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苦手な方はご注意ください。

刀と踊る夢

作者: アラヤ識

日常と非日常なんて、あっという間にひっくり返ると思います。

刀と踊る夢


第一章




粉雪が降り積もる中、彼女を見つけた。

夜の闇の中、まるでそれに抗うかのように、月の光を一身に受け輝いていた。

雪と戯れるように。風を身に纏うように。

彼女はそれを手に、舞を舞っていた。

あまりに美しかった。だから、手にした刃すらも彼女を引き立てる道具でしかなかった。

しかし見とれていたせいで、この場が今どうなっているのか 、


よくわからないでいた。


僕は桐野真。市内の高校に通う高校生。

部活は弓道をしていたり、畳の和室が好きだったりと、どちらかといえば和風寄りの人間だと思っている。弓道の時以外は掛けているメガネのせいで必要以上に大人しい人物だと思われがちだが、至って一般的な人間だろう。


その日は部活を頑張りすぎて、気が付けば夜8時を過ぎていた。

学校から家は遠く、片道1時間はかかる。

世紀末、1999年12月半ばの夜、雪が降っているために電車のダイヤは乱れに乱れ、地元についたのは10時を過ぎていた。空だけが薄明るい、典型的な雪の空だ。

「今日は晩飯抜きかなぁ」

親は理解のある人だと思っているが、今日はあまりに遅くなったのでこれくらいの罰はあるかもしれない。

部活帰りに晩飯抜きは健康的にも精神的にもよろしくないので、帰り道にコンビニに寄って夜食を買っていく。ありがとうございました、の事務的なセリフを背に受けながら、自動ドアを出て早速ほかほか状態の肉まんを頬張る。うん、やっぱり冬はこれだね。


その帰り道、不意にゾクリと背中に冷たいものが流れた気がした。冬の寒さとは全く別の緊張感。試合なんかと比べ物にならないほどのプレッシャー。

理性ではなく、生物としての本能が警告を告げている。

ココハキケンダ、と

「・・・・・・っ!」

手足は勝手に震えだし、視線は原因を探ろうと辺りを必死で見渡す。

・・・・・・僕なぜか、本当に無意識に、その危険を感じる方へと向かっていた。

田舎といえども、それなりに開発の進んだ街中に竹林があった。

今まで何度となく通ってきた道を少し外れたとこにあるのだが、今までこんなものがあったなんて気付かなかった。

そして気付かれないのを不思議と納得させるような、そんな異様な雰囲気を出していた。

竹林に近づくほど、自分が「ここ」では異物なのだという感覚が強くなっていく。

止まりたいのに足が進む。冷や汗が止まらないのに何があるのか知りたくなる。

頭と体が別々に動いている感覚に囚われながら奥に進む。


ヒュッ、と何かが風を切る音がした。向こうで何かが光っている。

目を凝らすと、一人の少女が舞っていた。

手には月に照らされ、怪しく光る長い刀。雪に覆われた竹林。その中で舞う彼女はとても美しく可憐だった。

舞が終わってからもしばらく、僕の視線は彼女から離れなかった。いや、そのときは他のものが目に映っていなかった。


しかし立ち込める異臭から不意に、その場の異常に気付く。


彼女の周りは赤い雪が積もっていた。


辺りには散らばった肉塊。生物だったと思われるものは本来の意味を失っている。

いまだに彼女の周りを赤く染めようする血糊は、胴体をそれのポンプとして染色を進める。

「死、体っ・・・・・・!」


恐怖に声を漏らした次の瞬間、頭に鈍痛を覚えながら僕の意識は闇に沈んでいった。


雀の鳴く声が聞こえ、朝日が目覚ましの代わりをしてくれる。

「んっ・・・・・・朝か・・・・・・?」

なぜか後頭部がズキンと痛んだ。手で触ってみると見事なタンコブができている。

昨日、えっと、コンビニで夜食を買ってそれから・・・」

いまいち記憶がはっきりしない。いつもの帰り道を歩いていて・・・・・・。

寝ぼけた頭を起こすために目をこすって周りを眺めると、

「・・・・・・ここどこだ?」

一昔前のアニメでありきたりな台詞を吐いたなと思いながらも、本当に見覚えのない部屋だと認識する。

「・・・・・・んー」

寝ぼけた頭を必死で回転させてみた。

友人である雪夜の家でないことは、きれいに片付けられた部屋から明らかである。

もしやコレがうわさに聞く記憶喪失なのだろうか。はたまた誘拐?などと唸りながらワケのわからないことを考えていると、ガチャッとドアの開く音がした。誰かが帰ってきた。それはおそらく僕をここに連れてきた人になる。


 瞬間緊張が走ったが、しかし誘拐と言うには布団に寝かされていて手足もしばられてない。一人でいろいろ考えているとビニールの袋がこすれる音がした。

がさごそと音がし、思わず身を固くする。

そしてドアから現れたのは、しかし一人の少女だった。

「あっ・・・・・・」

少女を見た瞬間、安定しなかった記憶が急速に蘇ってくる。

「あっ、なっ、おまっ、え?」

「目が覚めたのですね。お話は後でいたしますので、今は安静にしていてください。

知識はあるとしてもなかなかこの時代の言葉使いは慣れないもので、早口で喋られると少し聞き取れません。それより、お腹は空いていませんか?」

まるで家族と喋るように普通に喋りかけてくる少女。

その容姿はすでに反則だった。腰まで届きそうな黒髪は癖っ気のないストレートで、黒絹のように艶やかだ。瞳には強い意志を表す光が宿っている。や や鋭い目つきだが、今は穏やかな雰囲気のおかげかとても怖い人には見えない。和服の似合う、まさに大和撫子というやつだ。年は・・・・・・同い年くらいだろうか。

女性にあまり免疫の無い僕は、顔が赤くなるのが自分でわかる。

昨日の恐るべき場面にいた少女と同じ人間だとは、到底思えない。

とりあえず何も喋れないで固まったまま、朝食をいただくことにした。


「特に怪我はないようですね。」

慎重に体を診てくれた彼女はそう言って救急箱をしまう。 頭の後ろの立派なタンコブは、なんとなく隠しておいた。

何をするでもなく彼女を見る。


 和服姿で、少し丸みを帯びた体つき、華奢に見える細い腕、よく見れば結構大きい胸。 意識がはっきりし始めるとなぜかそんなところに目がいってしまい、恥ずかしくなって目をそらした。ごまかしついでに疑問に思っていたことを聞いてみる。

「君がここまで連れてきてくれたの?」

「はい。また、あなたを気絶させたのも私です。」

この質問が来ることは予想済みだったようで、答えは即答だった。こちらとしても答えは予想していたのだが、あまりに昨日の狂った場面と目の前の人物が不釣合いすぎてうまく理解できない。

「昨日のあれは一体どういうことだったの?君は・・・・・・人殺し?」

ともすれば殺人犯である相手に、恐る恐る尋ねてみる。

「・・・・・・先に自己紹介させていただきましょう。私の名は上杉謙信。未来人を名乗るある男によってこんな時代につれてこられました。」

・・・・・・名前が上杉謙信さん。とてもかっこいい名前でらっしゃる。

ふむ、こんな「時代」に「つれてこられた」・・・?

「えっと、名前が上杉謙信さんってことはわかった。つれてこられたって言うのは?あとこんな時代ってどういうこと?」

「言葉のとおりです。まだ終わらぬ戦国の時代からこの時代に連れてこられました。今は織田勢との争い中であるにもかかわらず、あの男は卑劣な手段で私をここに連れてきたのです!」

不機嫌な顔をしているので自分の意思できたわけではないようだって言うかちょっと落ち着け自分。

戦国の世・・・・・・上杉謙信・・・・・・?

「えっと、上杉謙信って上杉謙信?」

自分でも頭の悪い質問だなと思う。でもそんな質問にも真面目な答えがあった。

「たぶんその上杉謙信で相違いないと思います。

 この時代に来たときに頭にいろんなものが入ってきて、今の時代がどんなものかというのは理解できています。その男が言うには、異分子が異分子足りえないように必要な世界の歴史を記憶に刻むということらしいです。

難しいことは私にも詳しくわかりませんが・・・・・・私は関東管領上杉謙信。時代を超えてきたと言って間違いないでしょう。」


上杉謙信

享禄三年、今から500年前に越後守護代の長尾為景の子として誕生。虎千代と呼ばれる。元服後は長尾景虎と名乗り。上杉憲政に気に入られ関東管領 職と上杉の名を受け継ぐ。武田信玄との「川中島の戦い」は戦国史上最大の戦として有名だ。武神である毘沙門天を守護神とし、その加護を一身に受けたかのような強さで、軍神とまで呼ばれた。

確かに一部では女性説があるが・・・・・・。


彼女の話をまとめると、織田信長との戦中、一人の男が現れた。その人は自らを未来から来た人間と名乗り、世界を救えと一言言って彼女をこの時代に連れてきたらしい。

いかな戦国時代の武将、それも剛勇と呼ばれる上杉謙信といえども、瞬きの間に世界が変わっていたというのなら、どうしようもなかったのだろう。


とにかく、彼女の話は聞いたが、理解がついていかない。

世界を救う。つまり今世界は滅亡の危機にあるというのか? だとしてもそれを一個人に頼むだろうか。それより時代を超えてきた?

いきなりSF映画のような話になってまったくもって頭がついていかない。混乱する話を頭の隅に追いやり、次の質問をしてみる。

「つまり昨日の殺人現場・・・・・・でいいのかな?は、悪者を成敗していたと?」

「はい。あれはすでに人間ではありませんでした。俗にグールと呼ばれる悪鬼です。」

またまたわけのわからない事柄がでてきた。しかしまぁ、話しの続きを聞いていると受け入れ難いことであるが理解はしてきた。

彼女は「貴族」と呼ばれる吸血鬼の殲滅が目的である事。

不死である彼らの血が混ざり、その血と相性が合ったごく少数の人間がグールになる事。

通常兵器では貴族には傷を付けることもできないが、それを可能にしているのが、彼女が戦利品として使用していた「兼定」と呼ばれる大業物の刀である、などだ。


妖刀・兼定

妖刀には大きく分けて2種類あり、あまりに多くの血を吸い続けた名刀がなるものと、至った年月に比例して神秘度が上がり、ついには妖刀と化す場合 がある。兼定は元々前者で成った妖刀らしいが、今では年月が加わり、最高クラスの妖刀「正宗」に匹敵しうるほどのものであるということらしい。

余談ではあるものの、僕の頭では、妖怪の類には聖剣とかのほうが効きそうだと思うのだが、その辺を聞いたところでは、聖剣とは精霊の加護を受けた剣であり、あくまで護身の刀にしかならず、誰も傷付かず、誰にも傷つけられないらしい。


「残念ながらグールが出たということは、今の日本には貴族が存在しているようです。」

「えっ・・・・・・えっ?」

受けた説明を頭で整理していると、唐突にそんなことを言ってきた。

「貴族っていわばラスボスでしょ?日本にそんなのがいるの!?」

「まだはっきりと確証があるわけではありませんが、グールはもともと人間だったものが彼らの力によって変貌したものです。もちろん他の国でしたら グールが歩いて国境を移動することも考えられなくはないのですが、なにぶん日本は島国ですから、他の国から入ってくるというのは考え難いんです。」

「つまり日本でグールを作るしか考えられないと・・・」

今日は信じられないことだらけだ。本当に信じたくなくなってきたので、とりあえずもう一度布団を被って本気で現実逃避をしてみようと思った。


 ◇


 目の前の男性、真さんという名前の方には大方説明は済ませた。後は安全なように家に帰ってもらうだけなのだが、どういうわけかまた布団を被ってしまった。

 本来、一刻も早くもとの世界に戻るために今日本にいるだろう敵を倒し、次の敵を探しに行かねばならない。だから彼にはさっさと出て行ってもらうのが得策なのだが、なぜか彼を追い出そうと思う気は沸いてこなかった。

 昨日いきなり殴った後ろめたさがどこかにあるのだろうと一人納得し、刀の手入れを始める。


 大業物刀「兼定」

 有名な二代兼定の「之定」や三代兼定「疋定」ではなく初代が作成した「兼定」。

 歴史上の剣豪と呼ばれた者たちが何世代にも渡り使い、数多の血を吸い続けた妖刀。

 戦国時代、初めて天下を治めた武将。幕末の世に正義の名の下、京を守るために戦い抜いた剣豪。彼らによって何百もの命がこの刀で刈り取られた。

 その刀身にはわずかに妖気が具現化しており、普通の刀にはない禍々しいねじれた気配が纏わり付いている。

 この刀を手入れするには、使用者の「剣気」を込めなくてはならない。剣気の少ないものが使用すると、刀の力が体に逆流し刀に操られてしまう。妖刀があまり表立って出てこず、封印される所以である。

 妖気を抑えながら自らの剣気を込める。同時に私を蝕もうと妖気から膨大な殺戮衝動がながれこむ。


切れ。切れ。切れ。切れ。目の前の人間を切れ。道行く人間を切れ。隣に歩く人を切れ。男を切れ。女を切れ。老人を切れ。子供を切れ。友を切 れ。親を切れ。子を切れ。目に映る全てを切り殺せ。殺せ。殺せ。殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ 殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺す殺す殺す殺す殺す殺せ殺す殺せ殺す殺せ殺す殺せ殺す殺せ殺す殺せ・・・!!


