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こころのほし

作者: ate.

 誰しも心の中に小さな星を持っています。あの、砂漠に落ちたパイロットもそうだったように。

普段は忘れているけれど、きっと、あなたの心にも、たしかに一つの星がひっそりと回っているのです。


 陽子も、心に星を持っているひとりでした。


 陽子の星は、一日で一周できてしまうほどの、大きくも小さくもない星でした。星のほとんどは樹海に覆われ、その木の海の中を大きな魚たちが口をパクパクさせながら泳いでいます。風に吹かれ波のようにゆれる木々は成長がとても早く、放っておくと星全体を呑みこんでしまうほどの勢いです。しかし、ライラック色のキリンたちが常に新芽を食べているので星は樹海に侵略されずにすむのでした。この星には太陽が無く、いつもしんしんと粉雪が舞っています。地面にはその粉雪が、さらさらと降り積もっていました。キンと張り詰めた空気は冷たく、静かで、冬のにおいがする、そんな星でした。


 幼い陽子は、眠れない夜には決まって心の中にあるその星のことを考えます。そうして樹海の波の音とライラック色のキリンが新芽を噛む音を聞いているうちに、自然と眠りについているのです。夢の中で陽子はその星に浮かぶ月となり、ゆっくりと回るその美しい星を眺めるのでした。


 陽子が小学校に上がったころ、その星に一人の男の子が住むようになりました。


 その男の子はずっと昔からこの星に住んでいて、髪は粉雪の砂浜の色、瞳は世界中の淋しさを閉じ込めたような色でした。そしてその瞳はいつも孤独で濡れていました。

 ひとりぼっちの男の子の仕事は、大きな魚たちやライラック色のキリンたちが食べ残した貝殻を拾うこと。毎日、くたくたになるまで両手いっぱいの貝殻を拾い集めるのです。この貝殻は男の子の寝床になるのでした。この仕事は誰に言われたわけでもないのですが、男の子は「自分に与えられた使命なのだ」と信じて疑いませんでした。

 そして、仕事を終えると夜空を見上げ、お月さまに話しかけます。樹海を泳ぐ魚たちやライラック色のキリンたちは、みんな無口なものですから、男の子の話し相手はお月さまだけなのでした。男の子はこのニコニコ笑っているお月さまが大好きでした。男の子の話をたくさん聞いたお月さまは、ニコニコ笑いながら樹海の向こうへ沈んでいきます。お月さまが沈みきる前に、男の子は樹海の底の貝殻の山の上で眠りにつくのでした。

 

 もちろん、そのお月さまは陽子ですし、ちっぽけな男の子のことなんて、そんなに気にかけてはいないのです。夢の中のことですから、目が覚めたら、またたく星が夜明けの太陽の前にかすんで消えていってしまうように、すっかり忘れてしまうのでした。

 男の子はそのことに気づいていたのでしょうか、気づいていなかったのでしょうか。

 とにかく男の子はひとりぼっちで、さみしくて、知らない誰かをずっと待っているのです。


 それからも陽子は度々、眠れない夜やなんとなく淋しさを感じるときにその星のことを思い出し、ライラック色のキリンや森の中を泳ぐ魚、男の子の瞳の中の淋しさを数えて心を落ち着かせました。

 しかし、陽子が大きくなっていくにつれて、星のことを思い出す回数は減っていきました。淋しさは忙しさに圧しつぶされ、夜は疲れて夢も見ずに泥のように眠ってしまうのです。

 

 さすがの男の子も、お月さまが長いことカラッポであることに気がつきました。唯一の心のよりどころを失った男の子の淋しさは静かにふくらんでいきます。そして、「この星を出てみたい」と思うようになったのです。それは、とても自然なことでした。

「お月さまがいなくなったように、ぼくもこの星を出るんだ」

 男の子の決心は固いものでした。

 この星しか知らない男の子は太陽を知りません。ぬくもりも、まぶしさも、音楽も、友達も、家族も、知りません。男の子はこの星が全てでした。でも、今は違います。


 まず男の子は樹海から柔らかい枝を探して、カゴを作りました。そして、丈夫な蔓を集めました。カゴを使い樹海を泳ぐトビウオを捕まえて、蔓の先に結びつけるのです。男の子はトビウオが星を移動していることを知っていました。

