぼくは彼女が大好きだった。」
……。
なんか、うらやましくなるような書き方だな。
さて、その大好きな彼女の名前は、どこだ?
手帳の最初のほうに人名が列記してある。
火宮、時枝とあって、
二ページにわたって名前がずーっとつづき、最後に――――
名前|千代 蝶羽
交際日数|75日
破局理由|振り
いやこれさ……振りって何? フったってこと? どっちがどっちを?
(やれやれ)
そしてぼくは憂鬱になった。
どうやら次はぼくが、ぼくがやりそうにないコトをやらなきゃいけない番のようだ。この三年間で。
(部活紹介か)
今日は全校集会がある日。
体育館のステージで順番に、運動部、文化部のすべてが一年生に向けて所属する部をアピールしていく。
次はダンス部だ。
アップテンポなBGMが流れる。
(すっご……)
八人くらいでてきて、こう……手をパッパッ、足をカッカッ、みたいなリズミカルな感じで、
息を合わせてダンスしてる。
しかも全員女子。
(いやいや、よくこの中に飛びこめたな。前回の自分は)
その勇気に拍手だ。
しかも、おそらく部活の中で、彼女まで見つけたとは。
ますます気が重くなった。
同じようなことが、はたしてぼくにもできるのか―――?
「えっ? もう入部届だしたんだ?」
「まーね! 私には、それしか取り柄がないからさ!」
集会が終わって教室へもどる廊下。
すこし前を二人組の女子が歩いている。
一人はふつうの髪型だったが、もう一人は派手めなシュシュをつけてサイドテールにしている。
(それしか取り柄が、か……ぼくにも一つ、そういうのがあったらなー)
ある意味うらやましい。
べつの取り方をすれば、それだけは自信があるってことで。
つよい自信があれば、きっと何事にもチャレンジできるような気がする。
「あなたの? うーん……」
幼なじみはそう言って、ぼくの顔や体をじろじろ見る。
「ないんならいいよ」
「そんなさみしいこと言わないでよ」
ぼくの取り柄は、と質問したのはやはり失敗だったらしい。
つきあいの長い幼なじみにすら答えてもらえないっていうのは、さすがにショックだ。
なにか、いっこぐらいあると思うんだけど。
駅から家に向かって歩いて、マンションの前まできて、
「話しやすいところ、かな~」
「はいはい。ありがとな、ノア」
「どういたしまして。あ。コンビニ寄るんだった」
じゃあね、とノアは手をふった。
ぼくは一人でエレベータにのる。
ふと思った。
ぼくがあいつを「ノア」って呼ぶようになったのはいつからか、って。
「ノアってよんでいーよ」
「うん。ノアちゃん」
最初はそんな感じだったと思う。
幼稚園くらいかな。小学校にあがってもそうで、でも高学年になると急に「ちゃん」づけが恥ずかしくなってきたんだ。
あのとき二つの道があった。
片方は名字に「さん」をつけて呼ぶ。
もう片方は名前に「ちゃん」をつけずに呼ぶ。
「あれ~? 『ちゃん』がどこかへ行っちゃったぞ~?」
からかうように言って笑った、中学の制服を着た幼なじみ。
あのときの選択。
名字のほうをえらばなかった理由。
一歩さがるよりも、一歩まえにすすみたいと思ったこと。
(……ノアちゃん、か)
ぼくにとってはそれが、せいいっぱいのステップだった。