エピソード3「初恋の思い出を塗り替えなきゃ」
世界で100%を記録した男性の精神障害。それは自殺の可能性を示唆するものだった。
治療と称して女性と同居させ、監禁する。治療は建前で、実際は自殺しない為の監視と、人類を増加させる為の方法だった。
だが、ここにて特別な前例が生まれた。精神障害を患っていた男性が、完治したという有り得ない前例が。
それは、世界にとって確かな希望だった。
急速人口減少に、滅びゆくだけだった世界の中でのわずかな希望。それを持ってきたのは突然現れた男。
世界に、人権を保有し男性と呼べる者が二人現れた。
この事実は、女性だけで無く、男性にも希望となった。
鏡夜は、その後も同じ様な手管を使い、精神障害をわずらった男性達を治療していった。
佐久間が情報を調べ、男の元に連れて行き、鏡夜は一、二週間ほどで男を希望に満たす。
相手によって多少の違いはあるが、基本的な方法は全て会話。
鏡夜にとって会話という治療は、最も効率の良い方法だった。
それは、かつてオカマバーで夜の救世主と呼ばれた鏡夜ならではの方法だった。
相手の辛い部分を触れない様に、気持ちを前に向かせる。そし上で、出来るだけ笑わせて、自信を取り戻させる。
後は、相手が自分から辛い部分に立ち向かうのを、支えて助ける。相手に、自分なら出来ると信じさせるのだ。
鏡夜は、きっと一人で立ち上がれると愛を持って信じていた。
その代わりに、彼は肉欲的な愛を求めていたが、それが叶うことは無かった。
合計二十人。第三地区は二十人の男性を抱えた。男性復活の奇跡の場所とすら呼ばれた。
その多くは結婚し、子供も純粋に期待出来る。
健全な男性と女性が結婚をする。この世界の非常識が、第三地区では常識になりつつあった。
普通に考えたら、それを引き起こした鏡夜は狙われるだろう。他地区に、国に、世界に。
だが、誰一人鏡夜を狙おうとはしなかった。情報操作により鏡夜が関わっているという情報は残されていなかった。
それは、佐久間の異常とも言える情報処理能力と手札の多さがなせる業だった。どれだけ異常か、何も知らない鏡夜にも理解出来るほど、それは異質な才能だった。
そして、今鏡夜は、いつも通り佐久間の膝の上で泣いていた。
二十連敗。その中には鏡夜が好みのがっしりした体型の人もいた。それでも、一人たりとも、鏡夜の希望する関係にまで至れなかったのだ。
だが、それもしょうがいない。マイノリティな相手を探すのに、たった二十人で心が折れているわけにはいかないだろう。
それでも、悔しいことには変わらない。泣きべそをかきながら鏡夜は、佐久間の膝の上で頭を撫でられながら夢の世界に落ちた。
高い室温の中に響く騒がしい音と外からの蝉の声。当時は相当しんどく大変で、そしてこの環境はとても不快だった。
汗が張り付き、耳障りな蝉の音に、気持ち悪くなる室内温度。今、その不快感が無いことで、鏡夜は夢の中にいると理解出来た。
キュッキュッキュ。シューズが擦れる音。
ダンッダンッダン。ボールが弾む音。
不定期な音が交差し、汗がそこらに飛び散る。シューズ次第では汗ですべるのを心配しないといけないほどの汗の量だった。
慣れないうちは、毎日の様に吐いていた。慣れだしても、月に四回は吐いた。ベンチ入りするまで、吐き続けた記憶が蘇る。
それは中学で二年間続けた。バスケットボール部だった頃の記憶だった。
キュッ。キュキュッ。ノイローゼになりそうなほど、聞くバッシュの音。この音が聞こえるたびに、膝が痛みを思い出す。
気づいたら、たった一年で膝の形が変わっていた。それほど中腰を維持し膝に負担が大きいのが、バスケットボールという競技だった。
鏡夜は、中学一年の頭から、バスケットボール部に所属した。
最初は本当に悲惨だった。室内に入れず、外を延々と走るだけ。基礎体力トレーニングと柔軟のみで、ボールは磨く時くらいしか触っていなかった。
