1 はじめに
どうも、はじめましての方は、はじめまして。半信半疑です。
この私見は、素人ながらも「書く者」の一人としての視点から述べるものである。時には「読む者」の一人、俗にいう「読者」の視点に立って述べることもあるが、内容の都合上、必要だと判断したので、予めご了承頂きたい。勿論、読み進めるうち、不快になった場合はすぐに読むのを止めても構わない。
しかし、できればでいいので、その不快になった理由を言語化して、私の方に感想なりなんなり、何らかの手段を用いて伝えてほしい。可能な限り返信をするつもりだ。あまりにもあんまりな意見をもらってしまったら、発狂してしまうので、送信する前に三度確認を願いたい。
この私見では、前文のような、変にしゃちほこばった表現で進めるが、辛かったら直ちに読むのを止めてほしい。我慢してまで読む価値があるのか、筆者である私にも分からない。他にも面白い読みものはたくさんあるのだから、そちらを読んでほしい。そして、私にも教えてほしい。何故って、読みたいからである。私は「面白いものを読みたい」という欲求に忠実でありたい。
・・・それで、覚悟はできただろうか。では、次の段落から私見を述べていこうと思う。
この私見において、「読者」であるあなた方に、いの一番に明らかにしておかなければならないのは、タイトルにある「文字表現」と「感情」という言葉が何を指すのか、である。
言葉の意味として、何かの本などからの引用をせず、私なりの言葉を用いて良いのならば、次のように解釈する(とはいっても、一応調べたりはするのだがね)。
「文字表現」は、何らかの文字言語を用いた表現方法だ。自身の抱く想いや物の状態など、何かを伝える手段の一つとして考えることもできる。この私見も、「日本語の文字」を用いた文字表現の例として挙げることも可能ではないだろうか。まぁ、各々出来るだけ近いものが想像できればそれでいい。ここでは、主に「小説や物語」の意味として扱う(ここ重要!)。
「感情」は、馴染みある言葉なので様々な解釈ができる。しかしながら、ここで使う「感情」の意味は、通常の説明では物足りない。先程説明した「文字表現」、それを見たり読んだりして引き出された、「読者」自身が感じる反応が「感情」ではないかと考える。些か曖昧なので補足させてもらうと、文字表現を情報として脳が認識し、未だ可視化された状態で発見されていない「ココロ」なるものがそれに反応し、引き出された想いのことを「感情」だ、と私は言いたいのである。
あえて例を挙げるなら、「『それはさらさらとした肌触りで、思わず頬ずりした』という文章を読んで、その感覚を想像し、何かを撫でてみたくなったりすること」、「現象に対する反射」のようなものだ。いや、反射とはまた違ったものだが、まぁ似たようなものだ。気にするな。
<次に続く>