 六匹のトビウオの蔓を持って空へ飛び立ちます。男の子は、何度も何度も小さくなっていく自分の星を振り返りました。それはあまりにも簡単で、信じられないほどにあっけないものだったのです。


 いったい何時間飛んでいたのでしょう。たどりついた星は、ほとんどを水で囲まれた星でした。星の大きさは、男の子の住む星より少し小さいくらいでしょうか。初めて見るさんさんと照りつける太陽に、男の子はめまいがしました。降り立った地面の粉雪が燃えるように熱く、しょっぱいにおいがすることに驚きます。夢中になってその不思議な粉雪をすくっていると

「あなたは、ほかの星から来たの?」

 と、誰かに突然声をかけられました。男の子は心底びっくりして顔を上げます。そこには、日に焼けた肌に、木の幹の色の髪と瞳を持つ女の子が立っていました。どうやらこの星の住民のようです。

「あ、うん、ほかの星から……」

 久しぶりに出した声はのどに引っかかり、うまく喋れなくて男の子は恥ずかしくなりましたが、女の子はそんなことちっとも気にしていません。ぱあっと顔を明るくさせ飛びはねます。

「お客さまだわ! 何年ぶりかしら! さあ、こっちに来て!」

 女の子は男の子の手を取って走り出しました。

連れてこられたのは、蔦が生い茂り、うっそうとした森の中でした。そこは女の子の生活空間で、色とりどりの花や葉っぱで飾り付けられています。そして男の子を切株のイスに座らせ、不思議な形の大きな木の実を切って手渡すのでした。

「ここにはよく星を旅する人たちがやってくるの。その度にわたしはその人の住んでいた星の話を聞くのよ。でもその前にわたしの星を紹介しなくちゃね」

 何が何だか分からないうちに話がどんどん進んでいきます。どうやら女の子はせっかちで、おしゃべりなようでした。そして、この星には塩の水がたくさんあること、この先にはたくさんの果物がなっている木があること、友達に三匹の陽気なサルがいること、そのサルたちと木を叩いて歌をうたうことなどを教えてもらいました。

「塩の水は星を呑みこんでしまわない?」

「ボーペンニャン! もしそうなっても心配いらないわ。わたし、海が大好きだもの」

「友達ってことは、そのサルは言葉をしゃべるの?」

「いいえ、しゃべらない」

「しゃべらないのに会話ができるの?」

「しゃべるだけが会話じゃない、そうでしょう?」

「ぼくにはさっぱり分からない」

「ボーペンニャン! これから知っていけばいいのよ」

 女の子は不思議な口癖を持っていました。昔この星にたどりついた旅人に教えてもらったというその言葉は、どこかの星のおまじないだそうです。

「ボーペンニャンは魔法の言葉。意味はよくわからないけど、なんだか力がわいてくるの」

 そう言って女の子は歯を見せて笑うのでした。


 少し強引な女の子に連れられ、男の子はたくさんのことを知っていきました。水の手触り。泳ぐことの楽しさとむずかしさ。砂の中のあたたかさ。鮮やかな味の果物。太陽。歌――。楽しい時間はあっという間に過ぎていきます。すべてが男の子の住む星には無いものでした。でもそれは逆に、男の子の住む星にあったものが、ここにはひとつもないということになるのでした。

 浮世ばなれしたたくさんの楽しい経験をつめばつむほど、男の子の心は穴が空いてしまったかのようにざわざわするのです。お月さまは帰って来ただろうか。キリンが間違って貝殻を食べて死んでしまっていないだろうか。星は樹海に呑みこまれていないだろうか。そんなことばかり考えてしまいます。そのことを女の子に話すと、ボーペンニャン! と魔法の言葉で男の子を慰めてくれるのですが、魔法は男の子の心の穴をするりと通り抜けてしまうのでした。


「ごめん、ぼく、やっぱり帰るよ」

 蔦でできたブランコに乗りながら、男の子はそう切り出しました。他の星も旅するつもりでしたが、どうしても住んでいた星が恋しくなってしまったのです。それを聞いた女の子は、少し悲しそうな顔を見せます。

