肝試しはどくろの明かりで
肝試しの話が出たのは、夏休みに入るほんの少し前だった。お知らせがある人はいないかという担任の問いかけに、クラスの中心である男子、林が元気よく手を挙げたのが始まりである。
「夏といえば肝試し! 肝試しといえば夏! やろうぜ!」
その一言に教室がわっと沸き立った。楽しいことが大好きなクラスなのである。この学校にはクラス替えという概念がないため、一年半を共にして二年生を迎えた彼らはすっかり仲良しだ。
「やっぱあそこ、近くにある廃校がいいよね」
場所、日時、肝試しのルールがテンポよく決められていく。そういう学校外での予定は個人で立ててくれというのが本音だが、陽翔と乗り気なクラスメイトたちの勢いに圧されて担任も止めるに止め
られない。
「肝試しだって、涼乃」
場の雰囲気に乗せられて浮かれたトーンでかけられた声に、我関せずといった様子でひとり読書に
勤しんでいた早坂涼乃はうろんげな瞳を向けた。
「縁起でもない」
一刀両断、肝試しに縁起でもないなんて言ってしまえば終わりである。縁起でもない場所へ行くのが肝試しなのである。
声をかけた麻代は笑顔にちょっと困った表情を乗せて、えー、と落胆した様子を見せた。
皆が行きたいと言った廃校は、もと浅見高校だ。人が減って、数十年前に涼乃たちの学校と合併された。もとの校舎はどういうわけか未だに校舎が取り壊されず、ずっとおどろおどろしい姿で佇んでいる。
「だからいいんだろ! 雰囲気あるじゃんか」
言い出しっぺの林がくるりと振り返り、にかっと笑う。
「よくないってば。やばい犯罪者とかが寝床にしてたらどうするのさ」
ここらで起こる行方不明事件は大体あの学校周辺だ。何度も人がいなくなってるのは異常だし、それがほぼ廃校周辺というのも異常である。深夜に悲鳴が聞こえたという話もあった。お化けだのなんだのという存在のしわざでないにしても、危険なことに変わりはない。
「金曜日、夜の九時に浅見高校前集合。いいな」
「いや私は」
「絶対だぞ!」
決まった予定を再三確認して念押しされた。どうやら拒否権はないらしい。盛大な溜息をついて、涼乃は渋々頷いた。
当日は、梅雨が明けて随分経ったにも関わらず、バケツをひっくり返したような雨がどっと降った。涼乃は、いっそこのまま肝試しも中止になれと念じたが、空は願いを叶えてくれない。代わりに三十度超えの気温と大量の水溜まりをプレゼントしてくれたようで、身体中にまとわりつくような熱気の中で家を出る羽目になった。
冷房の効いたリビングを出るともう暑い。
気をつけてねという母の言葉を背に受けて、涼乃は靴を突っ掛ける。大勢が集まるからか、夜半の外出自体はそれほど渋られなかった。
玄関を開けると、水分を山ほど抱えた空気のかたまりにのしかかられた。そのまま頭からすっぽりと覆われ、もうUターンしてしまいたくなる。
それでも家を出て、涼乃は右へ足を向けた。向かう場所はわかりやすい。少し顔を上げれば、昔は綺麗なクリーム色だったらしい、塗装の剥げた建物の頭がちょこんと飛び出しているのが見える。浅見高校だ。
べったりとくっつく空気をずるずると引きずりながら、涼乃は蔦の緑に装飾された廃校を目指して歩き始めた。
校門前につくと、クラスメイト四十人、予定が合わなかった者以外は素直に全員集まっていた。暑苦しい。
なんだかんだいって人が集まらないのではと思っていた涼乃の予測は外れた。本当にイベントごとが大好きなクラスである。中には涼乃のように渋々参加している者もいるだろうが。
「今引いたくじで決まった順番で、全フロアを回って教室に置いてあるビー玉を集める!」
一、二階には赤いビー玉、三階には青いビー玉、四階には緑のビー玉が置かれているので、各フロアしっかりと回って全色回収しなくてはならない。
