史上最大
ひびくような衝撃だった。
たたかれた場所から全身へ、波打つように。
痛みは、それほどじゃない。
痛み以外の何かで、ぼくの心はゆれていた。
「おまえの目をさますには、こうするしかなかった」
目の前には四月にできた友だちがいる。
席の近くで、たがいに下の名前を呼び捨てで呼び合っていた二人の会話に、
自然とぼくも入っていって、そのまま仲良くなれた。
「永太。今のおまえは、ふてくされている」
「ふてくされるって……ぼくが?」
「そんなにおれたちが信用できないのか?」
「ちょっとまってくれよ、いったい……」
有末乃逢、と蛍一が口にした。
メガネごしに、するどい目つきをぼくに向ける。
「もうウソや冗談といってごまかすのはよせ。おまえには、かけがえのない幼なじみがいる」
「……」
「そのことを、もっと胸をはって真実だと言い張るんだ」中指でくいっとメガネを上に押し上げた。「いないと否定されることをおそれるな。今のおまえのどっちつかずな態度じゃ、助けてやりたくても助けてやれない」
おいおい! とうしろから声。
ふりかえると、もう一人の友だちが笑って立っていた。
「おれだけハズしてんじゃねーっての。おれだってチカラになれんぜ」
「カツキ」
克樹はぼくと肩を組んで、蛍一は静かにうなずいた。
ぼくはあらためて、二人にノアのことを説明した。
高校初日に、あいつがいきなりいなくなったこと。
家は無人で、ぼくの家族の記憶も消えていること。
手帳のこと。無自覚にループをつづけていること。
洗いざらい、言った。
ノアがいなくなって完全にやる気がなくなった――ここが「ふてくされている」と見えたのかもしれない――現在の状況までを。
(なんか、すっきりしたな)
そして、はっきりした。
やっぱりぼくは手帳にあるとおり「一生いっしょ」のパートナーをさがすしかない。
それが、ノアとまた会えることにも……きっとつながると、そう考えよう。
翌日の放課後。
(とりあえず、前回のぼくが出会ったのがどんな人か見てみるか)
名前は花輪有良。
学年もクラスもわからない。部活も……というより、この学校の人じゃない可能性もあるのか。
まいったな。
―――と、
(ボール?)
ころころと斜め前からころがってきた。
近くにはテニスコートがある。
だいぶ使い古された感じの白いボール。
ひろってさわると、すごくやわらかかった。これ、ソフトテニスのやつだ。
(…………えっ!!??)
そのボールを追いかけて、半袖と短パンの体操服姿の女子が、ぼくの前まで走ってきた。
すこし、照れ笑いのような表情。
「ありがとうございまーす!」
彼女はお礼を言って、
こっちに手を伸ばす。
「ノアなのか……?」
「えっ」
似ている。
顔の形というよりも雰囲気が。
もしあいつが髪を短くしたら、たぶんそっくりに見えるだろう。
「なにが? どうかしたのかい?」
「あ、ごめん。なんでもない」
彼女はぼくからそれを受け取ると、きたときの倍ぐらいのスピードでダッシュしていった。
テニスコートにいる男女混じった集団に合流して、友だちにボールを投げつけるフリをして笑ってる。
「あはは」と明るい声も、あのイタズラっぽい行動も、あいつにそっくりだ。
(他人の空似ってあるんだな……)
後日、その子が手帳に書かれていた花輪さんだと知った。
ああ、彼女ならきっとノアと仲良くなるだろうと思ったところで、
(そういうことか)
理解した。
[すでにやったことリスト]に、幼なじみの友だちに手をだすって書かれていた意味を。
前回のぼくは、いったいどういう出会いかたをして彼女と親しくなれたんだろう。
(……)
遠くから彼女の部活する姿をながめているうちに、一学期が終わった。
夏休み。
家から出かけて帰宅するたび、あいつが住む階の窓を、どうしても確認してしまう。
なにかのまちがいで、明かりがついていたり、ノアか、お父さんかお母さんがベランダにいることを期待して。
(今日もダメか)
ひたいの汗を手でぬぐう。
だれもいないエレベーター。
幼なじみのいない日々。
この現実に合わせようとしているのか、ぼくの記憶もゆるやかにフェードアウトしてきてるのを感じる。
そうカンタンに忘れて――――たまるかよ。
「おに。どうしたの?」
夕食後、妹の太依に声をかけた。
ぼくの部屋のテーブルの上には、値段がちょっと高めのカップアイス。ナプキンをおいて、ピカピカの銀のスプーンも準備している。
