ニードル・アンド・シールド・アンド・ポイズン#6
住民票の取得その物はすんなりと手続きが進んだ。こんな所にリアリティは要らないだろうという運営側からの配慮だろうか。こうして住民票を得た二人は次に住宅案内所を訪ねたが、良い感じの物件は全て借りられていた。無理からぬ事だろう。それほどまでにこのエリアは、そしてこの位の時代を舞台にした創作は人気が高いのだ。
それでも何とか見つけたのは、駅から徒歩十五分ほどにある古びた鉄筋コンクリート製の二階建てアパートだった。
直接確認して見た所、施工時のミスでコンセントの位置がやけに高い事と、地盤沈下で建物が傾いているのかそれとも窓が斜めに入っているのか、カギを掛けないと徐々に窓が開いて行くという欠陥があるようではあったが、それでも普通に住める状態であったのでこのままこのアパートに決める事とした。
その後、布団や冷蔵庫、テレビ、テーブル等、家具を買い揃えて、アパートへと持ち込んで行った。この際にリエは次元ポーチを使ってNPC等に見えないようにこっそりと中に仕舞っていたが、先程までそこにあった大きな家具が目を離した隙に消える様はどう考えても奇異だった。
一通りの家具と、ピィピィたっての願いによって本棚を持ち込み、住処が完全な物となった頃、このエリアの本番、夜の時間が訪れていた。
二人は事前に調べた主な突発イベント発生地点、都心の裏通りの暗がりにあるバーへと足を踏み入れた。
バーは暗く、煙草と甘いアルコールの臭いが充満していた。
テーブル席はまばらに埋まり、カウンター席には左右に一人分のスペースを開ける事がマナーであるかのように一つずつ席が空いていた。
二人は壁際の、小さなテーブルと向かい合う二つの椅子が置かれた席に座る事にした。注文は特に考えていなかったが、2人とも外見上未成年である事に疑いようは無かったのでオレンジジュースかリンゴジュース辺りを頼もうと話し合っていた。
ぐるりと見渡してすぐに気付いた事として、まず席についている人々の顔や風貌がほとんど見えなかった。そして、話し声もほとんど聞こえなかった。辛うじて聞こえても、言葉として認識できない程度の、がやがやとした環境音程度にしか判別が出来ない。しかしそれでいて、一緒に居る相手との会話は滞りなく、クリアに聞こえる。
これはこのバー特有の魔術結界による物らしいが、プレイ歴の非常に長いリエはともかくゲーム開始から大した間も無くテックとアビリティとだけ付き合って来たピィピィにとっては縁遠い世界であった。
二人が他愛ない話をしながら店員の女性にオレンジジュースとリンゴジュースを注文した頃、バーに駆け込んで来る小柄な人の姿があった。
小柄な人、いや少女である。黒い髪と赤い瞳、陶磁器のように白い肌を持ち、上等そうな衣服は一部が破れ、全体的に薄く汚れていた。
少女に続いて大柄な人の姿が店内へと入って来る。その人物は両手に大ぶりなナイフを持ち、店の暗がりでも分かる程の凶相を浮かべていた。
店内に居た客たちの大半が一斉に立ち上がると、各々の得物がその大柄な人物をそれぞれがもっとも静かであるとする使用法で遠距離から貫き、切り割き、撃ち抜いた。魔法と思しき光弾、アビリティ由来と思しき雷撃、アビリティと魔法と技術の合わせ技の飛空斬、音も無く突き刺さった手裏剣、レーザーガン、静音ピストル等、バラエティ豊かな攻撃が大柄な人物を貫き、不格好なダンスを踊らせた。
余りにも鮮やかな手並みに、ピィピィは呆気に取られていたが、リエはそれら一連の動きが起こるより先に、魔法とテックの複合によるパワーアーマーの瞬時装着を行い少女に駆け寄ってナイフを持った人物から少女を守るようにして抱きかかえていた。パワーアーマーを纏い少女を守らんとするその姿は、その場の誰よりも正しく善い人に見えた。
ズタズタになった死体を女性店員が粛々と片付ける中、客たちは静かに腰を下ろしてまた談笑へと戻って行った。
リエが抱きかかえていた少女を離すと、少女が両手を揃えて頭を深々と下げる。
「どうもありがとうございました。助かりました。」
「いえ、私は何も。他の皆さんの方が。」
