2 要点一、「「書き手」と「読み手」との間に生じる認識の差」
タイトル語句の説明はこれくらいにして、本題に入る。これからは、タイトルに書いてあるように、「文字表現とヒトの感情」について身勝手ながら要点を絞り、私見を述べていこうと思う。
要点は、三つ。次からそれぞれについて述べる。
一つ目は、「「書き手」と「読み手」との間に生じる認識の差」について。
私は今「書き手」であり、あなた方は「読み手」である。気取った言い方をすれば「表現者」と「観測者(あるいは観察者、みる者-以下同様)」である(ちなみに「観測者(同様)」という言葉は、「読み手」と意味的に似ていると思ったから採用しただけで、違った表現が当てはまるのかもしれない。某知恵袋では「鑑賞者」という言葉が出ていた)。両者の間に認識の差があるのは言うまでもない。立場が違うだけで考えも自然と違ってくるし、そもそもこの世に同じ人間などいないはずだ。遺伝子、生まれた場所、育ててくれた人、親類縁者、成長していく中で関わった人々や場所、経験、相違点を挙げればきりがない。
ポケ〇ンでも、ドラ〇ンク〇ストでもいいので想像してほしい。あれらのゲームに出てくるモンスターや勇者たちは、遊ぶ者次第で強くも弱くもなる。長所や短所があったり、ポテンシャルに差はあれど、成長して個性とも言えるものを獲得する(データなのだから「個性」と言えるのだろうか、などという揚げ足取りは無視する。断固無視する)。
要するに、同じ人間が存在するはずがないのだから、「表現者」と「観測者(同様)」にも差は生じてしまうのだ。しかし、この「差」を埋める方法が存在する。
それは、「観測者(同様)」が「表現者」の表現を深く理解することだ。表現の中で使用されている言葉の意味を正しく把握したり、物語の伏線を探してその後の展開を予想したり、登場人物に感情移入したり、あるいは「表現者」自身に質問したり。普段私やあなた方がしていることと大差はないな。両者の共通認識を深めれば、やがては同化にも似た境地に至れるのかもしれない。私の好きな漫画に出てくる、月山某さんは『作品というのは読み手の意識が作者に近づくほど深く味わうことが出来ると思うんだ。紡ぎ手の目線で物語の世界を自由に歩き回ることを夢想すると・・・興奮で身震いさえ覚えるよ』と述べている。いや、仰っている。私も彼に会った時身震いを覚えた(知っている人は知っているだろうが、金木某君の血を吸い込ませたハンカチを嗅ぐシーンは衝撃的だった)。月山某さんは勿論漫画の中の登場人物であり、架空の存在ではあるけれど、私には現実に存在しているかのように思われる。作者の石田さんによって生まれた存在(彼)ではあるけれど、「読み手」からすれば「その物語の中」で確実に実在しており、個性を持つ者には変わりはないのである。『フィクションはフィクション、所詮妄想の産物である』と言い張るのはその人の勝手ではあるが、私は個性を持つ存在(自我を持つかは別として・・・)は最早現実を生きる我々に匹敵する者だと言ってもよいと思う。過言であるという意見は認める。ここら辺は勢いで書いているのでね。
話を表現理解に戻そう。
先程、表現を深く理解する方法の一つとして、「表現の中で使用されている言葉の意味を正しく把握すること」を挙げたが、覚えているだろうか。13~14行ほど戻ってみるといい。書いているぞ。私は、これが重要だと思っている。
〇ここの部分は読まなくても別に構わない。次の〇から読み始めることを勧める。
あなた方は「想起性」という言葉をご存じだろうか。知っているはずがない。そんな言葉は無いのだから。「想起」に「性」を付けただけの、私の作った造語である。「想起」とは、思い出すことや以前あったことを思い出すことと定義されている(三省堂 大辞林より引用)のだが、どうも私は思い違いをしていたようで、「想起する」を「連想する」という意味だと思っていた。細かいことを説明すると長くなるのでここでは割愛するが、このまま間違った用法で話を展開するのもあれなので、「連想性」の方を採用することにする。「連想」は言葉の通りなので、説明は省く。
〇
言葉は意味を持つ。ゆえに、違った意味に解釈すれば文字表現は破綻する。そして間違った解釈は更なる混沌を招き、やがて見るも無残な姿となり朽ち果てる。
私は、言葉には連想性があると考える。まるでパズルのピースをつなぎ合わせるかのように言葉は連鎖していくのだ。それがたとえ、正反対の意味であっても。言葉がパズルと違うのは、凹凸にはまるものが頻繁に形を変えるところだろう。現実では、パズルの形は固定されているからな。
形(意味)をしっかりと固定させ、正しい用法で使用すれば、「表現者」と「観測者(同様)」の間の誤解は減り、理解も深まるというものだ。
<次に続く>