しかも走る量が長い。走る。吐く。走る。吐く。ただのランニングが地獄のキャンプにしか思えなかった。
これが過ぎたら楽になる。室内競技だから外で走る時間は減るから、走らなくても良くなるんだ。
一年は皆、その思いで頑張り続けた。
だが、それは大きな間違いだった。数ヶ月で基礎体力が付き、室内練習が始まった。
走って吐くのが、室内練習で吐くのに変わっただけだった。
むしろ、外のランニングの方が色々な意味で楽だったとわかった。
締め切った室内の熱気は不快指数が高く、すぐに気持ち悪くなる。室内練習はダッシュとランニングを交互に行う様な大変さがあった。
今まで以上に、体調管理が必要な環境だった。
それでも、バスケットボール部を止めなかったのは、一緒に吐きまくった同期の友達がいたからだ。
中学に入学した時、鏡夜は悩んでいた。自分の趣味はどうしてもインドアで、そして女性っぽい。
料理や裁縫、それに少女コミック。乙女趣味が中心の自分が、どうしても鏡夜は受け入れられなかった。
それならいっそ、男らしい趣味を始めよう。それで決めたのが、バスケットボール部へ入部することだった。
同期は二十人。優しくて皆、良い人達だった。楽しい日々が始まると期待していた。実際に始まったのは、地獄のランニングだった訳だが。
それでも、友達同士で励ましながら、頑張り続けた。一人で出来ないなら皆でなら出来ると信じた。気づいた時には、共に戦場を潜った様な、不思議な連帯感と絆が生まれていた。
深く濃い、友情の繋がり。それは確かに男同士の絆の繋がりだった。
同時に、鏡夜は謎の興奮を覚える時が存在した。
部活動開始の着替えは何も感じなかったが、終わりの着替えの時は、意味も無くドキドキする日もあった。
汗だくで着替える同級生達。余裕の表情を見せつけながら、自分たちよりも汗を掻いている先輩達。
それだけなのに、胸が苦しくなるほどドキドキした。何故か、ただの汗が煌いて見えていた。
自分で言うのも変な話だが、鏡夜には才能があった。
身長はバスケット選手ほど高くは無いが、走って良し、跳んで良しの身体能力に、パス回しからドリブルの技術力。
そして何より、他の追従を許さないほどのスタミナがあった。
一年のうちはずっと吐いていた。二年の初期も多少は吐いていた。だが、二年夏頃に急激にスタミナが伸び、三年と比べても勝っていた。
どのポジションでもそれなりに活躍出来るという器用さとスタミナが買われ、二年からベンチに入った。
三年の層が厚い中で、二年でベンチ入りは鏡夜一人だけだった。
だが、もっと凄い奴がいた。二年で有りながら、そいつは既にレギュラー入りをしていた。
林拓海。
中学二年にもかかわらずの身長180超え。身長だけで無く、手足もかなり長い。がっしりとした恵まれた巨体に勝負勘の強さ。そして負けん気。
誰よりも多くの練習量をこなし、二年ながらレギュラーになった彼は、皆から尊敬され、慕われていた。
そして、鏡夜にとって今でも忘れられない人物でもあった。
拓海は、文句無しでシュートガードのレギュラーに選ばれた。
恵まれた身長を利用し、得点力とカバー能力を期待されたからだ。
彼だけでも確かに強いが、彼が真価を発揮するのは鏡夜が同じコートに入った時だった。
同級生の上に得意がかぶってない二人は、抜群のチームワークを誇った。
交代から繰り出させる。センター以外全てのポジションがこなせる鏡夜。
鏡夜は拓海の代わりに走り回り、拓海をサポートし動きやすい位置に誘導する。
そして、サポートを受け、スタミナを温存した拓海が、ここぞという時にオフェンスでもディフェンスでも決定的な一撃を、相手に与える。
自他共に認める最高のパートナーだった。
鏡夜もこの時は最高の瞬間だと信じていた。出来たら、三年最後まで一緒にプレイしたかったと今でも思っている。
それは二年秋の練習試合の時だった。
初めてレギュラーに選ばれた鏡夜。ポジションはポイントガード。
拓海との連携を重視した上に、来年の全国大会を意識したテストでもあった。
