友達
「あそこに……いたの?」
「うん」
「いた」
頷く二人を見て、俺は目を伏せた。
皮膚がぞわぞわと粟立っていた。ゲイかと聞かれたからじゃない。今しがたついたばかりの嘘がバレたと思ったからだ。
あの告白を聞かれていたなら、アイキと会う会わないのやり取りも聞かれてたんじゃないか?
いや、ヒナには「会う予定がある」とは言ってない。彼女が「会う」と思い込んで、俺と支配人でそれを否定していたんだ。だから、聞かれていたって問題ないはずだ。
「……他には、なにか聞いた?」
心音が速まるのを感じつつ訊ねると、二人は顔を見合わせて、先に透馬の視線がこっちに戻ってきた。
「ううん。なんか人がいっぱいいて状況がわからなかったし、立ち聞きは駄目かって思って、すぐに帰った」
「そう……」
本当に、何も聞いてないのかな。
何を聞かれたくないのかも思い出せないのに、胸がそわそわする。
「本当はさ、次の日に聞こうって言ってたんだ。終業式な。でも聡太郎、めちゃくちゃ普段通りだったからさ。聞き間違いだったんじゃないかなーって透馬と話したりして」
荒木の頭が右左に揺れて、声色が妙に明るい。
今のは俺のために『聞き間違い』の可能性を作ってくれているのかもしれない。そう気が付いて、俺は慌てて自分を叱った。
いやいや! 嘘つきは自分じゃないか! 友達を疑ってないで、まずは聞かれたことに答えろ!
気持ちを整えるため、お冷に手を伸ばしたいのを我慢して息を吸ったその時、透馬のスプーンが小さなオムライスの丘にぺしゃっと着地した。
「ごめん、あんなとこに俺たちがいるなんて思ってなかったよね。荒木と電話してたらさ、暇だし聡太郎のとこ行ってみよっかってなって、それで」
ああそっか。俺が誘ったんだっけ。例年通りパーティーをしてるって。俺はバイトだけど、十時過ぎにはいるって言ったんだ。
「俺たちには、聞かれたくなかったか?」
荒木の珍しく落ち着いた声に顔を上げると、二人の真面目な顔が並んでいた。これが、いわゆるセンシティブな話題だからだろう。俺はそれを見て、いよいよ嘘を気にしていた自分が厭わしくなった。
「ううん、そんなことない。あと、俺のことは聞こえた通りだよ」
大丈夫だ。きっと二人は受け入れてくれる。だからこうして面と向かって訊ねてくれてるんだ。荒木も透馬もそんなことはきっと――。
ところが二人の表情は、見る間に大きく変わっていった。
荒木の唇がきつくすぼまり、片目がこれでもかというほど見開かれる。透馬の顔はみるみる赤く染まって、手から離れたスプーンがカランとお皿を鳴らした。
「ど、どうしたの?」
今にも顔面から何かが噴き出しそうな様子の二人に恐々訊ねると、二人は揃って前のめりに飛び出してきた。
「「じゃあ、あの男の人が彼氏!?」」
「えっ?」
二人の声は一言一句揃っていた。でも、『彼氏』の部分は理性的にボリュームが抑えられた。俺が聞き返した声の方が大きかったくらい。
「彼氏って?」
「隣に居た人だよ!」
荒木が更にこちらに身を乗り出してくる。
「え? あ、いや、あれはうちの映画館の支配人で――」
「それは知ってるよ!!」
透馬の指が矢のような速さで映画の広報誌を指す。
「「その支配人が恋人かって聞いてんの!!」」
食ってかかる勢いの二人にのまれた俺は、それでもテンションが理解できない。
また鳥肌が立っている。恐怖というよりは、酷く恥ずかしい。
「えっと、違う……けど?」
ぎこちなく否定すると、前のめっていた二人の勢いが、ぱちっと電気を消したみたいに消えた。揃ってくったりとソファーに背中をもたれ、それでも三つの目は、まだ俺の言うことを信じていない様子だ。
「…………」
「…………」
「…………」
沈黙が訪れた俺たちを取り持つように、スピーカーからアンニュイな音色が聞こえてきた。浮いたり沈んだりするメロディーに、大人の女性がひと夏の恋を願ってる。小さい頃から何度も聞いている曲だけど、なんという曲名なのかを俺は知らない。
なんだろう、ちょっとよくわからなくなってきた。
さっきまでの二人は、俺のカミングアウトについて慎重に真偽を訊ねてくれているようだった。なのに今は目的が違うみたいに思える。
「えっと……ちょっとなんか、話が掴めないんだけど」
俺が一先ず申し訳ない気持ちを顔で示すと、荒木が眼帯のかかる眉を爪の先でばりばりと掻いた。
「俺たちさ、聡太郎が急にバイト始めた時、カノ――いや、恋人が出来たんだって思ったんだよ。クリスマスも近いしーって」
「恋人?」
「そう。でもいざ十二月になったらイブもクリスマスもバイト入れてるって言うからさ、どういうことだ? ってなってさ。な?」
同意を求められた透馬が頷き、「それで突撃したろってなった」
「はぁ」
さっきは暇だったからって言ってたけど、あれは嘘ってこと?
