57分1秒で破られる約束
「失礼ですが、すみれとはどういう関係なんですか? 彼氏、じゃないですよね?」
その子は、八坂さくらと名乗った。すみれとは幼馴染で同学年だそうだ。その八坂さんが言うには、すみれがここ1週間あまり学校を休んでいるらしい。最初の欠席日を確認してみると、僕とすみれが初めて口を交わした、ちょうどあの日だった。
「顔見知りと知り合いの、あいだくらいかな。通学途中に顔を合わせるだけ」
八坂さんの質問に対して、僕は真剣に考えてからそう答えた。2週間前までは単なる顔見知りだった。でも、今の僕と彼女の関係はよく分からない。ただ、それは今どうでもいいことだった。焦りに似た気持ちが体の内側を、喉から胸にかけて痺れさせていた。
「八坂さんは、すみれと同じクラス?」
「……。一応、そう、です」
歯切れが悪い返答が引っ掛かったが、僕は構わず続ける。
「でも、僕は制服姿のすみれと毎朝、駅で会ってる」
学生カバンこそ持っていなかったけど、高校へ向かうすみれの後ろ姿を見送ったこともある。
「はい、私も駅を出てすぐのところで、すみれと合流したことがありました。でも、来ていなかったんです。玄関までは一緒なんですけど、……その、私とすみれは、教室が違うので」
「ん?」
同じクラスだと聞いたばかりだ。
「すみれは――――」
聞き返した僕に対して、八坂さんの表情は微妙だった。思わず答えようとしてすぐに口をつぐみ、目を伏せて何かを考えている。けれど、やがて彼女は言った。
「すみれは、4月からずっと保健室登校なので……。すみれが休んでいることは、養護教諭の先生と担任が話しているのを聞いて、玄関まで一緒だった日も、保健室には来ていないって、それで――」
「…………そうなんだ」
足の怪我が保険室登校の原因でないことは、聞くまでもなかった。松葉杖はクラスを避ける原因にはならない。何より八坂さんの表情が、理由が別にあることを物語っている。僕は、胸の高鳴りがより大きくなるのを感じた。でも、彼女はその原因まで話すつもりはないようだった。
「あの、すみれには言わないでください。保健室登校のこと」
語尾がほとんど聞こえない声で、八坂さんは言った。
「言わない」
「すみれが学校を休んでいるって、あなたが気づいたことも」
「分かった。いつも通りにするよ」
彼女の念押しに、僕は真剣な表情で2度頷いた。
しかしこの約束を、僕はすぐに破ることになる。
八坂さんと別れて、大学へと続くいつもの道を歩き始めた。
結局、すみれが初めて休んだ日と、僕と彼女が初めて会話した日の一致を、僕は八坂さんに言わなかった。すみれが学校を休んでいると知ったとき、そして、すみれが保健室登校の生徒だと知ったときの興奮は、まだ体の中で生き生きと鼓動している。その感情の正体には、薄々気づいていた。
焦りに似た感覚。胸の高鳴り。興奮。
僕は、すみれが学校を休んでいると知って、保健室通いだと知って、嬉しかったのだ。
その感情に気付いたときにはもう、喜びで胸の内が一杯になっていた。初めてすみれと会話をしたとき以上に、彼女に親しみを覚えた。今まさに、僕は初めてすみれに恋したのかもしれない。
1時間後、いつも通りアパートに帰り着いた。
「こんにちは。学生ニートで引きこもり、大学に行っていない笹木航平お兄さん」
僕宛の郵便物を右手にひらひらさせながら、彼女は変わらない表情でそう言った。
「4月からずっと保健室登校、ついにはサボり始めたすみれには、言われたくないな」
僕はすみれが、自分と同じくレールを外れた人間だと知って、この上なく、嬉しかったのだ。