第2話 劇的な出会い
わたしの両親も北九州で生まれ育った。今年五十一歳になる父さんは、ひいおじいちゃんが始めた鉄工所で働いている。
父さんは若い頃には、鉄工の仕事が嫌いで大学は東京を選んだ。東京で小説家として大成するのが夢だった。
その志を持って、成功するまでは故郷に帰ってこないと、意気込んで上京したが、大学卒業後は広告のビラを専門に制作する小さな会社に入社した。
その後、ビラのデザインをしたり、顧客とキャッチフレーズを考えたりして五年が過ぎていった。
「ピリッと辛いから揚げ弁当、赤字覚悟の480円! ニコニコ弁当」
「貴方の爪をピカピカ、キラキラ人生が待っている! 駅裏サロン・ド・ネール」
「奥さん、最近ご主人残業多くないですか? 浮気探偵事務所・宇和木」
これが父さんの代表作だった。
残念ながら小説は一冊も書き上げていない。自分の実力のなさに失望し始めた時に、ひいおじいちゃんが亡くなった。
葬式に出席するために、会社から一週間の休みを貰い、五年ぶりに北九州に帰郷した時に、母さんと出会った。
ロマンチックとは言えないが、劇的な出会いだったのは確かだ。
奇跡は葬式の日に始まった。
葬儀に来てくれた知人たちを迎えるために、父さんはおじいちゃんとおばさんに挟まれて立っていた。
一人ひとり棺桶の前で香を焚いた後で、親戚一同の前であいさつが始まる。ひいおじいちゃんは長年、鉄工所を経営していたので、お参りをする人の数も多い。
一人ひとりに丁重にあいさつをしていた時に、一人の若い娘が祖母に付きそって、父さんの前に立ち止まった。
父さんは不思議な感覚に襲われた。
なぜならば娘の顔が、父さんが小さい時に憧れていたアイドルを思い起こさせたからだ。
憧れのアイドルは一曲売れて消えていった、無数のアイドルの一人だった。
その娘が父さんの前に立ってお辞儀をした瞬間、手に持っていた数珠の縄が切れて、床に落ちた。
「パーン」と音を立てて珠が八方に散らばった。
「あっ」と娘が叫んだ後で、しゃがみこんで珠を一つひとつ拾おうとする。
娘のひざまづいた姿を見て、父さんもしゃがんで珠を拾い始める。
二人の姿を見たおばさんも、おじさんも、しゃがんで残りの珠を拾う。
周りのみんなは、いったい何があったのかと、一斉に床を見つめた。
「ごめんなさい、どうもすみません」と娘は謝り続けている。
父さんは珠を拾っている間、不思議な運命を感じたそうだ。
「もしかしたら、死んだおじいちゃんが、この人と引き合わせてくれたのかもしれない」と父さんは思い続けた。
葬式の後で、親戚一人ひとりに喪服のアイドルの行方を聞いたが、誰も娘を知らない。
これは不思議なものだと思って、縁が無かったのかとあきらめようとするが、喪服のアイドルのイメージがより鮮やかに残って、忘れることが出来きずに数日が過ぎていった。
父さんが東京に戻る二日前に、高校の悪友が友達を紹介するから、ディナーを一緒に食べようと言ってきたが、紹介料としてディナーを払えと言うのだ。
入社して以来、ガールフレンドを持ったためしのない父さんは、藁をも掴む思いで、悪友の酷な条件を受け入れた。
四人は小倉駅前の繁華街にある串焼き屋で待ち合わせた。
父さんと悪友は、予約時間よりも十分ほど先に来てテーブルに座る。
「彼女が働いている会社の同僚だから、まだ一度も会ったことないよ」
悪友は説明する。
どんな女の子が来るのかと楽しみにしていると、入り口から手を振る女の子が、二人のテーブルに近づいて来る。
まさしく何度かインスタで見た悪友の彼女だ。彼女の後ろに付いてくる女性が父さんのデートだった。
期待で緊張し始める。
文句をつける訳ではないが、父さんのデートはどう見ても、可愛いという表現が似合う女の子ではなかった。
父さんは痩せぎすの女性よりも、少し肉が付いている方が好みだが、彼女は肉が付き過ぎていた。
父さんも文句が言えるほどイケメンではないが、好みはちょっとひ弱で助けたくなるような、可愛いアイドル系だった。
彼女を紹介されてテーブルに着く。
悪友と彼の彼女は楽しそうに話し始めるが、父さんとデートはお互いに向き合ったまま、下を向いて沈黙が続く。
「ちょっとやばい」と思いながらも、何と言って話し始めればいいのかもわからない。
