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三人目のジャック・オ・ランタン



「それで? 俺のこと好きって言ったら二人はなんて言ってた?」


 声がした方へ顔を向けると、運転席で支配人が笑っていた。

 驚いたのは一瞬だった。窓の外は柔らかな光に満ちていて、エンジン音もない。

 俺は瞬時に理解した。

 自分の命が終わりを迎えたこと。隣に居るのは支配人の姿をした神様で、今までの人生で起こった全ての物事の感想を聞かれている状況にあると。

 俺は身体の力を抜いてシートにもたれた。


「二人が盛り上がっちゃって困りました。母さんが不思議そうな顔して」

 すると支配人はくすっと笑って、例の香りを漂わせながら、ドリンクホルダーの白いボトルの蓋を開けてガムを一粒摘まみ、口に放った。

「お母さんには言わないの?」

「母さんは俺の恋バナになんか興味ないから」

 口先で自虐的な笑いが漏れて、そんな自分に驚きが起こる。

「……っていうか、俺に興味がない」


 あれ、俺の人生の心残りってこれなのか? もっと親に関心を持たれたかったって? なんだよ、俺って子どものまま死んじゃったんだな。


「そんなことないよ」

「え?」


 顔を上げた途端、支配人がぐいっとハンドルを右に切った。どこにも道は見えないのに。

「そんなことないって、どうして?」

「だってお母さんは君のために何かをするとき、必ず君の好きな音楽を掛けるだろ? 料理を作る時なんかにさ」

「ああ、まあ」

 そう言われると確かにそうだ。俺もそれに気付いていたし、少し、嬉しかった。

 少しだって。もう人生は終わったんだから、素直に「凄く嬉しく思ってた」って言えばいいのに。


 居た堪れなくなった俺は、勝手にオーディオのボタンを押した、すると母さんの好きなチャルダッシュが流れた。

 素早いヴァイオリンの音色、支配人の握るハンドルは右周りに固定され、アクセルはベタ踏み。心地いい遠心力が俺の身体をますます左へと傾ける。

 曲が大らかなフレーズに到達した途端、フロントガラスの向こうで光の雲が切れ、抜けるような青い空が視界いっぱいに広がった。

「うわあ! ここがあの世?」

 俺が声をあげると、支配人が可笑しそうに喉を鳴らした。

「ただの朝だよ」







 変な夢だったな。

 差し込む朝日が額にかかって眩しい。夕べ、カーテンをちゃんと閉めていなかったみたいだ。

 ぬくんだ額を押さえて起き上がると、そこで俺はまた変なものを見つけた。

「ジャック」

 さすがに三度目ともなると驚かない。それに、今度は俺のベッドじゃなくて、ちゃんと床に布団を敷いて寝ている。まるで棺で眠る吸血鬼みたいに胸の上で両手を組んで。

 被ったカボチャのそれから、端正な顔が露出していた。

 三人目のジャック・オ・ランタンの正体を知って、ようやく驚きがやって来た。

「トオルくん」

 名前を呟くと、次に疑問が湧いてくる。だってトオルくんは、こういうことで俺を驚かせないよう部屋に鍵を付けさせた当人だ。