「……」
「……」
きょうだいのアイコンタクトでおたがいにわかった。
妹は、ぼくが何かたのみごとをするって、察したにちがいない。
「スプーンがスッとはいって、かつ冷たさキープの絶妙の溶け加減……さすがおに、わかってるねぇ~」
「まあ、まずは食べてくれ」
「食べたんだから言うこときけってのは、ナシだよ?」
「ああ」
白Tにピンクのハーフパンツの妹が、クッションにあぐらをかいてアイスをほおばる。
ころあいを見計らって、ぼくは言った。
「おまえに、幼なじみになってほしいんだ!」
スプーンをもつ手がとまった。
ぱちぱち、と高速で二回まばたき。
「具体的にはだな、ときどきぼくが『ノアか』といったら『ノアよ』と返事してくれ。たったこれだけでいい」
「……おに、それ本気でいってる?」
「なるべくそっけなく言うのがポイントだぞ。こう……へんに力をいれずに」
「そのノアって子、ずーっと前に話してた、おにのイマジナリーフレンドじゃん」
「たしかに今はイマジナリーかもしれないが、そうじゃなくなる日がきっとくる。ぼくはそう信じてる」
ぱくっ、と太依がアイスを口にふくむ。
「この目は―――おに、マジだ。うん。じゃあ、かわいい妹としては、応援するっきゃないネ」
「やってくれるか」
「ノアよ!」
それはちがうだろとぼくが冷静につっこむと、不満そうにくちをトガらせた。
この仕草は、ノアがよくしていた。妹のこれは、あいつのマネがはじまりだ。
とにかく、これで少しは記憶をキープできるだろう。
たとえ気休めにすぎないとしても。
「永太っ! こっちこっち!」
8月の暑い日。
ぼくは克樹にダブルデートにさそわれた。
(うわ……服のセンスも、まんまあいつだな)
キャミソールっぽい服にジーパン。いかにも夏らしい格好だ。
目が合うと、花輪さんはにっこりと笑ってくれた。
「キミが高泊くん? はじめまして!」
「はじめ」どうやらあのボールをひろったときのことは、おぼえてないらしい。「まして。今日はよろしくお願いします」
「敬語じゃなくていいよ。でも、いきなりなれなれしい人よりかはいいかな」
「そうですか?」
「服、さっぱりしてていいね。ソボクっていうの? うん、キミに似合ってる」
無地のTシャツとベージュのチノパンで、まさかほめられるとは思わなかった。
たしか手帳だと―――
「彼女はどんなことだって、「いいね」といってくれた。」
ってあったな。なるほど、それはこういうことか。
(同じようにされると、よろこんでくれるのかな?)
「は、花輪さんも、その服……」
「あーっ! ほら、イルカがジャンプしてる!」
ダッシュでいってしまった。イルカのショーのステージに。
そばで見ていた克樹は、ぼくをなぐさめるように肩に手をおいた。
小声でいう。
「まー、まだチャンスあっから。がんばれよな、永太」
同じく近くにいる、花輪さんの友だちの女の子もコクリとうなずいた。
彼女も、どうやらぼくに協力してくれるみたいだ。
本日のデートの場所は水族館。
「きゃっ!」
イルカがはねて、水しぶきが彼女にかかった。
ぼくはすかさず、ハンカチを彼女にさしだす。
「へー、男の子なのにハンカチちゃんと持ってるんだ。キミいいねー、えらいねー」
「まあ、気にせずにつかってよ」
「うーん、そのうち乾きそうだけど」
「いや、けっこうぬれてるからさ」
と、ぼくはなかば押しつけるようにハンカチをわたした。
「ごめん。ありがと。二学期はじまったら、学校で返すね」
じつはこれが狙いだった。
返してもらえるときに、会える機会ができる。
あわよくば、そこでデートにでもさそえたら――
「あ……」
そう思い、思い切って行動にでたんだが、
「そっか、うん、気持ちはうれしいよ。でも部活もあるし……ごめんなさい」
結果、玉砕だった。
それはそうだ。
カッコよくないし、運動が得意でもなく、おしゃべりが面白かったり、テストの成績が秀でてるわけでもない。
ようするに女子の気をひけるような要素が何もないんだから当然としかいいようがない。
(はあ……)
でもわかっていても、落ち込みはする。
秋の文化祭でメイドさんに仮装しても、テンションはまったく上がらなかった。
(そんなにわるい印象でもなかったと思う……ただ、まだデートにさそうには早かったんだ)
もし〈次〉があるのなら、そこに気をつけないとな。
「永太。すこしいいか?」
休憩時間、ぼくと同じくメイド服を着ている蛍一が声をかけてきた。
