雪と温もり
寒いのは嫌い。雪の日はもっと嫌い。あの日を思い出すから。暗くて寒くて、手も足も痛くて。
だからこの季節になると心が苦しくなる。
「ガーネット、おはよう」
「おはよう、エメラルド、クリスタル」
「あら、随分と暖かそうな格好してるわね」
寮から学校まで約十分ほど歩く。今日は風もあり、寒さで体が震える。ガーネットは冬用の制服に黒の厚手の長い靴下に手袋。それにコートを羽織り首元にはチェック柄のショールを巻いていた。完全防備だ。
「えぇ、私まだ火の魔法が使えなくて」
王立魔法学園にいるほとんどの生徒は地、水、火、風の基礎の魔法は使いこなせた。ただ、光と闇の魔法だけは、ごく限られた者しか扱うことができない。
今、この学園内で光も闇も扱えるのは、この国の第二王子サファイアのみ。
光の中級レベルまでは、第一王子のトパーズ、そしてジュエルラビリンスのヒロインであり、ガーネットの義理の妹であるパール・クレランスの二人だった。
火の魔法の基礎が使えれば、自分の周りの空気を温めることが可能なので、ほとんどの学生はガーネットほど厚着をしない。
現にエメラルドもクリスタルも冬の制服に薄手のコートやマントを羽織るほどだった。
「じゃあ、私達が毎日こうして暖めてあげるわ」
そう言って、エメラルドとクリスタルはガーネットの両脇にピッタリとくっついてきた。
「え⁈エメラルド、クリスタル」
「フフ、とーっても暖かいわガーネット」
嬉しそうにクリスタルが笑いながら、ガーネットの腕にしがみつく。
寒い日も嬉しい気持ちになれるのね。
ガーネットは二人の大切な友人と共に学び舎へと向かった。
一日の授業も終わり、ガーネットは週一回のお楽しみである製菓クラブの調理室へ向かった。
お菓子作りが好きなガーネットは、学校の製菓クラブに所属している。高位の貴族令嬢は自分で調理をする習慣がほとんどない為、クラブ所属メンバーの大多数が平民であった。中には貴族令嬢もいるが、貴族と言っても下位の男爵家や商いを生業としている伯爵家の令嬢がほとんどだ。ガーネットのように公爵家ほどの地位のある生徒は所属していない。
廊下には甘い菓子の香りと紅茶の香りが漂っている。ワイワイと感想を言い合い、次回のお菓子のメニューや今、どんなお菓子が流行っているのか、この他愛のない時間がガーネットは好きだった。
生徒会の仕事を終えた三年生の第一王子トパーズと、同じく生徒会でトパーズの右腕と名高いペリドットがその甘い香りに誘われ、製菓クラブの調理室の扉を覗き込んだ。
「あ、ガーネット嬢」
見知った顔があったので安心して教室に入る二人のイケメン。当然ながら教室内が騒つく。
「きゃあ、トパーズ様とペリドット様よ」
「まぁ、突然どうしたのかしら」
第一王子の突然の訪問に製菓クラブの生徒達は一同お辞儀をした。
「あぁ、かしこまらないで。甘い良い香りに誘われてしまって、急にすまない」
「いいえ、トパーズ様。生徒会のお仕事なさってたんですよね。遅くまでお疲れ様でした。ペリドット先輩もお疲れ様です」
ガーネットが二人に挨拶をする。学年の違う二人に会うことはあまりないので、久しぶりに顔を見れて喜び合う。
「ガーネットはお菓子作りが好きなんだね」
初めての出会いが図書室だった先輩ペリドットが微笑む。その笑顔の破壊力は凄まじい。一緒にいた製菓クラブの仲間はうっとりと夢の世界へ入っていった。
「はい。実家でもよく作っていたんです」
「へー。公爵家の令嬢なのに珍しいね」
「よく言われます」
ペリドットのこういうはっきりとした物言いは、意外にガーネットは好ましく思っていた。変に遠慮や機嫌取り、嫌味、妬みはうんざりだったから爵位関係なく言い合える人は心から信頼ができる。
今の製菓クラブの仲間達も、初めは公爵家の令嬢であるガーネットに遠慮していたが、一緒にお菓子作りを楽しんでいる間に打ち解け合い友人関係が形成された。
「それ、食べてみたいなぁ」
第一王子トパーズが出来上がったマフィンを指さす。王族の証、金色の瞳が子供のように輝く。
「え」
驚く部員達だったが、トパーズとペリドットの席ができるまではあっと言う間だった。
「殿下、ペリドット様、どうぞこちらへ」
案内したのはクラブの部長で、伯爵令嬢のローズクォーツ先輩だった。
