2分13秒の観察眼
平日毎朝、へそからへそまで15センチの距離で、僕はある女の子に見上げられる。
地下鉄卯月線、水島駅で僕は降りる。サラリーマンと高校生、大学生が競ってエスカレータに並ぶ中、僕は足を引きずって、ホームの隅にあるエレベータに向かう。改札のあるフロアに直通の小さなエレベータだ。1畳ほどの面積と、サッカーのゴールポストほどの高さしかない。
エレベータを使う少数派の人間とは、会話こそしないものの馴染みになる。新聞を読み続けるサラリーマンが2人と、親類の誰より長生きしていそうなおじいさん、僕、そして松葉杖が相棒の女の子。彼女がセーラー服から夏服のシャツに衣替えしたのは、6月に入ったつい先日のことだ。
エレベータ内での定位置もできている。一番奥から、サラリーマン、おじいさん、サラリーマン、僕、彼女の順番だ。高校生の女の子と、お互いのパーソナルスペースを侵し合う気分は悪くない。けれど、どうやらそう感じるのば僕だけだ。上目遣いといえば聞こえはいいが、僕を見上げる彼女の視線には、近寄ってくる人間を見つめる野良猫のような、油断のない警戒が滲んでいる、気がする。
とはいえ、エレベータに乗っている時間は1分にも満たない。
アナウンスとともにエレベータのドアが開くと、女の子は松葉杖を両脇に挟んですぐに出ていく。僕もそれに続いて足を引きずりながら改札へ向かう。健康な人ほどでないとはいえ、松葉杖の彼女よりは僕の方が歩が速い。すぐに僕は彼女を追い抜く。一瞥することもない。僕は彼女と言葉を交わしたことすらないのだ。
エスカレータで地上に出ると、僕は自分が籍を置く大学の方へ歩き出す。彼女と同じ制服を着た高校生は、僕とは反対側に歩いていく。それから先の1日、僕と彼女が会うことはない。エレベータに並んでから、降りるまでの数分間が僕と彼女の関係のすべてだ。
にもかかわらず、今日の彼女は僕にこう言った。
「お兄さん。その足、怪我なんかしてないでしょう」
「えっ……いや…………」
見抜かれたときの演技くらい、練習しておくべきだった。