盗撮
トオルくんとの関係が、兄ちゃんの友達から、友達になった翌日の十時、家に健介が来た。
遅れた朝食を食べに玄関を出たところで鉢合わせして、逃げも隠れも叶わなかった俺は、仕方なく健介と店に入ることになった。
「あら~健介くん来てくれたの!」
「こんにちはおばさん! 今年もよろしくお願いします!」
「よろしく~なんでも食べてって! ごちそうするから」
「え、そんな」
「いいのいいの、お年玉と思って! 決まったら教えて」
「あ、じゃあ俺、ミックスサンドイッチが食べたいです!」
「ナゲットも付けちゃう?」
「あ~最高ですそれ!」
「ドリンクは?」
「メロンフロートで!」
二人のやり取りを黙って見ていた俺は、棒立ちながらも感心していた。
仲間内では悪ノリの過ぎる健介だが、大人への愛想はすこぶるいい。奢ると言われて提供が楽なメニューを選ぶところとか、聞かれたことに間髪入れず答えを返す反射神経の良さとか。どんな人間にも学ぶべき一面があると思わされる。
嬉しそうな母さんの視線がこちらに来たのを見て、「俺はホットサンド」と自分の注文を差し込むと、笑顔を深めた母さんは、「りょうかーい」と、カウンターの向こうへ戻っていった。
点在する常連から離れた四人掛けのボックス席に収まり、改めて健介と対面した。例の記事からのしつこい連絡のせいで、俺はうんざり顔を抑えられない。
「アポなし訪問ようこそ」
「厭味ったらしく言うなよ」
「ごめん」
俺が口先で謝ると、「いや」と遮るように健介の手の平がこちらを向く。
「やっぱ俺が謝るわ。しつこく連絡して悪かった」
予期せぬ謝罪の言葉に、うんざりが驚きに変わった。
「今日ってそれ言いに来たの?」
訝しみつつ訊ねると、いかにも申し訳なさそうに頷く健介が、「それもそうなんだけどさ」と、丸まったダウンに手を伸ばした。
「これを見せておこうと思って」
急に得意気な口調になった健介は、取り出したスマホを取り出し、なにやら操作を始めた。
「これ、お前だよな」
ほどなくして出された画像は、簡単に俺の呼吸を止めた。
見せられた画面に写っていたのは、薄暗い中を映画館の裏口に向かって歩いていく俺の後ろ姿だった。右手に持った紙袋で、これがいつ撮られたものかすぐに解った。
「先月の二十八日の早朝の写真、だな?」
なんじゃお前は。刑事か。
出された写真があまりにも決定的過ぎて、茶化す言葉しか出てこない。嘘を取り繕うための嘘もちっとも浮かんでこない。
「えっと……」
「お前友達に嘘吐かれてるじゃんって、ののかに言われたよ」
健介の彼女、ののかって言うのか。
「やっぱりアイキに会ってたってことでいいか?」
「……」
なんだよ、さっきの謝罪はなんだったんだよ。油断させてからの決定的証拠の提示て。
どうしよう。謝るべきなのかな。言い訳するべき? とぼけるべきかな? それとも――。
「なんだよ……物陰からこそこそと。こんなの盗撮じゃ――」
「うん。ほんっとそうだよな!!」
「へっ!?」
迷った挙句逆切れをかまそうと思った俺に、健介が食い気味に肯定した。俺が再び絶句していると、健介の綺麗に整えられた眉は、げじげじと歪んでいった。
「俺もさすがにキレたよ、盗撮とかキモ過ぎるだろって!」
「え、あ、うん?」
今まさにキレているかのような健介に、四文字しか言葉が出ない。
「同じ日のアイキの写真も見せられた。もう少し早い時間の。正直俺にはどれがアイキかわかんなかったけどさ、なんかほんと、執念を感じたわ」
自分のスマホの画像を忌々しそうに見下ろす健介に、俺はすっかり置いてけぼりをくらったような気持ちになった。
どうやら俺の嘘はバレたみたいなのに、健介の怒りはそこには向けられていない。いったいこいつはなにをしに来たんだ?
