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5 おわりに

 さて、これまで色々と述べてきたが、もうそろそろ終わりにしようと思う。あなた方も疲れただろう。

 言いたいことは大体書いたつもりである。もし不足していたとしても、書き足すことはしないし、したくない(誤字脱字誤用等があれば、その限りではないが)。



 というのも、今この時に書き上げたこの私見を、なるべくそのままの状態で保存しておきたいからである。次にこの私見の文章に手を入れた時、その時の私は、今この瞬間の私とは言えない。「連続した存在」であったとしても、時の流れに伴う存在の変化は防ぎようが無い。だから、今の私が持つ技術や考えを最大限生かしたという状態にしておきたい。これが「つもり」などではなく、真に私のもてる全てを費やした、とは残念ながら言えない。それは、ひとえに私の、自身に対する自信の無さが原因である。「読み手」のあなた方には一切の落ち度もない。



 「表現者」として、それはどうなのかという意見もあるだろう。知りたくもないので書かないでほしいと思うかもしれない。吐いた言葉には責任を持つべきなのは分かっている。重々承知しているつもりだ。だが、こればかりはいかんともし難い。「未来の自分に期待する」という名の逃げ、そう、「逃げ」と捉えられても仕方がない。その他諸々の意見を「読み手」のあなた方は持っている、あるいは私に持たされたのかもしれないが、どうか寛容な態度で許してほしい。

 まだ表現していない、未来の作品では、胸を張れるよう努力する。



 最後に、これを書こうと思った経緯について語り、この私見を締めくくろうと思う。これは最初に書けばよかったのだが、失敬、忘れてしまっていた。



 この私見を書き始めたのは、2017年3月26日(日)の午前四時ごろのことだ。前夜に突然、表現について書きたくなったのが原因である。まぁ、前々から似たようなことを考えていたので、別におかしいことではないのだが。要するに時間の問題だったのだ。あとは、その瞬間の自分の状態を出来るだけ保ったまま書ききれるか、ただそれだけだった。前日に偶然見つけた小説にのめり込み、感想なんかを書いているうちに「書く」ということに集中することが出来たので、これが無ければ未だにその重い腰を椅子に預けたまま、面白いと思う小説を読み耽っていたことだろう。



 この私見を書いていて、改めて自分自身の表現に対する認識について考えることが出来て良かったと思う。受け入れたくない事実もまた、明らかになった訳だが、ひとまずそれはおいておこう。



 他の表現者による視点を想像するのも、疲れはしたが楽しかった。感情はヒトが生きていく上で切っても切り離せないものであるし、表現をしていく上でも核となり得るものだと思う。「書き手」と「読み手」、それぞれが感情を持っており、時には想像もつかない世界が生まれる。文字表現にも限界はあるが、それは突破可能な限界であるはずだ。



 この私見が、これを読んでいるあなた方の表現活動の一助となることを祈りつつ、筆を置く。

 良い表現活動を!



<了>

後日、あと二つほど投稿する予定です。

参考図書、語句の細かい説明など。

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