首尾一貫
黒板にでかでかと書かれた「男の娘カジノ」。
文化祭のクラスの出し物は、これに決まりそうだった。
むろん、男子は反発する。
「そんなのできるかよ」
「なんで男だけ」
「おかしいだろ」
教室の前に立つ女子の級長は、言い返す。
「ふつうのカジノじゃ面白くないし
アンタらは何も意見をださないし
多数決とったんだから文句いうな」
シーンとなった。
たしかに言ってることは正しい。
今日はたまたま男子が二人欠席してて、そのぶん反対票が足らなかったんだ。
まっすぐなストレートの髪に、白いカチューシャで前髪をあげてフルにおでこを出したスタイルの彼女。
身長は170近くあり、つねに背筋をピンとのばしたいい姿勢。
ほんと、まとめ役をやるために生まれたような人で、
先生にもはっきりものを言う性格は、男女どちらからも好かれていた。
しかし今にかぎっては、男子の反感を買ってしまっている――
「まってくれ」
さっ、と手をあげたのは、ぼくの友だちだった。
「男の娘ってなんだ?」
それは肩すかしをくわせるような質問だった。
ただ、そのおかげでややサツバツとしていた空気がゆるみ、級長も少し笑顔になった。
(これ……計算でやったんならたいしたもんだな)
蛍一ならありえることだ。ぼくは彼の頭のキレに一目おいている。
「ざっくり言うと、女のカッコする男のことよ」
「それ以外は?」
「べつに……まあ、服着るだけなんだからラクなもんでしょ?」
「なるほどな。それなら、女子だって同じだな」
「え……」
「男の服を着るぐらい、簡単だと思うが」
おー、と拍手が起こった。それに混じって「そうだそうだ!」と克樹が大声をだす。
蛍一の言葉に対して、でも多数決できまったことだから、としばらく抵抗していたが、
「はい。わかった。じゃあ『男女いれかえカジノ』! もうこれでいいね?」
男子だけという点から、大幅な変更になる。
9月の、まだ暑さが残る日の放課後のことだった。
(すごいよな、あの子)
あの役割をぼくができるかといったら、たぶんできない。
きらわれるムーブをしつつ、終わったら切りかえて、男子の輪に入ってたのしくおしゃべりするとか。
あれぞ一軍、って感じだ。
おそらく、一生無縁の存在だな。
「はー、まいったよ~」
校舎の玄関前で横から声をかけられた。
「ノアか」
「ノアよ~」
「どうしたんだ?」
「文化祭のさ~、クラスのさ~、出し物なんだけどさ~」
「ふつうにしゃべれよ」
「だれもなんにも言わないのよ。だから決まらなかったの」
「うちは決まったぞ」
「ああ、そっちは仕切ってるのがタオちゃんだからよ」
タオちゃん、と呼んだが、あの人とノアがとくに仲がいいってわけではない。
たんに有名なだけだ。
彼女はほかのクラスにもよく出入りしているようで、親しく「タオ」と呼ばれたり「タオミナ」と呼ばれたりしている。
「じゃあねー」
手をふって校舎の中へもどっていく。
てっきり、いっしょに下校するのかと思ったが、そうじゃなかったらしい。
(クラスメイト以外にもあだ名で呼ばれる女子、か……)
ふと疑問に思うことがある。
――どうしてこの手帳には、一人も同級生が書かれていないのか――という一点。
考えられる可能性は、
・さまざまな人にトライしたがダメだった
・そもそもだれにもトライしてない
このどっちかだが、手帳から読み取れる苦戦ぶりからいえば、前者のほうが納得がいく。
その中でも、
「あ。おはよう。高泊くん」
もっともつきあうのがむずかしいのは、彼女だろう。
朝一番の教室。
なんとなくいつもより何本か早い電車に乗ったら、早すぎてぼくが一番乗りだった。
そして二番目に入ってきたのが、
「おはよう」
級長の首田尾さん。
「早いんだね。いつもこんな時間?」
「いや、えと、いつもはもっと……おそいんだけど」
「私、朝練しようと思ってたのに、体育館シューズ忘れちゃって」
知ってる。彼女はバスケ部だ。でも「バスケ部だよね?」の声がノドから出てこない。
あは……とぼくの愛想笑いで会話は終わってしまった。
(まあ、これでいいかもな)
がんばったところで、どうにもならない――そんな壁がぼくと彼女の間にはある。
それにウワサでは、首田尾さんは大学生とつきあっているという話。
たとえるなら、10メートル上にバスケットゴールがあるみたいなもんで、
こういうのは努力でどうにかなるもんじゃない。
そう、思っていた。
その日までは。
(放課後にあてもなく歩いたって、出会いなんかない…………えっ!?)