最後に、屋上の入り口まで行ってちっちゃい旗を持って戻ってくればクリア。林が考えたのだろうか、地味にちゃんとしていて、適度にサボることができないルールだった。
「ビー玉はちゃんと三色持ってこないと駄目だからな!じゃあくじ回すぞ~!」
空き缶に差された割り箸が、クラスメイトの間を巡っていく。言い出しっぺの林は、皆がクリアしたあと、一番探すのが困難な最後に回るという。
最初に当たるのが嫌な数人からブーイングが出たが、ビー玉を仕込んだ林本人が最初に行ったら、一階にのわかりやすい場所に初めからクリアに必要なアイテムを置いておくというずるも出来てしまう。ちゃんと考えた結果でのラストバッターだ。
多少の悶着を起こしつつも、運悪く一番を引いてしまった人から出発。とくに弊害もなく、肝試しは始まった。一分ごとに、次の番号の人がおどろおどろしい姿の昇降口に吸い込まれていく。
揃いも揃って必ず悲鳴を上げるので、出発まで余裕がある面々は皆で示し合わせて自分たちを怖がらせようとしているのではないかなどと思っていた。
「じゃあ次!」
時計を見て、林が涼乃にゴーサインを出す。
涼乃の番号は十二だ。最初のチャレンジャーが出発してから、単純計算で十二分。一人くらい帰ってきてもいい時間だが、生憎、入っていく人の姿は見えても、出てくる人はいなかった。
懐中電灯は個人で持参することになっている。涼乃は、短パンのポケットから携帯用の小さめの懐中電灯を取り出した。見た目は頼りないが、これがつけてみると結構明るいのである。
パッと光を弾けさせ、昇降口の前に立つ。
照らすものが何もない校舎内は、永遠に奥まで続いているのではないかというほどの暗闇だった。情けないことに、月明かりは下駄箱の半分くらいまでしか中を照らしてくれない。懐中電灯を向けると、ちゃんと突き当たりと、左右に延びる廊下が見えたのでほっと安心した。
ガラスが割れて人が余裕で通れそうな穴を開けた、ほとんど仕事をしていない昇降口の扉をくぐる。散乱した透明な破片たちがバキバキと音を立てた。
そのまま土足で上がった涼乃だが、学校に土足で上がるという行為に不思議な気分を覚える。どれだけ汚れてても、やっぱり下駄箱で靴と上履きを履き替えないといけないような気がするのだ。もちろん、履き替える上履きなんて持っていないので、そのまま上がるしかないのだが。
砂とホコリとガラスが入り交じった床は、踏みしめるたびにやかましい音を立てる。窓という窓が割れているため、どこを見ても破片だらけだ。その窓から時々覗いている垂れ下がった蔦が、おどろおどろしい雰囲気を醸し出している。
左を照らすと、奥に昇降口と同じような扉が見えた。そこから少し外に出て向こう側に重厚な扉がある。おそらく体育館だろう。
涼乃はひとまず右に進んで、一番近い部屋に懐中電灯を向ける。斜めになった扉の上には、職員室と書いてあった。隣には事務室と校長室が並んでいる。向かいには階段。その隣に、保健室。一階は学校施設が集まっているようだ。
職員室は扉の立て付けがあまりにも悪かったので、前からも後ろからも入ることができなかった。事務室も、大きな棚が二、三個横倒しになっている。足の踏み場がない。まさかこんなところにビー玉が仕込まれているとは思えない、ここもパスだ。
校長室にも入ってみたが、めぼしい成果はなかった。足跡と、執務机の上に手で擦ったような跡がついていたので、ここのビー玉は先に来たチームが取ったのだろう。ひっくり返った机とソファを避けて奥まで行って、得られたのは執務椅子に座ったときのちょっとした優越感だけだ。それも、スカートにホコリがついたのですぐに後悔した。
気になることといえば、出るときにちらりと見えた歴代の校長の写真だろうか。視界の隅に捉えただけなのではっきりとはしないが、涼乃の気のせいでなければ、その写真は全てびりびりに破られていた。