 気が狂いそうな衝動を糧に力を得る。怨嗟が意識と混ざり合い、自分がわからなくなる。意志が弱ければ、使用者が使用される刀。

 秒刻みに汗が流れ、閉じた瞼が震える。

 永遠にも感じられた1分間、気力を刀に注いだところで手入れは終了し、刀身はその輝きの妖しさを増した。

 刀を鞘に納めたところで、先ほどから布団に包まっていた真さんが心配そうに声をかけてきた。

「すごい汗だけど大丈夫なのかい?」

「はい。これくらいのことでは心配要りません。」

「今日も敵を探しにいくの?」

「ええ。一刻も早くやつらを殲滅せねばなりません。今はまだ平和な世の中のようですが、いつ地獄に変わるかわかりませんから。」

「・・・・・・そっか。」

 私はあえて突き放すような口調で諭した。

「はい。ですからあなたは家に戻り、できるだけ夜間の外出は控えてくださ―――」

「そっか。うん、じゃぁ何か手伝えることはないかな?」

・・・・・・今度はこちらが呆然とする番だった。

 突然出た言葉に少しの怒りと、怒り以外のもどかしさを感じながらさらに冷ややかな声と態度で反撃にでる。

「ですから、あなたのような一般人が関わるようなことではないのです。敵の力は大きく、とても危険です。はっきり言って邪魔になるでしょう。」

 そう言い切って、相手の返事も待たず私は部屋を出た。


 彼女が部屋を出てしばらく、僕は一人で考えた。

 どう見ても彼女は僕を拒絶した。僕の手助けでは邪魔になると。

しかしどういうわけか、これっぽっちも引く気にはなれなかった。

 もちろん、今の話を聞いて怖くなかったわけではない。それどころか、昨日の現場を目撃したことも思い出してしまい、身が震えるほど怖い。

 それでも自分には何かできないのか、手伝えないのかなどと考えてしまっている時点で、既に僕の頭はどうかしてしまっていたのかもしれない。

 おそらく、昨日の後頭部への打撃のせいだと考え、彼女の後を追って部屋を出ることにした。


 よく晴れた冬の日曜日は、寒さに身を縮めながら足早に歩く人と、くっつくように身を寄せ合うカップルなどで賑わっていた。

 そんな中、竹刀袋を持った和服の美人が歩けば、周囲の目を引くのは当たり前である。

「こんなとこ探して見つかるの?」

「今見つかっても下手に攻撃すれば一般人に被害が出ます。彼奴等を狩るのは夜になってからです。」

 付いてきているのが気に入らないのか、少し鋭い口調で返してくる。

「それより、なぜ付いてくるのです?」

「僕もこっちに用事があってさ、一緒にいけたらと思って」

ありもしない用事を捏造する。自分で何がしたいのかがよくわからない。

「そうですか。では私はこちらの道に行きます。もう会うことは無いと思いますが、知り合ったのも何かの縁。夜は出歩かないよう注意はしておきます。それでは」

 口早に別れを告げ、有無を言わさず彼女は曲がり角を曲がり、その後ろ姿はあっという間に人ごみに紛れてしまった。

 呆然と残された僕は、その軌跡を眺めるしかなかった。



「オハヨー真君。昨日の女性は誰だい?」

 朝の挨拶も適当に、雪夜の初弾はそんな言葉だった。

 おそらく、昨日謙信さんと一緒に歩いていた短い時間の、その一瞬だけを見たのだろう。

「ちょっと!女性って何よ?まさか真君彼女できたの?」と、雪夜を突き飛ばしてかなりの剣幕で迫ってきた女の子は、鏡時音という中学からの同級生だ。

 はっきり言って性格はキツいのだが、容姿が飛びぬけて美人であり、学園でも人気が高い。

「ちょっと、聞いてるの?ちゃんと説明しなさい!」

・・・・・・まいった。嘘を付くのは下手なのだが、正直に言っても信じてもらえないだろう。

「ただの知り合いだよ」

「あのね、目をそらしながら言われても納得できるわけないんだけど?」

「ゴメンナサイ。本当ニ何モ無インデス」

 まさに蛇に睨まれた蛙の状態では、そりゃ片言にもなりますよ。

「フン。まぁいいわ。いずれしっかり教えてもらうんだから。それより知ってる?また殺人事件だって。しかもこのあたりらしいわよ」

 急にまじめな顔をして時音が切り出した。

 事件は今月に入って3件目で、すべての事件で変死体が発見されている。公表はされていないが、一部の噂では死体は食いちぎられたような痕があるものと、鋭利な刃物で切断された二種類があるそうだ。

 一昨日の光景が脳裏に浮かぶ。壮絶なまでの死の光景。

食いちぎられた死体はグールにやられた被害者で、鋭利な刃物での切断がある死体は彼女に切られたグールということか。

「どうした、顔色悪いぞ」

 ようやく復活した雪夜が心配そうにこっちを見てくる。こいつはこういうとこで気が回るやつだ。

「うん、大丈夫。ちょっと厭な夢を思い出しただけだよ」

 そこで、授業開始の予鈴が鳴り響いた。


放課後、学校では連続事件を考慮して部活動禁止令が出され、いつもより早い帰宅を迫られた。

 素直に家に帰ってもすることが無いので、久しぶりに学校帰りで街に出ることにした。

昨日、彼女が通った通りを一人歩いてみる。

 いつもの人だかり。騒音。大衆でいながら孤立した空間。それぞれはすれ違い、見かけるということで関わりあいながらも、意識していないがためにその関わりに意味はなく、人は人の中にいて孤立する。それが普通の世界。

 そんな世界で僕は彼女と出会い、意味のある関わりを持った。

 その関わりを捨てるのがただもったいなく感じ、気づけば人ごみの中を探していた。


そんな中、ふとした違和感があった。


それは本当に些細な違和感で、しかし人間相手には感じることのないはずの違和感。目の前にいる人間は、動いているのに、生きているように見えない。

はっきりした確証があるわけでもなく、僕はすれ違いざまに直感でそれを感じた。

 あきらかに、生きているものとは異質な空気。それは、死臭とでもいうのだろうか。すぐに目で追ったが、すでにその気配はなくなっていた。

 繰り返し彼女の話が蘇る。もはや人間ではなくなった人、人を食らう悪鬼。

背筋に冷たいものが流れるのを感じ、僕は急ぎ足で彼女を探し始めた。





ここは住みやすい。だからここを住処にしよう。

ここは島国にしては人が多い。私は腹が減った。だから食べよう。

やつらに見つかるのは面倒だ。だが食べよう。食事を取ることは、とても自然なことだ。





日が暮れても結局彼女を見つけることができず、僕は家に戻っていた。

時間は7時、いつものようにテレビをつけてニュースを見る。飲酒運転での事故、とある大手企業社長の横領発覚、殺人事件。

毎日続く事件、事故。そんなニュースの中のひとつに殺人現場である可能性がある、というニュース速報があった。

本当に今しがたの出来事の様子で、アナウンサーが現場で中継している。

背後には警察が忙しそうに検証を行っている。

アナウンサーの報告によると、死体の確認はできないが、血による水溜りがあるということらしい。犬の散歩をしていた人が犬に引っ張られて発見したらしい。

犯行現場はここから走って20分ほどのところ。僕は、気が付けばジャンバーに袖を通し、家を飛び出していた。




ニュース速報を聞き、私はすぐさま現場に向かった。犯行現場は小さな川沿いにある、少し開けた場所だった 。

走れば10分ほどの距離。程なくして警察とマスコミが集まっている現場を発見した。人の死を飽きるほど見てきた私には、わざわざ人死を一般人に知らせる神経がよくわからないが、今回はそのおかげでいち早く現場に向かえた。

すでに犯人はいないだろうが、その現場を見ればグールかそうではないかくらいの手がかりがつかめる。

・・・・・・結論はグールではなかった。あまりに犯行現場が綺麗すぎるのだ。

血は飛び散ることなくただ小さな水溜りとなっているだけ、肉片が散らばっていることもない。グール以上の存在が「食事」を行ったときの状況だ。

おそらく貴族。しかし連中の中では小物のようだ。奴らの残留する妖気に共鳴する兼定の反応が小さい。

貴族と一言で括る奴らには、伯爵と公爵の違いがある。さらに下級なものもいるがそれらはグールに比べて少し知恵がついたほどなので警戒すべき相手ではない。今回は伯爵だったようだ。しかし、それでも、

「逃がしはしない」

ぽつりと独り言をつぶやき、兼定の反応が大きくなる方へ私は再び走り始めた。





ほぼ全力で自転車をこいで約15分、息を切らしながらも僕は現場に到着した。

周囲は警察官が壁を作っていて、うまく中を見ることはできなかった。

しかし、そんなことはあまり重要ではない。

さっと周囲を見渡してみる。探す目標は彼女のみ。

道は川沿いの一本道。途中ですれ違ってないということはこのまま進むのみ。

逢ってなにをするのかもわからないまま、僕は再び自転車をこぎ始めた。


走り始めて5分程度で、兼定の反応が大きくなってきた。足を止め、神経を集中させる。場所は、丁度少し広くなった広場のような土手だ。

・・・・・・そこにいつからいたのか、夜の闇とは同化せず、さらなる闇として一人の男が立っていた。

目には地獄の業火のごとく紅い瞳が爛々と光っている。

兼定が音を立てて振るえ始める。まるで、早く目の前のモノを切れといわんばかりに。

腰を落として静かに抜刀する。対応するように闇の手に一つの青い炎が灯った。



途端、世界が一変した。



何もない広間だったはずの場所は、古代に栄えたであろう城の跡のような廃墟と化していた。


限定空間結界。

貴族の中でも公爵のみが使用すると言われている結界の一種。己の魔術により仮想空間を生み出し、自分にとって都合の良い世界を限定的に作り上げる魔術。

真の限定空間は公爵の数だけ存在し、伯爵はそれを元に自分でも使えるようにランクダウンさせたものらしい。


「我が名は上杉謙信。名前があるなら伺おう」

「我が名はアルレイド・ミハイル伯爵。ヴァンキレイド・ミハイル公爵様の重臣である。お前が我が下僕をことごとく消滅させている人間だな?」

「左様。人間を捕食する。その行為は人間にとっての絶対の悪である」

「ふん、貴様らも家畜に同じ感情を持たれたら、さぞ愉快な世界であろうな」

嘲るように鼻をならす。

「今宵はとてもとても良い夜だ。日の光がない世界で貴族を相手にする意味を教えてやろう。」



 ◇



自転車を再びこぎ始めて5分強。自転車を飛ばしすぎて足はガクガクしている。一度足を止め、呼吸を整えようとしたとき 、


――マタ、コノ感覚。


背中に氷柱が滑り込むような感覚。慌てて回りを見渡してみる。辺りには何もないただの広場があるだけ。しかし明らかに常識とはかけ離れた雰囲気を出していた。

よく目を凝らして見てみると、その広場全体が不可思議な膜のようなものでドーム状に囲われている。

周りに注意しながら少しずつ近づいていく。

冷や汗は出っ放しだ。心臓は早鐘のように鼓動を打ち続けている。それでも足は止まらず、ドーム状の膜の前にまで着いた。

こうして見ているだけならば広場が普通に見える。ただそこに膜があるだけ。

辺りに人影はない。耳が痛くなるほどの静寂。瞬間、自分でも意識せず膜に手を触れていた。





敵が地を走る。常人ならば消えたとしか思えない速さ。

これならば、襲われた人間は自らに起こった事を理解する前に命を絶たれるだろう。

「・・・・・・ひゅぅぅうぅうぅ・・・・・・ふっ・・・・・・!」

体を、戦闘を行うためだけの道具に変えるための呼吸。思考回路そのものを切り替え、ただ目前の敵を倒すことのみを考える。

 呼吸すら忘れ、体の限界を解き放つ。今まで感じていた時間の流れが極端に緩慢になり、動くものすべてがとても遅く見える。それは、消えたように見えた伯爵が歩いているかのように見えるほど。