トパーズとペリドットの同級生でもあったので、会話も弾む。第一王子が口にする物は必ず毒見が必要だったので、ペリドットが一口かじった物をトパーズが食べた。
ただの毒見だが、なぜかイケメン二人がそれをやっていると、見てはいけない特別な世界観に思えてくるから不思議だ。
部員達が拝むように二人を愛しんでいる。
「ごちそうさま。今日は突然すまなかったね。とても美味しいマフィンと紅茶をありがとう」
トパーズがお礼を伝えると部員達は、いつでもいらしてください‼︎と目をキラキラさせながら第一王子を見送った。
「ロージィ、美味かったよ。ありがとう」
「お口に合ってよかったわ、ペリドット様」
部長のローズクォーツは嬉しそうに微笑んだ。いつも凛としていたペリドットの表情が緩む。後から聞いた話では、ローズクォーツとペリドットは幼馴染で小さい頃からよく、お菓子を作ってペリドットにあげていたとか。
部室の片付けが終わって調理室を出たのはもう七時近くになっていた。
外は暗く、冬のツンとした寒さが頬をかすめる。はぁぁ、と息を吐くと空気は白くなった。
「手袋持ってきて良かった」
完全防備でも冬はやっぱり寒い。最北の修道院送りなんかになったら生きていける自信がない。心から爵位剥奪の国外追放を祈るガーネットだった。
「ガーネット」
ビクン
処刑か修道院行きか、爵位剥奪の国外追放か。ガーネットの未来を握る第二王子サファイアが校舎の出口で声をかけてきた。
「サファイア⁈どうしたのですか、こんな時間に」
「さっき兄上から、ガーネットがまだ学校にいるって聞いて迎えに来た」
「え……」
これは何?処刑ルートまっしぐら?それとも修道院?
サファイアが声をかけてくる度に、パールから言われていた破滅ルートが頭の中を駆け巡る。
とにかく婚約だけは絶対に回避しなくちゃ。婚約さえしなければ、婚約破棄からの破滅ルートにはならないはず……。
「もう真っ暗だ。いくら校内と言っても女性一人じゃ危ない」
「そんな、危ないことなんて」
いやいや、将来あなたに断罪される方が危ないですから。
ガーネットの心の突っ込みが入る。
グイッと肩を抱き寄せられ、ピッタリとくっつく。
「え、あの、サファイア。ちょっとくっつきすぎでは」
「ガーネットはまだ火の魔法が使えないんだろ。今朝、エメラルド嬢とクリスタル嬢がピッタリ寄り添いながら登校するのを見たぞ」
「それはそうなんですが……」
サファイアがくっついたことによって、ガーネットの周りの空気が一気に暖かくなった。
「冬はあまり好きじゃないんです」
歩きながらポツリポツリと言葉を紡ぐ。
「寒いのは苦手。特に雪は嫌い」
「確かに雪は綺麗なだけじゃないからな。火の魔法が使えない人にとっては命の危険もあるし、大雪になれば災害につながる」
魔力持ちのガーネットでも火の魔法は未だに使えない。魔力の持たない者にとっては冬は命の危険が伴う。特に貧しい生活を強いられている者には、冬になる前の備えは必要不可欠だ。
「十一歳の雪の日に私死にかけたの」
「え?」
「あの日の夜、お義母様に怒られて夜着のまま外に出されたの」
「そんなに怒られるって原因聞いていい?」
「フフ、くだらないことだったわ。お父様が買ってきてくださったお土産がパールのよりも私の方が良いものだって」
その当時を思い出す。海外に仕事で出ていた父が久しぶりに帰国してきた。馬車にはたくさんの海外土産を積んでいて、継母も義妹も大喜びして、包みを一つずつ開けていった。
「ねぇ、お父様。この包みは?」
小さな飾りのついた小箱を見つけたパール。その手にはすでに抱えきれないほどの豪華な品々があった。
「あぁ、それはガーネットに。普段あまり物をねだらないからな。たまには父様もお前の喜ぶ顔が見たくて」
父はそう言って、ガーネットに綺麗な小箱を渡した。包みを開けると、そこには大粒のルビーに周りがダイヤで飾り立てられた美しいネックレスが入っていた。
「わぁ綺麗。ありがとうございます、お父様。私一生大切にしますね」
そのネックレスを見たパールが予想通り癇癪を起こし、自分は養女だからこんな綺麗な宝石を貰えないんだと泣き喚いた。普段はなんでもパールに譲っていたガーネットだったが、せっかく父が自分の為に選んで買ってきてくれたものだからと、パールには渡さなかった。
