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彼女の正体



「寒い寒い」

 呟きながら映画館のある方へと歩みを進めた。向かっているわけじゃない。行くところが思いつかないだけだ。

 いつも通りの孤独感に襲われて飛び出したものの、知らない道へ踏み出すほどの衝動はなく、寒さに震えながら、警察のご厄介にはなりたくないなー、なんてことを心配している始末。

 まあ、さりとて俺が補導されたとしても、両親は怒ったりしないだろう。理由も聞かないんじゃないかな。寒かったでしょって言って、美味しいご飯を作ってくれるんだと思う。

「……はぁ、お腹空いた」

 胃袋がわびしく震えている。つい、「ブリスケット残っているかな」なんて考えて、自分のしょうもなさを笑うしかない。

 それでも、今はまだ帰りたくない。

 あそこに居たら、俺はきっと引き裂かれてしまう。こうして距離を取っても背後にその光を感じるほど、俺を惨めにするパワーが彼らにはある。なにより今回は、勘違いで盛り上がるみんなをあんなに鬱陶しく思っておきながら、注目が過ぎた途端に寂しさを覚えた自分に失望した。

 ちょっと好きだった朔くんに彼女ができたことすらどうでもいいと感じるほど。

 俺って、構ってちゃんなのかな。

 油絵の具も彫刻刀も、細いイタチの筆先も、平凡な俺を変身させてはくれない。みんなと俺は、相容れない。ちゃんと分ってるのに。

「なんなんだ俺って……」

 この道を戻る時、きっともっと情けなく思うんだろうな。バカな事ばかりしてる。これで風邪でもひいたりしたら、バイト先にも迷惑を掛けて、アイキと会うのも中止になったりして。

 …………あれ? 俺、なんだか大事なことを忘れているような……?


「ねえ……ねえ待ってってば!」


「?」


 呼び止められてから、何度も呼ばれていたような気がして、慌てて後ろを振り返る。


「君は――」


 そこにいたのは、鼻を赤くしたアイキファンのあの子だった。

 膨らんだ白いダウンジャケット。指先は手袋で見えないが、裾から黄色いニット生地が覗いている。


「君、アイキのファンじゃなかったの?」


 一番に出てきたのは、そんな質問だった。

 俺の家でヒナと名乗ったその子は、素早く首を左右に振った。

「私、本当は律担なの。でもあんなことがあって、アイキファンに申し訳なくて。でもどうしても映画を観に行きたくて、それで……」

「アイキファンの、フリをしたんだ」

 ヒナは左右の触覚を揺らして頷いた。

「私、律を推してるって誰にも言ってなかったの。私なんかがファンなんて、律に悪いから……」

 俺の首が右に傾く。

「高校時代はずっと一人で応援してた。こっそり。親がアイドルとか推し活とか好きじゃなくて。アルバイトもさせてもらえなかったし、イベントもライブもお金が無くて行けなかった。でも、大学生になって家を出て、働いてお金を貯めて。ライブは落ちちゃったけど、映画なら何度でも会える。だからすっごく楽しみにしてたの! なのに……」

 聞かれてもいないのによく喋るな。

 俺が傾いた頭でそんなことを考えている先で、一息にまくし立てた彼女は、寂しそうに笑った。

 彼女の失望は理解できる。もぎりをしながら想像したから。でも、今こうして俺の前に現れたことには、まだ繋がらない。

「……」

 俺は黙ることで彼女に発言を促した。だって彼女が語るべきだ。家に押しかけて来たのは彼女なんだから。

「私ね、あのニュースを見た時、自分でも驚くくらい取り乱しちゃったの。隣の部屋の人が警察に通報するくらい」

「えっ?」

 後悔を滲ませ俯く彼女から、俺は思わず身を引いた。

「裏切られたって思った。あの笑顔とか、みんなのために頑張るって言ってた歌もダンスも、映画の主演も、全部あの人のためだったのかって」

 更に俯く彼女の顔が、頭上にある街灯のせいもあって、真っ暗になる。

「……でも、親戚だったって」

「本当にそう思う?」

 ちろっと俺に向けられた眼が蛇のように鋭く光って、睨まれたねずみの如く筋肉がぎゅっと締まる。

「あんな、ひと月も経ってから親戚ですって言われても」

 ああ、この子も近江さんと同じように思ったのか。まあ腑に落ちないのは確かだ。

「ちゃんと説明もあったし、謝罪もあった。かなり遠縁だったけど、親戚って証拠もあった」

「へえ、そうなんだ」

「血は繋がってなかったけど」

「あ……」

 そうなんだ。

「リッツを信じたい。その方が楽だし。でも私、アイキのファンのふりしてたから、アイキファンの友達しかできなくて。みんなはあんなの嘘だって。後輩に迷惑かけて許せないって怒ってた。だんだん私も信じられなくなって。でも部屋に帰ったら、大好きな笑顔が私を見下ろしてる」