私はいつからか、己を毘沙門天の転生だと思っていた。

私が私を毘沙門天の転生だと思い、疑わなかった理由の一つに、常人とはかけ離れた動体視力と反射神経がある。

敵の動きは止まって見え、敵の攻撃を受ける前に一撃を加える。それゆえに、軍神とまで称された。


これが、呪いであることも知らず。


一撃目。初手で決着をつけるつもりだったのだろうか、伯爵は自らの攻撃の結果が予想通りにならなかったことに少し驚いているようだ。

彼の抜き手は私の髪の一房を掠めたのみ。

「・・・・・・ほう。あの狂信者集団が差し向けるだけのことはあるという事か。」

 伯爵がなにか喋っているようだ。しかし、今の私には聞こえない。

 頭はとっくに考えることを止めている。風の音も聞こえない。ただ、五月蝿い声が聞こえてくるだけだ。



怨嗟、絶叫、断末魔、命乞い、泣き叫ぶ声、助けを求める言葉。

――切れ。切れ。切れ。切れ。目の前の人間を切れ。道行く人間を切れ。男を切れヤメテクレ。女を切れコロサナイデ。老人を切れミノガシテクレ。子 供を切れドウシテ。友を切れシンジテタノニ。親を切れ。子を切れ。目に映る全てを切り殺せ。殺せ。殺せ。殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺 せ殺す殺せ殺せ殺す殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺す殺せ殺す殺せ殺す殺せ殺す殺す殺す殺す。

これは果たして、自分の感情なのか、刀に残る怨嗟なのか。押し寄せる衝動を一身に受け、敵をにらみつける。

「貴様・・・・・・っ。その目、気に入らんな。」

 何かが勘に触ったのか。伯爵はお怒りの様子だ。

 ならば、早く終わらせよう。

「調子に乗るなよ、小娘。捻りつぶしてくれる!」

再び空気が弾ける。伯爵の抜き手。しかし必殺のはずの攻撃は、ついにその相手捉えることはなかった。

 すれ違いざまの抜刀、振り返りの勢いを殺さぬ横なぎから、弧を描くように振り下ろす。体重を乗せた袈裟斬りは、その踏み込みを活かし止まる事無く手首の切り替えしによって稲妻の速度での切り上げにつなげられる。

 瞬きの間に三度の閃き。伯爵の半分に割れた顔は、自らの抜き手に絶対の勝利を覚えながら止まり、それも砂となり消えた。



 ◇



 膜の中に入るのは容易だった。入った途端に世界が変わったことには驚かされた。今までごく普通の広間だったはずの場所は、中世欧州の戦場を思 わせる野原だった。崩れた城、大地に突き刺さる刃の欠けた刃。急いで振り返ってみたけれど、もう膜の境界線はわからなくて、ただ漠然と、自分でも驚くほど冷静に、自力での脱出は無理なんだろうなと思った。

もとより彼女を置いて戻るという選択肢は頭にない。自分に何ができるかなんてまるっきり考えてなかったけれど、おそらくここにいるだろう彼女を探して歩き続けた。

 廃墟を過ぎて小さな丘にさしかかったところで、とうとう二つの影を見つけた。そしてそれを見つけた瞬間、頭の先から指先まで、体の一切がピクリとも動かなくなった。

 本能そのものの恐怖。理性なんかより意識なんかよりもっともっと根本的な、生きているモノとしての警告。これ以上進むことは、1+1の答えより確実な死。

 息も継げず、僕はただ見ていることしができなかった。いや、それを見たというには語弊がある。見ていたはずなのに見えていなかったからだ。

 二つあったはずの人影は瞬きの間に一つに変わり、残る影も糸の切れた人形のように崩れ落ちた。



 ◇



――意識ガ堕ちテ行ク

目の前には槍兵が五人。いつもなぜ彼らは戦場でそんなにゆっくり立っているのかと思う。

あぁ、彼らは戦死という名誉がほしいのだろう。ならば、殺してやる。(だめだ)

私が刀を一振りするたびに一つの命が失われていく。(やめて!)

頭は真っ白だ。息継ぎをしているかも怪しいほど呼吸は止まっている。(止まれ!)

体は命じられることなく動き、死を待ちわびているだろう敵兵を切っていく。

私はこれを、快楽としているのか。(嫌だ!)

すでに三十は斬った刀はしかし刃こぼれを起こしておらず、血糊は一振りごとにきれいに取れた。


ぼぅっとしていた意識が戻り、周りが見えるようになったころにはすでに動くものはいなかった。



「私はまた・・・」

 あれはいつからだろう。初めは人を切るのが怖かった。そのあまりの脆さ、あまりの弱さに恐怖したのだ。人の命は、こんなにも簡単に消えてしまうのかと。

 それからあえて私は進んで戦場に出ることにした。自分がうまく敵を負傷させれば、殺すことなく負傷させただけならば、怪我こそすれ、死者を増やすことなく戦に勝てるのではないかと思ったから。思っていたから。

しかし、そんな思いを私は自ら裏切ることになる。

 刀を一振りするたびに、胸の奥に蠢く衝動。


――アト一歩踏ミ込メバ綺麗ニ殺セル。腕デハナク首ヲ切レバ速ク殺セル。モット殺セル。モット殺セル。モット殺セ。モット殺セ。モット殺セ。モット殺セ。モット殺セ。

 黒い塊になった衝動が私の意識を消していく。何も知らない私は、ただその衝動に身を任せることしかできなかった。

――足元に広がるのはオビタダシイまでの血。水溜りというにはあまりに広すぎる血の池。

目の前には数えることもできないほど重なり合った屍の山、山、山!!

とてもとても悲しくて、何度も何度も止めてと叫んだのに

私の口はこの上なく喜びに吊り上っていた。



 ◇



雀の囀りと、窓から差し込む光で目が覚めた。

力の解放。それに伴う意識の断絶。

過去に幾度となく私はこれを体験した。 そして与えた「死」を視てきた。己の行った所業。これも呪いなのだろうか。

ふと気がついた。いつも必ず目覚める時は外であり、朝の早いご老人などに声をかけてもらって目が覚めるのに、今日はいつも通りの朝だ。

硬い地面は柔らかい布団に、心配そうなご老人は、どこかで見たような顔に変わっている。

「あ、やっと目が覚めたんだね」

どこかで見たような顔・・・・・・桐野真はとても優しい声で話しかけてきた。

だけど彼がなぜここにいるのかわからない。

「ビックリしたよ。近くの川沿いを、たまたまだよ?たまたま散歩してたら急に周りの景色が変わってさ、それまでただの公園に見えてた場所が廃墟になったんだよ。しかもそこに君が倒れてるし、いきなり揺れたから地震かと思ったら、次の瞬間にはまた普通の公園に戻ってるし。」

「・・・・・・あなたがここまで?」

「え、あ、うん。外にほっとくわけにもいかないしさ。な、なにもやましいことはしてないよ!」

聞いてもいない事柄まで真っ赤になって釈明している彼を見ていると、

「・・・ありがとう・・・ございます」

なぜか、心が落ち着いた。

































刀と踊る夢


第二章



―私はとても人間が好きだ。

彼らはとても脆く、力も弱く、一人では生きていけない生物だというのに、

彼らはとても臆病で、寂しがりで、一人では生きていけない生物だというのに、

他の生き物が持っている動物としての輝きを失い、だからこそ手に入れた醜さがある。

私には、それがとても愛しい。



「なぜ、あなたはいつまでもここに来るのですか?」

年も越した2000年1月元旦。

この記念すべき日に僕は意気揚々と彼女の家に出向いた。

用件はまぁ・・・新年の挨拶だ。いきなり出鼻を挫かれてしまったけど。

「新年開口一番がそれはひどいな。君の時代じゃ新年を祝わなかったのかい?」

「むっ・・・失礼な。新年それすなわち新しき日々の始まり。その最初の日である元旦では皆、宴を開いたり祭りを催したりなどしてですね・・・」

説明している途中で己の主張と行動が矛盾していることに気づいたようだ。

「とりあえず、明けましておめでとうございます。今年もよろしくね。謙信さん。」

「・・・明けましておめでとう御座います。」

にこやかな僕とは対照的に、彼女はムスッとしていた。それが、今年最初に見る上杉謙信の表情だった。





さて皆様、元旦とは何をする日か知っているでしょうか?

元旦ならば神社に御参りに行ったり、遊園地で年を越すことができたり、つまりはそういう特別な日なのです。

つまりは!なんの不自然さもなくデートに誘ったり誘われたりできる日なのです!

私こと鏡時音は中学以来、毎年この日を楽しみにしてました。この日だけは堂々と彼を誘うことができます。嬉しくてなかなか寝付けなかったのに朝早く起き て、苦しいけどがんばって着物を着付けてもらって、髪の毛はもちろんいつもはほとんどしないお化粧までバッチリ決めちゃって。自分でもちょっと浮かれすぎ かなって思うくらいです。

な・の・に。


どうして目的である彼は家にいないのでしょう?

おばさまに、

「さっき出かけていったけど、時音ちゃんたちと初詣にいったんじゃなかったの?」

と言われた時は思わず巾着を落としてしまいました。やはり、一度彼にはしっかりと話を聞かなければならないようです。それも、一秒でも早くに。



 ◇



どうしてこうなっているのだろう。私の前に一人の男が歩いている。彼は全くの部外者で、何の力もない本当の一般人だ。私と彼とでは住む世界が違うはず。

なぜ、彼は私に近寄ろうとするのだ?いや、違う。それよりももっと単純なこと。

なぜ、私は彼を無視することができないのだ?

こんな感覚は初めてで、自分のことが理解できない。今も特に抵抗らしい抵抗もせず、彼とともに神社に初詣などに来てしまっている。いや、私は抵抗したのだが彼が強引に連れてきてしまったのだ。

私が力ずくで抵抗すれば彼を傷つけるから私は仕方なく来ただけなのだ。…誰にするわけでもない言い訳を考えてしまうあたり、やはりどうかしている。



 ◇



「初詣にまでそれもって行くんだね。」

それ、とは竹刀袋に入った兼定の事だ。なんとか彼女を初詣に連れ出したまではよかったが、神社に行く途中会話らしい会話はなかった。今した質問だって空振りに終わってしまった。

「少し怒ってる?」

うわ、無言で睨まれるとすげー怖いんですけど!