男とは随分と第一印象にこだわるものだ。
第一印象が良ければ、どうにかして相手の女性に好かれようと、果てしなく努力をする動物だ。
男の習性は全く犬と一緒だ、と言っても過言ではない。
犬が飼い主に好かれようと、何度もボールを持ってくるのに似ている。
隣の席でも同じ年頃の四人が、合コンをしているのに気付いた。
四人の方向を少し見てみる。
前にいる二人は楽しそうに話しているが、向こうの二人は父さんたちのように黙っていて、気まずい雰囲気が漂っている。
合コンは自分の性格に合ってないと思いながら、父さんは尿意にかられるのに気付いた。
さっきから時間つぶしに、水を何杯も飲んでいるせいだった。
これはヤバイと思いながらも、トイレに行くのを躊躇する。
もう待ちきれないと思った時に席を立った。
「ちょっと、手を洗ってきます」
トイレに駆け込もうと思い、ドアのノブを握ると鍵が閉まっていた。
「なんだ、今晩は運がねえな……」と思いながらドアの前で待っていると、どこかで見たことがある女性が、トイレに近づいてくる。
「ハッ」とする思いを抑えて、「まだ誰か入ってます」と答えた。
「ああ、そうですか?」
女性が答えた後で、席に戻らずに父さんの隣に立った。
横に佇む女性は、父さんのデートとは比較にならないほど可愛い。トイレの前だが、どうにか話を繋げようと懸命に話題を考えた末、やっと言葉が出てきた。
「ここトイレ一つしかないんですね」
「はあ……男女共同なんですね?」
「そうみたいですね」
父さんは後をどう続けようか懸命に考える。
「そちら、僕たちの隣のテーブルですよね?」
「はい」
返事は短い。
「今晩、親友に合コンに誘われて来たんですが、これが初めてなんで、どうもしっくり行かなくて。トイレに行ってくると言って、ちょっと逃げてきたんですよ」
「私もそうなんです。久しぶりに北九州に戻って来たら、友達からいい人紹介するからって、言われて来たんですけど、全然タイプじゃなくって」
話す言葉にはなぜか馴染みを感じた。
「そうだったんだ。この偶然、面白いですよね」
「そうね、本当に」とかすかに微笑む。
「ところでそちら、出身、北九州ですか?」
「はい、でも今は大阪に住んでます」
「ぼ、ぼくは東京です」
「そうなんだ、帰郷したのはご両親に会いに?」
「それもあるんですけど、祖父が急に亡くなったんで、葬儀のために戻ってきました」
「あっ、そうなんですか? 不思議ね。私、祖母がお世話になった人の葬式に、一昨日前に出席したんです」
父さんの頭に「ピン」と明かりがついた。
「もしかして数珠を落とした人じゃないですか?」
「なぜそんなこと知ってるの?」
「ぼ、ぼく、目の前にいました! ぼくの前で落として、八方に飛び散った珠を拾ったの、あれ僕です」と大きく叫んだ。
「えっ、ビックリ! そうだったんですか? 不思議なことがあるんですね」
突然トイレのドアが開いて、真っ赤な顔をした中年のサラリーマンが出てきた。
ここは男の我慢の正念場だと思い、父さんは彼女に順番を譲った。
「どうぞ、どうぞ、レディー・ファーストで……」
彼女は礼を言いながらトイレに消えた。
父さんは両足を締め付けながら尿意に耐える。
二度目の奇跡に驚くと共に、もう喪服のアイドルに恋をしていた。
次にトイレの戸が開いた時、何か話を続けようと思ったが、どう見てもタイミングが悪い。
「ありがとうございます」と返した後に、素直にトイレに入って戸を閉めた。
腫れ上がった膀胱から放出できる喜びと、奇跡の出会いに、父さんは白いトイレの前でエクスタシーを感じている。
体全体から力が抜ける感覚を覚えた時に、父さんは大きく身震いをした。
長い間トイレの前に立っている父さんにとって、十分前とは反対にテーブルに戻るのが楽しみになった。
はつらつとした顔をして、トイレのドアを開けてテーブルに戻った時、隣の席には誰も座っていない。
辺りを見回してみると、湯気で曇ったガラス窓の向こうに、他の三人と一緒に歩き去る喪服のアイドルの姿が見えた。
幸福感は一瞬の間に消え去って、大きな魚を釣りそこねた時の虚脱感に襲われた。
父さんは又、彼女の名前を聞き忘れた。