日々の悪役令嬢
翌日の朝早く起床し、ガーネットは自分の身支度後にパールの部屋を訪れ、ヘアセットをこなす。
前日に散々へっぽこ悪役令嬢とけなされたガーネットは、ため息混じりに学園へと登校した。同じクラスのサファイアはまだ来ていないようだった。
教室の席は特に決まっておらず、毎回好きな席を選べる。前方の席が空いていた為、ガーネットは進んで前の席に座る。
「おはようございます。隣座ってもよろしいでしょうか」
声をかけてきたのは、グリーンの髪が艶やかな凛とした少女だった。その立ち居振る舞いからして上流貴族と一目で気付く。
「あ、おはようございます。隣どうぞ」
初めて声をかけてきたクラスメイトに驚きと嬉しさで、あたふたする。
「私はエメラルド・モントーレです。よろしく」
「は、初めまして。ガーネット・クレランスです。こちらこそよろしくお願いします、エメラルド様」
「ふふ、初めましてじゃないわ。昨日も同じ教室でしたし、それに、実は三年前にもお会いしてましてよ」
「え?三年前にですか?」
モントーレ家と言えば、ガーネットと同じく大貴族のモントーレ侯爵家。その令嬢と一体どこで?と考えていると、ふと思い至った。
「もしかして、王族主催のお茶会で……」
「そう!あの時よ、ガーネット様」
嬉しそうにエメラルドが手を合わせ微笑む。
「あ、あの、様はいらないのでガーネットと」
「じゃあ、私のことはエメラルドと呼んで、ガーネット」
「ええ、ありがあとう、エメラルド」
登校二日目、早速友達ができ嬉しさで昨日のパールとのやり取りを忘れたガーネットだった。
他にも今日一日が穏やかに過ごせたのは、パールの推しである第二王子のサファイアが公務で欠席していたことも大きかった。
第一王子も第二王子も幼いながらに、王族としての仕事を担っていて、毎日学園にいるわけではなかった。
ガーネットも少しずつ学園の生活に慣れ、エメラルドの他にも友人ができ、普通の学生と同じく学園生活を順調に楽しんだ。
サファイアが登校しても、ガーネットが女子生徒と楽しく過ごしているのを無理には誘わず、一定の距離を保ちながら接してきてくれたので、入学初日のような騒ぎになることもなかった。
カフェテリアでガーネット、エメラルド、伯爵令嬢のクリスタルと楽しくお茶をしていると、おなじみゆるふわピンク頭の美少女のパールがやってきた。
パールの周りには、見目麗しい男子生徒数人がまるで下僕のように闊歩する。
「ねぇ、あれガーネットの義妹でしょ?」
エメラルドがあからさまに嫌悪の表情でその様子を見つめる。
「え、ええ……」
「まぁ、ガーネットの妹様ですの?あまり似ていらっしゃらないのね」
事情を知らないクリスタルが驚く。
「パールは、義妹とは血が繋がってないんです。母が亡くなり、父の再婚相手の方の娘で」
「そうだったのですね。見た目が似てないのは当然ですが……失礼ながら、その……中身も」
もうクリスタルが口籠ると、すかさずエメラルドが応戦する。
「ええ、クリスタルの言う通りですわ。ガーネットはこんなにも心優しくて、慎ましいのに、義妹のパールさんは少々奔放すぎですわ」
「ごめんなさい」
「あら、ガーネットが謝ることなんてないわ。あの性格はパールさんご自身の問題なんですから」
パールとその取り巻きメンズがカフェテリアの一席に着き、お茶をしている様子を遠目に見ていると、あることに3人は気付いた。
「ねぇ、パールさんと一緒にいるあの茶色の髪の男子生徒って確かご婚約者の令嬢がいたわよね」
エメラルドがガーネットとクリスタルに小声で話す。
「えぇ。私がジェット様と婚約した時期と同じだったので覚えていますわ」
銀髪が美しいクリスタルには、幼馴染でもある婚約者がいた。ジェットは王宮騎士団の団長の三男で、第二王子サファイアの親友でもあった。
「そんな……。ご婚約者様がいらっしゃる方にあんなに触れて……。パールったら」
パールの隣に座る、茶髪の男子生徒の肩や腕、そして太ももに手を置くなど令嬢とは思えない振る舞いをする。
ガタッ
「ガーネット⁈」
急に立ち上がったガーネットにエメラルドが驚く。
「私、義妹を注意してくるわ」