蛇に睨まれた蛙という言葉を体感しながら、神社に到着した。

「おー、やっぱり凄い人だね」

毎年の事ではあるものの、ここまで人数が集まる事は一年を通してもそうないので毎年感心する。

「・・・ここは、とても平和で、幸せなのですね」

それまで沈黙を保っていた彼女がそう切り出した。人ごみを見るその横顔は、今までの無表情とは全く別の、とても慈愛に満ちていて、とてもやさしいものだ。

そんな横顔に気をとられてしまったからだろうか。すぐそこ迫っている恐怖に気がつかなかった。

いきなり襟首を掴まれてようやくその事に気づいたが、もはや全てが遅すぎたようだ。

そこには、ものすごく綺麗に着物を着た、ものすごく怖い顔をした時音がいた。

「・・・ちょっとこっち来なさい。」



あぁ・・・今日は本当にいい天気だ。





「私は確かに君たちを食べる化け物かもしれない。」

声の主は、とても慈愛に満ちた声で語りかけてくる。その声はどこか甘く、しかし確実な致死をもたらす、危険な罠を彷彿とさせた。

「しかし、君と私に何の違いがある?」

そして、その手には別の手が握られていた。それに続く胴体は、付いていない。

「あぁ、これは失敗だったな。君を助けるつもりが、脅えさせてしまったようだ。」

目の前には真っ赤なドレスを着た少女が一人、恐怖で今にも気絶しそうなほど恐怖していた。

少女は元旦のお祭り騒ぎに便乗し、酔っ払ったあげく見知らぬ男達に輪姦されそうになっていた。一人の男がまさに行為に到ろうとしたとき、少女に赤い雨が降った。

「私はとても人間が好きだが、獣に興味はないのでね。」

お気に入りの真っ白のドレスは、降り注ぐ血で真っ赤に染まっていた。

「君を脅えさせるのも本意ではないので、これで退散させてもらうが、もう一度君に質問をしよう。」

これも声の主の力か、恐怖で身を強張らせていた少女の緊張が嘘のように解けた。その目は、何かを見ているようで何も映してはいない。

「私は確かに君たちを食べる化け物かもしれない。しかし、君と私に何の違いがある?君たちは自分のために食事をする。他の生物を食べるんだ。しか しそれは決して罪ではない。生きるためだからね。私はそれがたまたま君達だったというだけだろ?私だって自分以外のものを愛し、慈しみ、悲しければ涙し、 嬉しければ歓喜する。さぁ、君達と私の違いはなんだ?」

答えはなく、少女は一人になった。




元旦明けは何かと事件が多い時期だ。僕が一人で初詣に行ったと思い込んでそのまま拉致した時音のこともある意味事件だが、そんなのは小さな微笑ましい事件で、たいていこの時期の事件と言えば、お酒の力を間違った方に使い、あげくに気づいたときには留置所というものだ。喧嘩、窃盗、強姦、殺人がまるで計画されていたかのように次から次へと発生していく。

新年の特別番組の間に流れるニュースは物騒なものしかないようだ。気が滅入る。

御節料理を摘みながら眺めていたそんなニュースの中に、一つだけ気になるものがあった。

通常生活では決して踏み入れることのないような袋小路、そこが、真っ赤に装飾されているというものだった。最初は悪趣味な悪戯だと思われていたその塗料が、人間の血であることが判明したというものだった。死体は発見されていない。ニュースでは盗まれた輸血パックか何かをぶちまけたようなことを言っ ているが、僕はすべてを聞き終えるより早く、彼女のところへ向かった。





新年を迎え、浮かれ気分が抜けない人々を背に、私は事件現場に向かっていた。この時代は本当に便利である。道具の使い方さえ覚えれば欲しい情報がその場を動かずして手に入る。

明らかに人の手ではない犯行。しかし気がかりも残る。

彼らは食事を行う際、とても綺麗に平らげる。それこそが美徳であるというようにほとんど犯行現場を散らかさない。

しかし今回の事件はありえないほど大量の血が壁一面を覆っている。食事ではないのか?グールの犯行とも違う。

犯人の意図がわからない。

・・・・・・もっとも、彼らは人間とはあまりにかけ離れていて、考え方も違うのだから当たり前というべきか。私たちは同じ人間同士でも、他者が何を考えているかなど全くわかりはしないのに。


現場にはついたものの、この時代の警察と呼ばれる警邏隊はなかなかに優秀のようだ。前回のような広い空き地なら入り込む隙もあったが、今回のような袋小路では中の状況がわからないように管理されていて、入り込む隙がない。

流石に気絶させるわけにもいかないのでどうすべきかと考えていると、やはりというか、それが当たり前のようにあの男が走ってきた。

「中の様子わかりそう?」

どうみても中の様子などわかりそうものない状況なので返事はしない。

・・・・・・また胸が痛くなる。この男は危険だ。彼がそばにくると何らかの異常が診られる。私はしつこい質問を適当にあしらい、足早に帰ることにした。





お正月はその弛緩した空気を残しながら過ぎていく。

僕はやたらと多い親戚への挨拶を済ませ、自室で今回の事件について考えていた。

早足で帰ろうとする彼女から聞けた話では、やはり今回も貴族の仕業であるということ。しかし彼らは「食事」に一つの共通した考えを持っており、それを行う際には出来る限り現場を汚さないで「食事」をすることを美徳としているようなのだ。


つまり今回のように壁一面に血液が飛び散る様な真似はしない。

ではグールの仕業かと言うと、そうでもないらしい。と言うのも今回の事件、一人の生存者が確認されており、彼女の話から犯行現場が判明したのだった。

ショックからなのか事件当時の明確な記憶がなかった。しかし、血まみれのドレスで、それでいて彼女にはかすり傷一つない状態で警察に駆け込んできたらしい。

グールが人間を襲うのは、その主たる貴族がそれを望んだ時のみであり、基本的に現場に居合わせた人間に生存確率はないはず、と会話の途中に呟いていた。


これから考えられることは、犯行を行ったものは貴族であるものの食事をしたわけではない、ということぐらいだ。でも完全な無差別殺人じゃない。

「って僕は真剣に何考えてんだろ」

頭をボリボリと掻きながら呟く。

なぜこんな血生臭い事を真剣になって考えているのか。


理由は既に気付いていた。


「僕は―――」






「よーし、新年明けましておめでとう。早速だが転校生を紹介するぞ。入って来い。」

年明け一番のホームルームはそんなイベントから始まった。

先生の合図と共に一人の生徒が現れる 。

「初めまして。イギリスからきました、ルイス・ミルガです。どうぞよろしく」

・・・・・・一言で表すと、美形と言う言葉。

長すぎない髪は染めたような偽物ではない透通るような金髪、絵師や彫刻家なら死ぬまでに一度はモデルにしたいと思わせるような綺麗な造形の顔立ちに、静かな水面を思わせる碧眼。

その蒼い眼差しは、静かに、しかし確かに僕に向けられていた。


――・・・・・・。


その感覚に、どうして僕は気付かなかったのか。


「真君、なんか見られてない?」

もはや好き勝手に立ち回って転校生に近寄るクラスメイトの混乱に乗じて時音が話しかけてきた。


「・・・・・・え?あ、うーん。さすがに外人の親戚はいないしなぁ」

どこかで出会ったことがあるのかと考えていたら、微笑みを崩さない転校生が近づいてきた。

「初めまして、ルイス・ミルガです。よろしければお名前を教えて頂けますか?」

これにはさすがに驚いた。あまりに唐突だったけどなんとか挨拶は返せたと思う。

「あ・・・あぁ。初めまして、桐野真っていいます。えっと・・・」

「なんだかとても落ち着いて見えたんでね。僕はそーゆー人が好きなんだ」

笑顔でとんでも無いことを言ってくる。外野で女子がキャーキャー言ってるのが怖かった。

時音に助けの眼差しを向けていると、救いのチャイムが鳴った。



転校一日目は休憩時間の度に代わる代わる女子に囲まれて質問攻めで終わったが、二日目以降の数日、彼は、休み時間になると必ず僕に近寄ってきた。


「君には良くないものが憑いているようなんだ」

ある日の昼休み、そんな事を言われた。幽霊の類は…最近信じ始めたが、あまり信じる方ではない。

「怖いこと言わないでくれ。何か見えるのかい?」

冗談混じりで返すと、急に顔を近づけて、彼は耳元で囁いた。

「君からは血の匂いがする…。いや、君の匂いではなく、君の近くにいる人間だね。とてもとても濃い匂いだ」



・・・・・・全身の血液が、凍りついた気がした。



まるで言葉そのものになんらかの力が含まれているかのように、僕の頭は真っ白になった。

教室の雑音が、やけに遠く感じる。

彼が何を言っているのか、理解できない。


いや、転校初日、一瞬、ほんの一瞬だけ感じてた、


――アノ感覚・・・・・・。




次の瞬間には笑顔の彼がいて、呆とした僕に声をかける時音がいて、クラスメイトは賑やかで、いつもとなんら変わらない日常に見えたのに、



僕は、息ができなかった。



その日の放課後、彼は僕を呼び出した。

「初めに言っておくことがあるんだ。僕は決して人を傷つけようとは思わない。今の生活も少し気に入っていてね。出来れば壊したくないんだ」

夕日の射す教室、警戒心をむき出しにした僕に、彼はそう告げた。

「君は…吸血鬼なのか?」

「君達にはそう呼ばれている存在に該当するね。しかし我々の中にもいろいろとあるんだよ」

逆光で彼の表情は分かり難い…が、確かに困ったような顔をしていた。

「改めて紹介させてもらうよ、真君。僕の名はルイス・ルシフ・ミルガ。堕天の名を冠された吸血鬼を狩る吸血鬼だ」



 ◇



すでに外は闇に包まれ、人工の明かりが街を照らす。奴らの手掛かりを掴むため、私は慣れない街を一人歩いていた。

目に映るのは仲むつまじく寄り添いながら歩く男女か、身なりを整えた労働者。誰も武器となるような物は持っておらず、持つ事も許されない時代。

呆と空を見上げる。とても考えられないような高い建物が並んでいて、とても小さな空。

見上げるものと言えば城しかなかった私にとっては森林に迷い込んだような気分だ。

とん、と人と軽く肩がぶつかる。呆としていたのは私なのでここは素直に謝ろうと思ったとき、


「――血の匂いがする」


突然背後で囁かれ、横に大きく飛び退く。殺気は感じなかった。気配すら読み取れなかった。


不覚…私は一度死んだ。

街行く人々は何事かと見てきたが、すぐに興味を無くし通り過ぎていく。声の主を探したが…もはやわからない。


私は一人、立ち尽くすしかなかった。





人間、慣れとは怖いもので、彼が本当に何もしてこないとわかり、1日もすると、最初の恐怖心は綺麗になくなっていた。

「君の目的は?」

夕暮れの教室、ここは情報交換の場となっていた。

「自己紹介のときも言ったけど、僕は吸血鬼を倒す事を使命としている。悪く言えば僕を飼っている組織から命じられているのさ。」

自虐的な表現にも関わらず、彼は何でもない事のようにさらりと言った。

「僕の名前に刻まれたルシフとは称号。堕天使ルシファーから取られた皮肉さ。吸血鬼は基本的に同族に優しい。圧倒的に数が少ないからね。でも僕は彼らを殺した。彼らと同じだと思えなかった。思いたくなかったんだ」



大天使ルシファー。

神の直下の天使であり、他の天使を纏めていたとされる天使長でありながら、その神に牙を向き、堕天された黒い天使。

反逆の理由としては人間を愛した神に対する嫉妬心や、神よりも素晴らしい存在だと思う傲慢などが仮説としてある。

その名を冠されている彼は、とても悲しそうだった。





月が朧な雲に隠れた夜。

公園で4人の若者が一人の男を囲んでいた。中年のサラリーマンを狙うおやじ狩り。

理由はなんでもよかったのだろう。人を傷つけることに楽しみを覚えた彼らは、今日も狩りをしただけだった。

理由もなく殴られる男。明らかに致命的になる金属バットでの頭部の殴打は、しかし目標を捉えられず、それ自身が飛ぶ事になった。

振りかぶっていた若者は自らの肘から先が無い事を理解出来ていない。体のバランスがおかしくなってしりもちを突いた事に笑っているくらいだ。

それとも、元から正常ではなかったのか。足元を転がる仲間の顔がおかしくてボールみたいに蹴り飛ばす。

なぜか地面についていた自分の顔も蹴り飛ばされた。

「・・・・・・見つけたぞ」

街灯もなく、雲の隙間から零れる月明かりに照らされた女の声。

その手には、緩やかな曲線を描いた日本刀。

対するは闇。

臆することもなく、また敵対する気配もない。

「我が名は上杉謙信!名があるなら名乗れ!」

凛とした声が力強く響く。

「貴様が例の・・・・・・我の名はミルガ。階級も何もない・・・・・・すでに朽ちたも同じこの身。奴への復讐の為のみあるようなものでな、悪いが貴様の相手をするつもりはない」

