第4話 強引なプロポーズ
父さんが運転する車が、六時半にクリーニング屋の前に止った。
外で待っていた母さんのスーツケースをトランクの中に入れて、助手席に座らせる。
赤い車はクリーニング屋の角を曲がって見えなくなった。
二人はお互いに何と言っていいのかわからず、五分ほどの沈黙が続いたが、父さんの一言で空気は和んだ。
「葬式の後、色々と親戚に聞いて、春子さんのことを探しました」
「まあ、そうでしたの?」
「不思議なことに、誰も春子さんのことを知っている人がいなくて。でもなぜ祖父の葬式に来たんですか?」
「これも面白い偶然なんです。実はうちの祖母が中学生の時に、そちらの祖父のことが好きだったみたいで、卒業するまで打ち明けられなかったみたいです。
どうしても最後に死顔を見てお別れをしたいって、付いてくるように頼まれたんです」
母さんは笑いながら話した。
「あの年になっても、忘れられなかったみたいで、可愛いなって思って付いて行きました」
「そうだったんですか、知らなかった。うちのじいさんが、春子さんのおばあちゃんの初恋の人だったんだ」
「そうみたいです。付き合ったことはなかったんですけどね」
「僕たち偶然が続きますよね」
「そうね、何かで引き付けられているみたい」
ふたりは小倉駅に着くまで、この不思議な出会いを噛み締めていた。
父さんは入場券を買った後、母さんのトランクを引きながらプラットホームへと上がっていく。
二人は黙って七号車が止まる場所へと進む。数人の乗客が列を作って並んでいる後ろに立った。
後数分でのぞみが到着すると、アナウンスがプラットホームに流れる。
父さんはまた勇気を振り絞って話し始めた。
「北九州にはよく戻って来ますか?」
「だいたい年に二度ぐらいかな、盆休みと正月に」
「そうですか。今度はいつですか?」
「多分、今度は八月に」
「玉男さんは?」
「僕は前に帰ってきたのが、五年前だから」
「えっ、五年も帰ってなかったの?」
「はあ……」
父さんは恐縮な顔をつくろった。
「おかあさん、かわいそう。もうちょっと頻繁に帰ってやらないと」
「そうですよね。それはわかってるんですが……」
新幹線がライトを翳してホームに滑り込んでくる。肌寒い風が二人に巻きついた。
列車はゆっくりと速度を落として、七号車の入り口が目の前に止まった。
ドアが開いて博多からの乗客が降りてくる。
「今日はわざわざ送ってくれて、本当にありがとう。いつもは黒崎から乗って、小倉で乗り換えるから、とっても助かりました」
母さんが答えた時、前に並んでいる乗客が動き始めた。
「じゃあ、またどこかで……」
母さんは新幹線に乗り込む。
父さんは列車の中を窓越しに覗き込んで母さんを探す。
席に座った母さんに手を振る。
二人の別れを伝える発車のベルが鳴り始めた。
悲しく響き渡るベルの音が止まった。
これで喪服のアイドルとはもう会えないのか?
父さんは咄嗟に新幹線に飛び乗った。
ドアは閉まって、少しずつ列車は動き始める。
母さんは窓の外を見渡すが、父さんの姿を見つけられず、吐息をついた。
父さんは背を向けている母さんの元へと歩いてくる。
彼女の隣にひざまずいた後、驚く母さんの手を取って告白した。
「春子さん、僕と付き合ってください」
どう答えていいのかわからず、母さんはただ黙っている。
父さんはもう一度聞いた。
「僕と付き合ってください」
通路に土下座して頼んだ。
近くに座っている乗客は、どう反応していいのかわからず戸惑っている。
母さんも戸惑う。
「玉男さん、頭を上げてください。周りの人がジロジロ見てます」
「じゃあ、付き合ってくれるんですね」
必死な思いで顔を上げた。
「わ……わかりました」
母さんは小さな声で呟いた。
「ありがとうございます!」
父さんは再び頭を床に擦り付けた。
次の週から父さんは、大阪にいる母さんの元へ東京から通い始めた。
六ヶ月後に、二人は北九州に戻って結婚を決断した。
ひいおじいちゃんを亡くしたおじいちゃんは、父さんに鉄工所を継ぐように頼んだ。
父さんは素直に鉄工所の後を継ぎ、母さんは以前のようにクリーニング屋を手伝った。
そして三年後にわたしが生まれた。
これが小さい頃から死ぬほど聞かされた、父さんと母さんの出会いだった。
父さんが酒を飲み始めると、必ずこの「劇的な出会い」の話が出る。
母さんは鼻の下を長くして、如何にも昨日の出来事のように聞いている。
「もういい加減にして欲しいんだけど」と思いながら、わたしはいつも聞いている振りをする。