ニードル・アンド・シールド・アンド・ポイズン#3
「名乗るのが遅れたわね。アタシはコレー。この辺りの代表よ。」
オカマバー『エナジィ』の二階、従業員用の生活スペースと思しき幾つかの部屋のうちの一つへ通されたリエに、コレーが先んじて名を名乗る。
畳敷きの部屋の中は非常に整頓されており、家具は書き物机、タンス、化粧台、オーディオセットとテレビのみと至ってシンプルであった。
ピィピィは先程分かれて、壁に手をつきながら奥の部屋へと行った。リエは手を貸そうとしたが、ピィピィは笑顔でそれを断り、コレーに手を引かれてこの部屋へ案内されたというわけだ。
「改めまして、リエと申します。あの、担当、というのは?」
リエが思った疑問を率直に告げると、コレーは少々驚いた様子で見返す。
「あら。もしかしてリエさんってダイハードシティ初めて?」
リエが頷く。すると、コレーは少しだけ考える素振りを見せて「そうねぇ」と言ってから、説明を始める。
「まず、この街はダイハードシティ。プレイヤーの有志によって作り上げられた、ジ・エンド・オブ・ニア内の街よ。」
「街を……作ったんですか……!? プレイヤーの有志で……!?」
驚き目を見開くリエに対してコレーが誇らしげに胸を張る。引き締まった胸筋が大きく膨らんだ。
「そう。だからそれぞれの区画の管理だとかを運営任せってわけには行かなくって、区画の代表者を決めて運営、管理を行ってるの。」
「なるほど。もしかして、気象の管理も?」
「ええ。とは言え、そればかりは中央が一括管理してるんだけど。」
「はぁ……なるほど、だから酸性雨の中にワープしてしまったんですね……。」
「あら、もしかしてランダムワープで遊んでたクチ?」
「ええ、はい。酸性雨に打たれて装置も壊れてしまって……」
それを聞いたコレーが、申し訳なさそうに目を伏せる。
「あらあら。それはごめんなさいねぇ。」
「いえ、トラブルは覚悟していましたので。ところで、ピィピィさんは?」
「奥で脚を取り換えてるわ。すぐ出て来るんじゃないかしら?」
言うが早いか、扉からピィピィが入って来る。脚は先程まで装着していた鹿の脚のような構造の戦闘用の脚から、恐らくはセクサロイドの物を転用したと見られる生身と見紛う美しい脚へと換装されていた。
成長途上の少女ほどに小柄なピィピィの体格に見合ったそれが存在する事に対して、人間の業の深さを感じずにはいられない。
フードを脱いで仮面を外したピィピィの素顔は、垂れ目がちな少女のそれだった。
「戻りまし、あなや。コレーママとリエさんなんか大きくなりました?」
「アナタが小さくなったのよピィピィ。ともあれ予備の脚の具合はどう?」
「悪くないって言うと思います? もう最悪ですよ。こんなんじゃお金稼ぎに行けないし、他の人に見付かったら絶対に逃げきれないし。」
「いいじゃない。暫く下で働いてなさいよ。そっちの方が安全に稼げるわよ?」
「私はニンジャっぽい事をしてお金を稼ぎたいんです。店員なんてやってられません。そもそもこのゲームには遊びに来たんであって働きに来たわけでは……」
とまで言った所で、コレーのチョップがピィピィの頭頂部をしたたかに打ち据える。
「あうあうあう……」
「きちんと段階を踏まないから、ずっと弱いままなんでしょう? 本来なら内側のエリアが適切なレベル帯なのにこんな所まで来て。」
「う゛ー……でも好きなんですもん。この街が。」
そう言われるとこれまで心配そうな表情で話していたコレーの顔がパッと明るくなった。
「そう言われて悪い気はしないわねぇ~♪今度また、ブラックマーケットに脚を探しに行きましょうね。」
「いえ、出来ればあの脚を修理したいんです。折角自分で買った物ですし。」
「あらそう? そうねぇ、じゃあ知り合いのサイバネ技師に頼んでみるわね。まぁでもあの子ってばログインするタイミングがマチマチだし、ちょっと時間が掛かるかも知れないのだけれど。」
つまりそれまではこの脚で、って事は暫くは襲撃とか出来ないんですねとほほ、とピィピィが漏らしたのを聞いて、リエが意を決したようにして声を出す。
「あ、あの!」
ほとんど表情を動かす事無く、ピィピィが視線をリエに向ける。
「あなや。なんでしょうかリエさん。」
「私にこの街を案内してくださいませんか? ランダムワープで来たばかりで右も左も分からなくて……。」
これに対して素早く反応したのはコレーだった。
「あら! いいじゃない! ピィピィ、リエさんを案内してあげなさいな。」