「俺もさ、分かってんだよ。相手は芸能人なんだしさ、聡太郎が会ってようと、そんなの軽々しく口外できるわけないって」
「え、分かってたの!?」
「わかるよ」
「じゃあなんであんなに何度も」
「だってののかがメチャクチャしつこく言ってくんだよ!!」
再び食い気味に言い捨てた健介は、おしぼりの袋を掴み取ったかと思うと、薄いビニール袋を無体に引き裂き、温かいそれで顔面を覆った。
「あれでも何十回も断ってっから! それでのあれだから! もーまじしつけえの!」
「そ、そうだったんだ……」
「んで昨日になって得意気にこれ見せてきてさ、やっぱり会ってるじゃんって。俺マジで頭来てさ、こんなの盗撮じゃねえかよって言ったら、別にやらしい写真じゃないから罪にはなりませーんとか言われて。それより嘘吐かれてるじゃん、本当に友達なのとか疑われて、友達だから盗撮にキレてんだろって!!」
「あの、なんか……」
ごめんねと言いそうになって、それもなんか違うかと言葉をしまい込む。
顔をおしぼりで覆ったままの健介は、俺のぐらぐらする情緒に気付かないまま、彼女に対する怒りの吐露を続けた。
「マナーとかないのって聞いたら、もちろん禁止されてるけど、聞かない人間はいるし、回ってきたら見ちゃうじゃんだって。俺には聡太郎の写真しかくれなかった。出回るのは都合が悪いんだろうな」
俺はアイドルじゃないから出回ってもいいってか。まあそうか、ファンにとってはただのモブだ。
俺が自分の立ち位置を認識していると、健介の顔からおしぼりがはがれて落ちた。
「さすがに呆れて別れるって言ったらさ、意味わかんないとか言われて。意味わかんないならなおのこともう駄目じゃん? 俺が、推しが居れば彼氏なんて要らないだろって、彼氏の前で推しの話ばっかしておかしいんじゃねえのって言ったら、アイドルに嫉妬してみっともないだってよ」
「わあ」
「もー床でのたうち回ってやろうかと思うくらい腹立ってさ、でもぐっとこらえてクリスマスにあげた推しとお揃いのピアス回収して帰ってやった。推しに買ってもらえや! つって」
「えっ、彼女にアイドルとお揃いのピアス買ってあげたの?」
「だって欲しいって言うから」
口をひん曲げる健介に、俺は立て続けにぎょっとした。
「そりゃ高そうだね」
「高いよ! うちが金持ちじゃなかったら買えてねえわ!」
そうだった。健介の親は眼科の開業医で、めちゃくちゃ金持ちだった。
「せこいとか言われたけど、しったこっちゃねえ!」
これ、と健介が引っ張った右耳の上部に、キラキラと輝く赤い石。
「自分で付けてんの!?」
「だって腹立つからね!!」
ふんっと鼻息を飛ばしてお冷を飲み干した健介に、さっきまでのうんざりした気持ちは跡形もなく消えてしまっていた。
「じゃあ別れたんだ」
「そ」
昨日、トオルくんと朔くんが付き合ったきっかけに俺が関わってるって話を聞いたところだったのに、まさか健介が別れるきっかけも俺が関係しているなんて、なんとも言えない気持ちだ。
「じゃあ結局今日は、別れた報告をしに来てくれたってこと?」
ホットサンドと共に届けられたクリームソーダを啜りながら訊ねると、
「ちげえだろ」
健介がキッと目を吊り上がらせてスマホを顔認証で解除し、俺の盗撮画像を印籠のように見せつけた。
「あ、それか」
忘れていた自分を笑うと、アイスクリームを口に入れたはずの健介が、苦い顔でため息を吐いた。
「俺は別に聡太郎がアイドルに会ってよーがなんでもいいけどさ、こんなん撮られてるってのは教えてやんないとって思って」
へえ、健介ってこんなこと言うやつだったのか。ノリが命の金持ち長男坊だと思ってた。
「それはありがとう」
「おう。ただ、誰が撮ったかは分かんないって言ってた。それも本当かどうかはわかんないけど」
「ふうん」
俺はここに来てようやく自分が見知らぬ誰かに盗撮されていたことについて思考を巡らせた。
アイキのファンと言われたけど、頭に浮かんだのはヒナの姿だ。
彼女だろうか。でも、あの夜に諦めがついたように見えた。翌日に謝罪の電話も寄こしてるし、待ち伏せてこんなのを撮るくらいにまだ律の真実に執着があるとするなら、俺が会ったと知れば、また突撃してきてたんじゃないかな。
「これって、SNSに上がってるの?」
まだどこか他人事のような気持ちで健介に訊ねると、氷に付いたアイスクリームを採取している健介が首を横に振る。
「そうは言ってなかった。ローカルで回ってきたっぽい」
「そっか」
カランと健介が手放した長手スプーンがグラスを鳴らし、いかり肩がシートにもたれる。見下ろすような眼差しは高慢で、以前はこの目が好きじゃなかったけど、他意のない天然の代物だと分かった今は、意外と嫌いじゃないなんて思ってしまった。
距離が出来て楽だと思ってたけど、友達だと言われて少し嬉しい。