「どうして? あんなに楽しいって、ぼくの星にはないものばかりだと言っていたのに……」

「この星は、ぼくには少し暑すぎるよ。それに、仕事を残してきたから」

「そう、そっか……」

「でも、どうやって帰ろう。トビウオはどこかに行ってしまった」

「ボーペンニャン、心配いらない。君のトビウオたちも、そろそろ海に飽きてきただろうから」

 女の子の言う通り、トビウオたちが戻ってきたので、蔦に結び、空へ飛び立ちます。心に空いた穴を引きちぎられるような気持ちでした。女の子の顔を見たら、きっと心が張り裂けて死んでしまうだろう。そう思いました。そこで男の子は、「自ら選んだ別れ」というものの辛さを、初めて知ったのでした。


 目が覚めるとそこは、あの粉雪の砂浜の上でした。どうやら移動に疲れ、到着してそのまま寝てしまっていたようです。男の子は起き上がろうとしますが、あまりの寒さに上手くいきません。冷たい空気が、喉や肺に突き刺さります。あまりの静けさに、耳まで痛くなりました。この星は、こんなにも静かで、寒くて、寂しいところだっただろうか。

 とりあえず寝床まで行こう、そう思い、よろよろと歩き進むと、何かが月明かりに反射してキラキラと輝いているのが見えました。星中に落ちているそれは、まるで宝石箱をひっくり返したかのように、美しく輝いていました。近寄って拾ってみると、それは拾われずにそのままになった貝殻だったのです。

 男の子は、自分がいなくても星は保たれるどころか、むしろ美しくなっていることに愕然としました。唯一の役割である仕事も意味を成していない、むしろ邪魔だったことにショックを受けます。お月さまも相変わらずカラッポです。男の子の瞳から、閉じ込めきれない淋しさがあふれ出てきました。手からもバラバラと貝殻がこぼれ落ちます。


 そのときです。男の子の耳に、今まで聞いたことの無いような、美しい音が響きました。それは手からこぼれ落ちた貝殻同士がぶつかった音でした。今まで音楽も楽器も知らなかった男の子は貝殻を叩いてみようなんて思いもしなかったので、知らなかったのです。

「ボーペンニャン!」

 男の子の口から、魔法の言葉がするりと出てきました。するとみるみるうちに力が湧いてきて、立ち上がります。ボーペンニャン! 仕事なんてなくてよかったんだ! そんなものがなくても、ぼくはここにいていいんだ! そう奮い立つと、この何もない寂しい星が、可能性の塊に見えてきました。今まで存在しなかった音楽が生まれたのです。きっとまだ何か生まれるはず。男の子は今まで見向きもしていなかったライラック色のキリンに近づきます。新芽を探すキリンの背中を、そっと撫でてみました。ちょうど背中がかゆかったキリンは喜んで男の子にすり寄ります。しゃべるだけが会話じゃない。男の子は、女の子の言ったことの意味がなんとなく分かったのでした。


 その日から男の子の生活は一変しました。目が覚めて、適度に貝殻を拾いながらキリンと散歩をして、樹海の魚に乗って探検もしました。そして月を見上げながら貝殻を叩いて歌をうたうのです。もう、男の子の瞳には、数えるほどの淋しさはありませんでした。


 そんなある日の夜、久しぶりにカラッポじゃないお月さまが顔を出しました。しかし、今までのニコニコの笑顔はなく、眉間にしわが寄り、苦しそうにうなされていたのです。男の子から見ても、疲れがありありと感じられるのでした。

「ボーペンニャン、お月さま。魔法の言葉だよ。頑張りすぎないで。肩の力を抜いて、どうにかなるからさ」

 疲れ切っているお月さまに、男の子はそう呼びかけました。自分の話しかしない男の子はもうません。お月さまに気を配れるくらいに、男の子の心に余裕ができていたのでした。それを聞いたお月さまは、安心したようにほほ笑んで樹海の向こうへ沈みました。

 目が覚めた陽子はそのことを忘れていますが、魔法の言葉が口からこぼれるはずです。そして、心の中の男の子が変われたように、陽子もすぐに変われるはずです。



 誰しも心の中に小さな星を持っています。

 普段は忘れているけれど、きっと、あなたの心にも。

 たしかに一つの星がひっそりと回っているのです。


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