「ちょっと気味悪いな」
首のあたりがなんとなくぞわぞわして、涼乃はそそくさと校長室を離れた。
先に十一人も来ているのだ、保健室にもビー玉があったとして誰かが取ってしまっているだろう。一階の探索もそこそこに、涼乃は二階への階段に足を向けた。
上を照らすと、鋭い光が跳ね返ってきた。階段の踊り場に、上部が割れて半分になった鏡が取り付けられている。こいつが懐中電灯の光を跳ね返したようだった。
舞い上がるほこりに何度かくしゃみをしながら、段にくっきりとついた先駆者たちの足跡をたどる。途中でごちゃごちゃしている部分があったので何かと思ったら、穴が空いていた。とても危ない。
二階に上がった先で涼乃を出迎えたのは、廊下に寝そべる教室の扉だった。あたりのほこりがなくなっているので、先に来た誰かが開けようとして外れてしまったのだろう。
扉の持ち主と思われる、中身をさらけ出した教室はスルー。誰かが入って探したであろう場所は無駄足になりそうなので極力避ける。
それから三つほど他の教室を回り、やっとひとつめ、赤いビー玉を手に入れて廊下へと出た時だった。
ぼう、と淡い光が涼乃の背中を照らして、早くも次の人がやってきたのかと思い振り返る。
しかし、それにしては広く青白い光だ。強くなったり弱くなったりを繰り返しながら、少しずつ強くなっている。
光のもとは、最初に涼乃が昇ってきた階段だった。彼女の傍にはそれとは反対側の階段があるので、発光する階段からは遠い。
涼乃は息をのんで、注意深く光を見つめた。しぃんと静まり、十秒、二十秒。ぺた、ぺたと、裸足の足音のようなものも聞こえ始め、青もより強くなる。やはり、見れば見るほど不自然なものだ。懐中電灯にしては青白く、点滅によって明るさもまちまちになる。
少しずつ二階に近づいてきているのか、謎の発光体は涼乃からでも廊下の端をはっきり目視できるほどに辺りを照らしていた。
「なに、あれ……いや、戻った誰かが暇すぎて脅かそうとしてるんだ、きっと」
ふっとこの世あらざる者の、二文字の名前が頭を過ったが、すぐさま自分に言い聞かせるように呟いて違うと思い込んだ。
いたずらにしても何にしても、見つからなければ問題ないのだ。さっさと上に上がってしまえばいい。涼乃は、主張の激しい発光する何かから目を引きはがして踵を返そうとする。
しかし、涼乃が逃げるよりも、発光体が姿を現す方が早かった。彼女が完全に光から目を離す前に、視界に入り込んでくる。
それを見た瞬間、涼乃は反射的に今出てきたばかりの教室に飛び込んだ。
頭が働きだす前に扉を閉め、手元にあった机で塞ぐ。もちろん懐中電灯も消し、完全な真っ暗闇を作り出した。この教室には誰もいない、そう、誰もいないのである。
しかし、目にしたものの衝撃をそのまま行動に移して衝動的に隠れた涼乃だったが、机に腰かけ深呼吸、 改めて冷静な頭になってみると、じわじわと恥ずかしくなってきた。少々怖がり過ぎたかもしれない。
(馬鹿馬鹿しい、本物な訳ないのに)
涼乃がちらりと見たのは、発光体、もとい、光を放つどくろだった。それがぷかぷか浮いて近づいてきていたわけである。
一瞬見ただけで、本当にどくろが光りながら浮いていると思った自分に頭を抱える。そうでもないと思っていたが、もしかしたら自分は肝試しが苦手なのかもしれない。
ぺたぺたぺたと、歩いてくる音が涼乃の耳に届いた。こちらに歩いてきている。あまり早くないペースだ。こちらの不安を煽ろうという魂胆が見えるようで、聞いているうちに沸々と苛立ちが湧いてくる。
ふと、向こうが驚かそうとしてきているのなら、逆に脅かしてやろうか、と思いついた。飛び出していったら相当びびらせることができるだろう。
それならば机は邪魔だ、と涼乃は立ち上がって扉をふさぐ机に手をかける。