元々スタミナには絶対の自信のある鏡夜は、相手を序盤から全力で翻弄する。マークを崩す様立ち回り、相手に隙が生まれたら拓海がここぞという場所で決める。
わかっていても崩せない。黄金パターンの連携。鏡夜を中心とした他のチームメイトの連携もいやらしく、相手は序盤から最後までペースを握れなかった。
ペースを掴み続けた上での勝利。それは、来年の全国大会へ繋がる、確かな希望だった。
確かな手ごたえと逸る気持ちを胸に、体育館の中で一人ゴールポストを見る鏡夜。
自分は、いや。自分とアイツでどこまでいけるだろうか。そんなことを考えていた。
そんな時、ふと首筋が冷たくなるのを感じ、慌てて後ろを振り向く。そこには視界に入らないほどの巨体が立っていた。スポーツ飲料を首に当てているのは拓海だった。わざわざ持ってきてくれたらしい。
「着替えもせずに、何黄昏てるんだよ」
にやにやする拓海に、鏡夜は「うっせ」と一言だけ返し、渡されたドリンクを奪う様に受け取った。
キンキンに冷えたスポーツ飲料を、ぬるい水で割る。体を冷やしすぎない様にと、がぶがぶ飲みやすくする為の工夫。
そんな細かい事を、着替えもせずにわざわざ拓海は行っていた。
「本当にマメだよな。マネージャーに頼んでおいても良いだろうに」
拓海は試合後、その工夫を必ず二つ用意していた。鏡夜は、そんな拓海との関係を好ましく思っていた。
「はっ。試合の度に俺のスタミナ量計算しながら戦っているお前にマメって言われたくないわ」
ゲラゲラと豪快に笑いながら、鏡夜を指差す拓海。
「うっせうっせ!お前がもう少しスタミナを付けたらわざわざ計算なんてしねーわ!」
口ではそう言う鏡夜だが、それは無理だとわかっている。
拓海の練習量は今でも限界一杯。そして、残念ながらスタミナの伸びはかなり悪い。今から劇的にスタミナが伸びることは間違い無く、無い。
恵まれた体躯のデメリットだろう。だからこそ、鏡夜は拓海が全力を出せる様にサポートをしていた。
「お前はすげーよ。走っても跳んでも疲れない。シュートからドリブルまで何でも器用にこなす。しかも指示まで適切と来た」
拓海はそう言うが、鏡夜は拓海の方が優れていると思っていた。
恵まれた体躯。それに現を抜かさず自分を鍛えぬく精神。諦めない根性と勝利への執念。それは鏡夜には持ち合わせていないものだった。
「それだけ恵まれているのに、お前は自分では無く、いつも他の誰かを当てにして戦っているよな」
そう言いながら、再度指を差して笑う拓海。そんな拓海に鏡夜は呆れた様な顔をする。
「俺が戦うよりも、お前とか他の誰かが戦った方がつえーからな。俺の方がつえーなら俺は俺を中心に戦うわい」
紛れも無い本年だった。何でも出来るが、何もかもが足りない。鏡夜は自分をそう思っていた。
「いいや。お前は自分で戦っても強いさ。だけど、それ以上にお前は仲間に頼るのが上手いんだ」
鏡夜はふと、拓海の顔を真正面から見た。それはいつものふざけた顔では無く、真剣な表情で、まっすぐに鏡夜を見ていた。
「仲間を信じて、仲間に全てを預けて、その上で戦い抜く。だからお前は本当に強い」
拓海からの言葉に鏡夜は目が話せなかった。ドリンクを飲む拓海の喉の動きが見える。それすら、胸が痛くなる原因になっていた。
「そんなお前が、俺は最高に好きだ」
そう言いながら、トンと手を鏡夜の胸に当てて、拓海は更衣室に向かった。
最高の気持ちが、最悪のタイミングで訪れた。
違和感は形となり、この時初めてわかってしまった。
立花鏡夜は、男が好きな人間だと。そして、林拓海に恋をしてしまったと。
そこからは最悪だった。
拓海と連携が取れなくなり、鏡夜はあっという間にベンチに戻る。
監督の諦めた声よりも、仲間達や先輩の励ます声が辛かった。
拓海も鏡夜を心配し、こまめに声をかけるが、逆効果となり、鏡夜のプレイは更に酷くなっていった。
そして鏡夜は、三年に上がった瞬間に退部した。