きっとそれも継母の癇に障ったのだろう。夜、ベッドの中で嬉しそうにネックレスを付けていたガーネットを、継母が抱き上げそのまま外へと放り出したのだ。
外はすっかり雪に覆われ、辺り一面真っ白な雪景色になっていた。
「お、義母様!」
叫んでも、扉を叩いても誰も出てこなかった。
手も足もかじかみ、吐く息は白い。夜着のままだったので薄着で体の体温はすっかり奪われていた。
歯と歯がぶつかってカチカチ音を立てる。
玄関にいてもその大きく立派な扉は開く気配がない。諦めたガーネットは、裸足で雪を踏みしめ亡き母の愛した庭園に向かった。
ここなら母との思い出も多く、妖精もいるので悲しみも和らぐと考えたのだ。
庭園にあるガゼボの椅子に横たわる。屋根があったので直接雪を被る心配はもうないが、寒さで体中の痛みは引かない。
きっとこのまま死ぬんだろうと覚悟した。
「でも……、生きてた」
ガーネットは寮に戻りながら話を続ける。
「ガゼボで意識がなくなって、でも何故か気付いたら自分のベッドの中だったわ」
「それは、家の人が助けてくれたから?」
「違う」
はっきりと言い切った。
「誰もお義母様には逆らわない。お義母様が私を外に出したのだから、お義母様が許可しなければ誰も私を助けない」
「そんなことって」
「あるのよ」
ふぅっと息を吐く。澄んだ空気に白い吐息が漂う。
「だから冬は嫌い。雪は嫌い」
「分かった。じゃあ、俺がこうやってお前を温めてやる。寒い時はいつでも、いつまでも」
「え、でも、北の修道院では無理よ。女性しか入れないし」
「北の修道院?」
北の大地の修道院送りになったら、面会すら叶わない。まして、修道院送りした本人がわざわざ温めにくるなんて滑稽だ。
「ありがとう、サファイア。気持ちは嬉しいわ。そんなに心配してくれるなら、約束して。北の大地の修道院送りにだけは絶対しないって」
「あぁ、分かっ……ん?何言ってるんだ?誰が誰を修道院送りにするって?」
話が見えず、ガーネットの菫色の瞳をマジマジと見つめる。
「えっと、その。もし、もしもよ。サファイアが私を断罪することになったら、処刑と北の大地の修道院送りだけはやめてほしいの」
必死に乞う。これだけは譲れない。
サファイアの右目の金の瞳がキョトンとしているのが分かる。オレ様キャラのサファイアでもこんな表情をするのかと、少し可愛く思えた。
「送ってくれてありがとうございます」
ガーネットの寮の前に着いた。寮の中は結界が張られ、室内は快適な温度になっているので寒さに震えることはない。
「うん。この中は暖かいからな。あの時のように温める必要はなさそうだ」
「え?あの時?」
サファイアはそっとガーネットの耳元に唇を寄せる。ふわりと優しいラベンダーの香りが漂った。それがいつもとても心地良く、懐かしく感じる。
「この先、オレがガーネットに温もりを与えるよ。永遠にね」
「へ?」
声の主を見る。左目の黒の眼帯が外され、金と赤のオッドアイがガーネットの菫色の瞳と交わる。
久しぶりに見た左の赤い瞳。
「綺麗……」
ルビーのような真っ赤に輝く赤い瞳に吸い込まれる。気付いたらガーネットはサファイアの頬に手を添えていた。寒さ対策で手袋をはめていたので、サファイアはクスリと笑ってその手袋をスッと脱がせる。
チュッとその手に唇を落とす。恥ずかしくてガーネットは慌てて手を引っ込めようとするが、それは叶わない。サファイアの手がしっかりとガーネットの手を握り離さないのだ。
「あ……」
白く冷たい小さな結晶がガーネットの頬に舞い降りた。
「雪だな」
どうりで寒いはずだ。空を見上げると、透き通った冷気の中、灰色に染まった雲からチラチラと白いものが舞っていた。
二人の顔に振り落ちる。サファイアの魔法でガーネットの体は暖かい空気をまとっている為、雪が肌に落ちるとすぐに消えてしまう。
不安そうなガーネットの顔を見て、サファイアは愛しそうに掴んでいた小さな手を両手で包み込んだ。
「大丈夫、怖くはないよ。俺がいる。寒い夜もまたあの日のように側にいるから」
「あの日の夜……」
ガーネットにはサファイアの言っている意味が理解できず、ただただその綺麗なオッドアイに魅入られるばかりだった。