「ガーネット!」
ツカツカとパールのいる席に歩いて行く。凛とした表情は幼いながらも美しく、歩く姿は物語のワンシーンを思わせる。
「パール」
「あら、ガーネットお義姉様。どうしたの?そんな怖い顔して」
パールは可愛らしく小首を傾げ、唇に指を当てる。
「無闇に男性に触れてはいけないわ。こちらの方は先日ご婚約されたばかりなのよ。パールも知っているでしょ」
「え、私はただお友達として普通に接していただけよ、お義姉様。そんなに怒らなくても……」
うるうるとお得意の泣き真似を始め、水色の大きな瞳から涙が溢れる。
「パール嬢、泣かないでください。ガーネット嬢ちょっと言い過ぎでは?僕達は仲の良い友人関係です。ここではただ雑談を楽しんでいただけなんです」
可愛いパールからのボディタッチにまんざらじゃなかった茶髪の男子生徒が反論する。
「いいのよ。私が悪いんですもの、クスン」
パールは茶髪の男子生徒から差し出されたハンカチで涙を拭う。
「パール。彼のご婚約者様の前でも同じこと言えて?それにあなたも。ご婚約者様に対して何も感じないのですか?」
「そ、それは……」
バツが悪く、男子生徒は黙り込む。
ハァとガーネットはため息をつき、
「以後気をつけるように」
そう言って、パール達から離れエメラルド、クリスタルと共にカフェテリアを出て行った。
三人の姿が見えなくなった途端、他の男子生徒が、
「パール嬢のお姉さんてマジ美人だな」
「ホント、あんな近くで見れてラッキーだよ。俺クラスも身分も違うからこんなすぐ近くでお声聞けるなんて思ってもみなかったから感動した」
パールを取り巻いていたはずの男子生徒達が次々にガーネットを褒め始めると、さっきまでウルウルしていたパールの涙が一気に引っ込んだ。
「ちょっとアンタ達!なにガーネットお義姉様を褒めてるのよ!おかしくない?あのキツイ言い方酷いと思わなかったの⁈」
怒り始めるパール。
「まぁ、言われて仕方ないかなぁって。デレデレしてた僕も悪いし。確かにガーネット嬢が言うように、婚約者の前でやってたら悲しませることになるだろうし」
「ちょっと何よそれ。まるで私が悪いことしたみたいじゃない」
「パール嬢、無闇に男性に触るのはどうかと思う」
一人の男子生徒が言う。
「はぁ?さっきあんたの腕触ったら喜んでたじゃない」
「あぁ、そりゃ可愛い女の子に触られたら誰だって嬉しいよ。でも、婚約者がいる人には……。あ、俺は婚約者いないから別に触ってもらっていいぞ」
太めの男子生徒は少し長めの前髪をハラリとなびかせ、パールの手にそっと自分の手を重ねた。
「ちょとヤダ!触らないでよね、汚らわしい!」
「はぁ⁈さっきはあんなにベタベタ触ってきておいて、なんだよその言い方」
二人のやり取りが険悪になってきたので、渦中の人物のはずだった茶髪の男子生徒がたまらず席を立つ。
「あ、あの僕、さっきの魔法授業の教室に忘れ物しちゃったみたいだから取りに行ってくる」
「あ、俺も」
「僕も先生に呼ばれてたの忘れてた」
パールと一緒にいた男子生徒達は次々に言い訳を言って席を立ち、パールの側には誰一人と残らなかった。
カフェテリアに誰もいなくなると、茶髪の生徒が座っていたイスを思い切り蹴り倒した。
ガシャン
大きな音を出し倒れた。
「ちょっと!何よ!今のはどう見てもガーネットが悪役令嬢じゃない!なのになんでこの私が責められないといけないのよ!」
シンと静まるカフェテリアに、パールの怒りの声だけが虚しく響く。
「二人ともごめんなさい。みっともないところを見せてしまって」
しゅんとするガーネット。
「あら、ガーネットが謝ることなんてなくってよ。ねぇ、クリスタル」
「えぇ、そうですわ。パールさんに注意したガーネットはとっても凛々しくて素敵でしたわ!まるで小説の中の主人公みたいに」
ロマンス小説好きのクリスタルがうっとりとした目でガーネットを見つめる。
「そ、そんな大袈裟な……」
「ねぇ、ガーネット、エメラルド。これから街に行って本屋に行きませんか」
「え?本屋に?」
いきなりのクリスタルの提案に驚くガーネット。
