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サラバンドに舞うねずみ



 あれから、部屋にいる時にはロックを掛けた。

 思春期という言い訳を事実に見せるためには、どんな侵入者も許してはならないからだ。

 兄ちゃんは寂しそうにしてたけど、両親は面白がって、「兄には無かった反抗期だ」と言って、珍しく俺についてあれこれと語っていた。まあ実際には俺にも来たわけじゃないんだけど。

 俺を刺激しないようになのか、兄ちゃんたちは家に集まらなくなった。両親は変わらず昼夜経営する喫茶店にいるから、家にいるのは俺だけ。とても静かな毎日だ。




 ハロウィンが終わって翌週の日曜。いつものように親の店には行かず、簡単な昼食を自分で作って食べた。

 部屋に戻って、最早何のためか分からないロックを掛けると、少し笑えてくる。実際こんなものは朔くんとトオルくんを安心させるためにつけたようなものだ。


 会えなくなってみると、それほど朔くんへの未練はない。

 疑似体験だったと自分でもわかっていたのかな。それでも、あれをきっかけに訪れた静けさは、俺の孤独な身の上を久しぶりに思い出させてきて、黄昏ゆく秋の気配と相まってかなり切ない。


 風を入れようと窓を開けると、ここ数日の暖かさが戻った秋の風に乗って、表通りに面した両親の店からチェロの音が聞こえてきた。俺は誘われるように窓辺に腰を掛けて柵に寄り掛かると、鼻の根元で音を鳴らして組曲の音色をなぞった。

 小さな中庭を見下ろすと、店と家との間にある小さな小道に、いくつかの紅葉した木の葉が風に押されて這っている。通りの向こうの公園から飛んできたんだろう。ネズミのように走ったり止まったり、不思議と三拍子のリズムに添う。

 車通り、往来の人のざわめき、店の小窓から父さんの笑い声。どれも姿は見えないし、向こうからも俺を見つけることは出来ない。ただ空の青さを共有しているだけだ。

 自由と孤独。

 ちょっと前はこれが当たり前だった。小さい頃から父さんも母さんも店が住まいのようなものだったし、小中高と兄ちゃんはほとんど家にいなかった。父の父、つまり祖父の工房に入り浸っていたから。



 家具職人としてそれなりに名の知れた祖父は、後を継がせたかった長男が音楽の道に走り、ほとんど逃げ出すようにして家を出て十五年。嫁と四歳の兄、そして生まれたばかりの俺を連れて帰ってきた父を温かく迎え入れた。……まあ実際はそれなりに揉めたらしいけど、「孫の可愛さに負けたのよ」とおばあちゃんが言っていた。

 戻っては来たものの、父は変わらず音楽が好きで、それを一日聴いていられる喫茶店を始めた。さすがに祖父ももう父を後継ぎにしようとは思っていなかっただろうが、そんな父の代わりをするように、兄ちゃんが祖父の仕事に興味を持った。

 危ないからと大きなケージに入れられて、それでも構わず工房を訪れる。そんな孫が可愛くない祖父はいない。


 俺が人生で一番初めに理解したのは、自分の性的指向なんかではなくて、俺だけが家族の誰とも毛色が違う、ということだった。

 両親も兄ちゃんも祖父も、これと決めたものに真っすぐにのめり込むタイプ。おばあちゃんは趣味の多い人で、町内の婦人部に入り、カルチャーセンターでコーラス、和裁、生け花。そんなアクティブな人たちに囲まれて育ったのに、俺はなに一つとして影響を受けなかった。

「やりたいことがあるなら、なんでもやっていいよ」

 そう両親は俺に言ったが、勧められるどんなことも、そこまでやりたいとは言えない気がして、最初の一歩が踏み出せないまま、俺はただの暇を持て余した子どもとして人生を積み重ねていった。

 今思うと、身内がああだったせいで、何かを始めるときにはそれなりの熱意があるべきだという先入観があった気がする。取り合えずやってみようというくらいでは、どうせ続かないと思っていた。実際そうかも知れない。それでも、やってみてから分かることもあっただろうに、俺はそれを経験しなかった。