と、ごん、と頭上で何かがぶつかった。足音が止まっている。どうやら、発光どくろを従えた人物が、涼乃の潜む教室の前に辿り着いたようだ。
そういえば、廊下には窓ガラスが散っていたが、こいつは裸足で大丈夫なのだろうか、と違和感に気付いたとき、ぼう、とひときわ強い光が涼乃の頭を青く染めた。
ガラス張りの部分に額を合わせるどくろ。
「う、わ……っ!!」
そっと目を上げて、それを見た涼乃が悲鳴を上げた。自分が何をしようとしていたのかも忘れ、急いで扉から離れようとする。
しかし、焦って足をもつらせ尻もちをついてしまった。それでも、そのまま下半身を引きずるように、後ずさりする。ダサいだとか恥ずかしいだとかなんて言っていられない。とにかく離れたかった。
それからやっと、思い出したように口を押さえるが遅い。もう悲鳴は外に出した後だ。
そんな涼乃を笑うように、扉に張り付いたどくろが顎を開閉させる。歯が打ち鳴らされ、カカカカカ、と嫌な音が木霊した。
抑えた手から、ひゅぅと息を吸う音が漏れ出る。どくろが増えたのだ。二つ、三つと、新たなどくろが浮かび上がってきて、涼乃に己の存在を見せつける。震える涼乃をあざ笑う。
頭に、体中に響く骨たちの笑い声に、たまらず手を耳に移動させる。きつく目を瞑って背を丸めたところで、がたんと扉が揺れた。硬質な笑い声に同調するように、乱暴に、壊す勢いで激しく揺すられる。
何か大変なものが扉を開けようとしている。机ひとつでは足りない、開いてしまうと思ったがもう遅い。
ひときわ大きな音を立てて扉が揺れると、跳ね返された机がひっくり返った。次いで、ばん、と扉が開け放たれる。乱暴に開けたからか、外れてしまった扉が机の上に倒れ込んだ。
いつの間にか、伏せるのも忘れて呆然とその光景を見ていた涼乃の瞳を熱が焼いた。闇の中に突然昼間の太陽を連れ込まれたような感覚に、強く目を瞑る。
「こんばんは」
瞼の裏まで照らしてくる光に慣れ、そっと目を開けたとき、涼乃の前には後光のように光とどくろを背負った青年が立っていた。
肩で切りそろえたその青年の髪は暗めの色だ。発光どくろのせいで黒か茶かなんて判別できない。光がうるさすぎる。ぺた、と音がしたので下に目を向けると、引きずるほど長い着物の裾から裸の足が覗いていた。
こちらに来ようとしている、と気づいて、涼乃は這うように後ずさる。しかし、すぐに積み上げられた机たちに退路を塞がれた。
青白く照らし出された青年は、足音を響かせながらただ涼乃に微笑みかけている。平時なら優しいと感じるその笑みは、こんな状況では狂気しか感じない。
「首、ちょうだい?」
布と床が奏でる擦れた音が聞こえるほどの距離になって、青年が屈んで、すっと涼乃を指さした。浮かれたような、その綺麗な顔によく似合った少し高めの声。
青年の指す先、自分の首に触れ、浮かぶどくろを見た涼乃は、さっと顔の色を変えた。できれば一生理解したくなかったが、青年の意図がわかってしまった。
「あ、あげない」
咄嗟に否を返したが、正解だったかどうかはわからない。ただ、何かの怪談で似たような展開があたことを思い出しただけだ。詳細は思い出せない。
青年は、ふてくされたように軽く口を尖らせた。まるで子供だ。あげないという涼乃の言葉には素直に従うようで、欲しがりながらも、彼が何かしてくる様子はなかった。
諦めようとはしない。ただ、じっと涼乃の首を見つめて、許しが出るのを待っているようだった。
涼乃が立ち上がっても青年が動くことはなかった。ただ、視線をついと移動させる。
青年の目が執拗に追ってくるせいか、首の後ろがざわざわと落ち着かない。涼乃は青年に体を向けたまま、扉の方へ移動した。壁にぴったりと背をつけたまま手をかけるが、青年から目を離せないため出ることができない。