「はい。昨日、ロマンス小説の最新刊が発売になったんですの。私是非読みたくて」
「いいですわね!本屋の後にパンケーキを食べて帰りましょうよ。とっても可愛らしいお店があるって聞いたので行ってみたいって思っていたの」
クリスタルとエメラルドの提案で、3人で街に遊びに行くことになった。友人達とこうして出かけるのが初めてだったガーネットは嬉しくて、思わず2人に抱きついた。
「まぁ、ガーネット可愛いわ!」
そう言ってエメラルドは嬉しそうにガーネットを抱きしめ返すと、クリスタルもガーネットの艶やかな赤髪を撫でながら微笑んだ。
ガーネットはクリスタルおすすめのロマンス小説を購入し、三人でパンケーキを堪能していた。
「パンケーキも美味しいし、この紅茶もとっても美味しいわ!」
エメラルドが感動しながら、クリームとフルーツをふんだんに使ったパンケーキを頬張る。
三人でお菓子や小説の話に花を咲かせていると、コンコンコンと店のガラス窓が軽く叩かれた。
ガーネット、エメラルド、クリスタルが音のした方を見て目を丸くする。
「サファイア……殿下」
ガーネット達と同じく制服姿でサファイア、ジェット、ターコイズが店に入ってきた。わずか十三歳の少年達はその端正な顔立ち、そつのない振る舞いで入店するなり店内の客の羨望を一気に得た。
「うっ、ちょっと目立ちすぎでなくて」
女子三人での楽しい席が一気に周囲の女性陣の敵意ある眼差しで居心地悪くなったので、エメラルドが思わずサファイアを睨みつけた。
「気にするな。俺たちはただお茶をしに寄っただけだから」
黒髪の少し目が鋭いジェットがそう言いながらクリスタルのパンケーキを一口食べる。
「ちょ、ちょっとジェット様!はしたないわ」
「ん?何が?俺たちは婚約してるんだし。それに、こんなこと普段からしてるじゃないか」
クリスタルの顔が真っ赤に染まる。
「もうジェット様!そんなこと今言わなくても」
「クリスタルは可愛いなぁ」
幼馴染で婚約中のクリスタルとジェットがイチャイチャしてる横で、サファイアはガーネットにあるおねだりをしていた。
「そ、そんな……。こ、困りますサファイア殿下」
「前にも言っただろ、殿下はいらないって」
「サファイア様、その……それはできません」
「なんで?パンケーキを俺の口に運んでくれるだけでいいんだけど」
しれっと第二王子は言い放ち、ガーネットの短くなった赤い髪を指に絡ませた。
「はうっ。リアルショーン様だわ!」
二人のやり取りを見ていたクリスタルが若草色の瞳を輝かせうっとりと見つめる。
「なんですの?リアルショーン様って」
エメラルドが少々呆れ顔で質問した。
「ロマンス小説に出てくるヒーローの名前ですわ。ショーン殿下と侍女の禁じられた愛!そのワンシーンにそっくり。オレ様系の殿下が侍女のリリに強引に迫るの!」
「へー。それはなかなか面白そうな話だな。で、二人はどうなったんだ?」
「ちょ、サファイア様」
「勿論、二人は結ばれますわ!」
蒼い髪に王族の証である金の瞳のいかにも小説の中の王子様キャラ、ターコイズが不思議そうに聞く。
「身分違いでも結婚できたんだ」
「えぇ、侍女を溺愛していたオレ様殿下が既成事実を……モゴ……」
途中でクリスタルの口がジェットの手によって封じられた。
「クリスタル、ちょっと刺激が強すぎるぞ」
聞いていたサファイアは含みある表情でガーネットを右の金の瞳で捉えて離さない。その視線から逃げようとするガーネットの頬は赤く色付いていた。
「既成事実ね。なかなかやるじゃないかショーン殿下は。まぁ、俺はまだそこまでしないけど、ね。まだね」
一瞬でエメラルド、クリスタル、ジェット、ターコイズの顔が赤くなる。
「おい、なんて色気を出すんだよサファイア」
珍しくターコイズが嗜める。
「ほらガーネット。パンケーキを俺に口に運ぶくらいなんてことないだろ」
「で、でも私が口をつけたものだし」
「構わない」
ガーネットは根負けし、おずおずとパンケーキをフォークでサファイアの口に運んだ。
「うん、これはうまいな」
破壊力半端ない第二王子の笑顔にガーネットはドギマギする。
ダメダメ。サファイア様はパールの想い人なんだから!