そう言い残すと、闇は夜へと溶けていった

刃を交える事なく敵を逃した私は、とりあえず倒れている男性を手当てする傍ら、話を聞いた。

「何があったか詳しく話してもらってもよろしいでしょうか?」

中年の男性はまだよく現状を理解出来ていないのか、せわしなく当たりを見渡している。

「わ、私は彼らに急に殴られて…」

周りに散らばっている死体はなるべく見えないように体で視界を遮る。

「き、金属バットで殴られるとお、思ったんだか、よよ、よくわからんのだ」

男は殴られていた為か時々詰まりながら状況を語り始めた。これではまるで、先ほどの者が若者達からこの男性を守ったように思える。

考えられない。

彼らにとって人間は食物で、たとえそれらが争っていても止める意味はない。

人間はこの世の中に溢れかえっているのだから。

・・・・・・わからない。

警察が近づいてきた。私は男性を残し、帰ることにした。



 ◇



「謙信さん。落ち着いて聞いてほしい事があるんだ」

最近すっかり私の家に来ることが普通になった桐野真。文句を言うのも疲れるので好きにさせておく事にする。

しかし誰であれ、訪問者にお茶もださないと言うのも礼が欠けるので、とりあえずお茶を煎れていると、急に真剣味を帯びて話しかけてきた。

「実は…あ~実は~・・・・・・」

「なんですか?はっきり言ってください」

聞いてくれと言ったわりになかなか話さない彼に、少し苛立ちを覚える。

・・・・・・不思議だ。不可解と言うか。私はこんなにも短気だったのだろうか。

他人に対しこんなに感情が動くのは・・・・・・思えばアイツ以来だ。

少し考え込んでいると、思い切ったように真さんが声を発した。

「学校に…吸血鬼が転校してきたんだ。」

血がざわめく。反射的に兼定に手を伸ばしかけ、その手で目の前の男を掴む事にした。

「いつから?どこにいるのですか?」

出来るだけ冷静に聞いてみるが、あまりに暢気な目の前の男に対する苛立ちのせいで、多少怖い顔になってしまっているかもしれない。

この男は、危険だ。

「ちょっと前から、うちの学校で同じクラスにいるんだ」

隠していた事が後ろめたいのか、歯切れ悪くポツポツと喋り始める。

「でもなんだか違うんだ。聞いてくれ、謙信さん。彼は人間を襲うような吸血鬼じゃない。人間の組織に入っていて、吸血鬼を狩っている吸血鬼なんだ」

・・・・・・話は聞いたことがある。私をこの時代に連れてきた男が、私以外にも同じ事を行っている者がいて、その中には彼らの仲間であるはずの吸血鬼もいると。

「その吸血鬼の名前はわかりますか?」

少し冷静になって質問してみる。よっぽど仲がいいのか、目の前の阿呆はすぐに答えた。

そして、その名前を聞いた私は、奇妙な既知感に捕らわれた。





一つ、昔話をしましょう。

あるところに、仲のよい一族がいました。彼らは同じ仲間とは少しだけ考え方が違い、自分達の食材にある制限を誓いました。

好きなものを好きなだけ食べるのはダメだ。彼らには知識があるから、我々が必要なだけ分けてもらおうと。

その試みはうまくいったかのように思われました。

人々は彼らに食事を分け与え、彼らは人々を外敵から守りました。

しかし、悲しい事件が起きました。彼らは人々を裏切ってしまったのです。

その時、一族の一人が仲間を捨て、人々の為に一族を殺しました・・・・・・。





何度見ても気分が悪くなる夢だ。

私は自分の行った事に罪の意識は持っていない。

生きていれば許せない相手は出てくるだろう。私の場合はたまたまそれが自らの身内だったと言うこと。

 彼らは人々を裏切っただけでなく、私まで裏切ったんだ。

「なぜなんだ…兄さん。」

「お前は、真実を知らないんだ」

独り言であったはずの問いかけに、はたして返事はあった

一つの闇が闇と対峙する。

「・・・・・・僕は見たんだ。あなた達が人間を襲うところを。あれが真実でないとするなら、僕たちの存在そのものが幻だ」

元からあった一つの闇、ルイス・ミルガは苦しそうに、悲しそうに静かに叫んだ。

「僕は今からあなたを滅す。すべての吸血鬼を滅ぼした後で自らも命を断とう。だから・・・・・・先に逝け」

相対する闇に放たれた言葉。

それは兄に対する別れの言葉か。

「お前に話を聞く気があるのなら、話してやる。その後に私を滅ぼしたければやれ」

既に走り出していた闇。今にも相手の心臓をえぐり出さんと走った手が、止まった。

「・・・・・・私たちは、人間がとても好きだった。だから無駄な食事はしなかった。まだ全てが順調で、このままうまく行き続けると思っていた頃だ」

目前にまで迫った魔手など見えていないかのように、一言一言を大切に選ぶように語り出す。

先日、美しき修羅がごとき剣士にミルガと名乗った闇は、遠い過去を見ているようだ。

「我々は順調だと思っていたが・・・・・・人間側としてはそうではなかったようだ」

一言発する度、その顔が歪んでいく。

その胸に滲むのは、憎しみか、悲しみか。

「あの日、彼らは私たちを裏切った。彼らにとって我々はどこまでいっても脅威でしかなかったようだ」

「裏切った・・・・・・?兄さん達が先に人間を襲ったんじゃないのか?吸血鬼特有の渇きを抑えられなかったんじゃないのか!?」

 一族を討ち滅ぼした罪を背負った吸血鬼は祈るように叫んだ。

「…話はこれだけだ。滅ぼせとは言ったが私も一族の復讐のためにここまできた。ルイス、私と共に逝け」

突如走り出す闇。刹那の交わりは、永遠の別れとなった。

既に半死半生の一族の残りに、戦う力は残っていなかった。

「兄さん・・・・・・僕は・・・・・・」

残された闇は、何を思うか。

泣く事は許されず、血に濡れた腕をそっと抱いた。





謙信さんに彼の事を話した次の日から、彼が学校に来なくなっていた。

すでに3日、特に事件は起きていないから、人を襲っているという事はないようだ。

「ルイス君、今日も来てないね」

横から僕の考えてる事を読んだように時音が話を投げてくる。

「うん・・・・・・どうしたんだろ」

留学生のくせに学校をサボるなんて生意気ね、と時音が文句を言っていると、突然ガラッとドアが開いた。

「やぁ、おはよう。今日もいい天気だね」

噂をすればなんとやらで、本人が爽やかな挨拶をしながら教室に入ってきた。

「ルイス君!?今までなにしてたのさ?」

あまりに普通に登場した彼にクラスがざわめく。当の本人が逆にきょとんとしてしまったくらいだ。

「観光だよ観光。せっかく日本にいるんだからいろいろ見たくてね。そんなことより真君。少し話があるんだけど、放課後ちょっといいかな?」

爽やかな笑顔でクラスのみんなを納得させると、以前のように僕を呼び出した。

 


