カメラの向こうのアイドル
道行く誰もが立ち止まって振り返るような、整った顔立ち。
太陽さえも恥ずかしがって隠れてしまいそうなほどの、眩しい笑顔。
残念ながら、それは鏡に映る自分の姿などではなく、音楽番組のカメラに映し出された一人のアイドルに他ならない。
『みんなありがとー!』
テレビのスピーカーから流れてくる、透明感のある綺麗な声。
舞台上に堂々と立つその人の一挙手一投足にファン達の目は釘付けになり、手を振ろうものなら割れんばかりの声援で応えていた。
さぞや気持ちの良いことだろう。
完璧な見た目に生まれて、自分を好いてくれる人間が大勢いるという感覚は。
一方で私はというと、大きなゴミ箱の中みたいに散らかった自室に籠もり、テレビ画面の向こう側にある華やかな世界を、腫れぼったく細い目で眺めているだけ。
せめて二重だったらよかったのに…と思いかけて、途端に馬鹿馬鹿しくなった。
たとえぱっちり二重だったとしても、今度は岩山のようにボコボコとしたニキビ面と、丸く潰れた鼻が余計に気に障るだけだと気付いたからだ。
父に似てこのザマだが、もしも母に似ていようものならぺちゃ鼻の代わりに長い顎が受け継がれていたのは目に見えているので、さしたる違いはない。
父よ、母よ。
どうしてその醜い顔で子を産もうと思ったのか。
生まれる子の気持ちを少しでも考えたことはあるのか。
「ご飯できたわよー」
一階から、母の太い声。
私の苦しみなどつゆ知らず、呑気なものだ。
微かな苛立ちを込めながらテレビのリモコンを押し込んで、こちらに向かって笑いかける綺麗な顔をブラックアウトさせる。
顔が良ければアイドルにだって何にだってなれる。
その逆に、顔が悪ければ何者にもなれない。
社会とはそういうものだ。
誰しもこの世に産まれた瞬間からその運命は決まっていて、テレビの向こう側にいるあの人は成功への階段を駆け上がり、私は転がり落ちていくだけ。
私はアイドルにはなれない。
ガチャリと部屋のドアを開けて階段を下りると、一歩踏み出すたびにミシッ、ミシッ、と築32年の木板が重苦しい音を響かせた。
不意に、むせるようなスパイスの香りが鼻を抜ける。
どうやら今夜はカレーらしい。
案の定、ダイニングのテーブルの上には3人分のカレーが並んでいた。
各皿から白い湯気がもうもうと立ち上っているところを見ると、料理はまだできたばかりだろう。
なのに席に父と母の姿が無い。
キャッキャと黄色い声がリビングの方から聴こえてきて、何事かと振り向く。
そこでは両親が肩を並べてソファーに座っていた。
「ほらっ、あなたも見て!」
私に気付いた母がチョイチョイと手招きしてきたので、言われるがまま近寄ると、2人は古いアルバムを持ち出して楽しげに眺めているところだった。
「今日片付けしてる最中に見つけたのよ!懐かしいでしょ」
と母。
なんだくだらない、そんなことより先に夕食を食べればいいのにと溜め息を吐きつつ、私は仕方なく後ろから覗き込む。
「うわっ…」
思わず声が出た。
なぜならそこに写っていたのは、キラキラとした派手なアイドル衣装を身にまとった幼い頃の私だったからだ。
ブサイクの分際で恥ずかしげもなくカメラに向かって決めポーズをとり、謎の自信に溢れているその姿はまさに黒歴史そのもの。
「そんなの捨てて!」
私が手を伸ばすと、慌ててアルバムを遠ざける母。
「だめよ、私の宝物なんだから」
宝物?そんな見苦しい写真が?
ムキになる私とは裏腹に、父と母は嬉しそうに飽くことなくその写真を眺め、ニコニコと過去を振り返る。
「あなた覚えてる?この日、手作りのチケットを渡してくれて、家の中でリサイタルを開いたの」
「そんなこともあったな。たしか、拍手すると何回もアンコールしてくれたっけ」
まるでアイドルのブロマイドカードを手に、目を輝かせて語り合うファンのような2人の姿を見て、恥ずかしさを通り越して沸々とした怒りさえ覚える。
身の程も知らずアイドルごっこをしていた当時の私を小馬鹿にしているとしか思えなかった。
「そんな昔の話、どうだっていい!先にご飯食べるから」
「どうしたのよ急に?」
「…別に。こんなブサイクに生まれなければ良かったのにって思っただけ」
怒りにかまけて、ついそんな言葉が口をついた。
ギョッと驚いた顔でこちらを向く父と母の視線が、胸の奥深くに突き刺さり、私はとっさに顔を伏せた。
そのセリフで、2人が傷付くことが分からないほど私は愚かではない。
でも、私の抱えるこの苦しみを知らぬまま能天気に笑い合う両親がどうしても許せなかった。
同じように、傷付いて欲しかった。
私は最低だ。
「………」
沈黙がずしりと肩にのしかかる。
体が鉛みたいに重くなって、その場から逃げ出したいのに足が動かない。
唯一自由に動く眼球だけをキョロキョロと意味もなく右へ左へ傾け、模様も何もない薄茶色をした無地のフローリングマットの上に目を這わせる。
髪の毛が1本落ちているのを見つけて、それに八つ当たりをするかのごとく、ただひたすらその一点をジッと睨みつけた。
無論、そんなことをしたところで何の解決にもならない。
だが、癇癪を起こしてその場から逃げ出すことも、啖呵を切って両親に立ち向かうこともできない私は、その髪の毛を見ている間に、何かが起こるのを待っていた。
私はどこまでも弱く、自分からふっかけた喧嘩の決着すら他人任せにする、救いようのない奴だった。
何分にも、何時間にも感じられる気まずい沈黙を破ったのは父の声。
「…ずっと、そんな風に思ってたのか?」
コクリと私は頷く。
頷くことしかできない。
2人はどんな顔をしているのだろうか。
怖くて目を合わせられずにずっと顔を伏せていると、弱々しい母の声が私の鼓膜を震わせた。
「…ごめんね、綺麗な顔に産んであげられなくて」
どうしてだろう。
実際に傷付く両親を前にすると、あれほど同じ苦しみを味わって欲しかったはずなのに、スッキリするどころか余計に胸の痛みが増しただけだった。
窒息してしまいそうな苦しみを紛らわせようと、私は自分の二の腕をぎゅっとつねる。
ビリビリとした刺激に意識を集中させないと、どうにかなってしまいそうだ。
不意に、母がそんな私の手を握ってきた。
柔らかい手のひらが、指に込められた力を優しくほどいていく。
「あなたを綺麗にしてあげられなかったのは私達が悪いわ。なんて謝ったらいいのか分からない」
「………」
「気持ちを伝えてくれてありがとう。私からも、気持ちを伝えてもいい?」
お母さんの気持ち?
