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57. 来てくださるなんて、大変な僥倖です


 大きく見開かれた紫水晶のような美しい瞳に、アリーナの勝ち誇ったような顔が映る。

 その後ろに短剣を振りかぶるピエールが……。


「ぎゃああ……っ!」


 耳をつんざく断末魔の叫びが室内に響く。


 アリーナの燃え上がるような赤い髪は、さらに赤黒い液体によって徐々に染められている。

 首筋に突き立てられた短剣は、確実に動脈に達してアリーナの命を吸い取る。

 その場に倒れ込んで、みるみるうちに光を失うその吊り目がちな瞳はもう何も考えられてはいないだろう。

 そのうち胸の動きも激しい出血も止まった。


「なぜ⁉︎ なぜそのような(むご)いことを!」


 寝台から動くことのできないジュリエットは、その場で掠れた声を上げて叫んだ。

 もう体力など残ってはいなかったが、それも怒りで忘れるほどに強い気持ちをピエールにぶつけた。


「なぜって……。これ()の為ですよ。ああ、だめですよ。零すならば掛布の上に零してくださいね。床に落とせば貴女の美しい真珠があの女の汚い血で汚れてしまう。」


 狂気に満ちた笑顔で近寄るピエールは、返り血を浴びてその顔に、身体に赤黒いシミを作っている。


「許されませんわ! このようなこと、きっと許されるわけがありません!」

「誰にですか? 神に? 私は神に許された存在ですよ。この美しさと崇高な考えこそ、神に選ばれし者の証。そして貴女も、神に愛されし女性です。私に相応しい人だ」


 ジュリエットの頬へ手を伸ばそうとしたピエールは、自分の手が返り血で汚れていることに気づき舌打ちをした。


「チッ……! 下賤の者の汚い血を浴びてしまったので、清めてきますね。帰るまでにせいぜいたくさん涙を流しておいてください」


 そう言って名残惜しそうに部屋を後にしたピエールは、外に控えていた従者にアリーナの遺体の始末を命じた。

 ジュリエットが呆然としている間に、目の前の亡骸(なきがら)はまるで割れたグラスを片付けるように疎ましげに始末されていく。

 汚された絨毯は剥がされて、すぐに新しい物が敷かれた。

 汚れた調度品は回収され、新しいものが置かれる。


 暫くすれば、アリーナを殺害した事実など無かったかのようにいつもと変わらない室内の様子となった。


「キリアン様、キリアン様……。助けて。怖い。会いたい……」


 ジュリエットはもう絶望の淵に立たされていた。

 いずれ人魚病によって死ぬ時にも、キリアンのそばで息を引き取りたかったし、せめて手を握って欲しいと願うつもりであった。

 それなのに、もう会うこともないかも知れない。


 いくら零したくなくとも、涙は次々と零れて真珠を作り出す。

 忌まわしい呪いの真珠は、なぜこんなに美しいのか。

 ジュリエットは転がる多くの真珠をボーッと見つめるうちに意識が遠のくところであった。

 そんな時、耳に届く違和感。


「うわーっ!」

「ぎゃあっ!」


 扉の外で男達の叫び声が聞こえる。

 ドタバタと廊下を走るような音が近づいてくる。


 そしてガチャリと扉の開く音がした時、ジュリエットは扉の方へと目を向ける。


「ジュリエット!」


 愛しい姿は変わらずに。


 漆黒の髪を乱れさせ、切れ長の黒曜石のような瞳は真っ直ぐにジュリエットを射抜いた。

 すうっと通った鼻筋に男らしく面長の輪郭、そして整った唇が紡いだのはジュリエットの名であった。


「キリアン……さま」


 大きく紫水晶の瞳を(みは)って、ゆるゆると痩せ細った手をキリアンの方へと伸ばす。


 キリアンはあっという間にジュリエットのそばに駆け寄り、その細くか弱い身体を抱き締めた。


「悪かった……。遅くなってすまん」

「キリアン、さま……。本物?」

「本物に決まってんだろ。悪かった。本当に……」


 ジュリエットの胸にやっと熱い灯火(ともしび)(とも)る。

 生きているのか死んでいるのかさえ分からない日々が続いていたが、やっと(せい)を実感できた。


「私こそ、ごめんなさい……」

「身体は平気なのか? 痛むところは?」


 少し身体を離して、頭の先から足の先までを目で追ったキリアンは足首に付けられた(かせ)(おもり)に眉を(ひそ)める。


「痛むところなど、ないです。あったとしても、今キリアン様に会ったら治りましたわ」


 青白い顔色ながらも微笑んだジュリエットは、キリアンに会えた嬉しさに涙を零す。

 そこからどんどん現れる真珠に、キリアンは驚く。


「なんで……、どういうことだ?」


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