 見下ろして? 天井に飾るタイプなのかな。

 どうでもいいけど、ファンも律とリッツの両方で呼ぶんだな。厳密には用途が違うんだろうか。

「なんで、なんであんなインフルエンサーなんかと! 肩まで抱いて! 否定まで私がどれだけ傷付いたか!!」

 ヒナの声がどんどんと大きくなる。まるで俺が問い詰められてるみたいだ。

 家にこの子が来たかもって思った時は、血の気が引くほど怖かったのに、今はなんだか冷めた気持ちがする。

 聖なる夜でひとけがないのが幸いだけど、助けを求める相手もいない。

 この子もきっと、話を聞いてくれる人が居なかったんだろうな。辛かったね、とか言ってあげるべきなのかもしれないけど、正直アイキの真心なんて呼ばれていたせいで、律には全く愛着がない。

 これがガチ恋勢ってやつなのかな。でも、律の相手に不満があるようにも聞こえる。荒木がアイドルと結婚した俳優にドン引きしたみたいに、イメージと違ってショックってことなのかな。でも、そんなのしょうがなくないか?


「いいライブが出来るようにって、CDも、グッズもたくさん買った。ライブは当たらなかったけど」


 アイドルっていうのは、仕事だよな。芸術家とは違う。歌や演奏が好きなミュージシャンとも違う。俳優とも。ダンサーとも。

 あれもこれもやるんだから、苦手なことや、やりたくないこともあるはずだ。専門の人と比較されれば、恥をかくことだってあるだろう。それでも、応援してくれるファンのために精一杯頑張る。

 もしかするとアイドルって、かなり凡人的と言えるのかもしれないな。常に人の為を動機にして働いてる。なのに、プライベートの恋愛相手にまで口を出されるなんて。


「それで、俺になんの用?」

 まだなにか喚いていた彼女に、俺は本題を切り出した。

「家に来るのは、ちょっと非常識過ぎると思うんだけど」

「あなた、アイキに会うんでしょ?」

 家に来たことをはっきりと咎めたのに、彼女の目は俺の脳を照射しているのかと思うほど真っすぐで、俺はかろうじて一言、「は?」と疑問符を付けて漏らすことしかできない。

「アイキが会いたいって言ったんだもん。会うことになる。絶対に!」

 どれだけアイドルに力があると思ってんだこの子。会うんだけども。

 脳裏に、近江さんの好感の持てない笑顔が浮かぶ。

「会うことになったとして、なにをして欲しいの?」

 俺がそう訊ねると、そこでようやく彼女が笑顔になった。

「アイキに聞いてほしいの! 律が本当にあの人と付き合ってないのか!」

 なーにを言ってんだ。

「そんなこと、アイキだって知らないんじゃない? 先輩のスキャンダルの詳細なんて」

「そんなことない!! 律が迷惑かけたんだから、ちゃんと話してると思う!!」

「思うって言われても。それを俺なんかに教えるかな? アイキってそんな非常識な人なの?」

「違う!! でもあなたはアイキの真心だもん!! だから絶対教えてくれる!!」

「はあ……」

 ちゃんと話が通じない人っているんだ。自分が答えを得るために、みんなが都合よく動いてくれると思ってる。

「ね、お願い!! あなたしかいないの!! あなたにならきっと教えてくれるから!!」

 じりじりと歩み寄ってくる彼女から、後ずさって距離をキープする。

「そもそも俺を真心に仕立てあげたのは君たちファンだよ。俺はただ特典を渡してただけで」

「違う!! ファンを憂うアイキの真心があなたに届いたの!! 依り代になってくれたあなたに、アイキは感謝してる!!」

「……っ」

 どうしよう、スピッちゃってるじゃん。そういう体じゃなかったのかよ。

 なんて言えばいいんだ? 実際に会って訊いたとして、そんなこと教えてもらえるはずがない。無理だったと彼女に伝えたら、俺が嘘を言ってるって言い出しそうだ。

 ここで逃げても家はバレてるし、交番に駆け込む? そしたらこの子の親に連絡がいくよな。親は理解が無さそうだから、律のグッズは処分されちゃうかもな。その時彼女は、誰を恨むんだろう。


「お願い。律を信じたいの!!」


 か、勝手にして――!!




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