周りはスランプが原因と見た。だが、実際はただ心を押さえつけていただけだ。
こんな感情のままでは、とても試合にも練習にも集中出来なかった。
元々気を利かせるのは余り得意で無い拓海は、鏡夜に何を言って良いかわからなかった。
退部したその日、拓海は鏡夜の帰り道で鏡夜を待ち、見つけたら横について歩いた。
無言のまま、二人は歩いた。
少し前までは、賑やかに騒ぎながら二人で帰っていた道。だが、今はそれすら遠い過去の話に感じた。
途中の公園。ちょうどここが二人の分かれ道で、今までは二人がさよならの挨拶をする場所だった。
「俺も一緒に、バスケ止めた方が良いか?」
おそらく、鏡夜がスランプで止めたと思いバスケが出来ないことを気にしての発言だろう。
鏡夜は少し跳んで拓海の頭を叩いた。
ぺしんと小気味良い音が響く。
「ふざけんな!止めた俺が言えることじゃないけどな!そんなの全然嬉しくねーよ!」
そう。止めたのは心が原因。鏡夜は自分の弱さだと思っていた。
「なら、俺にどうして欲しい?」
拓海の泣きそうな顔が鏡夜の胸をより苦しめる。
鏡夜は、思ったままを答えた。自分の思いは閉じ込めたまま。
「俺の分までチームを頼む。俺の分まで楽しんでプレイしてくれ。そして、俺の分まで活躍して欲しい。お前なら絶対出来る」
自分も一緒に。鏡夜はそう言いたかった。だが、それは出来なかった。
毎日が苦しくて、重たくて。バスケットを楽しむことすら、もう思い出せなくなっていた。
無理やり笑う鏡夜を見て、拓海はいきなり、そして思いっきり強く抱きしめた。
きつく抱かれる感覚と、温もりが、鏡夜の心を熱く、そしてより苦しくさせた。
「約束する。お前の分まで活躍して、最高のプレイをして!そしてお前が居たチームの凄さを知らしめてやる!」
その時、確かな拓海の愛情を鏡夜は感じて、そっと涙した。
拓海の愛情は、自分の愛情と違うものだった。
そして、鏡夜は自分の中に、拓海への思いを封印した。
それから、拓海とは一度も会っていない。
鏡夜が唯一乗り越えられなかった思い出。
鏡夜にとって最高(最低)で最良(最悪)の思い出だった。
目を覚ますと、鏡夜は自分の部屋のベットの中にいた。
佐久間の膝の上で寝たのは覚えている。だが、今この場所にいるという事は、迷惑をかけたらしい。
時刻は朝の七時。体のだるさも無く、最高の目覚めだった。
鏡で自分の顔を見る鏡夜。予想通り、目は赤くはれ上がっていた。
佐久間から目薬を貰い、今後の事を話し合う。
何も聞かず、何も言わない佐久間。その距離感は、何よりも居心地が良かった。
「というわけで、連敗中なのでちょっと本気を出します」
鏡夜のその言葉に、佐久間は「ほぅ」と一声だけあげた。
「今までの敗因で一番多いのは、看護していた女性に愛が向かうパターンだった。これが最初から愛し合っていたなら何も言わないが、元気になった瞬間に愛に目覚めるのはつらい」
「そうだったわね。それで、対策は?」
「女装する。女に取られるなら。俺が女になれば良いだけの話だろう」
そもそも、鏡夜は自分の本当の姿は女装した姿だと思っている。
「ほぅ。それはとてもとても興味深いわ。色々な意味でね。でも、大丈夫?鏡夜クンはカッコイイ系の顔立ちだから女装しても悪目立ちするんじゃ?」
そう心配する佐久間に、鏡夜は自信満々に答える。
「化粧道具と衣装を貸して、一時間お待ち下さい。本物を見せましょう」
不安そうな佐久間から道具を一式借りうけ、鏡夜は本当の自分にメイクアップを始めた。
「ということで、これでどうでしょうか?」
自信満々な声の鏡夜に、佐久間はただ頷き驚くことしか出来なかった。
女性物のビジネススーツに身を包んだその姿は女性そのもの。
むしろこのビルの誰よりも美人で間違い無く注目を浴びるレベル。
その上足まで妙に美脚。更に付け加えると声まで変わっていた。
「まさか声まで高くしてくるとは、御見それしました。それは男性って絶対に気づかれないわ」