「トオルくん」

 俺はベッドから手を伸ばし、トオルくんの両手を二度ほど揺すった。すると温かい手が俺の手に触れる。

「ん……おはようそーちゃん。ごめんね驚かせて」

 目を覚ましてすぐに謝罪がきて、ますますトオルくんがここにいる訳を知りたい。

「いいけど、どうしたの?」

 訊ねると、トオルくんの真っすぐな眉が富士山みたいななだらかな八の字になった。

「そーちゃんと話したくて」

 のったりとした声は普段よりも甘く、指先が被り物のかかる頬を痒そうに指で擦る。

「とりあえず、それ取れば?」

「いい?」

「いいよ。そんな決まりないんだから」

「そう?」

「そうだよ」

 トオルくんが被り物を脱ぐのを待つ間に、俺は兄ちゃんの顔を思い浮かべた。きっとヤツの指示に違いない。

 一晩カボチャを被ったトオルくんの髪はくしゃくしゃになっていて、いつもと違う無防備な姿が、無口なトオルくんとの距離を無くしてくれる。

「それで、話って?」

 むっくりと起き上がったトオルくんは、布団に包まって鏡餅みたいなフォルムになったあと、ためらいなく真実を口にした。


「実はね、俺、朔と付き合ってるんだ」


「え……」


 俺の目がぐるりと視界を一周するのをトオルくんは黙って待ってくれた。それから、予期していなかった話を咀嚼する時間もたっぷりと与えてくれた。

「……朔くんと、トオルくんが?」

 たくさん時間を貰いながら、俺はただ聞き返した。

「そう。俺が告白した。そしたらー……奇跡が起きて」

 言ったトオルくんが恥ずかしそうにする。奇跡なんて響きを久しぶりに聞いて、俺の頬も熱を持った。

「ずっと好きだったんだ。大学に入って初めて話しかけられたのが朔で、それから。自分がそうなんだって気が付いたのもその時」

「そうだったんだ……」

 待ってよ、朔くんを好きになって、それで自分がゲイだってわかったってこと? なにそれ、めちゃくちゃときめいたってことじゃん。漫画じゃん。

「好きになっていいのかなって随分悩んで、取り合えず学生の内は友達のままいられたらって思ってたんだけど」

「だけど?」

 俯きがちに語るトオルくんに、胸の辺りでシャボン玉みたいにぶくぶくと好奇心が湧き上がってくる。今にも喉から溢れてカニになりそうだ。


 そんな単純な興奮の一方で、どうもこれが本題じゃなさそうだということも感じた。同じゲイの俺に惚気を聞いてもらいたい、なんてことじゃない。だって、俺がみんなにカミングアウトしたあの夜にも、トオルくんは今と同じ顔をしていたから。


「俺さ、いつも朔がここに泊まる時、そーちゃんと寝るのが嫌だったんだ」

「え? ああ……」

 すっかり忘れていた決まりごと。トオルくんが気まずそうに布団に埋もれた。

「理由を聞いて納得はしたんだけど、朔がいない日もあるし、もっと別の方法がいいんじゃないかって言ってみたりして。でもね、自分の嫌だなって気持ちの方がずっとずっと大きかったんだ。なのに、そーちゃんの気持ちを考えろよとか言っちゃって。直ぐに鍵まで用意した自分が、もの凄くずるい奴だなって感じてさ。それで――」