先生からの説教も異文化交流という最強の言い訳で軽くで済み、日が沈みかける頃、僕達は屋上にいた。

「残念だけど、僕がこの国にいる必要はもうなくなった。だから最後に君に挨拶しておこうと思ってね」

突然の別れの言葉に、僕は驚きを隠せなかった。

しかし何かを言おうとして、何もいえない事に気付く。

彼は吸血鬼で、ただ任務でここにいて、それが終わったから去るだけで・・・・・・。

僕は人間で、ただここにいるだけで、何もできない。

別れを告げる彼にかける言葉はしかし、別の所からあった。

「お前が吸血鬼殺しの吸血鬼か」

屋上の唯一の出入り口から現れたのは、いつでも抜刀できるよう構えた上杉謙信の姿だった。

「必ず接触があると思って後をつけていました。その事についての無礼は詫びます」

それだけを言うと、もはや語ることなど無いかのように少しずつこちらに向かってくる。彼女は一歩歩む毎に、ゆっくりと、しかし確かにその殺意を高めていった。

「あなたは・・・・・・下がりなさい」

これが一国を治め、戦国の世を生き抜くものの大きさか。

有無を言わせない圧倒的な圧力。

あくまで一般人でしかない桐野真は、無言のまま屋上から立ち去る他なかった。



恐ろしき剣士に相対する美しい青年は困ったように問いかける。

「・・・・・・君は僕を殺しに来たのかい?」

「あなたは人間にとって有害だ」

彼女にしてみれば全く無駄な会話だろう。

すでに戦闘形態となった彼女はそれ自身が一振りの刀であり、ただ相手を斬り殺す為のものと生まれ変わる。

「・・・・・・少し誤解があるようだ。僕は人間を殺さない。既に人間に飼われる側にいるからね」

殺意の塊を軽く去なしながら弁解をする。

「お前は・・・・・・吸血鬼だ」

「…なら、君は何だ?」

突然の問いかけに一振りの刀に微かに感情が生じる。

「僕は確かに吸血鬼、人間の血が無くては生きていけない。それでも無駄に殺しはしない。僕は人間が好きだからね」

「・・・・・・先日の密閉された袋小路での一件、貴様の仕業であろう?兼定の反応が同じだ」

本来ありえないはずの会話の成立。彼女の言葉には殺意ではなく怒気を含んでいた。

「お前が何を考え何を愛しく想うかなどお前の勝手だ。だがならばなぜ人間を殺す?答えろ!」

叫ぶように問いかける彼女の顔は、どこか泣いてるように見えた。

「私の殺したものに人間はいないよ。私が殺したものは人間の形をした獣だ。それに・・・・・・」

次の一言は、争う為に対峙した二人には長すぎる会話を打ち切るのに、十分な一言だった。

「それに、人間を殺した数では君のほうが圧倒的に多いではないか?」

「・・・・・・あ・・・・・・」

彼女は動かない。いや、動けなかった。

戦国時代、数え切れない程の人を殺した彼女には、あまりにも重たい一言だった。

「さて・・・・・・僕は一度国に帰る。君の邪魔はしないし、人間も殺しはしない。それでも僕を殺したいのならそれでもいいがね、殺人鬼さん」

そう言い残すと、吸血鬼は屋上から飛び降りていった。

一人残される上杉謙信。抜刀の構えから動く事も出来ず、涙が静かに頬を濡らした。



私は、人殺しだ。

初めて人を切った日からおよそ一月、恐怖でまともに眠る事も出来なかった。

しかし、それは斬った後に感じた恐怖。初めて斬る事を確信したとき、私の体は驚く程滑らかに動いた。

まるで、その行為が私である事の証明のように。

あの時、私を見た仲間の兵があげた声は、歓声と悲鳴のどちらであったか・・・・・・。

だから私は皆の前で誓った。この力で皆を守ると。

そう誓うことで自らに鎖を繋いだ。

そうしなければ、人の輪で生きることを許されなかった。





「あ~当初長期留学の予定だったルイス君だが、何やら事情があって急に戻ることになったようだ。挨拶もできずに申し訳ないと言ってたよ」

そう朝のホームルームで担任が最初に告げた。

あの後の事は知らないけど、担任に連絡が出来るくらいだから彼女と争う事はなかったようだ。

「ほんとに一瞬だったね~。外人の友達がいるってなんか面白かったんだけどな~」

時音が何気なく呟く。


友達。


そう、僕達は短かったけど確かに、少なくともこのクラスの人は彼の事を友達だと思ったはずだ。

普通の人の時音がいて、冬也がいて僕がいて、普通に彼がいた。

でもそれは、多分彼の本性を知らなかったから成立した関係。

人間はどこまでいっても臆病で、自分と違うもの、自分より巨大なモノを激しく拒絶する。

それは人間が人間であることの悲しい証明。

窓から見える景色は、人間に共存を許された、首輪の付いた自然だった。








刀と踊る夢


第三章



昔、とても大切な人が目の前で死にました。

私はとてもとても悲しくて、世界がとてもとても憎くて。

だから私は祈りました。

私に力を下さい。

だから私は呪われました。

だから私は独りになりました。

だからワタシは・・・・・・。





・・・・・・その時は不意に訪れた。

わずかな隙、私の一歩先を歩く桐野真に向かって跳ぶ黒い影。

飛び出してきた子供のグール。その時私は彼の喉笛が無惨にも切り裂かれるのを幻視した。

彼は気付いてすらいない。私の方を見て嬉しそうに話しかけている。

今までの経験が告げている。彼は・・・・・・死ぬ。


次の瞬間、肉の引きちぎれる音と共に辺りに赤い花が咲いた。

喉元から吹き上がる血飛沫。

頭は自らの重さを支える事が出来ず、皮一枚で背後にぶら下がっていた。

「・・・・・・えっ?」

この男は何が起きたか未だに理解出来ていないようだ。

突然目の前に子供が現れ、『その』喉元が裂けたのだから当然と言えば当然だろう。

「Hey!Are you OK?」

聞こえてきたのは異国の言葉。

見上げた先にいたのは、胸に銀の十字架をぶら下げた、まだ若い娘だった。





早くも4月が終わり、異常気象のおかげでまだ初春の様な肌寒さの5月の始め、僕は上杉謙信と歩いていた。


正直に告白しよう。



・・・・・・彼女との時間は、すでに僕の中で特別なものとなっていた。

特に何かを話しているわけではない。

特に触れ合っているわけでもない。


だけど、


それはとても心地の良い空間で、とても心地の良い時間で、とても心地の良い世界だった。



だから、



「今日も少し寒いけど、いい天気だね」

そう話しかけた時の、驚いている彼女を見て少し嬉しくなった。

何に驚いているのかはわからない。でも、こんな表情もするのだと言う発見に僕は嬉しくなる。


突然の水しぶき。


「…えっ?」

視界は朱く染まり、あまりに突然の事過ぎて驚く事もできない。

眼鏡のおかげで目には入らなかったけど、それは逆に不幸だったのかもしれない。

眼鏡を取った僕が最初に見た光景。

喉元が大きく割れ、血飛沫を上げ続ける子供の体。それが今まさに、糸が切れたように崩れる。

ひぃと情けない声が出てしまうが、そんなことはどうでもよかった。頭で認識する前に思考が停止する。

何も考えられず、ただ気持ちが悪い。こみ上げる嘔吐感に耐えきれず、僕はその場で吐いた。

「Hey!Are you OK?」

未だ胃の中のモノを吐き出そうとする僕に聞こえてきたのは、とても綺麗な発音の英語だった。

吐瀉物が胃液のみになり、ようやく一区切りつく。涙目で見上げると、そこには一人の少女。

いつか見たものとはまた違う空気を持った碧眼が、僕を見下ろしていた。

「ごめんね~。でも感謝してよ?君、死ぬところだったんだから」

今この場の惨状とはまるでかけ離れた明るい声。

これからデートにでも行くように話しかけてくる言葉は、綺麗な日本語だった。

「…何者だ?」

低く低く問いかける傍らの彼女は、いつでも抜刀できる構え。

「あら?それはないんじゃない?仮にもあなたの彼氏を助けた恩人よ?」

その言葉を聞いた瞬間、肌を刺すかのような殺気が倍増、また刹那の間に気は納まっていた。

「我が名は上杉謙信。あなたは?」

自らを落ち着かせるように目を閉じたまま質問する。構えはすでに解かれている。

「・・・・・・私はアリア。アリア・E・アリウス。特務機関『EX』から派遣されました」


急に真面目に自己紹介を始める女性。

よく見れば、とてつもない美人だ。

謙信を極限にまで研ぎ澄ませる事である種の、神秘的とも言える美しさを備えた日本刀とするならば、彼女はその存在が権威の象徴となる、美しい装飾を施された宝剣と例えられるだろう。

太陽の光を受けて輝く金の髪は流れるようにストレートで、高い位置でのポニーテールがよく似合っている。

メリハリの効いた体のラインは決して一部が突出することなく彼女の魅力を引き出している。

如何にも気が強そうな碧眼は、どこか氷の冷たさを持っていた。

そしてなにより、

よく見慣れた僕の高校の制服を着ていた。そこでようやく自分の既視感に気付く。

どこが、という事はないけれど、あぁ・・・・・・時音にそっくりなんだ。

「目的は?」

ある種お決まりといってよい問。

なんでもないただの問だった。質問した本人も事務的に質問したのだろう。

しかし、

その一言に世界が凍りついた。

今まで明るい雰囲気のみを出していた彼女からの鬼気とも言える圧力。

謙信はバネが跳ねたように距離を取り臨戦態勢になる。

息が出来ず、汗が吹き出る。そのくせ極寒の地にいるように体が震える。近くの通りを通る車の音が、やけに遠かった。

「私の目的、それは・・・・・・」

それは、鳴りだした終局を伝える詩だった。

「それは、一般人である桐野真の保護、および上杉謙信の監視、協力。また暴走時における処分です」



翌日、彼女とは予想を裏切らない形で再開した。

僕のクラスになることは、おそらく仕組まれた事なのだろう。

「また海外からの留学生?うちの高校ってこんなにグローバルだっけ?」

時音の言いたい事もわかるが、彼女の目的の一つに僕が含まれている以上、これは必然だった。

自己紹介を終えたアリアが一目散に僕の席に歩いてくる。時音も冬也も他のクラスメートも目が点だ。

「Hello、桐野真。これからよろしくね」

僕は苦笑いを返すしかなかった。



昼休み、いつもは時音と冬也と僕の三人で昼御飯を食べていたが、さも当然の様にアリアは同席していた。

冬也の目線があからさまなのだが、健全な男子の反応なのであえて突っ込まないでおこう。「あの、アリア・・・・・・さんと真君はどういう関係ですか?」

別に気まずい雰囲気というわけではないが、明らかに不可解な行動をとるアリアに対し時音が質問した。

「アリアでいいわよ。フランクなのが好きなの。真とは・・・・・・そうね。princessとknightってところかしらね」

カラカラと笑いながら答えるアリアに対して時音の目は真剣だ。

「どーゆーことかしら?ま・こ・と・ク・ン?」

僕に振られてもまともな答えなんて持っていない。鼻息を荒くして睨みつけてくる時音に苦笑いしながらアリアを見る。


彼女の任務は大きく3つ。

僕を守る。

謙信に協力。

そして、ある条件での謙信の処分。

この処分は詳しく聞いていないが、恐らく殺害。

彼女の所属する『EX』も謎。

いろいろ聞いてみる必要があるが、

「真君!聞いてるの!?」

とりあえず今を精一杯生き抜いてみようと思う。





暗い部屋を月の明かりが満たしていく。

明かりを点けないのは単に必要ないからであるが、この冷たく暖かい光に包まれるのが好きだからという理由もある。

今日は機嫌がいいので尚更この光が気持ちいい。

任務とは言え学生の気分を味わえる事に少しだけ心が踊った。

みんなと同じ服を着てみんなと同じ時間を過ごして・・・・・・。

夢なのはわかっている。だからこそ楽しめる。

現実は背中にある。幻を見ることはあっても生きていく道は間違えない。



悲劇は、喜劇から始まるものだから。





夜の公園。人影はなく、満月が空に低く、朱く輝いていた。

私は夜空に浮かぶそれを見上げる。何をするでもない。昔から月を見るのが好きで、今も好きな事をしているだけだ。

部屋が見る空は四角く、息が詰まりそうだったから外にでた。

この時は何も考えずにすむ。だから、話しかけてきた彼女には少しムッとした。

「一人で月見?お酒は…なさそうね。酔っぱらってるあなたを見てみたかったのに」

月明かりを受け、一層黄金に輝く髪を払いのけながら彼女、アリアは近づいてきた。

「何か・・・・・・要件でも?」

対立するような空気ではない。気怠げどうでもいいことを聞いてみる。特に返事は期待していないが、返事はあった。

「一度あなたとはゆっくりと話がしたかったの。隣、いいかしら?」

無言で少し横にずれる。場所はいくらでも空いてるが、了承の意味合いだ。

「Thanks。さて、何からお話しましょうね?」

こちらからは話す事などないので無言を貫く。夏も近く、虫の鳴く音がきれいだった。

「そうね・・・・・・とりあえず真の話でもしましょうか」

思わず振り向く。これにはさすがに反応してしまった。全くの想定外な出来事に人は敏感に反応してしまうようだ。

「率直に聞くわ。あなたは真が好き?」

「少し待ちなさい。あなたは、あなたは何の話をしているのですか?」

話についていけない以前の問題だ。

「彼はたまたま出会っただけの一般人に過ぎません。彼がいようといまいと関係のない話です。大体あんな人の迷惑を考えない人など、問題外です。折角身を案じてあげても聞く耳持たずで・・・・・・」