訊ねたいが、二人はそんな食い違いは気にしていない様子で、透馬は残っていたオムライスを大きな口に詰め込む。
「そしたらあの場面だろ? 始めはあの女の子がカノ……あ、恋人だと思ったんだ」
荒木がいちいち彼女を恋人と言い換えるのは俺への配慮だろうか。正直どうでもいいんだけど。
「で、あの男の人があの子の父親で、デート中にとっつかまったのかなって。な?」
咀嚼中の透馬が頷く。どうでもいいけど、まだ三十代半ばだというのに大学生の子持ちにされた支配人に同情を禁じ得ない。
「そ。そしたらゲイだって聞こえてきて、さっき言った通り退散したんだけど、二人してまたよく分からなくなっちゃって」
ホルダーからピッと抜き取った紙ナプキンで唇を拭いつつ、透馬は続けた。
「ゲイってことは男の人の方が恋人なのか? とか。じゃああの女の子は? とか。まさか子持ちの男とそうなっちゃって、娘に現場を押さえられて、さらにはお兄さんたちにまで見つかってカミングアウトをせざるを得なかった! とか!」
「ちょっとちょっと、なんだよその修羅場!」
想像力の逞しい透馬に、俺は慌てて手を伸ばした。
「そしたら記事が出てさ、あれ? 聡太郎の上司じゃんって! あぁ~なるほど職場恋愛か~って。な?」
「うん」
「うんじゃないよ! 勝手に納得すんな! てかもしかして、これが一番聞きたかった話!?」
「うん」
「だから、うんじゃねっつーの!!」
俺は嘘の罪悪感をすっかり忘れ、呆れてしまった。
恐らく二人は嘘を言っていない。初めに言ったように暇だったんだろう。それで妄想が捗って、うちに突撃する事になったに違いない。
「あの人は上司! 多分ゲイでもないし、だからもちろん俺の恋人なんかじゃない!」
「そうなの?」
「そうだって言ってんだろ!」
「じゃあなに?」
「なにって、ただの支配人だよ!」
「じゃなくて、あの状況のこと!」
「え? あ、ああ……」
言い伏せたつもりが、透馬にビシッと指を差されて、勢いがそがれた。
確かに、そこを説明しないとだな。
「えっと、あそこにいた女の子っていうのがさ……」
俺は二人に、あそこにいた女の子が律のファンだと打ち明けた。二人はますます不思議な顔になったけど、ああなった経緯を順を追って説明すると、徐々に眉間から皺が消えていった。
「あの子がアイキの真心って言い出したってこと?」
「いや、それは知らない。SNS上で言われてるって教えてきた子」
「あ~その子なんだ!」
「てかお店くるのはギリわかるけど、家に来たなんてめちゃくちゃホラーじゃん」
「まあ兄ちゃんたちが上げたんだと思うけどね」
「そっかー。そんなことがあったんじゃーそりゃアイキには会わせらんないね」
「まあ、そうなんだろうね」
消えた罪悪感がちくっと復活して、俺はデザートメニューをテーブルに広げた。
「ごめんな。勝手に色々想像しちゃって」
透馬に覗き込まれて、どういう顔をすればいいかわからない。
「イブからずっとそんな風に思ってたんだ」
「ほんとすまん」
てへっと笑う荒木に呆れながら、「俺がゲイなのは構わないわけ?」と一応確認すると、メニューに目を落とす二人は、「全然」と頭を揺らした。
「あ、ちゃんと恋バナは聞かせてよ?」
今度は透馬がへらっと笑って、俺は肩を竦めた。
「そんなことが起こったらね」
「なんだあ。それじゃあ今年もいつもの寂しい男たちの集いかあ」
「期待してきたのにねー」
「期待って……」
あんなに真面目な顔をしておいて、実は修羅場まで想像して二人で盛り上がっていたなんて。なんだかすごく悔しい。こうなったらアイキを見てきたって事実を話して二人を驚かせてやろうか。
勝気な衝動を沸かせながら、ふと思った。
そうか、これで二人には、そんな話ができるのか。
「……恋バナってわけじゃないけどさ」
俺がなんでもないように振ると、二人の視線が素早く反応を見せた。
「「なに?」」
食いつきのよさに笑ってしまう。
「正直ちょっとだけ、支配人のことは気になってる」
俺がニヤついた顔でそんな告白をしたもんだから、二人の顔は瞬く間に獲物を見つけた猛獣のような顔つきに変わった。
「「く~わ~し~く~き~か~せ~ろ~」」
「あ~デザートが来たらね」
「今すぐ言え!」
「もったいつけんな!」
「かあさーん」
俺は二人を無視してテーブルのベルを鳴らした。