 俺はそのうちに、何も熱中できるものがない自分は、つまらなくてみっともない人間だと思うようになった。

 決定的だったのは小学五年生の冬、インテリア雑誌の特集で、祖父が取材を受けたときだ。

 祖父が取材を受けるのは初めてじゃなかった。でもその時は祖父だけじゃなく、店が軌道に乗り始めた両親と、祖父の才能を受け継ぐ孫として、兄ちゃんの言葉が載った。


『木を触っている時が一番楽しい。どんな家具になりたいか、木と相談するんです』


 中学生男子が吐くにはファンタジック過ぎるんじゃないかと俺は思ったけど、兄ちゃんは所謂、『それが許されるキャラ』だった。

 明るくみんなと仲良しで、運動は得意だけど勉強はそこそこ。ふざけて調子に乗ったり、友達と喧嘩だってする。そんな健全で一般的な男子だった兄ちゃんが、或る日突然、安くても数十万するインテリアばかりを紹介ような雑誌に、自作の椅子に座って載ったのだ。

『すでに才能を覗かせている彼の造り出す作品に目が離せない』

 なんて一文も付いて。

 このことは界隈でまたたく間に知れ渡り、安くもないその雑誌を取り寄せる人までいた。

 こうして祖父はもとより、両親の喫茶店も、箔の付いた兄ちゃんも有名になった。そして、横にちょこっと立っていただけの俺も巻き込まれてしまうことになった。


 注目は俺に凡庸さを思い知らせた。そして周りから嘲笑された。年頃の男子にはかなりのトラウマだ。おまけに家族は才能のない人間の苦労に理解がない。というか、そんな人間なんていないと思っているんじゃないかな。

 俺は絶望したけど、幸いなことにそれは一瞬で、中学に入るとすぐに周りのみんなも自分と大して変わらないと気がついた。

 特殊なのは祖父や両親や兄ちゃんであって、俺には特別な才能も、のめり込むほど好きなこともないけど、大多数がそうなんだから問題ない。俺は普通の男子。至極普通の――。

 ……いつの頃からか、薄い布を重ねるように自分の好意の対象が男である認識がはらりはらりと積まれていった。俺はどうにかそれを見ないようにしていたけど、薄布も集まると重たくなるもので、身動きが取れなくなってもしょうがないから、俺はそれを一枚一枚畳んで自意識の棚に並べた。

 なんと、まさか才能がそういう方向だったとはね。

 中学時代、ひとしきり空空漠々とした精神世界を彷徨った俺は、そのうち、「何もないよりはいいか」と開き直る境地に至った。



 バッハからブルッフに変わった音楽に耳を傾けながら、俺は今後の人生について思いを馳せた。暇だからだ。

 せめて自分にも一芸があれば生きるのも少しは楽だったのにな。ゲイではあるけど。なんつって。

 うちでうるさくしていた彼らもみんな、兄ちゃんや両親と同じ人種だ。熱心に芸術を学び、音楽を奏で、鼻歌を歌うように世界中の料理を作る。俺はといえば、用意されたそれに舌つづみを打ち、「ハロウィンぽくない」なんて、音楽好きの夫婦から生まれたとは思えない薄っぺらい感想を思い付いた挙句、彼らに不要な心配を掛けた。あまりにも凡人。


 ――ふつとチェロの音が途切れ、俺の暇つぶしも途切れた。リクエストが入ったのかなと思ったら、案の定流行のポップスが掛かって、俺はまた鼻歌を再開した。


 もしも俺が何か才能があったら……いや、何も変わらない。両親も兄ちゃんも自分の好きなように生きるだろう。そこに俺も加わるってだけだ。俺はこんなように時間を空費せずにはいるかもしれないけど、俺がどうであるかは、幸いなことに自分にしか影響がない。

 ふいに額の辺りがむずむずして、朔くんとトオルくんのことが脳裏に浮かんだ。

 二人は俺の身に立って、俺のことを心配して行動してくれた。放任主義な家族の代わりに。

 別にうちの親が悪いんじゃない。普通の高校生は親に監視されると余計にひねくれて育つ。この年頃は大抵外にある物や人に影響されるものだ。

「!」

 そうだ、外だ。

 パッと目が開いた。

 ゲイはともかくとして、俺みたいな人間はたくさんいる。俺はもう一人で立って歩けるし、考えることもできるんだから、こんなところに籠っているべきじゃない!

 突然の気付きを得た俺の下方で、地面を這う落ち葉ねずみが、うちの庭に侵入して風と戯れていた。



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