「おねがい! 考え直して!」
すぐにそれがだれの声かわかった。
身をかくす場所は――ちょうど、腰の高さぐらいの植え込みがあった。そこにしゃがむ。
「おかしいよそんなの……ねえ、私を捨てないで」
声がふるえている。
いつものあのハキハキした、みんなをまとめるときの声じゃない。
(どうして彼女がこんなところで)
場所は、クラブハウスの北にある小さな庭園だった。もう少し北にいくと弓道場がある。
庭園、とも呼べないような微妙な大きさで、あるのは水が干上がりかけた池といくつかの植え込みと一本の大きな松。
首田尾さんがいるのは、松の木の向こう側。
相手の声がないので、スマホの通話だろう。
「いや! いや! そんなつもりじゃなかったの。おねがいだから。これから会お? 電話じゃイヤ。あ。まって。まっ………………」
そこからしばらく、くすんくすん、と泣く声がきこえた。
ほんとは、さっさとはなれるべきだが……広くない庭園だから、移動すると気配でバレる。
(まいったな)
まあ、そのうちどこかへ行くはずだ。それまでじっとしてればいい。
彼女も、あんな別れ話(たぶん)をぼくに盗み聞きされたとは―――
(しまった!)
スマホを落とした。時間を確認しようとしただけなのに。
静寂。
気づかなかった?
いや、
足音は確実にこっちに向かってきてる。
(ダメだ。しょうがない)
ぼくは立ち上がった。
目の前には、赤い上下のジャージ姿の彼女。
白いカチューシャと全開のおでこ。長い髪は風でゆれている。
(言いわけはやめよう。正直にあやまるか……っ!?)
予想外だった。
首田尾さんは何もいわず、こっちに目線もくれず、背筋をのばしてそのまま歩いて行った。
まるでぼくがそこに、存在していないかのように。
(……)
涙がホオをつたうその横顔に、ぼくはクギヅケになった。
立ち去ったあとでおくれて理解できた。
きっと、おこったり、八つ当たりしたり、笑ってごまかしたりするのは、彼女のプライドがゆるさないんだ。
気高い、ってやつだ。
ぼくの中で彼女の存在感が大きくなった出来事だった。
(昨日は、ついに夢にも出てきたな)
首田尾さんが。
現実だろうが夢だろうが、彼女はいつだって背筋が伸びている。
文化祭の一週間前。
授業が終わったばかりの教室で、ぼくは友だちとおしゃべりしていた。
「男の娘というのは、量子力学の『重ね合わせ』みたいで興味ぶかいと思わないか?」
「おい永太~、こいつがまーたむずかしいこと言ってんぜ」
「むずかしくないさカツキ。ようするに0でもあり1でもあって、観測するまではその0と1の両方が共存してるってことなんだ」
『重ね合わせ』……か。
そんなの物理でやってなかったと思うけど、さすが博学だな蛍一は。
ようするに、女装したぼくは男でもあり女でもあり……って男だろ。
でも面白い言葉だ。手帳のハシにでも書いとくか。
(もしこの手帳に彼女の名前があれば……って、あっちゃダメか。失敗ってことだもんな)
「はい! 男子きいて!」
黒板の前に、女子の級長が立った。
「今からレンタルの衣装とりにいくんだけど、手があいてるヒトいない?」
一軍の男子がすぐ「部活あんだよな」と反応した。
すると、
「じゃ、帰宅部。だれかいるでしょ?」
うちのクラスには、たしかに帰宅部が何人かいる。ぼくもそのうちの一人だ。
ま、だまっていれば、ほかのだれかに決まるだろ―――
と、
以前までの自分なら、おそらくそう考えただろう。
「ぼくでよければ」
言いながら、彼女の表情に注目した。
おどろいたことに、ノーリアクションでほほ笑みさえ浮かべている。
「OK。じゃあ行こうか。高泊くん」
恥ずかしがったりイヤそうなそぶりもなく、ぼくと横並びで歩く。
だいぶ学校からはなれたところで、彼女はやっと、当たりさわりのない日常会話をやめた。
「…………あのときアンタ、きいてたんでしょ」
顔からも、よそいきの笑顔が消えた。
「盗み聞きしてんじゃねーよ」
「あ……ごめん」
「でも、アンタが口がかたいのはわかったから、ゆるしたげる」
「口が?」
「どこからも、私が別れ話で泣いてたってウワサを耳にしないからね。アンタ、たぶんだれにも言ってないんでしょ?」
そこだけ評価してあげる、と首田尾さんは「だけ」の部分をやけに強調して言った。
「でも調子のんなよ」
「わ、わかってるよ」
「アンタ次の日曜、ヒマ?」
「えーと、とくに予定はないけど」
「駅前10時集合。いいね」
そこから先、学校に衣装をもちかえるまで彼女は無言だった。
(日曜?)