「え、あれがきっかけで告白したの?」

「うん。本当は俺は朔が好きだから、そーちゃんと一緒に寝てるのが気になってしょうがないんだって」

「はー」

 凄い。なんて真っすぐなんだ。眉毛と一緒。今度、眉毛占いとか考えてみよっかな。

「散々そーちゃんのためっぽく言った後にさ、かっこ悪いよね」

「いや全然! それで、朔くんはなんて?」

 俺は下らない思い付きを捨てて、ベッドから身を乗り出した。

「いや、俺たちの成り行きはいいんだけど」

「え、よくないけど?」

「そうじゃなくて、その前に!」

 食いつきが過ぎる俺に、焦れたようにトオルくんが鏡餅から脱皮した。


「俺、イブにそーちゃんがゲイだって聞いて思ったんだ。もしかしてそーちゃん、朔のことが好きだったんじゃないかって!」


 真っすぐな目が俺を見ている。前は無表情に見えていたそこに、罪悪感が灯っていた。

「そーちゃん。俺、悪いことした?」

「…………」

 そんなこと気にする必要ないのに。

「ううん」

「ほんとに?」

「まあ、年頃のゲイとしては悪くないシチュエーションだったよ? でも朔くんとどうにかなりたいとは思ってなかったよ」

「ほんと?」

 不安そうな目が子どもみたいに繰り返す。

「ほんと」

 肯定して笑いかけると、トオルくんがようやくほっとした顔になった。

「ごめんね、もしもそうだって言われたって、じゃあ朔と別れるよなんて言えるわけじゃないのに。でも」

 トオルくんの両方の手が伸びてきて、最後のお別れみたいに俺の両手をしっかりと掴んだ。

「トオルくん?」

「俺とそーちゃんは一緒。だから、これからはみんなよりももう少しそばに居られると思うんだ」

 そうか、これが言いたくてトオルくんはジャックを被ったのか。俺のそばにいるために、さっきの確認が必要だったんだ。

「言っても俺にはなんの経験も知識もないから、アドバイスは出来ないんだけどね。でも一人じゃないよって、知っててもらいたかった」

「ありがとう、トオルくん」


 俺はトオルくんの優しさに胸がいっぱいになった。真っ直ぐな眉が実直さを表しているように見える。

 幸い悩んでることは無い。けど、その代わり好奇心はある。もう今にも口から溢れんばかりに。


「トオルくん。俺、聞きたいことがあるんだけどいい?」

「もちろん!」

 俺は嬉しそうにするトオルくんの両手を今度はこっちからしっかりと握り直した。

「トオルくんに告白されて、朔くんはなんて返事したの?」

「え?」

「付き合うことになったってことは、朔くんもトオルくんが好きだったってこと? てかあれから二ヵ月は経つよね? 今も付き合ってるってことは上手くいってるってことだよね? デートとかはしてる?」

 興味の赴くままに質問をぶつけると、顔を赤くしたトオルくんが俯く。俺は構わず続けた。

「そういえばハロウィンの日の二人、痴話喧嘩してるように見えなくもなかった。あれって付き合いたてだったってことだよね? しかもあの後パーティーに出ないで二人で帰ってったよね? 二人で過ごしたの? クリスマスパーティーの時も二人で遅れてきたって聞いたよ? もしかして前日から一緒にいた? それってどんな――」

「ちょちょちょっとストップ!!」

 掴んだ手を上下に振って、トオルくんが俺を遮る。

「無理。気になって止まんない。クリスマスに二人だよ? これってやっぱりさ――」

「なにも言えないよ!!」

「え~!? 初めて好きになった男と付き合えた話、俺にも聞かせてよ」

「聞きたいの!?」

「そりゃそうでしょ」


 荒木、透馬。今なら二人の気持ちがよくわかるよ。ごめんね、昨日あんな風に切り出しておいて、支配人がたった一度付けてた香水がいい匂いだったーなんて話しかしなくて。

 俺は二人のつまらなさそうな顔を思い出しつつ、見たことのないトオルくんの慌てた挙動に、朝から得をした気分になった。これは朔くんとの添い寝で得られたのと同じ、ポジティブなエネルギーだ。


「二人のこと、兄ちゃんたちには?」

「まだ言ってない。仲間内だしね。それに、朔はゲイってわけじゃないと思うから」

「そっか」

 それはつまり、今後二人に何が起こるか分からないからってことかな。

 それって少し切ないね、なんて言いそうになって、なんとか飲み込んだ。

「もしかしてトオルくん、朔くんの話するの俺が初めて?」

「もちろんそうだよ! 他に同じな友達いないし」

「友達……」

 なんてこった。俺がトオルくんの初めてのゲイ友。

「ね、今日朔くんと会う予定?」

「いや、最近制作の調子いいみたいで」

「じゃあさ、俺と一緒にどっかいこ! もっと話聞きたい!」

 上がったテンションに任せて俺が誘うと、トオルくんは迷うような声を出しつつも、嬉しそうに歯を見せて笑った。





 トオルくんと友達となったその日、二人で街をぶらついた。

 二人でいるとトオルくんはよく喋った。グループでいると出しゃばれない人っているよな、なんて気付きを得ながら、普段はただの背景だった街のあちこちに美大生の就職先があることを教えてもらった。

 それは広告会社だったり、看板屋だったり、建築事務所だったり、アパレルショップだったりした。

 卒業した先輩が秋ごろにオープンするというカフェの予定地を見て、それから朔くんと初めて手を繋いだ場所を白状させ、最後はトオルくんと朔くんの行きつけの喫茶店に連れて行ってもらった。

 うちの店とは趣が違って、純喫茶というやつなのかな。コーヒーは美味しかったし、卵サンドも絶品だったけど、その店のいいところを見つける度、なんだか浮気をしているような妙な心境に陥った。


 そしてこれが、俺の平穏な日常の最後となった。



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