佐久間の反応に鏡夜は優しく微笑する。
キョウの源氏名で働いていた経験は、伊達では無かった。
ちなみに鏡夜は声を三種類、使い分けが出来る。
男声の低音。昔の声。
どっちにも聞こえる中音。低い女性の様な声。そして女装時の声。
そして高音。女性の高いアニメキャラの様な声。基本的に使わない声。
これらをお友達(意味深)の好みによって使い分けしていた。
「というわけで、今回からこの姿で、片っ端から男を元気にしていくぞー」
鏡夜の声に合わせて、「おー」と片手を挙げる佐久間。
佐久間の仕草は一々可愛い。佐久間が男なら、鏡夜は間違い無く落ちていた。
「ということで、今回のターゲットの村田タクト君。十四歳です」
「はい。チェンジでお願いします」
佐久間の用意した資料も読まずに、鏡夜はそう告げる。
だって未成年ですやん。あかんですわ。
「と、いかないんですよねぇ。鏡夜君もきっと彼は放っておけないと思うし」
佐久間は鏡夜に資料を手渡す。
『十三歳の時より、将来への絶望で自殺未遂。未だにを繰り返す。向精神薬等の投与にて現状維持。早急な対策を求む』
予想以上に状態が悪かった。鏡夜は貰った資料を上から下まで漏らすこと無く読みふけった。
「お願いして良いですか?」
少し不安そうな佐久間の言葉。
「出来ることはするさ」
鏡夜はそう言うことしか出来なかった。
「というわけで、今日からあなたの治療担当になったキョウです。よろしく!」
さっそくタクトの家に行き、挨拶をする鏡夜。いやキョウ。
女性らしい淡い桃色のワンピースにロングスカート。それにあわせた白いニーソ。
子供を不安にさせない様あえてシンプルにしたコーディネートをキョウは狙ってみた。
笑顔でタクトに話しかけるキョウだが、内心はいっぱいっぱいだった。
タクトの印象は中学二年とは思えないほど体躯に恵まれていた。
身長は百七十後半はあるだろう。ガタイが良く、その割にはさっぱりした清潔な顔立ち。
男らしい顔立ちの中に、どこかあどけなさの残るその顔は、拓海に良く似ていた。
夢で見たからだろうか。タクトの面影が拓海を彷彿とさせ、鏡夜の心臓に付加を与えていた。
タクトは拗ねた様な表情だから良かった。もし笑った顔をしていたら、拓海にもっと似てしまう。
それほど、二人は良く似ていた。
ファーストコンタクトはあまり芳しくなかった。
「ふーん」
キョウの挨拶に対し、タクトの反応はそれだけだった。
どこの誰とも知らない人が、いきなり現れたら無理も無いのではあるが。
「えー。そんなタクト君に、お……ごほん。私からプレゼントがありまーす」
無理やりにでも笑顔を作り、ゴリ押すキョウ。そう言いながら、キョウは一枚の紙をタクトに見せた。
最初はジト目で睨みつけていたタクトも、その紙に書いてある文字を見て、ぱーっと輝くような笑顔に変わった。
その紙は外出許可証。本来治療中の男性の外出は絶対禁止である。絶対に得ることの出来ない自由の紙。
佐久間様のご厚意でもらった一枚だった。
「ということで、お姉さんとデートしよっか?」
キョウも、少しだけ落ち着いて来た。冷静に考えると性格が全く違うのだから慌てる必要は無いじゃない。
キョウは満面の笑みでタクトをデートに誘う。
外出許可証の力は凄く、色々な意味で効果があったらしい。
タクトは頬を染めながら、顔を背け頷いた。
デートとは言っても、この世界の貴重な男性二人(片方は見た目完全な女性だが)である。
軍を使っての厳重に厳重を重ねた絶対的な警備。当たり前だが、二人の通る場所は一般人通行止めである。
家のある人はしばらく旅行に出てもらった。
とんでも無い額の使われた。とんでもない贅沢なデートでもあったのだ。
警備する人数も百人を超える大警備隊だが、その反応は二極化していた。
キョウの事を知らない人は、年下の彼とのデートをする女を妬み、嫉妬することに忙しかった。