「守るよう動いてくださったのはあなただけです。本当にありがとうございました。」
少女の口調はしっかりとしており、外見に反して妙に大人びた雰囲気をリエは感じた。
「いえいえ、どういたしまして。ところで、なぜ追われていたのですか?」
「実は……と、話したいのですが、依頼を受けていただけると見てよいのでしょうか?」
この少女はNPCである。これはつまり、この後にある程度連続したシナリオが発生する可能性があると見てよいだろう。
リエがピィピィに振り向くと、ピィピィは静かに頷いた。ピィピィとしてはお金を稼ぎたいが、読み物が酷く偏っているとは言え読書家であるピィピィにとって、このゲームは物語を楽しむ事もまた醍醐味であるのだ。
もっとも、彼女が住んでいたプレイヤー有志によって作られた街では、このようなランダムイベントが生じる事は無かったが。
「はい、大丈夫です。」
「依頼する立場のわたくしから申し上げるのもおかしな事と思いますが、先に内容と報酬について問うべきなのでは?」
「え、えぇ、それもそうですね……」
想定を上回る返しにリエが少々面食らっていると、少女はふわりと笑みを浮かべた。
「わたくし、ローラと申します。」
「私はリエです。それでこちらの人が、」
「ドーモ、ローラ=サン。ピィピィです。」
ピィピィが座ったままでお辞儀をする。
ローラが釣られるようにしてお辞儀を返すと、女性店員が椅子をもう一脚持って現れ、リエとピィピィのテーブルの傍に置いていった。リエが席を勧めるとローラは淑やかに座り、リエも小さく呪文を呟きパワーアーマーを解除収納すると、席へと戻った。
「さて……まず、依頼内容なのですが。殺して欲しい相手が居ます。」
「いきなり穏やかじゃないですね。で、その殺して欲しい相手は何処に居てどういう姿、どういう能力を持っているのでしょうか?」
ピィピィの唐突かつ矢継ぎ早な質問に、特に慌てる様子も無くローラは一つずつゆっくりと答えて行く。
「殺して欲しいのはドルフという、吸血鬼です。居所は分かりません。大柄の男で、能力に関しては怪力と変身、再生能力と言ったところでしょうか。長老級の吸血鬼としては下等に分類されますが、体躯と武術の心得も合わさって十分に強力な吸血鬼ですわ。」
「吸血鬼、ですか。」
ピィピィはほんの少しだけ疑わしく感じたが、しかし目の前の少女が嘘を言っているようには見えない。リエの方へ視線を投げると、納得している様子であった事から、ピィピィは自身が知らないだけでどうやら吸血鬼はこのゲーム及びエリアにおいてはそこまで珍しい物では無いらしいと認識した。
「では、まずは居所を掴まないといけませんね。心当たりはありますでしょうか?」
「それが、全く分からないのです。」
「全く分からない、ですか?」
リエが驚いた様子で聞き返す。
「ええ。そもそも、ここは何処なのでしょうか? わたくしが住んでいた場所とは何もかもが違い過ぎると言いますか……。」
ピィピィがリエの方を見る。
リエもピィピィの方を丸くした目で見ていた。
ふと、ピィピィの視界の端に傍で聞き耳を立てていたらしい他のカロンが首を振って離れて喧噪の中へ消えて行くが映った。
ピィピィはリエにその場を任せて、離れて行くカロンを追って裾を掴んだ。
カロンがピィピィに振り返る。サングラスにスーツ姿、長い髪を一つ残らず撫でつけて後ろに流したオールバックは爬虫類の尾のような印象を与える、細身で長身の男性だった。
やや威圧的な風貌に一瞬怯むが、それでもしかし地元のデビルフィッシュ=サンやブラッドサージ=サンのような見るからに恐ろし気な風貌に比べればと勇気を絞り出す。
「あの。さっきまでの会話聞いてましたよね? このイベントに関して何かご存じなのでは?」
「あ、ああ~……いやでもさほら、ネタバレとか嫌じゃない?」
「それよりも、何か知っている風でかつ避けようとする動きの方が気になりました。何かご存じですね?」
ピィピィの無表情の上目遣いは、本人が思っているよりも遥かに威圧感と罪悪感を感じさせる物であるのだが、それを彼女は知る由もない。