「ふぅん、君は勘が良いね」
声には出していないが、残念、と聞こえてきそうなほど不満そうな声だった。背中を見せないというその判断が正解だったのだろう。青年がようやく諦めて、立ち上がる。
「ところでさ、今日はやけにお客さんが多いのだけれど、何かあるのかい?」
話題がころりと変わった。心なしか、その声から狂気が消えたようにも感じる。警戒心を露にしていた涼乃は、一瞬何を言われたのか理解できずに青年を凝視した。
友達に語り掛けるかのような気軽さだ。ねえ、と呼びかけられて、はっとした涼乃は慌てて口を開いた。
「その、皆で肝試しをしていて……」
なるほどね、と青年が頷いた。
「そうかそうか、頑張って」
青年が扉に手をかけたので、涼乃は慌てて引っ込める。本当に諦めたのだ。青年の姿が教室から見えなくなる。涼乃はほう、と息をついた。
が、すぐに閉じた扉が再び開け放たれる。涼乃が驚いて飛びのいた。ほっとしたのもつかの間、青年がまた戻ってきて扉から顔を覗かせたのだ。
「ねえ、よかったら一緒に行かないかい? 僕の周りは明るいから、便利だよ」
とんでもない提案をされた。
ただでさえ暗くて気味が悪いというのに、得体の知れない青年と大量のどくろと連れ立って歩けというのだろうか。勘弁していただきたい。断るに決まっている。
不気味なぼろの廃校にはふさわしくないほどの明るい声が、その場には絶え間なく響いていた。
「それでさ、どういうわけか人間はここを取り壊したがるんだよね」
「はあ……」
「あんまりにもしつこいからちょっと脅したら来なくなったけどさ」
三階の廊下を煌々と照らしながら、青年は涼乃と並んで歩いている。身振り手振りも交えて表現豊かに話していた。当時のことを思い出しているようで、顔をしかめている。
(どうして私は彼の愚痴を聞いているんだろうか……)
結局、断れなかった。わざわざ青年が褒めてきた点だ、背中を向けないことには何か意味がある。
断ったら何をされるかわからない、というわけではなかった。ただ、一度見逃してもらったものの、もし彼がいることに気付かずに背中を見せるような真似をしてしまった場合が恐ろしかった。
涼乃はだいぶ下手な相槌を返しているのだが、おしゃべりな彼は気にも留めていないようだ。特に害はないのだが、時々浮かんでいるどくろが肩にぶつかってくるのは本気でどうにかしてほしい。
「昔はここも賑やかだったのだけれどね。すっかり人がいなくなっちゃって」
学生が減ってしまって悲しい、と呟く。しょんぼりと青年が肩を落とした。眉もハの字になっている。寂しいので、時々この周辺まで出張っていたずらを仕掛けているという。
「たまに話し相手がほしくて連れてきたりもしているんだよね」
ここらの行方不明事件の犯人はおまえか、と反射的に突っ込みそうになってしまった。真相を暴いても何もすっきりしない。
「……あの、その話し相手ってそのあとちゃんと家に帰してあげたんですか?」
行方不明者が出た、という話は聞いたことがあるが、見つかったという話は聞いたことがない。聞いたのはただの興味本位だった。
「ん? えっとねぇ……これが、一番最近来た人かな」
青年がおもむろに、どくろのひとつをがっしと掴んだ。はい、と涼乃に向かって差し出したので、思い切り後ずさって壁にぶつかった。
きょとんと首を傾げている青年に向かって、全力で首を振る。聞かなきゃよかったと後悔した。
「どうしてそんなに怯えるんだい? 君は面白いね」
こっちは全然まったく面白くない。もとは人間だったものだと改めて突きつけられたようなものだ。むしろよく正気を保っていると思う。
人は悪くないのだが、彼は少し、いやだいぶ、倫理観というか、常識というか、そういうところが完全に人のそれとずれていた。人ではないので当然といえば当然なのだろうが。