かくさずに言うと、すこしぼくはビビッていた。
ヤンキーがする、シメる、みたいなのを想像していたんだ。
「時間どおりだね」
会うとすぐに、彼女はぼくのまわりをぐるりとまわった。
「ファッションはまあまあ……って、なにこれ!」
「なにが?」
「デニムのシャツかと思ったら、デニムっぽくみえるだけの柄じゃない。だっさ~」
「あはは……」
「愛想笑いしないよ。そうじゃなくて、女は服に口出すなくらい強気でいかないと」
ちょっとまて。
いきなりダメだしされまくってないか?
「あ、あの、今日はいったい……」
「遊ぶのよ、私と」
「遊ぶって?」
「アンタだっていつか女の子とつきあうでしょ? そのときの予行演習をさせてあげるの」
ぱちっ、と彼女はウインクした。
ぼくには彼女の顔も、服装も、じっくりとみつめる余裕はないが、全体的に大人っぽいということはわかる。
「私はアンタで失恋のキズをいやす。アンタは私で女のあつかいを勉強できる。どう? おたがいウィンウィンでしょ?」
「そう、だね」
「お金はもってきてるの?」
「たくさんはないけど」
まずボーリングにいって、「パスタ食べたい」という彼女につきあって昼食をとった。
店は、おしゃれだった。
せまい路地に入って歩いていく首田尾さんについていって、たどりついた場所だった。
「どう雰囲気いいし、安くておいしいでしょ。ここ、つかっていいよ」
「?」
「アンタの幼なじみとデートするときにでも、つかったら?」
フォークを持つ手をとめた。
「ノアのこと、知ってるの?」
「けっこうよくしゃべるかな」
「へー」
「アンタ、はやくしなよ」
「なにが?」
「けっこう狙ってる男子が多いから、文化祭の前後で告白されるよ、絶対」
「そうかな。あいつにかぎって……」
その数日後ぐらいだった。
帰り道で、ノアが言った。
「あなたがタオちゃんと街でいっしょにいたってウワサが流れてるけど、ウソだよね?」
さも、そんなのありえないからねというニュアンスをふくんでいるようだった。
ぼくはありのままをこたえることにした。
「ウソじゃない。それ、ほんとなんだ」
「えーーーっ!!!???」
「ちょっ。声でかいって。みんな見てるから」
「って、って、ってことは」
「少しおちつけよ」
「つっ、つっ、つきあって……たりするの?」
「いっしょだったのは事実だけど、つきあってるわけじゃないんだ」
むぅ、とノアがくちをトガらせた。
ぼくを疑ってるときはいつもこうするんだ。
「……じゃあさ、どういうきっかけで二人で出かけようってなったの?」
答えづらい質問だった。
文化祭の準備、みたいなことでごまかしたが、はたして信じてくれたかどうか。
「意外と似合ってるじゃん、高泊くん」
じろじろと面白がるようにぼくをながめる首田尾さん。
ぼくはセーラー服を着ていた。
ほかの男子はコスプレの衣装――メイド服やチャイナドレスやチアガールとかそういうの――なのに、ぼくだけガチの制服だった。
首田尾さんのスペアの制服。
「これ……ちゃんとクリーニングしたから」
「うん」
それを彼女にかえすとき、ぼくと手がふれた。
そのまま、耳打ちするように顔を寄せて、
「日曜。前と同じ場所に10時集合ね」
「わかった」
デートというよりほとんどレッスンだった。
服装のチェックからはじまって、どこに行くか、移動中の話題えらび、食事する店でのふるまい、また会いたいと思わせるわかれぎわの空気づくり、などなど。
終わるころにはヘトヘトになってしまう。
でもぼくは楽しかった。
そして、あっというまに二年になって、クラスもべつべつになった彼女とはもう終わりかと思ったが、
「日曜。あの場所に10時にきて」
「日曜。いつもの場所に10時」
「日曜。ね?」
ときどきタオはぼくの前にあらわれて、他人行儀に世間話したあと、秘密のようにボソッとつぶやいて約束をとりつけていった。
順調に、ぼくたちの仲は深まっているように思えた。
三年生になった。
あるとき彼女はこう言った。
「私はアンタを本命にはしないから」
「どうして?」
「かわいい幼なじみがいるじゃない。あの子、ずっとアンタのこと待ってるんだよ?」
「そうかな」
「私はね、〈当て馬〉で満足なの。アンタとノアちゃんの恋愛を盛り上げるためだけの存在。それで、いいんだから……」
たしかに、言っているとおりな気がした。
何度デートを重ねても、同じ時間を共有しても、ぼくらは恋人という距離感ではなかった。
またべつのあるとき、彼女はため息まじりに言った。
「はー、やっぱり男は車もってないとダメね」
「ムリいうなよ。ぼく、まだ免許ももってないし」