「顔は写ってないけど気分悪いよな。ののかには消させたけど、意味はないし」
「うん。でもありがとう」
「いーんだよ」
「盗撮?」
その日、午後からシフトだった俺は、早めに出勤して支配人に写真を見せた。この人は時々俺に話してくれないことがあるから、もしかしたら既になにかあったかもと思ったのだ。
「これ、二十八日の写真で間違いないの?」
「はい。この紙袋にアイキに渡したアレが入ってたんで」
今日の支配人は髪がすっきりしている。散髪したんですかと聞きたいが、今はそのタイミングじゃない。
「あの場に森口くんが居たって問題はないんだけど、これはちょっと気になるな」
支配人の言葉につい不貞腐れそうになった。でも、周囲に会っていないと言い張ってるのは俺の勝手で、そうしろと強制されたわけじゃない。
「これ一枚だけ?」
「はい、俺が見せられたのは。ただローカルで回ってるものらしくて」
「ネットに上がってるわけじゃないんだ」
「みたいです。今のところは」
さっき健介と一緒に思いつくワードで検索を掛けてみたけど、画像もそれらしい書き込みも見当たらなかった。なぜか健介の方がホッとしていた。
健介はあんなに元カノに怒っていたのに、もしもまた俺の写真が回ってきたら教えてくれと連絡を入れてくれた。返事はまだないみたいだけど。
「できることがないのは分かってます。でも一応、報告しておこうと思って」
「うん、ありがとう。うちになにか来たらちゃんと伝える」
「お願いします」
支配人とそんな会話をして、翌日。
「そーちゃん、あんた盗撮されてるよ」
「えっ!?」
アイナさんに背中をつつかれて、俺はその場で飛び上がった。
近くにいた佐伯さんも、「どういうこと?」と、覗いていた段ボールから顔を上げる。
普段よりも幾分メイクの濃いアイナさんがポケットに手を入れて、スマホを持っていないのを思い出したのか、その手をひらひらさせながら、「ウチの友達の同じ科の子がアイキのファンでさ、待ち受けがそーちゃんだったの」と肩を浮かせた。
「それってどんな写真ですか?」
まさかアイキに会った日のあれが――。
「そこで立ってるやつ」
「え?」
潤んだ唇のアイナさんが、売店のカウンター内をちょこちょこと移動してショーケースの前に立ち、物販販売員の定位置を指さす。
「ここ。にこにこ笑ってた」
「バイト中の姿を盗撮されてたってこと?」
佐伯さんがアイナさんににじり寄り、アイナさんは気圧されて後ずさりながら、「そうみたい」と、チークで染まった頬を両手で覆った。
「やめてあげて欲しいって伝えてもらったけど、なんかその子が撮ったやつじゃないみたいなんだよね。ファンコミュで回って来たらしいの」
「ファンコミュ」
それもローカルと言うべきなのかな。
「なんで? なんでそんなことするんだ!?」
何故か俺よりも動揺している佐伯さんが、覆いかぶさる勢いでアイナさんに詰め寄る。
「わっかんないですよ! 真心だから!?」
身を縮めて顔を両手で覆ったアイナさんに、ようやく我に返った佐伯さんは、「支配人に伝えてくる」と大股で事務所へ向かって行った。
その日は少し長く感じた。
お客さんの動向が気になったのもあるけど、事情を聞いたスタッフのみんなの視線の方が鋭くて、おまけに俺の隣に常に誰かが立ってくれているもんだから、そっちの方が落ち着かない気持ちになった。
そのうち事務所から高橋さんが降りてきて、厳めしい顔で『スタッフの撮影はご遠慮ください』と掲示物を貼って去って行った。
仕事が終わり帰る時間になると、佐伯さんから話を聞いた社員のみんなが俺を送ると言い出して、結局支配人がその役目を買ってくれた。俺は何度も断ったけど、近いんだからと押し通されてしまった。
「別の写真か」
呟く運転席の支配人に、俺は申し訳ない気持ちでシートベルトを締めつつ、一昨日の夢のことを思った。
夢っていうのはどうして非現実的なことをすんなりと受け入れてしまうんだろう。この人を神様と思うなんて。
「なんか、やらしい意図が見当たらない場合、犯罪にはならないっぽいんですよね」
俺はドリンクホルダーのボトルからガムを一粒貰い、口の中でカリッと糖衣をかみ砕いた。
「常に裸でいれば撮られないで済むってこと?」
支配人の言葉に吹き出して、鼻をメントールが突き抜ける。
「俺が捕まるでしょ」
車内にしょうもない二人の笑い声が響いて、シフトレバーがドライブに入り、車が動き出した。
「君はそれほど怖がってないね」
「そうですね。気にはなりますけど」
「どうして?」
「んー……対面じゃないから、かな。特典を渡してる時にじろじろ見られた方が怖かった」
「なるほど」
「まだ真心の名残が残ってるのかなって。だから、そのうち飽きるんじゃないかなって思ってます」
俺の言葉に肯定的な音を漏らした支配人は、短くなった髪を右手で掻き上げて、
「そうだといいね」
と、涼しい声で言った。