「ああそうだ、ここだよ」
ぱっと手を離して、どくろを群れに返した青年が立ち止まった。
青年ががらりと図書室の扉を引く。しゃべりながら当てもなく歩いているように見えたが、そういうわけではなかったようだ。どうやら置かれている場所を覚えているらしい。
カウンターの奥で、青年の放つ光に照らされた青いビー玉が光っていた。
「これで四階へ行けるんだよね?」
さあ行こう、とビー玉を手にした青年が戻ってきて、階段へと足を向ける。どうも、涼乃より青年の方が張り切っているように見えた。
「どうしたの? ほら、早く」
未だに壁に張りついたままだった涼乃の手を引き、青年が歩き出す。先程の恐怖とその手の冷たさに思わず振り払いそうになったが、それは叶わなかった。とんだ馬鹿力だ。反抗したら骨でも折られそうなので、すぐに力を抜いて従う。
考えたら負けだ、あとで全部夢でしたで片づけよう。
どくろがどうとか、行方不明者がどうとか、到底涼乃の手に負えるものではない。諦めた。
青年の記憶力とあたり一帯を照らすほどの光にも助けられ、四階の緑のビー玉も難なく見つける。彼のトーク力のおかげで、本当に肝試しなのかというくらい和気あいあいとした探索になっていた。時間も大幅に短縮されている。
「あとは屋上の方かな。あっちにも何か置いてあったけど?」
最後のビー玉を光にかざしながら、青年が首を傾げた。本当に、よっぽど暇なのだろう、下準備の一部始終を見ていたようだ。涼乃が頷く。
「それを取ってきたら最後です」
屋上に行く階段はあっちだねと、ここまで上ってきた階段の方へ向かう。涼乃が近くにあった階段を指さしたが、そちらには上に行く階段がないからと言われた。廊下の両端にある階段の、片方だけしか屋上までは続いていないらしい。
(そういえば、ここまで誰にも会っていないな)
青年の後ろを歩きながら、涼乃があたりを見渡した。涼乃が入ったとき、まだ誰も戻ってきていなかったので、途中で帰ろうとする誰かと会うかと思っていたのだが、すれ違いになったのだろうか。それにしても、足音ひとつ聞こえないのはおかしいような。
「ほら、これだろ?」
はっと顔を上げると、階段の前で、青年が戻ってくるところだった。いつの間にか旗を取ってきたようだ。そこで青年は、持っていたビー玉もまとめて涼乃に手渡した。
「これで終わりだね」
あとは帰るだけだ。一時はどうなるかと思ったが、拍子抜けするほどあっさりと終わってしまった。最後のミッションに至っては、涼乃は意識すら向けていなかった。
帰りもまた、青年が明かりになって階段を下る。一階に着いて、涼乃は改めて青年に向き直った。
「えっと、手伝ってくれてありがとうございました?」
果たして、これを手伝ってもらったと言うのかは不思議である。語弊があるかもしれない。
しかし助かったのは確かで、お礼は言わないといけない。助かったのと同じくらい怖い目にも遭わされたような気もするが。
「うん。僕も楽しかったよ、ありがとう」
またね、と青年が手を振った。また、があるかどうかはわからないし、できればもう二度とこんな思いはしたくないのだが、とにかくこれで一件落着だ。無事に戻ってこれてよかった。
涼乃も青年に手を振り返した、くるりと背を向けてぼろぼろの昇降口へ向かう。
その後ろで、青年が薄っすらと口角を吊り上げた。
一筋の風が、涼乃の首を撫でる。
『ふぅん、君は勘が良いね』
数十分前の青年の声がフラッシュバックした。さっと涼乃の頭から血の気が引く。気が抜けていた。はじめはあんなに気を付けていたというのに、やってしまった。
親しげだった青年の狙いは、これだったのかもしれないと、振り返ろうとするコンマ一秒の間に思う。
「あ……」
涼乃が振り返るより速く、その細い首に手が回された。
「ねえ、ちょうだい?」