キョウの事を知っている人は、腐った妄想を繰り広げ、どっちが掛け算の前にかけるか真剣に考えていた。
佐久間は後者だった。
デートは言っても、それほど長い距離は移動出来ない。
近場を軽く歩き、コンビニに入り、店員に偽装した警備員から食べ物を買い、公園で食べる。
それだけではあったが、タクトにとっては一年ぶりの外出である。楽しくないわけが無かった。
閉じ込めることは確かに良くないが、鏡夜はそれに対して佐久間を責めることは出来ない。
男と言うだけで狙われるこの世界で、心が弱った男が安心して生活出来る方法など、閉じ込める以外に無いからだ。
半ば監禁の今回の様な状況ですら、自死は止まらないのだからまだ足りない位なのかもしれない。
家に帰りつくと、タクトは寂しそうな顔をしていた。外出が終わるのもそうだが、キョウと離れるのが寂しくなったらしい。
捨てられた子犬の様な顔をしているタクトの頭を、キョウは優しく撫でた。
「少しは警戒心も解けたかな?」
タクトは小さく頷きながら、キョウの方を見た。
「また、会える?」
心配そうに尋ねるタクトに、優しく微笑みながら、キョウは頷いた。
「また明日来るね。明日は普通にお話しよっか?」
タクトは赤くなりながら大きく頷いた。キョウはそのまま笑顔で手を振って立ち去った。
笑う度に、タクトと拓海がかぶって見える鏡夜は、複雑な心境だった。嬉しくはあり、悲しくもなる。
そんな複雑な心境を察してか、佐久間も今日だけは鏡夜と何も話さず、食事を一緒にとった後、お互いの部屋に戻った。
翌日。鏡夜がいつもの様に女装してタクトに会いに行くと、尻尾を振った犬が背後に見えるほど喜ぶタクトがいた。
大分、心が楽になったように見えた。若い上に閉じ込められてる期間が短いからか、治療は思った以上に早く終わるなと、キョウは感じた。
甘える様に会話をするタクトに、キョウは微笑みながら頷き答える。
それだけでタクトは、とても嬉しそうにしていた。
三日目には、タクトは自分の苦しんだ理由も、自分から話し始めた。
小学校の時は柔道をしていた。
大きくなったら柔道の大会に出たいと思っていた。
だけど、中学校から男子柔道は無くなっていた。
調べると、そもそも中学以上からは運動系の部活で男子部が存在する場所が無かった。
誰に尋ねても「男の子は貴重だから仕方ないよ」としか言わなかった。
やりたいことも出来ず、ちやほやするだけで籠に仕舞われたと感じたタクト。
生きている意味があるのか。タクトはそれすらわからなくなったらしい。
「そっか。したいのに出来ないってつらいよね。お姉さんも昔そういう経験があるわ」
バスケットを止めたことは今でも後悔している。それでも、当時はどうしても出来なかった。
自分が異物にしか思えず、拓海への感情も膨らんでいき、ただ苦しい時間でしかなかった。
「そっか。だからお姉さんは俺に優しくしてくれるんだ」
「それは違うよ」
ちょっと納得したような風に話すタクトの顔を見据えながら、鏡夜は答えた。
「私が君に優しいのは、簡単だよ。君に元気になって欲しいからだよ」
その言葉だけは、嘘偽りは無い。そして、タクトもそれを理解したからか、今までで一番、顔が赤くなった。
鏡夜は、胸に罪悪感という痛みが走ったのを感じた。
数日間。いつもと同じやり方で話を続けるキョウ。
ただ、今までと違うのはタクトは鏡夜に積極的にアピールをしていた。
年は関係無い。結婚するならお姉さんみたいな人が良い。
そんな言葉を軽く交わして話を続けるキョウに、タクトも最後の手段に出た。
「もし、俺が完治して外に出られてたら、もう一回デートして欲しい」
タクトの言葉にキョウは悩みつつも頷き、そして次の日、タクトは治療が完了して人権が回復した。
恋する力の恐ろしさを、鏡夜は久しぶりに感じた。
約束は約束だ。どういったデートがしたいかタクトに尋ねたら、普通のデートがしたいとタクトは答えた。
悩んだ鏡夜は佐久間に相談し、ちょうど良い場所があると、とある場所を紹介してもらった。