中指で眉間にむかってメガネをぐいっと押し上げる。
「一応、おまえに話しておきたい。現時点でのおれの仮説を」
「仮説?」
「けっして真実だと思わず、眉唾できいてくれ。まず、手帳に記載されている女性のことだ」
「うん。これまでに、ぼくが卒業式に手をつないで学校を出ていった――と思われる人たちだね」
「そう、その交際期間だが……中には『3日』っていう極端なものがあるな」
「早足さん」
「その点を考えていて、ふと奇妙な可能性を思いついた。それは記載されている交際期間の前に、おまえがだれかと交際していた可能性だ」
「え? ぼくが? まさか……彼女なんかできたことないんだけど」
「いや、一人だけ、おまえの彼女でもおかしくない人間がいる」
「だれ?」
メイドのコスプレらしからぬ堂々とした腕組みのポーズ――強気な設定のキャラならありえるかもだが――で蛍一は断言した。
「消えた幼なじみだ」
その言葉はぼくの心の中でじわりと広がっていく。
卒業式の日からカウントされていたと思っていた交際期間が、
本当はノアと別れたあとからカウントされていた?
――ぼくとノアは卒業式の日まで、つきあっていた?
じゃあ卒業式の日に、どんな理由で別れたっていうんだ?
いったい……
いくら考えても、その答えはでなかった。
二年生になった。
「やあ」
もう気にしてないよ、といった感じで同じクラスになった彼女がかるく手をあげる。
逆に気にしてたのはぼくのほうで、テンパって「よー」というヘンな返事をしてしまった。
くすっ、と花輪さんは笑う。
それから、月に一回ぐらいは休み時間に会話できるチャンスがめぐってきた。
インスタをやってること、
花が好きなこと、
好きなマンガ、
好きな音楽、
部活でのあれこれ、
――好きな男子のタイプ。
「好みが合う人がいーなぁ。もし私とぴったり一致してたら、結婚してもいいぐらい!」
感動した映画、
これだけはイヤだということ、
休みの日のすごしかた、
よくみる動画のチャンネル、
はじめて読み切った小説。
「でも……けっこうマイナーなものが多いから、私とぴったりっていうのは世界中さがしてもキビしいかなー」
また引かれたくないから、なにげない会話以上のことは望まなかった。
そのうち、ぼくは三年になった。
花輪さんはちがうクラスに、教室の位置的にも遠くにいってしまった。
話せる機会は、ほぼなくなった。
そのぶん、ぼくは―――
(最初はこうで……あまりアセらず、ゆっくりと関係を深めていって……)
考えることに集中できるようになった。
一生いっしょのパートナー?
そんなものは、今のぼくには必要ない。
(ぼくは計画をねる……それだけでいいんだ。ぼくの未来は、ぼくにたくす)
ある日の廊下で彼女とすれちがった。
「やあ」
と、それだけだった。
となりには、ボーイフレンドなのか、ただのクラスメイトか部活仲間かは知らないけど、背の高い男子が歩いていた。
おどろきはしない。
むしろ、あれだけ明るくて元気で話しやすく、ときには「いいね」と言葉にして相手の良さを認める性格のいい女の子に、
だれも言い寄っていかないわけがないんだ。
(そうだよな。当たり前だ。ぼくらは高校生なんだから……)
はきだす息が白くなる季節になった。
「おに。最近、アレ言わなくなったね」
マンションの前で帰宅した妹とハチ合わせた。
二人だけのエレベーター。
「アレってなんだ?」
「あー! 自分でお願いしといて忘れてるー!」
どんどん、とうしろから肩たたきのようにたたかれたが、
それでもぼくはアレがなんのことか思い出せなかった。
卒業式。
ぼくはたった一人だ。
克樹や蛍一には、すでにぼくの意図を伝えている。
二人とも計画に賛成して、いろんなアイデアや情報収集をしてくれて、ほんとに助かった。
ぼくはこの高校で最高にいい友だちに出会えたんだ。
友だちの名前は、江口克樹と深森蛍一。
思えば、一年の四月のときから、二人とははじめて知り合ったように思えなかった気がする。
ずっと、同じ時間を共有した親しい――そう、親友のように感じていた。
面白いことに二人もそうらしい。
だから一年の最初から、中学が同じでもなかったのに、あいつらは下の名前で呼び合うほどの関係になっていたんだ。
もしかして、ぼくたちは無意識のレベルでループを自覚してるのかもな、とかそんなバカなことを空想したりもした。
(もうここでぼくがやることはない。いこう!)