「あなや……分かりました。リエさんにはご恩もありますし。」
「え、あっと……?」
リエが意外そうな表情をする。コレーがリエの傍で小さく耳打ちする。
「ぐずると思った? この子、こう見えて頭の回転は結構早いのよ。」
「は、はぁ。」
「なのにどうして初期作成でいきなりアウターまで遠征してきたのかはちょっと分からないのだけれどねぇ。」
「え。ゼロ転生なんですか?」
「いいじゃない。この街が好きなんだから。」
コレーが手を叩いて注意を引く。
「はい!それじゃ、リエさんにあなたが好きな物、紹介してらっしゃい?あ、セーブポイントはあなたの部屋を貸してあげなさいな。それじゃ私はお店に戻るわね~」
口早にそう言い残すと、手を振りウィンクを残してコレーは店へと戻って行った。
二人は奥の方の、機械部品と破壊され山積みにされたダーツ板と脱ぎっ放しの衣類が散乱する部屋へと、入ろうとしてピィピィが慌ててリエを部屋の外に押し出した。
五分少々の後、パッと見にはそこそこ片付いているように見えなくもない部屋へとリエが通されると、その目に一番に目立って飛び込んで来たのは、壁一面の書棚とそこにキッチリと収められた数十、百にも至るかも知れない数の肉厚な小説だった。
背表紙の一貫性から恐らくは全て一つのシリーズなのだろうそれらだけは、先程垣間見えた部屋に比して随分ときちんと仕舞われているのが一目見ても分かった。
他にも漫画と思しきやや薄い本も大量に所蔵されており、これらをここまで集めるのは相当な労力が必要だろう事は想像に難く無かった。
書棚に目を取られていると、リエが万年床と化している布団の隣にもう一枚、真新しい布団とシーツを敷く。
「お布団はこれで大丈夫? セーブポイントとしてはきちんと機能すると思うのですけれど。」
「あ、ええ。荷物は今身に着けてる分で全てですから……」
「いえ、セーブポントを。」
「あ、すいません。ちょっとぼーっとしちゃって。すごい量の本ですね。」
「ふふん。実は、これらだけは外部からの持ち込みデータなんですけどね。」
「MODなんですか。買い集めたのかとばかり。」
「私、まだこのゲームを始めてから一週間もしてませんよ。でも、ええ。この小説をこういう形で読めて、しかもその舞台を再現した街で過ごせる。これって、奇跡みたいに贅沢な事だと思いませんか。」
口調は平坦だったし表情も相変わらずほとんど無表情であったが、しかしその話しぶりには確かな熱がこもっていた。
リエはやや気圧されるような、眩しいような気持ちを抱いた。
それと同時に、一つの思い付きが彼女の頭に過ぎった。
しかしそれを実行するのはもう少し、この街を楽しんでからでいいだろう。
セーブポイントの設定を終えると、リエは武装を解除して私服へ変えてから外へ出ようとした。外れた機械鎧から二つの柔らかな膨らみがこぼれる。彼女のバストは豊満だった。
それを見てピィピィが武装解除はしない方が良いと進言するも、とは言えメンテナンスと部品摩耗の観点から見ても一度武装解除した方が良いとリエに言いくるめられ、しぶしぶと言った様子で引き下がる。
そして、ピィピィはゆっくりと、自身の胸に手を当てる。彼女のバストは平坦だった。
二人がそれぞれに耐酸性雨傘を差して歩き出すと、すぐ目の前をサイバネティクスで腕や脚、眼等を改造した暴走族が群れを成して通り過ぎて行った。その背中には『一番乗り』『極めて危険』『教育が悪い』『体罰は暴力』等、威圧的な字体の刺繍が施されているのが遠目にも見て取れた。
あれは?とリエが問うと、ピィピィはほとんど表情を変えずに、アウトモデッドとかにもよくいるただの珍走団です、と答えた。
リエは珍しい物を観たような表情で暫く目の前を通過する暴走族の群れを眺めていたが、その背を見送ると視線をピィピィに戻した。
その表情はとても楽しそうで、これから何があるのかとわくわくとした表情だった。
名鑑№6
コレー:長身の黒人男性カロン。エネルギーパーティクルによるバリアアビリティを所持し、それをハイパーストレングスの膂力で叩き付ける近接パワー型。膂力と同時に優れた体術を持ち合わせており、アビリティと体術を組み合わせて力を発揮するタイプ。確かな実力の持ち主だが、それ以上に器の大きさから人を取り纏める能力に長けており、ジ・エンド・オブ・ニア・エリアの僻地に有志によって作られた都市、ダイハードシティの一部地域の顔役を務めるに至っている。