「そらぁまぁ、俺も一回そのシナリオこなした事あるから知ってっけど……そうだなぁ。何が知りたい?」
140㎝台程度の身長しか持たないピィピィに視線を合わせるように、180㎝台の男性が屈む。丸きり大人と子供の構図であり、ピィピィはどうしようもない居心地の悪さを感じたが、それが表情に表れる事は無かった。
「まずはあなたが避けた理由を。」
「面倒だから。そう、めんどくせぇんだそのシナリオ。何を隠そう、一晩じゃ終わらない長さな上にエリアを超えないといけないからな。」
「NPCは原則、エリアの渡航が不可能なのでは?」
「そこはシナリオに関わって来るところだから俺ぁ何も言わねぇ。ともかく、例外は何にでもあるって事だけは覚えておいて良いと思うぜ。このシナリオが実装された当初もキミみたいに設定との矛盾で頭抱えるプレイヤーは結構居たからな。」
「なるほど。手伝って頂く事は?」
「そりゃ無理だ。さっきも言ったが長いんだそのシナリオ! 内容は結構楽しいし妨害も豊富で対人も楽しめるんだが、話を知ってると楽しさ半減めんどくささ倍増、やる気は申し訳ないが出ないねぇ。」
「分かりました。ありがとうございました。」
「いやいや! こっちこそ悪かったね盗み聞きなんてしちまってさ。」
男性が立ち上がりピィピィの頭を一撫でし、店の奥へ進むように歩きながら手を振り
「それじゃ、楽しんで!」
そう言い残すと男性は去って行った。
ピィピィは踵を返すとリエの元へと戻って行った。
「バレなかった?」
オールバックにスーツの男性に、マゼンタ色の坊主頭に剃り込みを入れた長身の黒人男性が問う。
その口調はオネエだった。
「大丈夫だろ。あくまで知らない人としか思ってないハズ。あぁ焦ったぁ~……俺がやり過ぎたせいか? あの研ぎ澄まされたニンジャ注意力。」
「まぁ、あなたのブリンクキックは呼吸を読むぐらいの事しないと回避出来ないものねぇ。それにしてもアナタから誘って来るなんて。あの子の事、ただのカモとしか思ってないかと思ってたわ、デビルフィッシュ=サン?」
デビルフィッシュと呼ばれたオールバックの男性が肩をすくめる。
「そらまぁカモにしてたのは事実だけどよ。でも殺してもポケットの中身の三分の一程度しかハネて無かったし、これでもあの脚を壊さないようにって所は気を付けてたんだぜ? まぁ、あんまり見事に俺のブリンクキック躱すモンだからついカッとなってうっかりやっちまったんだけど。」
「へぇ?」
「なんだよ。いいじゃねぇか、遊び方は人それぞれ! それがクロスタイド! だろう?」
「いえ別にぃ? 悪かったと思ってるなら謝って持って来た物をパッと渡せばいいのに素直じゃないのね、って思ったのよ。」
「ンなモン、今まで散々悪い意味で絡んでんだ、今さらどのツラ下げて弁償なんかしてやれるってんだよ。」
「そもそもあの子、あなたの正体を知ったらきっとすぐ逃げ出すものねぇ。」
「違ぇねぇや。しかしコレー=サン、あいつの保護者役っつったって店空けて来て大丈夫だったのかよ?」
「大丈夫よぉ、アタシみんなのこと信じてるから!」
「器がデカイのか何なのかわかんねぇなぁ。」
留守の内に家財道具全部持ってかれてても知らねぇぞ、と悪態を吐きながらデビルフィッシュがグラスに口を付けた。
用語解説:パワーアーマー
パワーアシスト機能を持つ鎧、強化外骨格の事を主に指す。ボディースーツほどにコンパクトな物や上半身又は下半身のみに装着して局所的に筋力及び装甲を外付けする物から、内部に乗り込み操縦桿や電脳直結などによって操縦を行う6m級の大型機まで、あらゆる物を包括してパワーアーマーと呼称する。メジャーな物は電力駆動式だが、ややレアでマイナーながら魔力駆動式の物も存在する。
強固な装甲と強力なパワーアシスト機能から、身体能力を強化するタイプでないアビリティを選択したカロンを中心に大変な人気装備となっており、特に知覚鋭敏化や思考高速化、未来予知等のタイプのアビリティに特化したカロンが操る大型パワーアーマーは、現在のクロスタイド内においてトップメタの一角とされている。