第3話 三度目の正直
次の日は最後の帰り仕度で忙しい。
おばあちゃんが色々と地元の食材を買って、トランクの中に詰めている時、クリーニング屋に父さんのワイシャツを出したのを思い出した。
「玉男、お前のワイシャツを取りに行ってくれんね?」
いつもとは別のクリーニング屋の場所を説明する。父さんはおばあちゃんの説明に従って、クリーニング屋を探した。
ブルーの看板を見つけて戸を開けて入るが、店には誰もいない。
「お待ちください。すぐ行きま〜す!」
声が店の奥から聞こえてくる。
しばらくして出てきた女性が、あの喪服のアイドルだった。
「あらっ」
叫んだ声には、驚きと懐かしさが混ざっていた。
「昨晩はどうも」
「こちらこそ」
「また偶然ですね。驚きました」
「そうね、私も……」
父さんは少し戸惑ったが、素直にきのうの思いを話し始めた。
「いやあ、トイレから出て、席に戻ったら、もういなかったんで……」
「友達が急に、他の店で飲もうって言い出して……」
恥ずかしそうな声で答える。
「合コンの方はどうでした?」
「やっぱり、ダメでした。最後までしっくり来なくて。そちらは?」
「僕の方も無理でした」
頭を横に振る。
「ほんとに合コンは難しいですね」
はにかんで答えた。
「そうですね、思ったようには行きませんね」
父さんは頭を指で掻く。
僅かな沈黙が二人を包む。
「何かご用事ですか?」
「そうそう、これです」
ポケットからチケットを取り出す。
「白のワイシャツ、お頼みしてました」
「今から探すので、ちょっと待ってくださいね」
チケットを父さんの手から取って、たたんでいるワイシャツを探し始める。
「あっ、これですね」
ワイシャツを見つけて、父さんに手渡した。
「これです。ありがとうございます」
話を続けたいが、父さんは何を言っていいのかわからず、時間だけが過ぎていく。
「じゃあ、また」
父さんはその場を離れたくなかったが、最後にゆっくりと店のドアを開けて出た。
母さんがどこに住んでいるのかはわかったが、次回また帰郷するまで会えないと思うと、寂しさが溢れ出てきた。帰郷しても、母さんは大阪にいるかもしれない。
二人の現実を見つめ直すように、父さんは青空を見上げた。
度胸を決めた父さんは、もう一度振り返って、思い切ってクリーニング屋のドアを開ける。
カウンターの後ろには喪服のアイドルではなく、肥ったおばさんが立っていた。
「いらっしゃいませ」
父さんを迎える。
父さんは狐につままれたような顔をして黙っている。
「どうかなさいました?」
おばさんは不審そうに聞いた。
「いやあ、ここクリーニング屋ですよね?」
「はい、そうですけど」
「あの〜、さっき若い女の人がいたんですけど」
「まあ、失礼! じゃあ、私は若くないって言いたいの?」
と言いたさそうに不満気な顔をした。
「今、店番を娘と変わりましたが……」
怪訝そうに答えた。
「あっ、そうですか?」
胸を撫で下ろす。
どうおばさんに説明しようかと、考えている父さんに……
「何かワイシャツに問題ありました?」
おばさんは不安な顔をして聞いてきた。
「いやあ、別に……」
持っていた白いワイシャツを、体の後ろに隠した。
「ただちょっと、娘さんに質問がありまして……」
言葉が、どうにかこうにか出てきた。
「何かありました?」
「いやあ、大したことじゃないんですが、ちょっと」
下を向く。
「はるこ〜、お客さんだよ!」
振り返って、大きな声で奥に叫んだ。
「なあに?」
奥から喪服のアイドルが出てくる。
「ああ、さっきの方」
人懐っこそうな笑顔で父さんを迎える。
その笑顔に力付けられてかあさんに聞いた。
「あのう、今晩一緒にディナー食べませんか?
僕、明日東京に帰らないといけないので……」
勇気を振り絞ってデートに誘った。
「えっ、今晩ですか?」
「はい、今晩」
「わたし、大阪に新幹線で戻んないといけないんです。
明日から仕事で……」
言いにくそうに答える。
「あっ、そうですか」
がっかりした声が口から漏れた。
次に父さんの口から思ってもない言葉が漏れた。
「じゃあ、見送りさせてください。小倉駅までお見送りします」
深く頭を下げる。
父さんの言葉を聞いた母さんは、「プッ」と吹き出してしまった。
「何時の新幹線ですか?」
強引に尋ねる。
「七時半ののぞみです」
「じゃあ、六時半にここに来ますから」
母さんの返事を聞く前に、父さんは店を出て戸を閉めた。
二人の内情を知らないおばさんは母さんを見る。
「あの人、随分とあつかましいね。
春子ちゃん、変な男に引っ掛けられないでね」
「じゃあ、帰り支度をしないと……」
母さんは嬉しそうな顔をして、奥に引っ込んでいった。
三度目の奇跡で、父さんはやっと自分の人生を変えるためにアクションを起こした。