「とりなよ。でね、安い中古の車でもいいから買うの。そしたら私、となりに乗ってあげる」
「車があったら、タオはぼくの本命になってくれるのか?」
「まー、かなり前向きに考えてあげるよ?」
バイトでもするか、とぼくは真剣に考えた。
で、想像した。となりの助手席に彼女がいるところを。
オープンカーで海辺を走る。
白いカチューシャをつけた彼女の長い髪が、風でうしろにサーッと流れる。
(わるくないな)
実際、車がないことは抜きにしても、大丈夫なような気がしている。
ぼくとタオの関係は、もう一歩すすめられるんじゃないかと。
卒業式前の2月の月末。
デートの終わりでぼくはガケから飛び降りるつもりで言った。
「…………キス、していい?」
「バカ。そんなこと……女の子にきかないの」
やわらかい感触が、ぼくのくちびるにふれた。
まぎれもなく、ファーストキスだった。
そして卒業式の日。
「ちょっといい?」
「ノアか」
ノアよ、とあいつはこたえなかった。
感情を読みとりづらい、でもなにかを我慢してるような表情で、ぼくの前に立っている。
「うまくいってるみたいじゃない。よかったね」
「え? いきなりなんの話してるんだ」
「首田尾さんのこと。すごくお似合いだと思うよ。なんか……人が変わったようにカッコよくなっていったし」
それは、彼女からのかずかずの助言のおかげだろうか。
髪型や服装や態度、こまかいところでは眉毛のととのえかたまで、タオには教えてもらった。
「私、好きだったんだ。あなたのことが。たとえカッコよくなくても、ううん、カッコよくないときから、ずっと――」
「ノア」
「…………ごめんね」
どうしてあやまったのか、ぼくにはわからなかった。
ぼくに好意を伝えたことに? それとも、今までそれができなかったことに……?
桜の花びらが一枚、足元に落ちた。
(切り替えよう。ノアにはまたあえる)
手帳だ。
いや手帳よりも、学校を出られずにループすることよりも、ぼくの心を優先する。
ぼくはタオのことを、だれよりも愛しているんだ。
「いいよ永太、手をにぎるぐらい」
「うん。じゃあ行こう」
ぼくも彼女と同じように背筋をのばして、
歩きはじめる。
が、
あと一歩で学校を出ようというところで、
車のクラクションが鳴った。ぷっ、ぷっ、とリズミカルに二回。
「―――!」
彼女の反応ははやかった。
だれか、男の人らしい名前を呼んだ。
とてもうれしそうな声だった。
(あ…………)
するりと、ぼくの手から彼女の手が抜ける。
大好きな人がまっているかのように、タオは元気よく走っていく。ぼくをふりかえりもせず。ぼくはぐっと歯をかみしめた。
――いつか友だちが口にした『重ね合わせ』。
彼女の中にはぼくも、つきあっていた人も、両方が共存していたんだろう。
それがあのクラクションで片方に決められてしまった。
タオはあの人をえらんだんだ。
……そもそも、なんとも思われていなかった、その可能性もあるけど。
足のクツの先をぼんやり見つめながら、ぼくは学校を出た。
◆
高校初日の朝からツイてない。
寝癖はひどいし、家にスマホ忘れて定期券つかえなかったし、ほどけたスニーカーのひもをふみつけてコケるし。
「どーぞぉ!」
あ。
反射的に受け取ってしまった。
駅前の広場で、ポケットティッシュみたくくばっていたから、てっきりポケットティッシュだと思ったんだけど。
手帳だ。
しかもずっしりくる革製。黒い色の。
こんなのタダでもらっていいのか?
(……なんか、はさまってるな)
しおりみたいなのが。手帳の上の部分にちょっとだけ見えている。
(なんだこれ……はっ!!!???)
「親愛なる自分へ
まず、ページをさかのぼって『首田尾 美那子』の名前をさがせ。
なければもう彼女を気にかけるのはよせ。」
ん?
まるで警告のようにもみえる書き方だな。
ページをさかのぼってみたが、
(ない)
だけど、ぼくはこの首田尾という人を知らないので、とくに残念だとも思わなかった。
高校を出ることに失敗したんだな、というだけ。
しばらくそこに立っていると、
「おーい」
「ノアか」
「ノアよ」
ボブカットの幼なじみが、ぼくの頭にすっと手を伸ばした。
「わ! なーにこの寝癖~。ネコミミみたいになってるじゃない」
「そう言いながらおまえ、よりネコミミになるように髪さわってるだろ」
「もっと身だしなみに気をつかえば?」
そう言うと、幼なじみはさっさと行ってしまった。
まあ……男女二人で歩いてると、つきあってると思われるもんな。
もしぼくがもっとカッコよかったら、
(もうあんな遠くにいる)
あいつの態度も今と変わってたり――するんだろうか。