そこまで言ってはっとする。隣で悪魔がニヤニヤと笑みを浮かべていた。

怒りとわけのわからない恥ずかしさに顔が熱くなる。私は今、どんな顔をしているのだろうか。

「ふーん。思ってたよりも素直みたいね。嘘のつけないバカ正直と言ったほうがいいのかな?」

好き放題言う彼女を睨むが、まるでお構いなしだ。

「それ自体はいいのよ。いえ、それがダメだったのかもしれないわね」

彼女の顔が憐れむ様な表情をつくる。話の流れについていけない私は、黙っておくことにした。

「あなたは一度知ってしまった人に対して愛情を注ぎすぎる。だから・・・・・・」

さっきまでのふざけた空気は既にない。世界は、耳が痛くなるほど静かだ。

「だから、あなたは世界を滅ぼす」





休日、いつものように僕は謙信に会いに行こうとした。今日もいい天気だし、散歩をするには気持ちいいだろう。

ちなみに謙信と呼び捨てにしているのは、何か進展があったとかそんな色っぽい話ではなく、彼女が謙信さんという呼び方を嫌った為だ。

確かに語呂が悪いかったし、僕としても少し距離が近くなったように感じたので異論はなかった。

休日に彼女に会いに行くのは既に恒例で、彼女も最近では文句を言わなくなってきた。

それが受け入れられていると言うより無視されていると言える事が少し残念ではあるが・・・・・・。


彼女は見回りがてら散歩をして、僕は彼女と同じ道を歩く。

今まではそれだけだったし、それでもよかった。だから、

「あなたは二度とここには来ないでください」

その一言は、なによりも僕を殺した。





いつもの曜日、いつもの時間、いつもの道。

一つでも変えれば彼と出会わずに見回りに行ける。

それをしなかったのは、彼の為に自分の都合を変えるのが癪だったからだ。

それとも・・・・・・私は、あの時間を楽しみにしていたのだろうか。

何か暖かいものに包まれている感覚。緩やかに感じる時間は驚くほどに早く流れる。

大切な時間。守らなくちゃいけない時間。大切な人。守りたい人。

だから、私は彼を拒絶した。

それしか方法を、知らなかった。





昨日、彼女から拒絶を告げられた後の事はよく覚えていない。授業中も食事中もただ一つの事を考える。

・・・・・・どうしてあんなに泣きそうな顔で僕を拒絶したのか。

今までにないほど明確な拒絶。だけど、諦める事はできない。今手を離したら、二度と掴めない気がした。

彼女の様子が変わったのはアリアが来てから。もしかしたら関係ないのかもしれないけど、今は彼女から話を聞くことしか思いつかなかった。

そして、決意したその日の放課後、僕は彼女に呼び出された。



「さて、聞きたい事があるなら今のうちに聞いてあげるわ。上の人からは余計なことは言うなって言われてるけど、あなたは知る権利を得ている」

何か話があるのだと思ったが、僕が彼女と話がしたいことをわかっていたようだった。ならば聞くことはただ一つ。

「謙信に何があったか知らないかい?」

今一番聞きたい事を質問すると、なぜだか盛大に溜め息をつかれた。ボソボソとなにか呟いている。幸せ者?誰がだろう。

「まぁいいわ。答えてあげる。彼女は独りでいるべきなの。誰とも触れ合わず、誰とも知り合わず、ただ化け物と戦って戦って、そこで命を落とすべき存在」

淡々と答える目の前の女性。その内容に頭が追いついていかない。

「こちらとしても予想外だったわ。彼女をこの時代に連れてきた意味が無くなってしまったのだから。そうね、その点に関して言えばあなたは邪魔な存在でしかない」

「な・・・・・・にを言って・・・・・・?」

あまりに唐突な話に怒りと言う感情もついてこない。だから次の一言には耐えれるはずもなかった。

「あなたは彼女と遭うべきではなかった」

「そんなこと、なんで君に言われなくちゃいけないんだよ!?」

突然の大声に羽を休めていた鳥たちが逃げていく。自分でも驚く程自分を抑えられなかった。

「君は何を知っていて何を言ってるんだ!?出会っていけない人なんているわけないだろ!人と出会って、好きになって、何が悪いんだ!」

沸き出る感情を勢いのまま吐き出した。

しかし、相手にとってそれは、子供の駄々と大差なかったようだ。

「あなたと上杉謙信であるから問題なの。いや、あなたは問題となる分子と成ってしまった。・・・・・・あぁ回りくどいわね!」

めんどくさそうに肩に掛かる髪を払いのける。すぅっと息を吸い込んだ彼女は、誰にでも解る言葉で言い放った。

「二人が惹かれ合ってるから話がめんどくさいのよ!」

さっきまでとは違った衝撃が頭を貫く。

たっぷり十秒。正しく僕は固まった。

「彼女は自分でも気付いてないでしょうけどね。端から見ればイチモクリョウゼンよ」

更に話は続く。上手く聞き取れているかはわからない。

「彼女はもともと他人を気にしすぎる傾向があった。目に映るものはみんな守りたいって思ってるんでしょうね。そしてその力が彼女はあった。問題はその気持ちの強さ。強い愛情は容易に巨大な憎悪を作り上げる」



例えば愛する人を奪われた時、例えば愛する人に裏切られた時、例えば・・・・・・愛する人を殺された時。

「彼女は以前、友人の死を嘆き暴走したわ」

遠くを見るアリアは、まるで自身にもあった事のように寂しそうな、悲しい眼をしていた。

「その時の被害人数は数千とも聞くわ。たった一人で数千の人間を斬り殺したの。故に彼女の存在は問題視された。このままでは世界を壊すと」

夕日の傾く学校の屋上から見える景色は、血に染まったように、目が痛くなるような朱だった。

「だから吸血鬼共に力が十分備わったこの時代に連れてきた。そろそろ気づいたかしら?吸血鬼が世界を滅ぼすから彼女を連れてきたんじゃないの。彼女が世界を滅ぼすから吸血鬼にぶつけたってワケ」



 ◇



いつもと時間を変更して出かけた先でグールを見つけた。路地裏を住処にする住所不定な人間が、首を食いちぎられて事切れている。誰にも気付かれず、誰にも悲しまれない孤独な最後。

しかし、今は彼を弔う気が起きない。

・・・・・・今は、何も、考えたく、ない。

頭が、呆とする。

ふと気づけば、細切れになった肉片が辺りに散らばっていた。

暗い路地裏に散らばる粘着質な血液と、原型を留めていない肉塊は、まるで子供に弄ばれた花壇だ。

これは…私がやったのだろうか。

確かに今までも戦闘中の記憶がぼやける事はあったが、ここまで酷かったことはそうない。

握った刀は血に溺れ、愉悦に浸るように輝いている。

返り血を浴びたお気に入りの着物には新しい模様が描かれていた。

それはなんだか朱い華を描いたみたいで、私は子供みたいに笑った。



私の中で、ナにかがコワれていク。



しばらく朱い水溜まりが広がるのを見つめていたが、そこで初めて、自分が呼吸していない事に気付いた。

呼吸も忘れて行為に没頭していたようだ。

今までにないほどの淫らな高ぶり。



「そこまでにしておきなよ。以前、確かに僕は君に殺人鬼と銘打ったが、そんな崩壊した君は見たくない」

声と共に首筋を襲う衝撃。

「君は、いつでも間違えたままだ。だから今はおやすみ。夢から覚めれば、また夢が待っている。それが幸せか不幸かは君次第だけど、セカイはそう酷いものじゃないよ」

急激に頭が冷えていくのを感じながら、私の意識は堕ちていった。





目が覚めると、いつもの眼鏡をかけた脳天気そうな顔の男がいる。朝日は包み込むように暖かで、寝起きだと言うのに顔が綻んでしまう。

何一つ特別な事はないのに、一番特別な世界。

それが余りにも幸せだったから、私は恐れた。

それが壊れた時の恐怖を知っているから。





目が覚めると、見たこともない部屋だった。

何か、とても胸が苦しくなる夢を見ていた気がするけど…上手く思い出せない。起き上がると同時に目尻から何かが零れ落ちる。これは・・・・・・涙?

急いで目をこすり、兼定を確認する。獲物は流石に手放していないようだ。

しかし・・・・・・私はなぜこんなところで眠っていたのだろう。

昨日、家を出てからの記憶がハッキリしない。そもいつ家を出たかも曖昧だ。

「目が覚めたのかい?なら、さっさと彼の下に帰るべきだ」

今まで確かになかった気配。

この声、この気配は・・・・・・。

姿は見えない。しかし、声の主が吸血鬼殺しの吸血鬼であることは確かだ。

「君は壊れてきている。内面に引きずられてきているのかな?それは僕たちにとって最も危惧することであり、同時に君にとっても最悪の結末になる。楔となれるのは彼の存在だけだ」

「何を言っているのです?彼とは誰の事ですか?答えなさい!」

声の主から伝わる気配は落胆。あまつさえ溜め息まで吐いている。

「アリア君から話は聞いているだろ?どこまで聞いたかまでは知らないけれど、君が彼を突き放す必要性は何一つとして見当たらない。いい加減素直になりなよ。君は、彼無しでは生きていく事ができないんだ」



それは、多分さっき見た夢。

あぁ、自分でも気付いている。

彼がいなければ、私はこんなにも不安定で、

彼がいたから私は不安定になれた。





次の日、僕は学校を休んで、彼女と歩いた道を走り回っていた。

目的はただ一つ。この上ない程単純で、この上ない程明快だ。

正直、僕は腹が立っていた。

誰に、と言われれば少し答えにくい。それは彼女を利用した組織と、どこまでもお人好しな彼女自身と、その孤独に気付けなかった僕自身だと思うから。

彼女は自身が思ってるほど強くない。全然強くなんかないんだ。

それは、そうあろうとした一国一城の君主であるときの姿。ただの仮初めに過ぎない。

本当は僕なんかよりよっぽど脆くて、臆病で、不器用な女の子なんだ。

その事を彼女に教えてあげなくちゃいけない。多分彼女は本気で怒るかもしれないけど、これが僕に出来ることだと思うから。


だから今は、とにかく早く彼女を見つけるんだ。


今思えば、どうしてこの時気付けなかったのか。






吸血鬼の部屋を去って一人薄暗い路地裏を歩いていた。

ここは、多分いつもの道の路地裏。何も考えていなかったけど、足は勝手にいつもの道を歩こうとしていたようだ。

頭が痛い。兼定を抜いていないのに、私を引きずる声がする。

物陰からぞろぞろと図ったようにグールの群が出てくる。兼定の声に引き寄せられるかの様だった。

それとも私が弱っているのがわかるのだろうか。



――兼定から伝わる声はいつにも増して魅惑的で、



その数およそ20。すべて、ころさなくちゃ。



――今の私に耐える事は出来なかった。



――何かが、壊れる音がした。

 


・・・・・・私には、何もできない。

・・・・・・私には、誰も救えない。

・・・・・・私には、壊す事しかできない。

それを否定したくて、私にも大切なものを守れるんだって言いたくて、だから頑張っていろんなものを守ろうとしたけど、

頭の中では必ず誰かが、壊れればいいとワラっていた。



目眩がする。頭は痺れたように考える事を止めている。眠たいような気だるさと、どこか淫らな欲求をまだ体は求めていた。

ゾクゾクするような欲求に身を任せ、一番近くにいたモノに、手にしていた刃を滑らせてみる。

少し手を動かしただけなのにそれは簡単に壊れてしまった。まるで人形だ。

次は右手と左足。

軽く触れて、ぽろぽろととれる。

それはあまりにも不自然で、まるで御伽噺のようだった。

なんだかおかしくなってしまった私は子供のようにクスクスと笑ってしまった。



・・・・・・やっと目覚めた。そんか感じだ。あんな幸せ、夢でしか有り得ない。

そんな簡単な事にやっと気付いた自分がもっとおかしくて、また笑ってしまった。



「…残念だわ。真ならって思ったんだけど…いや、この場合は貴女が想像以上に頑固だったって事かしらね」

どこかで聞いたような声。金色に光る異国の髪も挑戦的な視線も覚えはあったが・・・・・・今は思い出せない。

「父と子と精霊の御名において、アリア・エヴァンジェリン・アリウスが貴女を討ちます!」

必滅の言葉と共に流れてくる威圧感。少しは・・・・・・楽しめればいいのだけど。

「我が名は・・・・・・確かヴァイシュラヴァナと呼ばれていたか」

あぁ、そうだ。名前を口にしてようやく自分を思い出せた。



――ヴァイシュラヴァナ。中央アジア、中国でも信仰の厚い一尊。宝棒、宝塔を手にする武神。日本では・・・・・・毘沙門天と呼ばれていた。



「フン。守護に疲れて壊れた神様なんて笑えないわね。いいわ。悪魔払いとまではいかなくても、あなたの入れ物ぐらいは壊してみせる」

会話は少なく、また必要もない。

静寂。対峙は刹那。瞬く間に金に輝く髪は銀に煌めく刃に向かい、その力を具現化した。





朝から探し続けたけど、気付けばもう日が暮れている。

彼女がいるだろうと思い付く場所はそれほど多くない。その全てを何度も回ったが、影一つ見えなかった。

改めて知らされた。僕はまだ、彼女のことを何も知らない。

悔しくて悔しくて、それでもなにもできなくて、ひとまず謙信の部屋に戻ろうと足を向けたとき、建物の陰から一匹の黒猫が歩いてきた。

闇をそのまま猫の形にしたような、とても静かでとても綺麗な黒の毛並み。

そこに一切の不純物を排除したような煌めく一つの金の瞳が僕を見つめていた。左の目は何かに切りつけられたような傷痕をつけて静かに閉じられている。



猫は何も言わない。



たっぷり10秒程僕を見つめたあと、くるりと反転してもと来た道を戻ろうとした。

僕に、ついて来いとでも言うような視線を残して。





連なる爆発音はしかし、狙いを定めた獲物を狩り得てはいなかった。

合わせて40もの高速詠唱も、ただイタズラに街の形を変えただけだった。

「大層なものだな。街はどうなってもよいのか?」

鈍く光る刃を持つ剣士はあくまで穏やかに問う。

その問いを余裕と感じたのか、アリアは少し苛立ち気に舌打ちした。



自らの戦闘スタイル――。10の詠唱魔術を4セット、並行詠唱して畳み掛けることで絶対不可避な爆発の檻を作る。脳に埋め込んだ専用チップと血反吐を吐いた修練の末に手に入れた必殺の爆撃を、目の前の生物は避けたのだ。