今日は天気がいい。風も気持ちいい。
地面に落ちた桜の花びらが、点々と校門のほうへ伸びている。
ふまないようによけて、一度校舎をふりかえって、学校を出た。
◆
高校初日の朝からツイてない。
寝癖はひどいし、家にスマホ忘れて定期券つかえなかったし、ほどけたスニーカーのひもをふみつけてコケるし。
「どーぞぉ!」
あ。
反射的に受け取ってしまった。
駅前の広場で、ポケットティッシュみたくくばっていたから、てっきりポケットティッシュだと思ったんだけど。
手帳だ。
しかもずっしりくる革製。黒い色の。
こんなのタダでもらっていいのか?
(……なんか、はさまってるな)
しおりみたいなのが。手帳の上の部分にちょっとだけ見えている。
(なんだこれ……はっ!!!???)
「親愛なる自分へ
長い道のりだったが、それもとうとう終わりをむかえる。
いま手帳を手にしている〈ぼく〉が、終わりにするんだ。
まずは幼なじみのことを説明しよう。
あいつは、もうこの世界にはいない。しかし、そのことはいったん後回しにしたい。」
なっ!?
ノアが……いないだって? そんなバカな!
ものすごく大事なことだろ、なんで後に回すんだよ、ぼく。
仕方ない。つづきを読むか。
「一生いっしょのパートナーをみつけて卒業式に手をつないで学校を出ること。
これが高校から出られる唯一の条件だ。しくじれば、またべつのぼくがこの手帳を受け取ることになり、永久にループする。
だが心配しなくていい。
もう相手はすでに決まっているから。
そして計画もある。
すなわちジグソーパズルのピースは用意されていて、キミはそれを順にハメていくだけなんだ。
いいな?」
まだ文章はつづいている。
ぼくは近くにあった赤いベンチにすわった。
しばらく、そこから先を黙読した。
「――――――というわけだ。
このとおりに行動すれば、必ず卒業式に彼女と手をつないで、学校の〈外〉に出られる。
ついに高校から出られるんだ。
わかってる。何もいうな。たしかに、こんなやりかたで恋愛しようっていうのは反則もいいところだろう。
しかし、わかれ。
ぼくは高校三年間をすべて投げうって、次なるぼくのために〈前編〉をつくったんだ。
ここから〈後編〉をやるのは、もちろんこの文字を読んでいる自分だ。
つまりこれは合計六年もの月日を、いや、これまでループしたすべての年月をかけた、とても大きな――史上最大の計画なんだ。」
ぼくは手帳から顔をあげた。
駅から学校に向かう多くの生徒がいる。その中に、あいつの姿はない。
「そろそろ、幼なじみのことが気になっていると思う。
あいつはいなくなった。ぼくのときからだ。ぼくより前のときはいたらしい。
いなくなった理由はわからない。
事実だけを書く。
この世界にはあいつもあいつの家族も存在しない。それどころか記録されているものすら、一切ない。
はっきり言って異常事態だ。
ぼくの頭の中以外には、幼なじみはいないんだから。
ここまでで違和感があったか? そうだ、ぼくはもうあいつの 名前 も思い出せない。
どうやら時間がたつほど、忘れていってしまうようだ。
けれど安心しろ。
ぼくはあきらめてない。
あいつを取り戻すことができる、たった一つの方法を以下に書き記しておく。
あとはたのんだぞ。」
すべてを読み終わって、ぼくは目を大きく見開いた。
これは……!
我ながら、なんてことを考えるんだ。
だが、たしかにもうこのやりかたに賭けてみるしかないのか。
あいつを―――とりもどすためには。
手帳を手に、ベンチから立ち上がる。
どうやらノアがいなくなったからって、クサってる場合じゃなさそうだ。
そんなことしてたら、ビンタでもされるかもしれないな。
前回の――いやこれまでのぼくもみんな、ぼくの背中を押してくれてる。
やるしかない。
今回が、ずっとくり返してきた高校生活の、
(ノア……まってろよ)
最終回だ。