自分を律する為、赤く染まった頬をペチペチと叩く。
「こらこらガーネット。なぜ自分の頬を叩く。そんなことするな」
すかさずガーネットの手を掴んで、心配そうに顔を覗き込んだ。
「ひゃっ!」
右の金の瞳がすぐ近くに来たので驚く。仲睦まじい二人を温かい目で他の四人が眺める。
寮に戻ってもサファイアの笑顔が頭から離れなかった。ふと今日の会話を思い浮かべる。
「サファイアは甘いものがお好きなのね、よし!久しぶりに作ってみようかしら」
寮の小さなキッチンを借りて、かちゃかちゃと生地を練る。
「ん〜アーモンドを入れて」
ふと、横を見ると色とりどりの可愛い花がレースペーパーの上にあった。
「あら?いつの間に」
ガーネットは嬉しそうに笑う。
「ありがとう、妖精さん。使わせてもらうわ」
キッチンで一人、妖精の歌を口ずさみながらクッキーを焼き上げた。甘く優しい香りが漂う。
「まぁ、ガーネットだったの?とても良い香りがしてきたからつい来ちゃった」
同じ寮棟のエメラルドがキッチンに入ってきて、出来立てのクッキーに目を輝かせる。
「家にいる時はよくお菓子作りをしていたのよ。今日久しぶりに焼いてみたわ。お口に合うかしら」
そう言って、エメラルドに焼き立てのクッキーをお皿に乗せて渡した。
「美味しい!サクサクしていてとっても美味しいわ!こんなに美味しいクッキー初めてよガーネット」
「そんなに褒めてもらえるなんて、嬉しいわエメラルド」
「これお花が入ってるのね。見た目も味も素晴らしいわ」
「ありがとう。花は食べられる花をシロップ付けしてあるの」
まさか妖精から甘い花をもらったとは言えず、誤魔化した。
「サファイア殿下の為に作ったんでしょ?」
「え」
「言ってたじゃない。甘いものがお好きって。特にクッキーがね」
「ち、違うわ。ちょっと久しぶりにお菓子作りしたくなっただけだから」
「はいはい。じゃあそういう事にしておきますわ」
エメラルドがキッチンを去った後、残ったクッキーを綺麗にラッピングし自室に戻った。
翌朝、いつも通りガーネットはパールの部屋に行き淡いピンクの髪を綺麗に編み上げ、パールの要望通りにアップにしてリボンで飾りつけた。
「とっても可愛いわパール」
パールも嬉しそうに鏡の中の自分に見惚れていた。
「あ、お義姉様クッキー焼いたのね!これちょうだい!」
「え……、でもこれ……」
何も言えなかった。すでにクッキーの入った袋はパールのカバンの中へとしまわれていた。
「サファイア様!私クッキーを焼いてみたの。是非食べてください!」
パールは可愛らしく水色の瞳を上目遣いして、お目当ての第二王子に擦り寄った。サファイアの隣にいたターコイズがひょいと差し出されたクッキーを口に入れる。
「あ!ちょっとターコイズ様!これはサファイア様の為に焼いたのよ。なんで食べちゃうのよ」
「毒味だ」
「はぁ?何よそれ。私が毒でも仕込んでると思ってるの?」
怒った口調でターコイズを攻める。
もう、ターコイズはジュエルラビリンスの中で一番苦手キャラなのよね。チャラいし、女の子には誰かれ構わず口説くし。悪役令嬢のガーネットとも寝ちゃうルートがあったわね。これでも一応、王族なんだから……。
ターコイズは現、国王の弟の息子だ。つまり、第一王子トパーズと第二王子サファイアの従兄弟にあたる。
「サファイアはこの国の第二王子だ。出されたものは必ず誰かが毒見しないと口にできない。ほぉ、これはなかなか美味いな。本当に君が作ったのかい?」
ターコイズが怪しむ。
「この花は?クッキーに花が入っているなんて初めて見たよ」
サファイアが残っているクッキーをまじまじと見る。そしてパクリと自分の口に放り込んだ。
「これは……確かに美味いな」
その一言で、パールの表情が一気に明るくなった。嬉しくなってサファイアの腕にしがみつく。
「触るな」
パールの体がビクリと跳ねる。サファイアの冷めた声がピンク色の髪に浴びせられた。
腕を振り払い、ターコイズと共にパールから離れた。
「チッ!」
パールは袋に残っていたクッキーを床に叩きつけ、割れたクッキーをさらに踏み付け粉々にした。
これもガーネットが悪いのよ!ちゃんと悪役令嬢の働きをしないから!
水色の瞳がその様子を見てヒソヒソと話していた学生たちを睨みつけた。