そんなの聞きたくない。
だって、そうでしょう?
私がこんな顔に生まれたくなかったように、両親だってこんな子に生まれてほしくなかったに決まってるのだ。
賢くて、聞き分けがよくて、友達を沢山つくって、ちゃんと受験にも受かって、立派に就職する、そんな人並みの子供が欲しかったろう。
わざわざそれを口にして、私のことも同じように傷付けるつもりだろうか。
やがて母はゆっくりと呼吸を落ち着かせて、幼子に絵本を読み聞かせるみたいに穏やかな口調で語りかけてきた。
「…世の中には生まれつき綺麗な人が大勢いて、私達はそういう人とは全然違った人生を歩まないといけない。誰からも褒められることはないし、それどころか馬鹿にされることだってある。理不尽にいじめられたり、好きな人に振り向いてもらえなかったり、つらい目にあってばかりよね」
あ…。と思わず声が出そうになる。
そうか。
私の悩みは、母の悩みでもあるのだ。
考えてもみれば当たり前の話で、私と同じような顔をした両親が、外見にコンプレックスを抱いていないわけがなかった。
母の温かい手のひらが、私の冷たい手の甲を撫で続ける。
「でもね、けっして多くはないけれど、こんな自分でも認めてくれて、必要としてくれて、愛してくれる人は必ずいるの。たとえ綺麗じゃなくても、あなたは私にとって他の誰より一番可愛くて大切な、アイドルみたいな存在なのよ」
そう言って、母はそっと私のことを抱きしめてきた。
温もりが手指だけでなく、全身に広がってゆく。
…なんてベタな展開だろう。
なんのひねりもなく、理屈でもない、ただただ真っ直ぐな子供だましの言葉。
そしてそんな説得力のない言葉を誤魔化すような、安易なスキンシップ。
たったそれだけのことが、どうしてこんなにも胸の痛みを和らげてくれるのか、私には分からない。
「…バカみたい」
「親になるとね、馬鹿になっちゃうの。たとえブサイクな子供が産まれるって分かってても、どうしてもあなたに会いたかったのよ。ごめんね、私のわがままに付き合わせちゃって」
小さく鼻をすする音と、湿り気を帯びた声。
顔こそ見ないようにしているけれど、きっと母は泣いている。
ああ…。
私はもしかしたら、ずっと勘違いをしていたのかもしれない。
顔が良ければアイドルにだって何にだってなれるし、顔が悪ければ何者にもなれない、そう思っていた。
実際のところ、世間からすれば私という存在は、視界に映す価値もないブサイクな凡人に過ぎないだろう。
でも少なくとも今ここに、私のファンがいる。
この人達は私が赤ん坊の頃からこの瞬間まで、私の一挙手一投足に歓声を上げ、声援を送り、何があっても支え続け、愛してくれた。
気付いてなかっただけで、私は生まれた時からずっと、アイドルだったのだ。
ジワジワと、目の奥が熱くなるのを感じる。
「俺の中では…」
さっきまでずっと無言だった父も、何か言おうとしている。
…駄目だ、これ以上声をかけられたら泣いてしまう。
「俺の中では、母さんもずっとアイドルだけどな」
予想だにしなかったその一言に、私は不意打ちをくらったみたいに思わずプッと吹き出してしまった。
「やだもう、あなたったら!」
母はブサイクな顔面をさらに皺くちゃにしながら、照れくさそうに父を小突く。
まるで夫婦漫才のような、そんなくだらないやりとりのおかげで、出そうになっていた涙が一気に引っ込んでしまった。
なんて空気の読めない父親だろう。
これではせっかくの感動的なシーンが台無しじゃないか。
さっきまで泣き声すら聴こえてきそうだったしんみりとした部屋の中が、いつの間にか皆の笑い声で満たされていた。
両目から止めどなく溢れるこれが嬉し泣きなのか笑い泣きなのか、もはやどうだっていいくらい、私は遠慮なしに声を上げた。
私を抱きしめる母の肩越しに、ふとテーブルの上で開きっぱなしだったアルバムが目に入る。
そこに写っている家族の誰もが、醜い顔をしていた。
きっと私はこれから先も整った顔への憧れは消えないし、道ゆく綺麗な人を見るとつい振り返って羨望や嫉妬の眼差しを向けてしまうだろう。
それでもこの写真に写っている、カメラの向こうで幸せそうに笑うブサイクのことを、前よりも少しだけ好きになれた気がした。
fin