単なる同時爆発ではない。絶妙にタイミングをずらすことで死角を極限にまでなくしてある。


背中を伝うのは汗か氷か流した血か。


構えもなく構えた剣士がフワリと揺れる。

血糊が斑についた白い着物は妖しく、とても綺麗だった。

「私は、止められない」

すすり泣くような小さな声を残してソレは姿を消した。

叩きつけるような殺気。本能のままに無様に前転すると、先ほどまで頸があった位置の風が切られる。

・・・・・・使い魔が速いか、私の終わりが速いか。

一縷の望みを託した黒猫に別れを告げようとしたとき、背後から声がした。

「悪魔が神に宣戦布告したとき、神一柱に対し666もの魔獣を引き連れて向かったそうだね。ならば僕も、それに倣うとするよ」

パチンと軽やかに指を鳴らし、吸血鬼の青年は世界を変えた。







間章 始



――少し昔、まだ謙信を名乗る以前のことだ。私はお忍びで少し離れた村に出かけた。しかし、気のままに馬を走らせたのが災いして、道に迷ってしまった。

そんな時に、彼女に出会った。

彼女は、困っていた私を村に招き入れ、いろんな話をしてくれた。

出会った時は本気で男と思った。それほど凛々しく勇ましかった。話をしていくうちに女だとわかり、開いた口が閉まらなかったものだ。

私が上杉の人間だと知っても臆することなく、下手に出ることも悪巧みをすることもなかった。そんな彼女に、私は惹かれた。



彼女は女だてらに剣の腕前は達者で、村の守り刀としてみんなから慕われていた。

城に戻ったあとも彼女のことが忘れられなくて、爺やに頼んで家臣にしようと思ったこともあった。

しかしその事を伝える文の返事には、

『大変光栄で嬉しく思う。私も君の下で共に過ごせたらと思うが、この村を置いていくことはできない。すまない』

とあった。心残りは尽きなかったが、諦めざるを得なかった。しかしそれで私達の仲が切れることはなかった。

何度も文を交わしては親交を深め、夏が終わって秋を過ぎ、季節が冬に変わる頃には、無二の親友となっていた。



・・・・・・だから、あの出来事だけは忘れられない。



いつものように素振りをしていた私に、一つの知らせがあった。

近くの村が、盗賊に襲われた、と。

爺やの制止も耳には入らず、即座に城を出る。

私は血の気が引いていく音を聞きつつ、二十ばかりの手勢を連れて馬を走らせた。



――同じような村は近くに幾つもある。どうか違う村であってくれ。

皆を守る立場に立つ人間であることを忘れ、私の頭は自分勝手な願いでいっぱいだった。やがて見えてくる村。火事が起こったのか黒い煙が狼煙のように上がっていた。

・・・・・・間違いなく、あの村だ。

道ばたには、無残にも切り捨てられた人達の残骸があちらこちらに棄てられている。

勇敢にも立ち向かったのであろう男たちは両腕を失って事切れている。その顔の先には、衣服を乱され、強姦された痕の残る女の死体。

そんなものがそこら中に見られた。

あまりにも無力な自分に苛立ちを隠せないまま、友の姿を探した。そうして見つけた、見慣れた着物を纏った、腕。

少し離れた先には、足。身体は更に上下で別れており、胸から上に首は付いていない。

足が震える。血が続く方へと顔を上げていくと、



そこには、変わり果てた友の顔。



斬首刑のように見物台に乗せられたそれは、もはや人の顔とは言えなかった。

震える手でそっと触れる。

冷たく、硬い、友の『 』。

「      、        、                       、       、          、         !!!!!!!!!!」



泣いた。叫んだ。喉が切れるほどに叫び続けた。泣いても泣いてもまだ泣いた。

力が欲しい…奴らが憎い!弱い自分が憎い!殺してやる殺してやる殺してやる・・・・・・!!!力だ!力だ!!力だ!!!

もはや盗賊の殲滅以外何も考えていなかった私に、一つの声が聞こえた。



・・・・・・欲シイノカ?



すぐに抜刀し辺りを見渡す。しかし、姿が見えない。

怒りで周りが見えていない私に、また声が聞こえた。



――答エヨ。全テを消ス力、欲シイカ?



願った。全てを棄ててもいい。力を寄越せと。

「良イ。ソノ憤怒、良イゾ。我モ目ガ覚メタワ。…思うがままに使うてみるがいい」

そこから、記憶が曖昧になる。フラフラと眠るように意識が途切れる寸前、目に映った、大きな水溜まりになった血と、数えきれない死体と、真っ赤に染まった自分の両手・・・・・・。







間章 終





黒猫に導かれるまま僕は走った。震える足に無理矢理力を込めて猫を見失わないように走る。

道を何度か曲がったけど、十字路から見える表通りはさっきまで探し回っていた道だ。

ほんの一歩、路地裏に入っていたら、もっと早くに見つけられたのかもしれない。

自分の機転の利かなさに苛立ちを覚えていると、いつか見た、薄い膜のようなものがドーム状に膨らんでいくのか見えた。

黒猫はそのドームに一直線に向かっていく。僕も躊躇うことなく、その後を追った。





「苦戦しているようだね、アリア。だけど今は独奏曲に浸る暇はない。割り込ませてもらうよ」

瞬く間にセカイを変えた青年に、しかしアリアは文句が言えなかった。

彼の援護が一息遅ければ、今頃頭と体は別離していただろう。

「これがあんたのセカイか。いい趣味してるわ」

せめてもの皮肉で礼を言う。

「このセカイは僕そのもの。僕自身は動けない代わりにイメージを具現化できる」

・・・・・・そこは、目に見える限りひたすらに墓地だった。広大な草原を埋め尽くす墓石、墓石、墓石。空は紅い月が支配しており、どこか星の輝きも鈍い。

その数え切れない程の墓石に今、変化が現れた。

黒いもやのようなものが、墓石の一つ一つから滲み出る。それらは徐々に形を成し、やがて獣の姿となった。



それは、666の獣の群。



その中心に佇む上杉謙信――毘沙門天は、冷めた目でそれを眺めていた。

「君を、ここで封じる!」

その言葉を合図とし、黒い獣は統率された狼のように隙なく、死角なく、逃げ場なく謙信を襲った。

しかし、驚愕の声をあげたのは、物理的に圧倒的優位なはずのルイスだった。



相対する剣士の、その動きの美しさ。



一切の力みが無い一振りは、まるで抵抗なく獣を切り裂いていく。

もやの塊に見える獣はその実、確かな質量を持っている。密度が濃い故に、もやの突進は1tトラックのそれと変わりない。

それを、目の前の剣士は舞うように斬り伏せていった。

獣の連携が甘いわけではない。常人のみならず、卓越した技量の持ち主でも、この連携の前には為す術もないはずだ。それが、彼女の着物にすら触れられない。

かわされ、防がれ、その度に黒い獣は数を減らした。

「私も忘れないでよね!」

呼応するかのようにアリアも乱入する。先ほどの距離を開けての爆破魔術ではなく、素手でのインファイト。

ルーンと呼ばれる特殊な文字がアリアの身体能力を限界にまで高めている。

しかし、限界まで高めても尚、致命打には程遠い。それどころか、気付かないうちに体中に切り傷が刻まれていた。

まるで、手のひらで踊らされているような感覚。


絶対的な、力の差。


だから、


「私は、もう・・・・・・」


その声は誰に聞かれることもなく風に流れた。





ひどく、眠い。

このまま眠れば、もう嫌な思いをしなくていいのかな?人を殺して、殺して、殺して殺して殺して殺して・・・・・・。

そんな私が幸せを掴めるはずがない。

そんな私が幸せになっていいわけがない。



でも、


このまま眠れば、幸せな夢を見続ける事ができるのかな?

もう一度、あの夢の日々を見られるのなら・・・・・・。





黒猫に連れられてきた先は、やはりあの時のようにそれまでの風景とは別世界だった。

見渡す限りの草原に、数え切れない墓石。

そして、

黒と紅の嵐と、輝く一点の白銀。

一目見ただけで絶望するほどの暴力に、しかし一点の輝きは失われることはなかった。

「謙信!!」

気付けば、僕は走り出していた。

何か考えがあったわけじゃない。止めさせる、それだけだ。



だから、



「…っ!マコト!ダメ!!!!!」

アリアの悲鳴にも似た声と、音もなくこの胸を貫いた刃は、どこまでも現実から離れていた気がした。



時間が止まったように一切が動きを止める。

じわりと服に血が滲む。喉に絡みつく血糊を堪えきれず咽せるように吐き出す。

少しずつ霞み始めた目に写るのは、無表情な顔から、驚きに目を見開いていく謙信の顔。



――やっと、逢えた。



刃を伝う朱い血。上手く声がでない。決めたんだ。次に逢えたら、笑って伝えようって。



――大丈夫だよ。君を、独りにはしない。


そこで、僕のセカイは暗転した。





・・・・・・何が起きたのか、理解できない。

手に熱。紅い血が刀を伝って流れてきた。私は今まで何をしていたのだろう。

目の前には、いるはずのない男。その胸には私が手にしている兼定が繋がっている。

わけもわからず呼吸が乱れる。なぜ私は彼を殺している?ヌルりとした感触がひどく嫌で、私は兼定を手放した。

足がガクガクと震え、頭の中が真っ白になる。



――マタ大切ナ人ヲ、亡クスノ?



そんなの耐えられない!誰を憎めばいい!?敵は誰!?

・・・・・・あぁ、そうか。私は、私を殺せばいいんだ。

私を亡くした私のセカイは、それで幸せになる。

だから私は、再び兼定を手に取り、迷うことなくこの胸を貫いた。

兼定に残る彼の血は、とても温かかった。





それは、一瞬の出来事だった。全ての攻撃が幻のようにかわされ、まさに彼女の狂刃がこの胸を貫こうとしたとき、マコトが割って入ってきた。

胸の一撃は明らかに致命的。動脈を切った時の出血量だ。あるいは心臓そのものの破損か。

マコトの体が糸の切れた操り人形のように崩れる。刺した本人はまだ認識すらできていないようだ。

・・・・・・間に合うか?

とにかく手遅れになる前に、手を尽くすしかない。マコトの体を横たえ、ありったけの回復薬と治癒の魔術をかける。

それでもこの出血量。見る見るうちに血は流れ、水溜まりが出来始めている。

私がマコトに気を取られていると、謙信の動向を見ていたルイスが驚いたような声をあげた。

まだ襲ってくるのかと視線を向けると、彼女は自らの胸を手にした刃で貫いていた。


・・・・・・ここで、彼女は、助けてはいけない。

元より暴走した彼女の抹殺が任務のはず。

私は見て見ぬ振りをするかのように、マコトの蘇生に尽くした。


心臓と傷付近の重要な血管の修復、輸血、自己再生能力の強化と補助。

脳に埋め込んだチップとルイスの補助を最大限駆使して治癒を施すが、人間の体の、それも重要な臓器の修復はあまりにも難しい。

(マコト……あなたは、帰ってきなさい!)





気が付くと、目に映ったのは見慣れない天井だった。

気が付く、と言っても体が少しも動かせない。眼球も動かすことが出来ないようで、これでは死んでいるのと大差ないように思えた。

しばらくの間、刻々と時を数えながら、まず何を考えようか考えていた。

どうして僕は、こんなところで寝ているのか。どうして僕は、体が動かないのか。

どうして僕は、『  』を上手く思い出せないのか・・・・・・。

それは人だったような、色だったような、夢だったような気がする。

「…お邪魔しま~す」

囁くような声とともに誰かが入ってきた。その人物が僕の顔を覗いてくれたおかげで、時音だとわかった。

「マコト~、元気?全くいつまで寝てるのよ~。いくらなんでも寝坊しすぎだって」

僕は返事がしたかったけど、声も出ない。

「ホント・・・・・・もう1ヶ月だよ?早く、起きてよぉ・・・・・・」

時音の声が徐々に震えていく。

これ以上誰かが泣くのは見たくない。

今ある意識を集中させて、精一杯の声を出してみた。

「・・・・・・・・・・・・た、・・・・・・・・・・・・ただ・・・・・・・・・・・・い・・・・・・・・・・・・ま」

時音の泣き声が、消えた。





夏が過ぎ、秋を経て、また冬が来た。

僕の高校2度目の冬。僕は確かに去年、この季節に誰かと出会った。

・・・・・・もしかしたらそれは、見上げた空から舞い落ちる、淡雪が見せた夢だったのかもしれない。






                                    終わり


大分昔に書いたものを引っ張ってきました。最近また何か書きたい病でうずうずしてますが、方向性が見つからず、なんとなく投稿しました。

いっぱい叩かれて良くしていきたいので、良くても悪くてもいいのでコメントいただければと思います。


読んでいただいた方には、心の底からの感謝を。

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