今、二人がいるのはオープン前の遊園地だった。
ただし、従業員は全て軍人。元遊園地職員で信用出来る軍人のみで固めた、貸切の、客が二人だけの遊園地だった。
「何から乗りたい?」
鏡夜の年上らしい対応に、子供扱いされていると感じたタクトはむっとしながら答えた。
「何でも良いです。でも、最後は観覧車に乗りたいです」
背伸びする様なことを言うタクトに、キョウは微笑みながらタクトの頭を撫でながら微笑みかけた。
タクトは、子供扱いされてるのに、頭を撫でるのを断りきれない自分に悔しそう俯いた。
周囲の軍人達はそれを見て、「尊い……」という言葉を繰り返していた。佐久間も混じっていた。
やはり子供だからか、メリーゴーランドなどゆったりとしたものよりも、ジェットコースターなど速度の出る乗り物を好んだ。
ゴーカートを二人でするが、何回やっても鏡夜に勝てないタクトは悔しそうに鏡夜を睨みつ、キョウはそれを見て、また微笑んでいた。
昼食は適当にハンバーガーとポテト。タクトは、ポテトを一つ手に取りあーんと鏡夜の口元に持っていく。
それを食べ、お返しに自分のポテトを差し出す鏡夜。
タクトはそれを真っ赤になりながら食べた。
「やっぱりお姉さんには勝てそうにないわ」
悔しそうに呟くタクトに、鏡夜はぽんぽんと頭を軽く撫でた。
一通り絶叫系を回った後、約束通り観覧車に乗ることにした二人。
時間は夕暮れだが、十四歳の少年だ。これくらいで丁度良いだろう。
入るや否や、タクトは鏡夜に質問をしてきた。
「お姉さん。本当は男の人でしょ?」
予想外な上に鋭い質問に、鏡夜は一瞬押し黙ってしまった。黙り込んだのが、答えだとタクトは悟った。
「やっぱり。そうだと思ってたよ」
「あはは。何でわかったの?これでも自信あったんだけどな」
女装を始めて十年近く経っている。本気を出したら絶対に見抜けない自信があった。
「そりゃあ、ずっとお姉さんを見てきたからね」
今までと違い、恥ずかしそうにでは無く、正面から話すタクト。
気づいたらタクトは男の顔になっていた。
「俺、お姉さん。いや、キョウさんが男でも構わないよ。それでも、俺キョウさんが好きだ」
ゆっくりと、心を込めてタクトは鏡夜に、心の思いを伝えた。
それは、鏡夜が十四歳の時に拓海から欲しかった言葉。
その真剣な眼差しのタクトは、拓海にそっくりだった。
「ありがとう」
鏡夜はそっとタクトを抱きしめた。
「でも、ごめんね」
抱きしめたまま、鏡夜は耳元でそう囁いた。
観覧車が一周するまで、鏡夜はタクトを抱きしめ続けた。
あくまで、子供をあやす様に。
観覧車を降りると、タクトは鏡夜に尋ねた。
「俺のどこが駄目だったのか、教えてもらえませんか?」
きっちりと自分が振られたと認め、その上での言葉。気づいたら一瞬でタクトは少年から男に代わっていた。
「君が悪いんじゃなくてね。ごめんね。私女の人と婚約してるから」
嘘では無い。佐久間と事実上婚約ではあった。ただ、本心でもなかったが。
「そうですか。それは無理ですね。すいません。……俺、もう大丈夫ですから。今までありがとうございました」
最後に、手を繋いで入り口ゲートを潜り、そのままタクトは一人で家に帰っていった。
タクトは断れても、一人で帰ることになっても、泣きもしなかった。本当に、短い間だけで成長したのを鏡夜は実感した。
「良かったの?」
玄関でたそがれる鏡夜に、どこからともなく現れた佐久間が尋ねた。
「ああ。良かったよ。むしろすっきりした」
ずっと心に残っていたしこり。
忘れられなかった初恋。
その初恋とそっくりな人が、初恋の時の年齢で告白してきた。
そして、鏡夜は気づいた。あの時、あれだけ素敵だったと感じていたが、今はただの子供にしか見えないことに。
初恋はもう、戻ってこない。鏡夜は、ようやく、それを受け入れることが出来た。
ありがとうございました。
今までの中で一番力が入ったかもしれぬ……。